解放の時
かつては100万以上の人が暮らしていたという都市は、跡形もない。代わって数億以上もの瓦礫が散乱し、所々から黒煙が上がっている。
それとはうって変わって空は穏やかなものだ。雲一つなく、澄み渡る青空だ。日差しも穏やかで、春の気配を伝えている。15年前ならば、桜並木の下を見物人が溢れかえるなどといった光景を見ることが出来ただろう。
今は、桜が在っても歩く人がいない。
何故、こんな事になってしまったのか。彼は砂嵐混じりのモニターを見ながら、思い返した。
西暦が2020年を超えた頃、それは起こった。ハリウッド映画のような派手な来襲ではない――実に地味な外宇宙文明との接触。火星軌道上に現れたそれは地球に向かい何度も斥候を送ってきた。
目的は地球環境調査――などではない。人だ。地球人類が、”彼らの眼鏡に適うかどうか”を調べていたのだ。小型宇宙船による誘拐――いわゆるアブダクトが行われた。それが世界中に報じられれば、ハリウッド映画の次はよくあるオカルト話かと、彼も笑っていたものだ。
もしも地球人類が彼らの眼鏡に適わなければ、彼らはそのまま去っていっただろう。しかし不幸にも”眼鏡に適ってしまった”。
そこからは地獄だった。世界中の主要都市を襲い、施設を破壊しながら、人間をまるで猟でもするかのように攫っていく。その様子から〈機械猟団〉と呼称されるようになった。
機械猟団によって、かつては70億を超えていた地球の人口は、一年で半分にまで減少した。その中には、彼の家族も含まれていた。
彼はシガーケースから紙巻煙草を一本、取り出し火を点けた。一息吸い込み、紫煙を吐き出す。
『マスター。シート内は禁煙です』
と、抑揚のないデジタル化された音声が、耳に届いた。彼の相棒でもある高度戦略型OS〈S-0L〉である。そして、このOSを搭載した機動兵器こそ、人類の希望――メガ・マキアスである。
「お前……硬いこと言うな。これが、最後の一本なんだから」
フィルターを通して、煙を肺へと招き入れる。いぶされたタバコ葉の香りが胸一杯に広がる。
煙草などの嗜好品は最早、出回ることもない。正真正銘、これが最後だ。相棒の言葉を無視して紫煙をくゆらせながら、最期の一服を味わった。
家族を失ってから、彼は機械猟団との戦争の最前線に立っていた。多くの戦友が死に、多くの町が滅んでいったのを目の当たりにし続けた。その度に、猟団に対する憎しみが募った。そしてそれが、余りにも無益で、どうしようもないほど無駄であったとしても、胸の奥で燻り続けるそれを消すことは出来なかった。
壊して、壊して、壊し続けた。もがいて、あがいて、暴れ続けた。その果てに、自分はきっと壊れたのだろう。
機械猟団。その名の通り、無人の機械郡。何処かの文明が創ったであろうそれは途方もない年月、宇宙を漂い続け、狩りを続けてきた。ただ、そうプログラムされたから。だから、人類は狩られるのだ。
意思を持った何者かがいれば、憤りも憎しみも思う存分叩きつけられただろう。痛めつけ、苦しませ、泣いて許しを請う様を見られれば、溜飲も少しは下がっただろう。いや、逆に上がったかもしれない。
しかし無人の機械相手に、何が晴らせるだろうか。
鬱屈した想いを重ね続けながら、前線で戦い続けて………気が付けば、人類は最終作戦を決行するに至っていた。彼は地上にて猟団を引きつける役目を負った。本当なら、猟団の母船を自分の手で破壊したかったが、家族の、戦友の眠るこの星を離れる気にはなれなかった。
出来る限り、敵を地球に引き付ける。空を覆い尽くす命なき狩人の群れを、ひたすらに落とし続けた。狙いを定める必要もない。ただひたすら動いて、撃つ。それだけでよかった。
延々と続く作業。気が狂いそうになる時間の中、一瞬も止まずに鳴り続けるアラート。
火星軌道上の母船破壊を伝える通信が入ったのは、何時だっただろうか。気が付けば、無人機の群れはいなくなっていた。
無人機は母船によってコントロールされている。頭脳からの命令がなくなれば、全ての無人機はただのガラクタだ。
「………はぁ。これでやっと………」
半分ほどまで吸われた煙草が彼の指から落ちる。シートに一度だけ跳ねて落ちると、「ジュッ」と短い音を鳴らした。巻紙が見る間に赤く染まり、微かに沈んだ。
メガ・マキアスのOSである〈S-0L〉は知っていた。彼がずっと、囚われていたことを。
それは過去であり、今であり、自分自身の心であった。そう、〈S-0L〉は解釈した。
戦場に立つたび、憎悪をむき出しにして戦う姿は、人の言葉で悪鬼羅刹と表現されるようなものであったと記録している。
無人機を破壊する度、憎しみにギラつかせた瞳と反するように釣り上がり、壊れていく敵勢力に愉悦をにじませる口元。戦いを、破壊を、憎しむ事を愉しんでいる。
人として壊れている、と。だが、〈S-0L〉はその姿が何故か美しいと感じた。
〈S-0L〉と呼ばれる前。人の姿であった頃の、その残滓がそうさせるのか。
猟団によって刈り取られ、人類によって奪還された後に〈S-0L〉の核として、反抗勢力に加わった。
人としての生を奪われ、感情さえも失った自分。もしかしたら、自分の中に燻る何かを、彼に投影していたのだろうか。
だが、それも今はどうでも良いことだ。
戦闘の際に直撃を受け、左脇腹を装甲の破片が貫通。生体が受けたダメージは、いわゆる致命傷であった。
『………お休みなさい、マスター。あなたは解放されたのですね』
痛かった筈だ。苦しかった筈だ。だが、その顔にはどちらの色もない。穏やかで、安らかであった。生ある限りその心を囚え続けるものから、彼は救われたのだ。
pipipipipipipipipipipipipipipipipipipi――。
『――敵性反応を多数感知。停止していた無人機の再起動を確認。火星軌道上からのシグナル、確認出来ず。母艦からの信号途絶により、独自行動を開始したと推測。脅威度判定をAAからAA+に移行』
瓦礫が跳ね上がり、次々に空へと飛び上がっていくのは落ちた筈の無人機だ。かなりの数を撃墜した筈だが、それでも圧倒的な物量が空を舞っていた。
『搭乗者死亡により、これより戦術OS〈S-0L〉は独立起動を開始。迎撃を開始します』
バチバチとスパークする内部機構を無理やりに動かし、戦闘態勢へと移行する。
火器の残弾も、エネルギー残量も、ほぼ底をついている。こんな状態で戦えるのはよくて数分程度だろう。だが、それでも〈S-0L〉は戦うことを選ぶ。
メインカメラが、敵を捉える。手にした武装を構え、宣告する。
『当OSは〈S-0L〉ロットナンバー〈B-1009876〉。これよりあなた方を解放します』
最後の意思さえも奪われ、猟犬に仕立て上げられた同胞たちに向かって、〈S-0L〉がトリガーを引く。
『そして私も――すぐにそちらへ。マスター』
一人でも多く解放するため。そして一秒後か一分後か……自分が解放されるために。
二宮杯、お題は”解”。
SF物の最後、主人公ではない一人の兵士の最期。蘇った地獄を見ずに逝けたことは、幸せだったのか。
そんなワンシーンを切り取ってみました。