2.1 中途半端な魔法術師と圧倒的な代弁者
この世界には、大まかに四種類の『特別な力』が存在する。『奇跡』や『魔法術』はその一端達である。
『代弁者』は奇跡を扱う者の総称である。奇跡大国ユグンツィカ出身者なら、そのほとんどは代弁者だと考えてよい。
対する『魔法術師』は、魔法術を扱う者の総称である。魔法術は魔術大国コエスフェルト・ノールディン発祥であり、出身者のほとんどが魔法術師である。
代弁者は、特殊な精神状態下にて体内で生成される『クリード』と呼ばれる力を礎に『抽象的概念』に干渉し、結果として『現象』を引き起こす。彼らには適正が必要であり、それは、正確に抽象概念を把握する『概念の鏡像』という能力を指す。この適正が大きい程に、もたらす結果も大きくなるのだ。
魔法術師は、生命力を『エーテル』という力に還元し、それを礎に『原理や具体』に干渉し、結果として『現象』を引き起こす。彼らには、一般的なレベルで抽象と具象を把握する事が出来れば、特別な適正は必要ない。
代弁者と、魔法術師。幾つかの違いはあるが、決定的な違いが存在する。それは、扱える抽象や具象の『数』だ。
前者は、一カテゴリの抽象にしか干渉出来ない。そこからあらゆる方法を用いて、起こす結果の数を拡大する。後者は、多くのカテゴリの具象に干渉出来る。根本的に干渉出来る具象が多いので、干渉する対象を変更する事で、起こす結果の数を容易に拡大出来る。
その他にも、代弁者に特別な準備は不要なのに対し、魔法術師には、魔法術式と呼ばれる『準備』が必要になる。それがなければ魔法術という現象は発生しない。
例えば、『動く物体』を停止させる事を考える。『運動』という抽象概念に干渉する代弁者と、『動く物体』という理体に干渉する魔法術師がいたとしよう。
前者は、精神力を高めクリードを生成し、運動という抽象に干渉する事で、動く物体の運動を制御して停止させる事が可能である。また、対象以外に動く物体があれば、そちらの運動に干渉して対象に衝突させ、停止させるなどといった事も可能だろう。
後者は、生命力を還元する事でエーテルを生成し、魔法術式を用いて、動く物体その物だったり、それが動いている原理に干渉して停止させる事が可能である。また、対象以外に動く物体があれば、そちらの動く物体に干渉して対象に衝突させ、停止させるといった事も可能だろう。
この様に、それぞれもたらす結果は同じでも、基本的な理念や方法は、全く別のベクトルに位置する。
いずれにせよ代弁者には、概念の鏡像という適正が必要であったり、クリードの生成能力が必要であったりする。また魔法術師には、魔法術式という準備が必要であったり、エーテルの生成能力が必要であったりする。
総括として、それぞれの力には一長一短が存在する。他の『特別な力』達にもまた、そういった制約があるのだ。尤も、制約を生かして結果を拡大する者も存在するのは事実であるが。
*
大地は、大きく大きく波打った。うねって、あらゆるオブジェクトを巻き込んで、迫って来た。
それだけではない。道をガイドする街灯はケーヴィに向かって次々に倒れてきた。当然、大地に接触した瞬間に、街灯の光源を覆っているガラスは砕けて細かくなって、破片はまき散らされた。飛来する破壊の波を、ケーヴィは軽い身のこなしで避け続けてきたが、こちらの放った攻撃もまた、奇跡を扱う『代弁者』には当たらない。こうやって、ケーヴィと代弁者は拮抗しながら街中を移動しつつ、戦い続けてきた。
戦闘の発生原因は、ケーヴィの前に立っている代弁者が突然にして、街中で奇跡を用いて破壊行為を開始した事にある。ケーヴィは元老院調査部所属の調査官である。勤務時間外に『たまたま』その現場に居合わせてしまえば、民間人を避難させて事態の収拾に当たらなければならないのだ。
明らかに、ケーヴィの前に立つ女性は圧倒的な技術を持つ。それは、調査部で前線活動を展開してきたケーヴィならば、一目見るだけで十分に把握できる。対する自分の力は、中途半端でしかない。ケーヴィは『とある理由』から、扱える魔法術の出力が低いのだ。従って、圧倒的な力を行使する女性代弁者と中途半端な魔術師の少女では、このまま押されてしまうと考えるのが普通である。
その先は、敗北。
彼女は焦る。明らかに、自分が劣性に立っている事を相手は十分に把握しているだろうから。更に代弁者は、恐らくケーヴィの底を見透かしている。対してケーヴィは、相手がどのような抽象概念に干渉する代弁者なのか把握できない。
大地を波立たせ、街頭をなぎ倒す代弁者。たったこれしか、判断する要素は存在しないのである。劣性としか言いようがない。
焦るケーヴィの顔を一直線に見つめていた女性は、何やら笑いを堪えている調子で言う。
「あんたさ、その見た目で正義感に溢れてるんだね。 プッ……」
『その見た目』とは、露出の多いケーヴィの私服の、ソフィスティケートなニュアンスの事だろうか。
それはともかくとして、何やら女性は勘違いしている様子である。そうではない。面倒くさそうな事など、ケーヴィは進んで行わない。彼女は元老院の調査官なのだ。公安機関に所属している彼女には、責任が存在する。根本的な所では、実はケーヴィは真面目だ。
「私は元老院調査部の調査官。ほんとは面倒だから帰りたいんだけどー、そうもいかないからちゃっちゃと逮捕されてねー」
精一杯の強がり。そんな調子で言ってみるものの、圧倒的な劣性は覆らない。とにかくケーヴィは、魔法術式の組み込まれたビー玉やらビーズやらをそこら中にまき散らして、いつでも魔法術の展開を出来る様に準備している。対する女性代弁者は、精神力を高めてクリードを生成して、正体不明の概念に干渉して奇跡をうち放つだけだ。ただでさえ劣性なのに、準備期間が相手にない分、ケーヴィはより焦る。そんなケーヴィに追い打ちをかける様に、女性は言い放つ。
「おーい、あんたの魔法術じゃ逮捕とか無理でしょ? よく今まで公安機関に勤めてたな? アッハッハッハッハァ!!」
確かに女性の言う通りだ。ケーヴィよりも余程仕事に向いている魔法術師は存在する。彼女自身、それは十分に理解している。
現に彼女の回りの魔法術師達は、巨大な岩をさも簡単と言った調子で砕いたり、大気中の水分をエーテルによって凝固させて刃をつくったりと、たいそう派手な事をやってのける。キャンドルと呼ばれる銀槍を持つ、最も親しい少女だって、それがなくとも壮大な魔法術を展開したり出来る。
だが。
そんな事を言われる筋合いは、ない。ケーヴィは誰にも負けない様に、努力をして来たのだ。『とある事情』は、彼女の力ではどうする事も出来ない。従って彼女は、それを解決するよりも、限られた自分の技術の向上に全力を尽くしてきたのだ。だから、女性のいう事が真実であったとしても、それを見過ごす事はケーヴィにとっては、有り得ない。
*
「あー。アルティメット、『キレ』たわ――」
*
場にまき散らされたビーズやビー玉は、光を放つ。その光は、町の中心に太陽でも落ちてきたのかと錯覚させるほどに、強力さを増す。ケーヴィの特徴的な、緩やかなパーマのかかったサイドポニーテールは、空間中に席巻する見えない力によって高く高く持ち上がる。同時に彼女の体を中心にして微弱な圧力は放たれる。
準備は完了した。あとは、放つだけである。
代弁者の女性は、そんな様子を警戒した調子で見ている。しかし、ケーヴィには関係ない。とにかくケーヴィは、純粋なエーテルの塊をビーズやビー玉から――。
飽和しきった全てを、全力で、迷うことなく、解き放つ。
容赦はない。逃げる事もない。ならば、敗北も考えられない。ケーヴィは、自身の、しかし中途半端な魔法術に絶対的な信頼をおいて、全てを放つのだ。過去の努力に、運命を委ねる様に。
金属が擦れる様な、比較的高周波の音は発生した。その音の発生から少しだけ遅れて、周囲にまき散らされたビーズやビー玉から、先端の尖った、淡く発光する弾が一定の間断を維持して放たれる。それこそ、極東機構都市地帯の開発している『マシンガン』と呼ばれる兵器の如し。先端の鋭い部分は言うまでもない、相対する代弁者の体に、その全てが向いている。
「ッ……!」
小さい舌打ちと共に、女性は大地をうねらせる。うねる大地はやがて、女性の前に立ちふさがり、ケーヴィの放ったエーテルの弾丸から身を護る。それでもケーヴィは一点突破に持てる精力の全てを注ぎ切る。だから、無数に放たれた弾丸は必然的に大地の壁に衝突して、壁は砂埃を上げながら破片をまき散らし始めた。
「おらああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫。
ケーヴィは少女らしからぬそれを高々と上げて、エーテルを全身からひねり出し、ビー玉やビーズに注ぎつくす。それらはエーテルを受けて、表面や内部に刻まれた魔法術式によって規模を大きくして、破壊を次々に射出し続ける。そうして、女性の体の前に現れた巨大な壁は灰色の粉塵に完全に隠れて、様子が見えなくなっている。それでも延々と力の根源を放ち続ける。
やがて。
バガン!! と巨大な悲鳴を、壁は伝えてきた。耐えられなくなった壁の崩壊の音はケーヴィの耳に届く。同時にケーヴィは、壁の先に立つであろう女性の体にダメージを蓄積する為に、一点突破のスタンスから、広範囲に渡る破壊へと方針をシフトする。
ビーズとビー玉から放たれるそれらは、ケーヴィの思惑に従順になり、やがて『面』として女性付近の座標に殺到する。それらは、町に設置されていたゴミ箱やら街灯やらに衝突した瞬間に、強い発光を放って、小さい爆発へと変換された。
無量の光。そして、無量の爆発。小さい爆発は、それら同士を結び付けて、とうとう巨大な光の爆発へと躍進した。女性の立つ座標の全ては、巨大な爆発に巻き込まれて、そこにあったあらゆるものは四方八方に吹き飛んでいった。
「はい、おっしまーい。キッヒヒヒヒ」
ケーヴィは極めて楽観的に笑った。
ケーヴィの巻き起こした爆発の、規模。そして範囲。それらは、どれも圧巻である。破壊力に関してみても、有効範囲に関してみても、どれが引けを取るなど、ない。全てが特筆されて然るべき結果。
だが、彼女は調査官である。従って、相手の生命を奪う様な、秩序も見境もない破壊を生み出した積もりはない。つまり、女性は恐らく生存している筈である、という事だ――と言っても、怒りに任せた奔放な彼女の事であるから、凄惨かも知れない――
広大な爆発は、やがて小さくなって、消えゆく。大地の壁の細かい破片から発生した灰色の霧も、大地に向かって降り注ぐ。ケーヴィの発生させた事態の『余韻』は、徐々に姿を隠し始めた。
完全な鎮静を待たずして、ケーヴィは女性のいた座標に向かってスタスタと歩みを進める。倒れ伏す女性の捕縛をもって、彼女の仕事は終わる。ダラダラと戦いを続ける気持ちなど、彼女にはない。
その安易さ故に。
「ケーヴィ!!」
この声は。ケーヴィは呼ばれたから、彼女の右側遠方に立っているであろうレイラの方を向く。そして、ただ名前を呼ばれたというちっぽけな事実すらも、隙となる。
ケーヴィの左側方。つまり、レイラの立っているであろう位置から見て、真正面。そこから何かは飛来する。電光石火で飛来する何かは、ケーヴィに向かっている。結果は、少女と何かの衝突か。だがケーヴィは、レイラの立つであろう方向からも、何かが飛んできている事を見た。
レイラは何かを飛ばした。それはケーヴィに迫っているが、レイラが彼女の事を対象として攻撃を行う筈もない。であれば、ケーヴィ付近を対象として攻撃を行ったのだろう。
「おりゃあああああああ!」
ケーヴィは即座に自身に迫る危険を判断し、全身に力をくまなく供給する為に叫び、細く柔軟性のある体を一気に前に移動させた。その刹那、レイラの飛ばした何かと、誰かの飛ばした何かは、先程までケーヴィのいた座標で激しく衝突して、バチバチと、電気から発生する様な音を、小さな残滓ごと周囲に散布した。それからすぐに、何か同士の衝突は、はじけて立ち消えた。
わずか、人一人分。そんな隙間しか、何かとケーヴィの距離は離れていない。この状況で考える事でもないのだが、この時ばかりはレイラに感謝するケーヴィ。即座に崩れた体制をリカバリーして、体を反転させるように、レイラの向かう先を見る。
闇が、あった。
街灯は、破壊を受ける事で、周囲に光をもたらすという任務を全う出来なくなった。であるから、闇。そんな闇のずーっと奥。誰もいなくなった町の一角の、ずーっと奥の奥。そこから――。
*
「む、だ。増援諸共、『色』に沈めよ」
*
増援とは。
恐らく、ケーヴィの横に遅れて登場したレイラの事だろう。しかし、それはどうでも良い。
その声は、先程倒れ伏したであろう、代弁者のもの。つまり、先のケーヴィの放った無数のエーテルの弾丸を何らかの方法を用いてかいくぐり、彼女はそこに立っているという事になる。極めて卓越した能力――極めて厄介な、戦闘能力。一体女性は、何を司る代弁者なのか。
空間には、打って変わって鎮静がいる。ただの、静けさ。それはほとんど完全な形だから、闇の奥から聞こえてきた声の余韻すらも、逆に飲み込んでかき消してしまうのだろうか。とにかく散らかっているこの場所の全部は、静の住処となっている。だからケーヴィは、自分の呼吸の音だとか、隣に立つ銀髪の少女の唾を飲む音だとか、それらは非常に大きく、そして力強く感じられる。それほどまでに静は大きく、それはやがて、張りつめた空気から緊張を生み出す。
極限の精神状態。正体不明であり、希有な力の出力を持つ代弁者との相対。そんな過去に中々ない状態であるから、相手の動向を探りつつ、沈黙を吐き続けるしかない。やがて、席巻する闇の奥から、雰囲気を掌握している主が姿を見せる。
ポツリと、代弁者は闇に浮かんでいた。ゆっくりケーヴィとレイラの立つ位置に向かって、真正面から歩いてくる。そうして、ある程度の距離まで近づいた事で、彼女は停止した。どれくらいの距離があるか等、ケーヴィにはわからないが、とにかく危険な距離。暗澹をかき分けてきた代弁者は、胸の前で手を組んで、ケーヴィらを見据えながら、何やら呟いた。
ゾクリと、ケーヴィの背中は怖気を生む。やがてそれは彼女の全身のあらゆる部位に駆け巡って、怖気をまき散らし、それらはまた怖気を生んで、駆け巡って、まき散らした。数瞬後の現象は、もはや絶望しか与えてこない。
代弁者は呟き終わって、口を裂いた。目一杯まで、裂ききったのだ。そうして、彼女のかき分けてきた暗澹は、『黒色』にそまった無数の何かであったとケーヴィは知る。つまり、代弁者の背後一杯に染まっていた闇は、どうやら辺り一面に転がっていた埃やら、鋭利な瓦礫の破片やら、それなりの密度を持つ街灯やらであったらしい。それを代弁者は操って、空中に浮かせて、鋭利な部分をこちらに向かって――。
「墓、買ってあんの? 『異端者共』」
女が口と手を同時に動かした。その動きは、どうやらこちらに指差しを行う感じ。それと同時に、彼女の背後一杯に広がった闇の塊達は、残念ながら迷子にならずに、ケーヴィらに向かって『降り注ぐ』のだ。降り注ぐ程の、広大な面。それを形成している無量の破片は大気を押しのけ、時には切り裂いて殺到してくる。速度は、当たれば致命傷というレベル。
ケーヴィは間に合わせる。それでも、努力が実を結ぶとは限らない。それでも、行動しなければ彼女らの体は町の破片に飲み込まれて赤に染まるだろう。衝突までの間に彼女は、散らかったビーズやビー玉に全てを注ぎ込んだ。そしてそれらは、エーテルの膜を何層にも何層にも重ねて、一枚の壁を生成する。壁は、前方から上方にかけて二人を覆う形で固定された。
「アッハッハッハッハ!」
神の奇跡の代弁者は、その名を冠するにはらしくない邪な笑い声を投げつけてきた。直後に、鼓膜は故障してしまったのかと思うような轟音と共に、エーテルの壁と、中に包含されていた二人の少女は飲み込まれた。
*
「マ、マジやばいって……!」
「いいからそのまま続けてください!」
エーテルの壁の中から透けて見える外部は、泥の海の様相である。いつまでも、何度でも殺到してくる散らかった瓦礫やらガラスの破片は、壁にぶつかって押し潰されて、光を通さぬ暗黒を作っている。だから、代弁者の女性の位置を正確に把握する事など、彼女らには難しい。それでも、レイラは防衛を継続しろとケーヴィに言う。ケーヴィは、それが得策だとは思えなかった。尤も、それ以外に手段がある訳ではないのだが。
「そろそろエーテル切れる!」
生命力を還元して生成するエーテルは、勿論無尽蔵ではない。こうして重厚な質量を延々と受け止める事には、限度がある。既にケーヴィのエーテルは底が見え始めてきている。であるから、これ以上の防衛は不可能だという事実をレイラに言ったのだが。
「もう少しだけ!」
更に防衛の延長を指示される。もう、ケーヴィはやけくそになった。
「おりゃああああああああ!」
とにかく、現在出力できる限界までエーテルを振り絞ってビーズとビー玉に供給し、叫びながら、目前に跋扈している瓦礫の壁を押し返す勢いで力を放出した。
すると、文字通り奇跡が起こったのか、突然にして瓦礫からの圧力を感じなくなって、拮抗していたエーテルの壁の余力は、ケーヴィを中心にして放射状に広がる。それに伴い、無数の黒は、いっぺんに弾き飛ばされていってしまった。
ガラガラと、黒が着陸する音が周囲に蔓延る。同じくして、ようやく防衛を解除できるケーヴィ。
「あー!」
とにかく猛烈に叫んで全身の力を抜いて、ケーヴィはへなへなと大地に座り込んでしまった。敵の眼前であるというのは事実であるが、体力と精神を疲弊している彼女は、これ以上たち続ける事は難しい。それでもケーヴィは、周囲に未だ立ち込める埃の隙間から、代弁者を見据える。と。
「クソッタレ……」
忌々しげに、女性代弁者は呟いた。彼女の顔は想像を絶するレベルに歪み切っている。そうして、髪の毛を顔の前に垂らして、上目づかいにこちらを見るから、代弁者の凄味が強調されている。代弁者の左右には、白く輝く槍の形をした、長さ一メートル程のエーテルの塊が、その矛先を代弁者に向けて浮いていた。
どうやら、代弁者は腕を左右に広げて、それらの接近を拒んでいる様に見える。実際、エーテルの槍は代弁者に迫らんと、ぎりぎりと振動している。
完全に埃は立ち消えた。再び夜空からの弱弱しい光が辺りをほんのり照らす。ケーヴィは槍をしばらく見ていたが、頭を九〇度横に動かして、戦友を見た。すると、戦友も代弁者同様、腕を左右に広げている。
つまり、レイラはケーヴィに防衛を任せている間に、どこかしらに準備していた魔法術式を駆使して、代弁者に対して攻撃を放ったのだろう。そして、代弁者は凶器の接近を拒んでいるといった構図だ。ケーヴィはすぐにでも立ち上がって戦友に助太刀をしたい所なのだが、どうしても立ち上がる事が出来ない。この場はレイラに任せるしかない。
「これ以上破壊行為を繰り返せば、罪が重くなるだけです。今すぐやめなさい」
レイラは、少女のそれとは思えない気迫に満ちている。それでも代弁者は、禍々しい形相で左右の槍に一瞥くれてから、全く反省していない調子で吐き捨てる
「あぁ?」
女性代弁者は、醜く歪んでいる顔をキープしたままに、真正面からレイラを睨む。そして彼女は両腕を真上に――。
「なめてんじゃねぇぞ、クソガキ共がぁぁぁぁぁぁ!」
ブン! と短い音は発生して、エーテルの槍は、代弁者の腕の動きに追従して空に向かって一直線に放たれた。そうして、エーテルの槍はレイラのコントロールから外れたのか、空中で一瞬強い光を放って弾けた。間断なく、女性代弁者は、張り裂けんばかりの内に秘めた邪悪を絶叫として解き放つ。
「くったばれええぁぁああああ!」
その刹那。
星の光を受けてほのかに明るかった周囲が、無数の瓦礫の浮遊によって、一瞬にして、再び黒一色に染まる。
*
(黒?)
*
ケーヴィは、卓越した魔法術を扱えない。それでも彼女が調査官として立派に仕事をこなしているのは、そのセンスに由来する。ケーヴィは先程の瓦礫の波を受けて、違和感を感じていた。いや、もっと前から違和感を感じていた。だからケーヴィは、自分のセンスを信じて、僅かばかり体内に残っているエーテルを活用して、ある『試み』をする。
簡単な事である。ただ、再びビーズかビー玉にエーテルを注ぎ込んで、たった一発のエーテルの塊を代弁者に放つだけで良いのだ。
*
ヒュンと、エーテルの弾丸は、一つのビー玉から放たれた。その弾丸は、辺り一面の黒を薙いで、女性代弁者の胸の辺りに直線的な軌道を取りつつ進んでゆく。そして、今にも女性代弁者に触れんとしたとき――。
「何だ? 遊びのつもりかよ、クソガキ?」
突然にして、エーテルの弾丸は停止した。明らかに外部からの干渉を受けている。これは、恐らく女性代弁者の持つ力の一端なのだろう。さも簡単にそれをやってのけて、女性は小ばかにした口調で言ってから、ケーヴィを睨む。
だが、そこは問題ではない。その時に、瓦礫は全てが落下したのだ。
無数の瓦礫を自在に操る事は出来るのに、僅か一発ばかりのエーテルの弾丸を停止させる事と同時に、それを行う事は出来ない。それだけでは無い。初めてこの女性と戦闘を開始した時と現在を比べて、攻撃のバリエーションは明らかに増えている。しかも女性はまず、街灯の全てをなぎ倒していた。
(だとすれば、影という抽象に干渉する力?)
そう考えて、ケーヴィは頭をふるう。現在は星の弱い明かりしか、ここには存在しないが、戦闘開始時には町の明かりで影などが介在する余地はどこにもなかった。それに、レイラや自分の放ったエーテルは、発光している。そこに影など、ない。
ならば、女性の扱う奇跡の正体は、何か。
ケーヴィは今一度、これまでに発生して来た――女性の発生させた――現象を整理する。女性は強力である、キャンドルを持たない今のレイラに全てを委ねるのは危険であるが、ケーヴィの中に僅かばかり残ったエーテルでは、対抗する手段は無い。
(一回瓦礫を持ち上げて、影を作ってから、ガラスとか街灯の残骸が持ち上がった?)
ケーヴィは、あらゆるファクターを、丹念に丁寧に、順番に脳内で並べてゆく。
(光と影は関係ない、だけど光を消した?)
それらは、徐々に、細くか弱く繋がる。
(同時に操る事が出来るものと、違うものがある?)
やがて、繋がりは厚みと太さを増してくる。
(『色』に沈む?)
そして――。
「レイラ! そいつ、色を操る代弁者だ!」
ケーヴィは答えを導き出す。それを声高らかに、少しでも戦友の役に立つように伝えた。
*
光は色という抽象概念を生み出す。また、女性代弁者は、同色という抽象概念を包含する対象しか扱えない。
従って、女性は光の存在を嫌う。なぜなら、光があれば色は無数にあるのだから。
更に、ケーヴィやレイラの放っていたエーテルには、白だったり、黄色みがかった白だったりという様々な色が包含されている。女性は一つの色しか扱えないのだから、複数の色が存在する状況では、奇跡に対しての制約がかかっている事になる。
故に女性は、まず光をつぶした。そして、星空から降り注ぐ微弱な光すらも、女性にとっては邪魔な存在となる。同色を持つ瓦礫のみを扱って、光を遮断した。そこから黒一色にそまった無数の瓦礫を凶器として扱ったのである。
結果として、女性の攻撃バリエーションは、光が失われる事によって増えてきた。周囲の全てが一色に染まれば、それは全てを扱える事と近似であるから。
*
「だったらどうした? クッソガキ。一々ムカつくなぁ、てめぇは」
大変静かに静かに、女性は言葉を紡いだ。だが、女性の周囲の状況は、それとは真反対に位置する様である。
ドカン! という爆音。爆音から発生した、音圧。それは、女性の立つ直近の大地の一部を削り取って、そのまま空中に浮かばせた音。音圧は、その際に発生した埃を周囲にはねのけた。女性はそのまま、空を覆う様に、『大地を天に放った』
魔法術よりも、マジックである。これが、奇跡の持てる底力か。放られた大地は、音すらも掻き消して、周囲の建物よりも高く高く、天に向かう。
そうなれば、後は――。
「ケーヴィ、エーテルはまだですか!?」
「もう無理だって!」
レイラは大声を張り上げて、ケーヴィに魔法術の展開を促す。しかし、ケーヴィはどうする事も出来ない。だからレイラの発言に少々苛立ちを覚えて、強く当たった。
それを受けてもレイラは代弁者を見据えたまま、その場から動こうとしない。何をやっているのだとケーヴィは思う。このままでは、空から降り注ぐ大地の塊に潰されて、ハンバーグみたいにこねられて死ぬのが相応の結果であるというのに。
「さっさと逃げ……」「バカじゃないですか!?」
ケーヴィは逃亡をレイラに促そうとしたが、核心に触れる前に、叫ぶようにしてレイラにそれを制された。
「自分だけ逃げる訳ないでしょう!」
レイラは更に更に絶叫を重ねつつ、法衣の胸についていた緑のユニコーンのブローチを外すと、それを握りしめた。どうやら、ブローチにも魔法術式を実装していた様子である。そして、それはレイラの手によって、空中に放られた。一番高いところまで上ったユニコーンのブローチは、ぴたりと宙に静止すると、上方に向かって――つまり、落下してくる大地の塊の中心に向かって、細い光を放ってから。
「はあああああ!」
レイラの短い叫び。それと同時に、細い光の柱の周囲は、瞬きする暇を設けずに拡大した。ユニコーンのブローチを中心として、巨大な光の柱が天を穿つ。
刹那の事、町の一角を覆い尽くす様な轟音と共に、考えられない規模の振動は地を揺さぶり、建物を揺さぶり、瓦礫の破片を踊らせた。そして、天から落下する大地の一部は巨大な亀裂が入り、その隙間からは無欠な星空が見えた。
「で? どうした? クソガキ」
ケーヴィは、レイラの生成した巨大な光の柱に見とれていた。レイラも恐らく、柱の生成と、降り注ぐ塊を砕く作業に集中していたのだろう。元老院所属の少女達は、だれも女性の方を見ていなかった。
大地の塊は、確かに『放られた』
それはつまり、女性のコントロールから既に外れているという事だ。従って、大地の塊を宙に打ち上げた女性は、その段階で、別の色を包含する対象のコントロールを行える。
であれば、敵対者を葬ろうと考えるのは妥当であり、女性はその通りに行動する。つまり、女性は――。
「レイラ、前!」
ケーヴィは叫んだ。それによって、警告を促した。だが、女性は既に行動していた。レイラとケーヴィの座標に向かって、先程の瓦礫の破片が雪崩の様に押し寄せてきた。
「ッ!」
非常に切羽詰った舌打ち。レイラは迅速に反応して、ユニコーンのブローチから放たれる光の柱を雪崩に向かって放つ。バキバキという音と共に、雪崩は一蹴された。しかし、天から降ってくる大地の塊は、完全に砕かれてはいない。まだまだ、少しバラけた程度である。
つまり、一つ一つが自動車程の大きさを誇る大地の塊の破片は、落下軌道を逸らすことなく――。
代弁者は、『神の力』の一端を『代弁』します。