もふもふおっさん異世界にて食べられる
「やめろぉーっ! やめろぉーっ!」
異世界に羊として転生した田口政男(生後五ヶ月)は狼に食べられかけていた。
「あら、私に食べられるなんて光栄なことを拒むなんて信じられませんわ」
田口は目を剥いた。
狼が喋ったのだ。それも歌うような軽やかな声で。
「なんで人間の言葉で話してるんだよっ!」
「あなたも話しているではありませんか」
「あっそれもそうか」
「お馬鹿ですこと。それではもう食べても構いませんね?」
「いやいやいや、構っちゃだめだって。よく見てみろよ。俺は毛がもふもふだろ? すごく食べにくいと思わないか?」
狼は小首をかしげた。
「毛は毟って食べますから、心配しなくても大丈夫ですわよ?」
その肉球でどうやって毟るんだよっ! 田口は心の中で突っ込んだ。
「頼むっ! 見逃してくれ。何でもするからっ!」
「別に羊にしてもらえることなんてねえ。私、公爵家の生まれなので何事にも不自由する事はありませんの」
確かにそれらしい口調だが、獣に公爵家など存在しないだろう。
だがそんなこと言えるわけがない。牙と爪がギラリと光っている。あれにかかればヤワな羊など一瞬でバラバラだ。
「俺の群れに案内するよ。獲物が多いほうがいいだろ。それと引き換えに見逃してくれ」
「まあっ!」
狼が怒ったように声をあげた。
「仲間を売るとはなんてことをするのですかっ!」
「ええ......」
「良いですか? 仲間は大切なのです。失ったら二度と帰ってこない......それを理解するべきなのです」
田口は狼から深い悲しみを感じとった。
「過去に誰かを?」
「......あの子はとても優しい子でした。あの子と過ごしている時が一番楽しかった......でも狩りの日に崖で......これ以上は話したくありませんわ」
「すまなかった。君にも、俺の仲間に対しても」
心底軽率な考えだったと思った。たとえ「めええ〜」としか鳴かない彼らだったとしても、裏切るべきではなかったのだ。
「ありがとう......君のおかげで大切なものを失わずにすんだよ」
「わかってもらえればいいですわ」
狼は照れ臭そうに前足で鼻を掻いた。
晴れやかな気分だった。前世で掴めなかった大事なものが今世では掴めるかもしれない。田口はたった今生まれ直したのだ。群れに帰ろう。羊たちに優しくしてやろう。
「それはそうとしてあなたを食べますわ」
「ですよねー」
田口は狼に食べられた。