拾肆 仲間
拾肆 仲間
陰陽師ネーム黒隠黒斬こと笹原雅日は、日暮荘から逃走したあの日から恐慌の中にいた。
対悪霊戦において最強である事が拠り所であった雅日は、それが崩されると酷く脆かった。
一般的な道筋から外れ、浮浪者のような生活に身を窶している雅日は、その現状こそが自分を強くしてくれているのだと自己暗示を掛けている。しかし、負けてしまえばその前提が崩れる。
自分がただ見窄らしく、地を這うような生活を続け、にも関わらず何の強さも見出せていないただの路傍の石のように思えてくる。黒くて長い布だけを全裸に巻いた、ただの頭がおかしいだけの女に価値なんて有るのだろうか?
ない。現状のままでは雅日自身が、自分に一切の価値を認められない。
だとしたらどうすればいい?
雅日はあの悪霊に打ち勝つ事こそが唯一の方法だと結論づけた。
しかし、自分一人では力が及ばない事はもう証明されてしまった。
……背に腹は代えられない。
雅日は最強同盟の仲間に助けを求める事にした。
最強同盟。
それこそが雅日が所属する唯一のコミュニティである。現在、雅日は最強同盟とも殆ど連絡を取っていない。だが、そもそも孤独こそ強さに繋がるというような、個人主義の権化である雅日がまず何故その団体に参加したのか。そこには当然事情がある。というより、今の雅日が今の雅日として成り立つ為には、最強同盟の存在が必要だった。正確に言うならば、最強同盟の中心人物の一人のある男が切っ掛けになった。
大場という男だ。
その昔、もうそんな過去を雅日自身忘れてしまったけれど、彼女自身も普通の家庭の普通の娘だった事があった。普通に家族や友人を大事に考えていた時期があった。小学生の頃の話だ。雅日は大事な人の事を考えて、自らの能力を使った。アドバイスした。悪霊が憑いている人間にはそれを指摘したし、霊が荒む空間には人を近付けないようにした。それら親切の結果として、彼女は迫害される事になった。疎まれ、気持ち悪がられ、そして恐れられる事になった。
家族からは虐待を受け(そうすれば普通の子に戻ってくれると期待されて)、友達からは虐めを受けた(そうしても構わない相手だと扱われた)。
雅日は虐待や虐めよりも、それを生む原因に――自分と彼らは違い、その差異故に迫害されるというその現実に、打ちのめされた。生まれた場所なのに居場所がないという事実に、追い詰められていった。
結局、家族や友人を雅日が結局どうしてしまったのか、あるいは何もせずに去ったのか、その記憶はもはや混濁して自身にも判別不可能だったが、気づけば彼女は見知らぬ町の狭い路地に座り込み、一人で雨を浴びていたのだった。
すぐに自分は死ぬだろうと雅日は思っていたし、それで別に構わなかった。
そして、雨に打たれるまま目を瞑り、時間感覚を喪失した頃、唐突に雅日は雨の感触を見失った。目を開けると、彼女は傘を差した誰かに見降ろされていた。
「何か、用?」
「用がなければ身寄りのない小学生女子に話し掛けてはいけないと言うのか?」
「普通に考えて駄目だと思うけれど……」
そこで雅日はいつの間にか自分の事情を把握されている事に気付いた。
「何で私の事を知ってるの?」
「ああ。俺は超能力者だからな。今、お前の心を読んでいる」
そう言われた時、雅日はその男の事を、変だとも嘘を吐いているとも気持ち悪いとも思わなかった。
ただ、こう思った。
やっと自分の同類を見つけたのかもしれない、と。
「わ、私は……えっと、幽霊が見えるんだけれど、」
「ふむ。なるほどな。こういうのも運命と言うのだろうか。それとも、強者は強者に出会うものなのだろうか?」
「強者?」
「ああ。お前は使えるよ、笹原雅日。俺の名前は大場一獲という。お前が良ければこの世界の渡り方を教えてやろう」
それから。
それから雅日は大場の元で力の使い方を学んだ。力の使い道を学んだ。どのように悪霊を駆除するかという技術に結びつくまで、自分の霊能力を磨いた。
やがて雅日は、最強の陰陽師として、大場が主催する異能のスペシャリスト集団、最強同盟に参加する事になる。この集団には強力なスポンサーが付いており(現実離れした事が大好物な酔狂な大金持ち)、属しているだけで十分な衣食住が提供された。しかし、雅日はそれに甘えず、組織のネットワークを利用する事で依頼を募り、自分一人でも多数の依頼が舞い込むようになるまで名を売った。結果、雅日の貯金金額は一般的な男性の生涯賃金を遥かに越えるレベルになったので、そこで金の執着、最強同盟への帰属意識も薄まった。
だけれど、それでも今のような事態になった時、頼れる先は最強同盟しか思い浮かばない。大場ならきっと助けてくれる筈だ、と縋るような気持ちで、雅日は連絡を取る。
「あ、あの、私なんだけれど」
「ああ。お前か。たまには連絡を寄越せ。どうしたんだ?」
声だけですぐに雅日を判別してくれる、あの頃と変わらない大場の声に、彼女は大きな安堵を覚えた。
そして今、雅日は悪霊が宿る白戸光羽が入院する壱原市民病院の前にいた。
現在時刻十一時。
大場が設定した最強同盟の集合時間は正午だ。
雅日はジリジリとした気持ちで、その時刻を待っていた。
勝てるという保証は一切ない。最強同盟の面々を見縊るつもりはないが、陰陽師として対悪霊戦に特化した雅日がまるで勝ち目を見出せなかった相手に、数を集めただけで抗えるだろうか?
しかし、それでも彼女はそういった勝負が成り立つと考えた時点で、決定的に誤っていた。
勝つとか負けるとか、そういう次元の問題では既になくなっているという事に、プライドの高い彼女の視野では気付けなかった。
いや、それは雅日の問題ではなく、人間という存在の限界そのものかもしれなかったが。想像出来ない、という限界。
雅日が見ている病院内で、唐突に悪意が弾けた。
これまで感じていた霊威とは比べ物にもならない重圧感。雅日は立っていられなくなり、その場に膝を付いた。
そして、自らの霊感を初めて疑った。
病院内に存在する悪霊の気配は、二つ。全く同等の規格外過ぎる化け物が、二体、いる。
雅日はそこでミスに気付いた。姉弟両方が悪霊に侵されていた。そして、姉に宿る悪霊だけが尻尾を出していただけだったのだ。弟の方の悪霊は、もっと魂の奥深くに封印されていたに過ぎなかった。
最強同盟の面々は、間に合いそうもなかった。
いや、それ以前に――
病院内の悪霊が何らかの力を振るった。雅日の視界の中で、パチャパチャと病院の敷地内の人間が弾けた。例外なく彼らは赤い血溜まりと肉片の混合物になり、地に染み込んでいく。
雅日は今の虐殺が、関東圏全域を覆う範囲で行われた事を知覚した。そして、どうしようもない予感。これはただの戯れに過ぎない。君臨に際して、ちょっと生贄を食べてみた程度の余興に過ぎない事を。
そして、世界の崩壊は拍子抜けする程あっさりと訪れた。
雅日の目の前で、地が裂けた。




