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歩く塔のアン  作者: 霰
二人の出会い
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序章


 少年は最初、夢だと思った。

 余りにも荒唐無稽な絵面だった。

 荒野と廃墟だけが広がるその地に現れたのは、少年と同い年、十歳くらいの幼い少女。

 黒髪と黒目は少年と同じだが、伸び放しで薄汚れた少年と違ってよく手入れされており、色白で端正な顔はこの地の遥か西方に由来する顔立ちだった。

 貴婦人めいた紺のドレスに身を包み、線の細い手足を袖からのぞかせる姿は美しい。

 だが美少女然としているだけに、その出で立ちはよく目立った。

 たおやかな手には厳つい銀の鎖を鞭のように持ち、何故か腰には火のついたカンテラを備えている。


 それが踵の高い靴で、濃緑の軍服を着た男の頭を踏み躙っていたのだ。

 しとやかにしていれば人形のように可愛らしいだろうに、自分より遥かに逞しい軍人を踏みつける姿は大の男以上に迫力があった。


 踏みつけられた方も尋常の姿ではない。

 地面にめり込んだ土気色の頭には牛のような二角が生え、瞳は光を失っている。

 そして広い背には小さな蝙蝠の羽。

 身に纏うのはきっちりとした濃緑の長袖、ズボン、ブーツ、そして短いつばの付いた帽子。

 少女に踏まれている者以外にも周りには多くの悪魔が倒れていたが、やはりいずれも似たような姿をしている。

 二角と羽、そして百年前の軍人の姿は、この世界では悪魔の特徴だった。

「……で、あんたのご主人様はどこにいるのよ。ぶっ飛ばしてやるからとっとと吐きなさい」

 少女は、そんな長身で逞しい軍人の顔面を足で地面にねじ込み、鎖の鞭を構えて迫力満点に凄んでいた。さながら出来の悪い奴隷に制裁でも加えるような態度である。

「おぉ……おのれ小娘……! 我らの将軍様に盾ついて、ただで済むと思うなよ……!」

軍服の悪魔は立ち上がろうと必死にもがき、逞しい手で白い脚を掴んだが、

「ぎゃあああ!」

 次の瞬間鎖の一打ちで腕を肘から叩き折られた。

 びしりという鋭い音は痛烈で、肘から先が逆に曲がっている悪魔は心底痛そうに足をばたつかせている。

 だが少女の方は特に気を咎めた様子もなく、外見年齢が遥か上の悪魔に対して淡々とした態度だ。

 むしろ怒るべきはこちらの方、といった様子で顔を歪め、厳しい口調で軍服の悪魔をなじった。

「気安くレディの脚を触るんじゃないわよ、なってない坊やね。そういう悪い子には」

 少女はカンテラの蓋を開け、側面についていた匙を取り外すと、中で揺らめく小さな炎をオイルと一緒に掬ったのだ。


 そして、

「お仕置きよ」

 少女は、炎を悪魔の背中に火をつけた。

 ただの炎ではないらしく、炎は悪魔に接触するなり全身に燃え広がりその身を焼いた。

 軍服の悪魔は凄まじい絶叫を上げながら地面を転げまわり、やがて動かなくなって灰になり風に吹き散らされていった。

 勿論、終わりではない。

 一人目が塵に還った後、少女の瞳は鋭く周りの悪魔を睨んだ。

「……何をもたもたしているのよ。あんたたちもとっとと逝きなさい」

 元々顔色の悪い悪魔たちの顔が、やはりあからさまに引きつった。


 少年は、煤けた顔をぽかんと硬直させて悪魔退治の一部始終を見ていた。

 散々打ちのめされて動けない悪魔の背中に片端から火を放ち、抵抗を試みた者はその都度四肢を鞭で潰され、やはり燃やされた。

 凄まじい光景だがやっている本人は飄々としたものだ。

 作業のように無感動な様子で次々と悪魔を火葬し、終わってみれば掃除が済んだとばかりに両手を叩いた。

 のんびりカンテラの蓋を閉じ、鎖の鞭を纏めベルトに留めて装備すれば、今回の処刑はここまでである。

 悪魔の遺灰を踏みつけに、何事もなかったかのようにその場を去ろうとしたが、

「……あんた、ここの子?」

 首だけを回して、そこで初めて少年を見たのだ。

 彼女の足が向いているのは、この地にある唯一廃墟でない建物。

 灰色の石が積まれた、サイロのような、だがそれにしては随分と高い重厚な塔だった。

 天を衝くような、とは言わないが、頂点に登れば五十キロ四方は見渡せそうな雄大な建造物だった。

 しかしどういうわけか、その足元にはひものようなモノが二本、石材の間に並んで挟まっている。

 さながらリュックサックのベルトのような配置のそれは、女性的な赤い色合いと共に、ささやかながら塔の威厳ある佇まいを壊している。


 何かと思って見つめていると、少年は再び唖然とさせられた。

 少女は両腕をベルトに通すと、その塔を背負って持ち上げたのだ。

 何百トンあるかもわからない石造りの塔が、軋むことも歪むこともなく垂直に地面から浮き上がり、華奢な背中に負われて歩き始めた。

 人間が歩けば当然その背は揺れる。

 足を踏み出せば足音も立つ。

 それでも塔は無謬の様子で天空に聳え、真っ直ぐ天へ直立したまま。

 凄まじい重みだろうに、少女が歩く足音は軽く、地響きの一つも起こらない。

 物理法則も何もかもを鼻で笑うようだった。

 言葉を失い、呆然自失とする少年に、『塔の娘』は無表情で淡々と命じたのだ。

「この豚さんたちのご主人……『百年前の悪魔』の前に案内しなさい」


 少年の目には、彼女の姿が女神のように見えた。

 人々を蹂躙する者を力づくで蹴散らし、巨大な塔を背負い、幼い姿で自分を見下ろして、次の獲物を探す荒々しい戦女神。

 ぼろを纏い、身寄りもなく、さながら棄て犬のようだった少年は、まるで光に縋るように手を伸ばした。


 その日、身寄りのない少年は母を得た。

 彼は故郷も、家族も、目的も、行方もなく、歳の頃は十二歳の少年だった。


 その日、世界を巡る『塔の娘』は息子兼、召使を得た。

 彼女は巨大な塔と使命を背負い、見た目は幼く、実際の歳はよくわからない。


 その日、世界にはびこる悪魔たちは未曽有の天敵を持った。

 その日から死ぬ日まで、彼らは二人の名前に恐怖し、近づけば逃げ惑い、見つかれば踏み躙られ葬られるようになった。


 『塔の娘・アン』とその息子『クー』。

 またの名を『悪魔にとっての悪魔』。

 またの名を『銀の火嵐』。

 またの名を『閻魔親子』。


 しかし二人がその名を得るのは、今はもう少し先の話。


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