12話
襲撃の一波を凌ぎ切り、塔の中で一夜を明かした二人は、再び『赤猪豚」の居城目指して歩き始めた。
『愚総統』の悲鳴に怯えたのか、昨日までと打って変わって悪魔たちの襲撃は鎮まり、二人の旅路は静かになっていた。
アン曰く、一応悪魔たちも相手の力量を見極める頭はあるという。
『愚総統』は大悪魔の中でも特に強力なもの。
それを使役し、そのくせ良いようにいたぶる姿を見せれば、周囲への強力な威嚇になるとのことだった。
「ただの憂さ晴らしじゃないんだね、アレ」
「いや、そのつもりだったんだけど、冷静に考えたらビビるわねってだけよ」
「……素直にそうって言えばかっこいいのに」
確かに悪魔たちにとって、自分より強い悪魔をいたぶる敵は恐ろしいだろうが、アンには元々その気は無かったらしい。
何はともかく『愚総統』の悲鳴が魔よけの役割となったようで、発生源の塔の周辺には自然と悪魔たちが寄り付かなくなった。
威嚇にしろ目印にしろ、それは目立てば目立つ程協力だ。
敵を吸い寄せていた塔が、今は遠ざける魔よけの塔になった。
となると、逆に悪魔を避けたい者は安全のために近づいてくる。
この世界は人間が大きく数を減らしていたが、絶滅したわけではない。
目的を持ち旅する者も、二人の他に少ないながら世界を巡っていたのだ。
荒野の彼方から塔に接近する影を見て、思わずクーは身構えたが、
「お待ち、クー。よく見なさい」
「……角も羽もないね」
人影には悪魔の特性である二角も羽もなく、服装も軍服ではなく質素な外套だった。
今日日珍しい人間の旅人。
二人連れの旅人たちは塔を見つけると最初は驚いたようだったが、麓にいるのが小さな子供だと気づくと片方が片手を上げて接近してきた。
元々、対悪魔用の武器は人間と争うには向いていない。そうでなくとも大人と事を構えるのは得策ではないだろう。
クーはアンの目配せで武器を納め、一旦は来客を迎えることにした。
現れたのは男の二人連れ。
日除け、寒さ除けの革のマントに、同じく革製の背嚢は特段変わったものではない。
だが、腰に備えた装備を一目見ればクーにも彼らが何者か察しが付いたのだ。
「……おじさんたち、悪魔狩り?」
「そういう君もな」
男たちの腰には火の入ったカンテラと、白銀の剣。そして小物入れらしい革袋が一つ。
カンテラの中身は十中八九エリシオンの灯だろう。重く柔らかい銀は本来武器にも道具にも向かないので、両方とも対悪魔用の装備に間違いない。
自分たち以外の悪魔狩りを見たことが無いクーは、警戒しながらも興味深そうに男たちの剣を覗き込んでいた。
逆に、悪魔狩りを始めて長いアンは、彼らが何者なのかわかっているらしい。
背中の塔を地面に下ろし、少し機嫌悪そうに腕を組んだ。
「……あんたたち『シタンダル』の悪魔狩りね? 知らない顔だけど弟の差し金かしら」
「したんだる……弟……?」
知らない名前に、更にはアンの弟とは初耳である。
目を白黒させるクーの前で、二人連れの男はアンに頭を下げた。
「いかにも……そういうあなたが『塔の娘』アンですね。お連れがいるとは聞いていませんでしたが」
「ご明察通り、首長の命で参りました。あなたにお会いできるとは思っていませんでしたがね」
つまりはアンが目当てで来たわけではないらしい。
とはいえ彼女は目立つので、近くに来ればすぐに所在が知れる。
『塔の娘』の存在を知っていて、たまたまそれらしい姿を見つけた。だから声を掛けただけとの事だった。
クーは彼らについては何も知らない。
なのでアンは『シタンダル』なる組織について、簡単に説明を入れてくれた。
「まぁ、言っちゃえば悪魔狩りの組織ね。あたしの故郷付近に本拠地があるんだけど、弟がその頭なのよ」
「アン、きょうだいいたんだね。生き残ってたの?」
「いや、生き残りはパパだけ。弟はその後妻の子なのよ。組織はパパが作ったんだけど、弟が継いでるの」
アン曰く、一家の死別は百年前だ。その時は生き残った父親も、時間の流れですでに死んでいるのだろう。
ともかく、彼らにとってアンは組織の創始者の娘であり、悪魔狩りの大先輩であるという。
なので近くにいれば挨拶をするのが倣いのようだが、される側はあまり歓迎していないようだった。
というのも、
「……で、アンお嬢様。首長がいつも仰ってますよ。いつ姉さんは組織に戻られるのかと」
「我々は大悪魔の様子を見に来たのですが、正直城が気になってすぐにでも帰りたいんですよ……お嬢様がいれば北の悪魔たちの抑えも利きやすくなるんですが」
彼らの口上を聞くなり、アンは見るからにうんざりといった表情になった。
どうも『シタンダル』は、何か問題を抱えているらしい。
その解決のためにアンの力を借りたいようだが、本人は随分渋っているようだった。
「嫌よ。そこまであたしが赴くんじゃ、何のために悪魔狩りが一か所に集まってるのよ。元々ヨーロッパ以外じゃまともに数がいないんだから、そんくらい城だけで何とかしなさいな。第一あたしは旅がしたいのよ。組織に雁字搦めなんてまっぴらごめんね」
「はは……聞いていた通り取り付く島もないですな」
「流石半世紀も家出娘をしてらっしゃると、強情も折り紙付きだ」
「余計なお世話だってのよ、坊やのくせに生意気ね」
交渉する側も前向きな返事は期待していなかったらしい。
男たちは苦笑を浮かべると、あっさり諦めた風で肩を竦めた。
アンも煩っていた帰宅の催促が止めばいくらか態度が軟化した。
どうも組織員と彼女の間で、この一連のやり取りは定番のもののようだ。
小さな歴戦の戦士が、逞しい新兵たちを膨れっ面で見上げる様は傍から見ると微笑ましかった。
「……んで『赤猪豚』の情報収集ならやめときなさい。あたしたちがこれから倒しに行くから無駄になるわ。あんたたちが気になるのはここの連中と北の悪魔との関係でしょ。ちょっと待ってなさい」
彼らの願いは叶えられないが、アンにとっては弟の部下である。
拒絶の理由が無くなり、相手の事情がわかれば、できる協力は考えるのだろう。
アンは塔に戻り、すぐに一冊のノートを抱えて持ってきた。
「コレ、先日倒した大悪魔の禁書の写しよ。これを見るだけでも豚ちゃんの情報はわかるから、調査の結果を求められたら弟に見せなさい。あたしの名前も出してね」
思い当たるのは『腰巻爺』の禁書だろう。
確かに『赤猪豚』の情報はこれを見れば十分。いつの間に作っていたのかは知れないが、アンは資料として読みやすいように禁書の写本を作っているという。
ひとしきり内容を検め、納得したらしい二人連れは、少しの世間話の後にやがて西へと帰っていった。
対悪魔の組織、そして北の悪魔。
はじめて聞く内容が多かったクーは、やはり後からアンに説明を求め、歩きがてらに解説が入った。
「大陸の北半分は、ちょっとヤバい悪魔が牛耳っててね。そいつが生前から各地の大悪党とつるんでいたから、どこの大悪魔を突いたら機嫌を損ねるとか怒りだすとか考えないといけないし、悪魔になってまで領土拡張とか考える業突く張りだから、シタンダルの悪魔狩りで西進を食い止めてるのよ」
「その悪魔狩りって、何人くらいいるの?」
先の二人組は、北の悪魔と『赤猪豚』の関係の調査に来たらしい。
少なくとも戦線を維持しながら調査を派遣できるくらいの人数はいるようだが、そもそも悪魔狩りがそれほど多数派の人間ではないことはわかっている。
だからこそ、
「まぁ、少なくとも百人はいるわね」
思いのほか大きな数字にクーは目をぱちくりさせた。
アンとクーの二人だけでも百単位の悪魔を相手にできる。
悪魔との戦歴を重ねた者はそれだけ強力だ。それが百人とは立派な大勢力だと思ったが、それを以って苦戦する悪魔の軍勢も大概である。
だからこそその勢力には気を遣わなければならないのだが、これから二人が『赤猪豚』を倒せば、敗残兵たちがその悪魔の軍に吸収される危険性があるという。
なのでこの地を調べる必要があった、要はそういう事らしい。
「最も、ここの豚ちゃんはあんまり北の大将とはかかわりがなかったみたいね。考え方は影響を受けてたけど、直接面識があったでもないし。だから少なくとも豚ちゃんが死んでも連中は何とも思わないわ。気にしてもいないだろうしね」
「じゃあやっつけても特に何もないんだね」
「すぐにはね……いずれは勢力下に飲み込まれるけど、その前に集落の連中は保護するように言い含めてあるわ」
「………」
先日の集落の人々は『赤猪豚』の庇護で生き残ってきた。
それを討ち取れば関係のない大悪魔の支配下に置かれ、十中八九今までのような平穏は消え去るのだろう。
覚悟は決めていたが、いざ言われると気になるものだ。
ただアンは、そういう時にこそ事後処理に回るのが組織だと教えてくれた。
「心配しなくていいわよ。ああいう連中は、悪魔を狩って生計を立ててるわ。腰に革袋があったでしょ」
「……あれ、何なの?」
「遺灰入れよ、悪魔のね」
クーは首を傾げた。
入れ物があるということは遺灰を集めるということだろうが、それがどうなるというのかわからない。
合点がいかないらしい相棒の様子に、アンは悪戯っぽく微笑んだ。
「換金するのよ。シタンダルは成果主義だからね……集めた遺灰の重さによってお給金が出るから、統率者のいなくなった烏合の衆はいいカモなのよ。『赤猪豚』がいなくなったら、この辺も悪魔狩りが入りやすくなるわね」
要するに、他勢力に吸収される前にこの地の残党は狩られるということだ。
そうして悪魔狩りたちを動かして治安を守り、人間の版図を守り取り戻すのが組織の役目だという。
仇敵を倒した後の処理は彼らに任せておけば問題ないと、アンは相棒に保障して見せた。
ただそれも、何もかも二人が事を成した場合の話である。
ひとまず敵を倒すことに憂いは無くなったが、そうなると倒し方を考えなければならない。
幸い、敵の事を知るための資料は手元にある。
アンは『腰巻爺』の禁書、その原本を開きながら、目指す標的の考察を続けた。
「『偉大なりし将軍様は、巧みな甘言で反乱分子をあぶり出し……』。要するに、自分のやり方に反対な人を呼び込んで皆殺しにしたのね」
「……卑怯な」
「まぁ、いい悪いはさておき、相手がそういう手を使う奴ってのは覚えておくべきね。だからこそ小物だって北の連中も侮るんだけど……」
アンは本から視線を上げた。
客人が去った無尽の荒野には、最早一つの人影も見えない。
ここはかつてこの地にあった国の首都付近だというが、時折見える建物群もほとんどが廃墟、そうでなければ遺跡と化していて、当時の繁栄は見る影もない。
そんな中で健在な建物があればそれは目立つ。
彼方に見えるのは、真紅に塗られた巨大な門。
『百年前の悪魔』が出現する前、この地にあった王城の玄関口であり、生前の『赤猪豚』が国を平定した際は自らの朝廷の発足宣言をしたという。
禁書の記録によると、敵の本拠はあの門の向こうで間違いない。
いよいよ迫った決戦の気配に、クーは息を呑み、静かながらも気炎万丈といった様子だったが、
「……この順調さが、嵐の前の静けさじゃないといいわね」
なにも遮るものの無い敵本拠までの道行きに、アンは微かな危惧を抱くのだった。