16話
勇ましく前口上は言うが、相手の返事を待つ二人ではない。
猪のような長い牙をのぞかせ、大豚が口を開こうとした頃には既に銀の鞭と木の剣が振り上げられ、一方的に決戦の口火を切っていた。
「家族の仇っ!」
勿論、先陣はクーだ。
まだ体制を整えてもいない大豚の鼻面目掛け、剣を振りかざして突撃していく。
だが相手は軍隊だ。自分たちの大将目掛けて突撃してくる相手をみすみす通してはくれない。
彼の剣が敵に届く前に、四方から悪魔たちの声が上がった。
「止めろ!」
「撃ち方用意!」
一旦は二人に圧され、両脇に排除されていた敵が将を守るために殺到してきた。
隊長格らしい悪魔の号令に合わせ、この期に及んで銃を構える者もいたが、一部の者は軍刀を抜いて白兵戦を挑んできた。
悪魔狩りの基本である銃弾弾きの技は、武器が自由に動かせる状態でなければ使えない。
鍔迫り合いでも、最悪剣を受けるでもいい。何とかクーの防御の手段を封じ、そこに銃弾を撃ち込もうという作戦だった。
アンが一緒に突撃しなかったのは、そんな敵の動きをわかっていたからである。
少し後ろから悪魔たちを見ていたアンは、彼らの注意が前線のクーに集中しているのを確認するとようやく動きだした。
巨大建造物が背負った少女にしたがって走るのは中々の迫力だったが、悪魔たちが驚いたのはその後の行動だ。
真っ直ぐクーの背を追わずに少し右に逸れ、銃を構える悪魔たちの前に立ちはだかったアンは、
「よっこらせ」
「あ!」
気の抜けた声と共に背負った塔をその場に置いたのだ。
彼女にとってはただ荷物を置いただけの事だが、何度も言うようにそれは巨大な建造物。
悪魔たちの射線の前には破壊不能の石の壁がでん、と聳え立ち、標的の姿をそっくり覆い隠してしまった。
「これでは狙えん!」
「き、貴様、何をする!」
「いや、何をする! じゃないってのよ。敵の動きは邪魔するに決まってるじゃないの。やめてほしけりゃとっとと逝きなさい」
アンは迂回してきた剣兵を八つ裂きにすると、自身はクーの左翼に駆けだした。
こちらは塔で右を、自身と鞭で左を守るという、あくまでクーの仇討を支える格好だ。
たった一人に両脇を固められ、首領に迫る敵を止める手立てを無くした悪魔たちは、怒り狂ってアンに襲い掛かった。
勿論、結果は言うまでもない。
銃弾は余さず鞭に阻まれてあらぬ方向へと弾け飛び、敵を撃ち抜くどころか流れ弾として味方を襲う始末だ。
挙句かかっていった軍服たちは味方の弾に邪魔され、足を止めたが最期、四肢をもがれて燃やされながら宙を舞う。
クーがそうであるように、悪魔と戦歴を重ねた者の戦闘力は常人を超えるらしいが、アンはその中でも百年を越える、非常識なほどの古参兵だ。
悪魔たちにとってはこれ以上与しにくい相手もいないだろう。
アンの狙い通り、一兵卒の悪魔たちはその防御を突破できず、誰一人として彼女の後ろに抜けることはできなかった。
そうしている内に、クーが動かない大豚を剣の間合いに捉えたのだ。
「喰ら、え……っ!」
走る勢いのまま、クーは大豚の眉間目掛け、力任せに木刀を振り下ろした。
対して大豚は敵を見据えたまま動かない。
ついに邪魔者の消えた少年の獲物は、憎き仇敵の頭を叩き潰さんと迫り、
「……やはり、思い出せん」
「……っ!?」
鈍い音と共に弾かれた。
大豚は足を動かしていない。ただ頭を上げ、牙を突き出して防いだだけ。
そして瞳の見えない白目だけの不気味な視線で相手を見据え、
「ぶ、ひぃ……仇などというから、心当たりを考えていたが、やはり逆族の顔などいちいち思い出せぬ……お前の親は何という名だったか……?」
「……き、さ、ま……ぐぅっ」
大豚は牙を振り上げて少年を跳ね飛ばした。
流石に周りの一兵卒とは違い、巨体に相応の怪力だ。
大したことは無いと評された『腰巻爺』でさえ、人間の力で立ち向かうのは無理があった。
大物を相手にするには、やはり大物の力を借りる必要がある。
「うーむ、わかってたけどやっぱり一人じゃ無理ね。コイツをシャバに出してやるのはかなり嫌だけど、仕方ないか」
アンは手近にいた悪魔たちを払い飛ばすと、腰に括ってあった『愚総統』の禁書を解き放った。
鞭を手放し、本を両手に構えたそれは、クーもいつか見た大悪魔召喚の構え。
以前の戦闘と同じように、アンの手の上で禁書は蒼白く発光を始め、ひとりでにページを捲りながら宙に浮き上がった。
やがて停止する禁書の動き。
よく見ると開いたページに綴られた名前の一つが一際強く光っていた。
あれがアンの署名であり『愚総統』を縛る呪いの契約の証だという。
対象の大悪魔に恨みがあり、禁書に名前がある者のみが大悪魔を従えられるというのが、アンが以前に語った事だった。
禁書のページから発射され、悪魔を縛る銀の鎖は、まさにその繰り手の証だと。
「仕事よ『愚総統』。あの豚を挽肉にしておやりなさい!」
鎖を掴んだアンは乱暴に手綱を引き、本の中に封じられていた骸骨巨人を引きずり出した。
呼び出された骸骨巨人は、骨だけの堅く巨大な脚で周りの有象無象を容易く蹴散らし、首魁たる『赤猪豚』をも上回る巨体であっさりと敵を蹂躙し、この地の戦いは幕を閉じる。
後はクーがエリシオンの灯を以って挽肉になった豚を焼き殺せば、彼の復讐も果たされ万々歳だ。
少なくともアンはそのつもりでいたのだが、
「……うん?」
鎖を持ったまま、召喚者本人は首を傾げていた。
というのも、本から現れたのは強靭の骸骨巨人ではなく、なにやらさらさらとした白い砂のようなもの。
大悪魔を戒めるための首輪も乾いた音と共に地に落ち、望まれた力も威圧感もどこにもありはしない。
さて、これがどういうわけかというと、だ。
「アン、まさか」
「……いや、その……ちょっと虫の居所が悪くて、必要以上にぶちのめしすぎて……」
少し前にアンが『愚総統』を腹いせに使った時、しばらく悪魔たちは現れなかった。
それだけ広範囲に長く響く悲鳴を上げさせた以上、並の制裁ではなかったらしい。
それこそ、原形をとどめず、簡単に再生できないほどに。
アンは珍しく声を震わせ、
「ごめん、クー……やっちまったわ。コイツ今役立たずよ……」
引きつった笑みで相棒を見つめたのだった。