11話
出会ってよりずっと東進を続けてきた二人だが、村を出てからは北に進路を取っていた。
クーが行き倒れるまで目的地への直進を続けていたが、禁書の導きによって大きく迂回したらしい。
とはいえ引き返したわけではないため、『赤猪豚』が本拠としている地まではもう数日の距離。
旅路は順調に決戦へと向かっているように見えた。
しかし、日程の目算は、あくまでトラブルなく進めた場合のものだ。
ここは国一帯を支配する大悪魔の本拠地近く。
何事もなく素通りできるはずもなかったのである。
「……当たり前だけどうようよいるわね」
悪魔たちの基本的な動きは軍隊だ。
国の中枢に向かうにつれて守備軍の勢力は増していくし、そんな中を歩けばすぐに敵に遭遇してしまう。
しかもアン一行は塔を背負って歩く手前、隠れて行動するということができない。
塔はそのまま休憩所や拠点として使える利点はあるが、それにしても大きく高すぎる。
敵地に入り込めばどこからでも場所が知られてしまうのは、利便性を差し引いても大きな不利だ。
尽きることなく襲ってくる悪魔たちに、慣れている筈のクーすらあきれ顔だった。
「ねぇアン……それどっかに下ろしていけないの? いくらなんでもきりがないよ」
そう言いながら、彼の周囲では野太い悲鳴が絶えない。
体格に合わないと思われた木剣を縦横に振り回し、苦言を呈しながらも迫る悪魔を達磨にしているのだから大したものだ。
頼もしくなっただけにアンも彼の意見は無視できないのだが、こちらはこちらで事情があるらしく、悪魔の首をねじ切りながら溜息を吐いた。
「それができれば苦労は無いのよ……前に話したでしょ、あたしがゾンビ兼地縛霊だって」
「それは聞いたけど、地縛霊って土地に縛られてそこから離れられないんでしょ。アンは自由に旅してるじゃないか」
クーが以前に聞いた地縛霊の説明は、未練ある土地に縛られた怨霊というものだった。
だがアンは存在感たっぷりにあちこち歩き、悪魔を狩り回っている。
話と現実の差に、クーは未だ地縛霊の意味に納得しかねていたのだ。
ただ、アンが語った事はこれまでの挙動を見れば十分に理解できるものだった。
「まぁ、その通りなんだけどね……あたしが縛られてるのは土地じゃなくて建物なのよ」
「その塔?」
「そ。塔ってより、これを作る建材の方だけどね。今まで言い損ねていたけど、そうね……とりあえず」
「ひぃっ」
アンはもぎ取った首を燃やしながら、まだ生きている悪魔たちに向き直り、
「こいつら畳んじゃいましょうか。落ち着いたら中でゆっくりね」
「イエス、アン」
竦み上がる軍服たちに、二人揃って処刑宣告をしたのだ。
世間話のついでに狩られる悪魔たち。
しかし、彼らを憐れむものはここには無く、一時間も持たずに百近い悪魔は全員焼き殺され、余さず塵芥に還っていた。
落ち着いた二人の会話の間には、必ずと言っていいほど紅茶が用意されていた
先日は行き倒れたが、思えばこの旅の間飲み水には苦労したことが無い。
今更ながらに気づいたクーがアンに出処を訊ねると、これらは全て雨水や露を蒸留して清めたものとの事だった。
エリシオンの灯は燃料要らずで燃える不思議な炎。
以前蝋燭に点けてもらった時も、火消しで消すまで延々と燃え続けた。
着火する場所はきちんと火の元が無ければならないようだが、湯を沸かす分には困らない。
茶葉は中庭で育てているので、紅茶に困ることは無いとの事だった。
「そういえばアンって、お腹は空かないのに食べるのも飲むのもできるんだよね。じゃあ、その……」
「……まぁ、普通に美味しいわよ。取り入れたものがどこに消えてるのかはわかんないけどね」
いい加減紅茶にも慣れてきたクーは、気まずい質問を誤魔化すように琥珀の液体を口に運ぶ。
アンも何となく渋い表情になっていた。
素朴な疑問だったが、これは完全に無駄話である。
知っておくべき別の疑問を解決するため、アンはさっさと本題を切り出したのだ。
「で、あたしがこんなでかいの背負ってる理由は何となくわかってくれたわね」
クーはこくりと首を縦に振った。
曰く、アンは塔に縛られた地縛霊なのだという。
だから彼女の行動範囲は塔から半径五百メートル以内。
それ以上離れると、塔は地面を引きずる形でついてきてしまうのだという。
当然軌道上にある障害物は粉砕され、地面には数百トンの重みで深い轍が刻まれ、更には次第に塔が埋まってしまい身動きが取れなくなるという。
だがアンが塔に縛られているように、塔もまたアンに縛られているということで、彼女の意思一つで様々な制御が可能、とのことだった。
「背負ってる間は重さもなくなるのよね。足場に影響があるから極力背負ってるんだけど……でもコレ、元はもっと背負いにくい建物だったのよね」
「……元は何だったの」
そもそも建物は背負えるものではないと思ったが、クーは敢えて口に出さなかった。
指摘するだけ野暮だろうし、答えが期待できる事を聞くべきだろう。
アンが自分の事を話すのは珍しかったので、クーは遮らないように務めたのだ。
「強制収容所ね。この塔はその建材を加工して建て直したんだけど……あたしはそこで死んだのよ、姉と一緒に」
「収容所?」
「言っちゃえば隔離施設よ。あたしの一族は、皆そこに押し込まれたわ。この馬鹿が何度も言ってたでしょ。あたしの事『劣等民族』って」
アンは見慣れた本を人差し指で突いた。
確かに『愚総統』は何度もアンを罵っていたが、意味するところはそういう事だったらしい。
そうして差別的な行いをした理由については、以前に話してもらったが、一族をどうしてひとまとめに幽閉したのかまではわからない。
だがアンが語った理由は正に歴史の闇、といったものだった。
「ジェノサイド……絶滅政策ね。要するにあたしたちの信仰や血筋を根絶やしにするためにやったのよ。国の貧困の原因だからって、適当な因縁を付けてね……」
「なんだ、それ」
クーも見るからに怒った顔になった。
復讐に飲まれてもこの少年の心根は真っ直ぐだ。非道は許せないのだろう。
相棒の理解に一瞬アンは微笑んだが、それだけで怒りは収まらなかったようで、
「そうよ、なんだそれよ……あたしの姉なんか町でも評判の美人だったってのに……コイツのせいで」
「あ」
わなわなと肩を震わせる姿は以前も見たもの。
過去に関する怒りで時折発生するアンの発作だった。
この後起きることはクーももう知っている。
「……えーと、行ってらっしゃい」
「えぇ」
鞭に手をかけたアンに、クーは堅い笑みを向けたのだった。
醜く響き渡る大悪魔の苦痛の絶叫はこの地方一帯に響き渡り、各地に詰める悪魔たちを震え上がらせた。
『塔の娘』の名前は、今やこの地の悪魔たちの間で悪名高い。
彼女が自ら使役する悪魔をいたぶる趣向を持つ事も、軍内の連絡で多くの者が知っていたのだ。
主の憂さ晴らしに粉砕される骸骨巨人の悲鳴は、今やこの地の恐怖の象徴。
それが悪魔たちの本拠に迫っているということで、守備に回る兵士の一部が自信の主人へ注進に走っていた。
「将軍様! 塔の娘が、この城に迫っております!」
そうして叫ぶ兵士たちの視線の向こうには、巨大な獣が伏せっている。
軍服がはちきれんばかりの巨躯。
その下からは赤い体毛。
そしてその姿は、醜い猪豚の姿をしていたのだ。
それこそクーの家族の命を奪った、憎き仇の姿。
この地を治める大悪魔『赤猪豚』。
部下の呼び声と悲鳴に、閉じていた瞼がゆっくりと開いた。