15話
「あのお馬鹿……!」
アンは悪態を吐きながら鎖の鞭を構えた。
やっと見えた仇敵の姿に、激高したクーが単身で突撃してしまったのだ。
目の前を覆う数百の軍勢は、悪魔と人間の混成軍だ。それも悪魔たちは人間を武装させて盾にしている。
そんな所に正面から突っ込めば、仇より先に衝突する相手は、勿論。
「どけぇぇぇっ!」
「な、何だ?」
「ば、馬鹿者ども、止めんかぁ!」
木刀を構えた幼い少年が、軍用装備を手にした大人たちに正面から向かっていく。
一見すると玩具を構えた子供の攻撃だ。盾にされた人間たちは最初こそ戸惑い、隙だらけだったが、
「ぎゃあああっ!」
「うわああっ!?」
たかが木剣に殴られた悪魔の首がはじけ飛ぶと、全員揃って恐れ戦いた。
彼らは悪魔狩りの戦いを初めて見るらしい。
無力な子供を止めろと言われる意味がわからず動きが鈍かった人間たちは、対悪魔の装備が討つべき敵に現す効果を見て初めて動きに精彩を取り戻したのだ。
それが自分たちの『将軍様』を脅かすと理解して。
「と、止めろ、止めろ!」
「将軍様を守れ!」
「……やっぱりこいつらもそういうクチなのね」
アンの危惧の通り、ここに集められた人間たちは『赤猪豚』の信奉者らしい。
最初に現れた娘を締め上げたところ、彼らはこの城で働く者たちだという。
先日の集落同様、ここで暮らす人間たちは悪魔に襲われないよう庇護を受けており、代わりに城の手入れをしていると。
話を聞いたアンはあからさまに嫌そうな顔になった。
そしていつもの凶悪な笑顔を浮かべながら、人間に隠れた悪魔たちを睨みつけたのだ。
「悪魔の分際でお城住まいで召使付きとは、ほんっと良い御身分ねぇ……虫唾が奔るわ」
「ひぃっ」
睨まれたのは悪魔たちだが、一緒に人間たちも委縮する迫力だった。
さもありなん、と言ったところである。
眼がある位置こそ低いものの、巨大な塔を背負ったアンの姿は余人にとっては悪魔以上の怪物だ。
それが敵意むき出しで睨んでくるのだから、彼らからすれば遥か天上から睨みを聞かされているような威圧感である。
前線を張っていた悪魔たちは、盾に取っている人間たちと共にたじろぎ、微かな隙は生じたが、後列以降まで動揺は届かない。
クーの前には未だに軍勢が立ちはだかっていた。
「ちょっとクー! 人間は避けなさいよ」
目の前に人間の壁があっても、クーは一切構わず獲物を振りかざす。
勿論狙うは悪魔だが、対悪魔の武器は素材が重く、研ぎ澄ましてもなお鈍い。そのため人間相手には威力不足。
逆に相手が持つのは殺人用の武器だ。人間同士の戦いにおいて取り回しの差は歴然である。
「ぐっ……!」
ナイフが掠め、クーの頬から鮮血が一筋走った。
人間たちは戦いは素人のようだが、二人で戦うクーとは数が違う。鈍い動きながら、四方からナイフや軍刀を突き出して確実に相手を傷付けていく。
いくら場慣れしていても多勢に無勢はどうしようもないのだ。
となればまず敵の数を減らさなければならないが、
「は、ははは、どうだ、手を出せまい」
悪魔を攻撃したくても人間たちに阻まれ、クーの木刀は狙う相手に届かない。
逆に悪魔たちは間合いの外から好きなだけ敵を狙い撃てるのだ。
人間の壁の奥から、悪魔たちはその証たる自動小銃の口を一斉にクーへ向けた。
「卑怯者……め!」
「撃てぇ!」
クーの悪態と共に号令がかかった。
銃口が火を噴き、高速で発射された鉛玉が敵の身体に風穴を穿たんと襲い掛かる。
前線に上がりすぎたために、アンの鞭は届かずクーを守ることはできない。
これで二人のうち一人が消えた。
そう確信した悪魔たちの口角が微かに持ち上がった。
しかし、
「……ナメてるわね、あの子を」
アンもまた、相棒の危機に余裕の笑みを浮かべたのだ。
その視線の先、斉射を浴びるクーの周りに突然、暴風が荒れ狂った。
そして、
「ぐあ」
「ぎゃあ」
どういうわけかクーは健在であり、代わりに周りにいた人間が腿や腕を抑えて倒れた。
死者はいないようだが、よく見ると彼らの体には銃創が刻まれている。
撃たれたのはクーだけであるのに、彼の周りにいる者だけが傷を負っているのだ。
今起こっている事態は、銃を知らない者は決して理解できない反応だ。
更なる威嚇の意味を込めて、アンは低い声で人間たちに告げた。
「跳弾よ……要するに、弾かれた弾に当たるとああなるのね」
「は、弾かれた……?」
「あの武器を、木刀で……!?」
木刀を手にした少年へ、人間たちの視線が一斉に向けられた。
アンと出会ってからというもの悪魔と戦い通しだったクーは、すでに悪魔の銃を捌く技術を戦いの中で身に着けていたのだ。
さらに対悪魔の装備は悪魔の武器に対しても耐性を持つらしく、鉛玉を受けながらも木刀は傷一つついていない。
恐ろしい悪魔たちの攻撃を無謬の様子で防いで見せた少年の姿に、人間たちは再び恐怖がぶり返した様子だった。
その隙を、アンは見逃さない。
「さぁ、あんたたちおどきなさい。あたしたちは悪魔狩り……あたしもあの子もただの人間に後れを取るほどヤワじゃないわ。怪我したくなければ引っ込んでる事ね」
実際に排除できる必要はない。
要するに人間が攻撃できない状況を作ればいいのだ。
人間と斬り合えば無血ではいかないだろうが、悪魔の攻撃ならば捌けるし、反撃にちゅうちょする必要も無い。
狙い通り、アンの言葉に人間たちに動揺が走り、クーを取り囲んでいた者たちの動きが止まった。
最後の一押しは、本人の迫力だ。
「どけ……どかなければ……」
人波が収まれば、彼らの頭の向こうには再び巨大な豚の姿が見える。
故郷を奪った憎い仇。
その姿を見て殺気を高めたクーは、
「お前たちもっ、殺すぞっ!」
子供と思えぬ迫力を以って大人たちを一喝した。
「……う」
「うわ……」
「に、逃げろ……」
「逃げろっ!」
子供の恫喝に屈した人間たちは、ついに武器を捨て、逃げ出した。
「あ、ま、待て……ぎゃあああ!」
「ぐ、人間……いやっ、小僧どもを止めろぉっ!」
阻むものがいなくなればもう止まらない。
人間の盾を失った悪魔たちにクーとアンは猛然と襲い掛かり、その五体を粉々に打ち砕いて次々と火炙りに処していく。
悪魔たちの断末魔に、怯え逃げ惑う人間たちが溢れ、広場は大混乱の渦中に落ちた。
統制が取れなくなった軍勢は、二人にとっては烏合の衆だ。
目の前に立つ敵は切り刻んで排除し、狙う獲物目掛けて進撃は止まらない。
そうして、ついに。
「……やっと、会えたわね」
「覚悟しろ……この豚が」
目の前に迫れば、その姿は見上げるほど大きい。
真紅の毛皮を纏った筋骨隆々の巨体を、無理に軍服で覆ったような巨大な豚。
頭に対して小さな角と、広い背中に対して頼りない蝙蝠の羽は飾り物のようで微かに可愛らしかったが、二人の悪魔狩りの眼はそんなことに頓着しない厳格さで敵を見据えている。
この地を統べる大悪魔『赤猪豚』。
その名に違わぬ巨大な豚を前に、二人は武器を突き付けた。
「初めまして……そしてさよならよ」
アンの処刑宣告と共に、最後の戦いが始まった。