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1.4 Symbol of [Global Justice].

 昼時ともなれば、元老院の職員は持ち場から一斉に離れて食堂や売店に殺到する。それでも、彼らを包含する元老院の敷地は圧倒的に広大である。それこそ、一日で全ての建物を巡ろうと思えば難易度が高い。従って、食堂や売店には、十分な余裕が確保されている。

 昼時は既に半ばまで過ぎた。にも関わらずローレンスは、未だに持ち場から離れる事をしない。

 だからと言って彼は、食事を取りたくないという訳では決してない。今日は彼にとってとにかく忙しくて、数刻後には身支度を終えて郊外に設置された元老院の分署に足を運ばなければならないのだ。つまり彼には、食事をしている余裕がない。

 ようやく無数の雑務――と言っても、彼は元老院のトップであるから多くは雑務という言葉で片づけられない事である――の処理も収束しつつあり、いよいよ出かける為の身支度をする段階で、ローレンスは自身の立場のシンボルである小さなバッジを胸につける。バッジは見る者に、それを着用した人物が元老院のトップである事を無言で教授するものだ。

 実際は、この様な大層なものをつけずとも、ローレンスの顔を見れば誰だって――一部の国民だって――彼がトップだと知っている。しかし業務は業務である、そういった事を疎かにしない彼はやはり、トップと呼ばれるだけあるのだろうか。

 そんなローレンスは着々と準備を終えつつある。もう八割以上の身支度は終わって、後は必要な書類などを真っ白い革の鞄に丁寧に詰めるだけである。だが、彼の部屋にノック音が響いたので、ほんの一瞬だけ彼の手の動きは停滞してしまった。まったく、時間が惜しい。

「入ってくれ」

 他の業務をほっぽりだす訳にもいかない彼は、手短に言いつつ手を動かす作業を再開した。

 ローレンスの部屋のドアが開かれる。別段早くも遅くもない速度であるが、かなりの高さや幅のあるドアである為かどうしても、人間の力で開かれたそれはゆっくりゆっくり開かれている様に見えてしまう。尤も、ローレンスは机を見ているので、そんな錯覚に気付かなかったが。

 巨大なドアを全部開ききらずに部屋の中に入って来た元老院の女性職員は、ローレンスからだいぶ離れた位置で機械的な声を放ってきた。

「サー・ラヴァーに電話です」

「今いこう」

 それを受けてローレンスは、急いで、しかし丁寧に白い鞄に書類を詰め終わってからそれを片手に担ぎ、応答しつつ部屋の出入り口の巨大なドアの前に立つ女性に向かって足早に歩く。

「サー・ラヴァー、こちらです。移動までの時間は限られています。その様な状況下においては一分も惜しいと言えます。故に、限られた時間を与えられた状況では、一分の時間も惜しいと言えます」

 先ほどローレンスの部屋に電話の連絡を伝えに来た女性職員は、ローレンスの側近の女性である。彼女はいつもこの調子で、端的に必要事項を述べ、時間に忠実で、淡々としている。それだから、元老院トップのローレンスの側近として務まるのだろうか。

 元来彼女は調査部に所属していた。が、優秀な成績から彼女は引き抜きにあい、結果として管理部に転属して来たのだ。誰かが彼女の完璧な容姿を見て、彼女を側近にすれば良いと言ったから、ローレンスは彼女を側近として置いた。と言っても、ローレンスは美人を側近に置きたいといった欲望はない。ただ、彼女が希有な才能を持っており、非常に優秀である事は周知であったし、ローレンス自身も忙しかったので、補佐が必要だと認めただけである。つまり、彼女が側近になる事に特に反対する理由はなかった。ただ、それだけである。

 それにしても彼女は謎が多い。先ず、彼女の名前はシルバーチェアという。姓か名かはわからない。変わった名前だから、周囲の人間は彼女に『ミス・シルバー』という愛称をつけて、そう呼ぶ。次に彼女は、容姿から想像される年齢では有り得ない早さで、調査部のトップに行けるエリートコースは確定していた。にも関わらず、それを蹴っ飛ばして転がして、ローレンスの側近となる事を選んだ。大半の人間は転属して側近になる事よりも、そのままエリート街道を突き進む事を選択するであろう。

 更に、彼女に関しての情報はたったそれだけである。その程度しか、誰も知らない。つまりシルバーチェアは、謎を寄せ集めて作った様な人物である。それでも彼女が優秀である事は揺らがないので、誰も謎について突っ込まない。元老院が求めているのは優秀な人材という一点に尽きるのである。

「直ぐに行く、ミス・シルバーは用意を……」「全て完了しています」

 確認する事が無粋であったと、ローレンスは若干ばかり後悔した。準備が終わっているか否かなど、彼女に限っては、確認する必要などどこにもないのである。

『ラヴァー・ローレンス。久しいな』

 ローレンスの通話の相手をしてくれている腹立たしい人物の事を、彼はよく知っている。だからローレンスは今すぐにでも通話を切断して自分の仕事に戻りたいのであるが、相手の立場を考えて、それは出来ないと判断する。なぜなら、相手は世界の治安維持を担う企業体『グローバルフォール』の軍事部署のトップであるからだ。彼がアプローチをして来たという事は、それ相応の理由があるのだろう。そうでなければ相手だって、恐らく自分と会話したいと思っていないと、ローレンスは考える。

「私は生憎忙しい。君と昔話に花を咲かせたいのは山々だが…… 手短に頼む」

 とにかくローレンスは時間が惜しい。故に、相手になるべく不遜なき様に、しかし自分の時間も大事にする為に要件について尋ねた。すると、電話の口から『フゥー』という呼吸音が聞こえてきて一旦沈黙し、しばらくしてから、再び電話の口は音を発し始める。

『気付いているのだろう? 魔術大国全体を覆う様に、強力なエーテルを我々は探知した。一体何を企んでいる?』

 何を言い出すのだろうか。彼の言っている事は、ローレンスには全く理解出来なかった。コエスフェルト・ノールディンを覆う規模の魔法術を放つ事が出来る人物など限られているし、確かにローレンス自身にもそれは可能な事であるが、何しろ身に覚えが無い。恐らく通話相手はローレンスに何らかの疑いをかけているのだろうが、身に覚えのない事はどの様に説明しても仕方がない。その通りを伝えるしかない。

「君は、陰謀論者か何かなのか。私は忙しいと言っているだろう。仮に君の言う通り、我が国にその様な事態が発生しているのであれば、それを立証してくれ。話はそれからだ」

『既に裏付けは取ってある。お前達の国は間違いなく、微弱ではあるが国を覆う規模の魔法術が展開されている。……お前が否定するならば、我々は『業務』を行うだけだ。』

 未だに通話相手は、ローレンスを疑っている様子である。しかしそれよりも、コエスフェルト・ノールディンを覆う様な魔法術はいつの間に展開されていたのだろうか。裏付けがあると言っているのだから恐らく事実なのだろうが、それに関しての方が、ローレンスにとってはよっぽど重要な話である。加えて通話相手は、世界の治安維持を一身に担う企業体の上層なのだ。彼の言う『業務』とはつまり、軍事的な活動の事である。

 ローレンスは相手の性格の片鱗を少なからず把握している。通話相手の男性は少なくとも、有言実行を地で行く男だ。従って彼の言う通り、この国に対して何らかの軍事的活動を行う事は、彼の中では既に決定しているのだろう。しかし一方で、ローレンスもこの国の立法機関のトップである。つまり、この男にはいそうですかと譲る訳にはいかないのだ。

「軍事部署の連中をこちらに寄越すという事だな。それは我々が否定出来る事ではあるまいが、しかし…… 活動は限定させて貰おう。我々の信用問題にも関わるからな。元老院の調査部の人間と共に調査をして欲しい。余り勝手な事をさせる訳にはいかない」

 ローレンスの発言の真意は、間違いなく相手に伝わったろう。しかし未だに相手はローレンスに対して怪訝な気持ちを向けている事も恐らく真実だ。相手は『……』とかなり長い時間沈黙に徹している。ローレンスは時間が惜しいので、そんな沈黙に付き合っている暇はないのであるが――。

 と、相手の男性は沈黙を引き千切るような強い口調で『仕方ないな。その通りにしよう。稀に見る大事だ、近いうちに我々の誇る軍事部署のエリートを派遣する』と言った。それから一方的に通話を切られてしまった。これでは、時間の惜しいローレンスが振り回されている様な構図ではないか。心中穏やかでないローレンスは、素早く脳内のスイッチを切り替えて受話器を電話の本体に乗せると、全ての準備が完了しているであろうシルバーチェアの下に急いだ。

 淡い光をまき散らすホログラフの前で、スピーカーから聞こえて来る女性の声を、男性は忌々しいと思った。

『グローバルフォールが動き出しましたが。あなたはどうなさるおつもりで?』

 そんな事を言われても、コエスフェルト・ノールディンの元首はどうするつもりもない。とにかく、女性の『扇動』から自分を――ひいては国民の全てを保護しなければならないのだ。と言っても、この女性がコエスフェルト・ノールディンに立ち入る事があれば、元首の全ての苦労は無駄に終わってしまうが。

「我々がどうするかなど、お前が決める事ではないだろう。違うか? 聖女ジェナーダ」

『……いつから、私が聖女六席だと?』

 元首の以前からの推察は、図星であったようだ。

 ジェナーダと呼んだ女性は、コエスフェルト・ノールディンの元首に対して座席を譲る様に扇動を行って来た。しかし、元首は先に述べた通り、それに拒否し続けてきた。

 元首は、ジェナーダと呼んだ女性は『奇跡大国ユグンツィカ』の実質頂点である『聖女六席』に包含されている一人であると、かなり早い段階から気付いていた。だが、ジェナーダは恐らく、今の今まで自分の素性が元首に発覚していないと思っていた筈である。だからこそ、『いつから、私が聖女六席だと?』と元首に質疑してきたのだろう。

 こうして、お互いがお互いの素性を知った今、もう包み隠す事など元首には存在しない。だから元首は躊躇いなくジェナーダに言い放つ。

「初めから気付いていた。ジェナーダ、何を企んでいるかは知らんが、これ以上私を扇動して元首の任を棄てさせようと言うのならば、私はお前に容赦をしない。わかっているのか? 大ユグンツィカのほとんど頂点に座するお前と私が争えば、戦争に発展するのだぞ」

 しかし、聖女ジェナーダは『戦争』という単語を聞いてしても尚、『それが何か問題で?』と何も気にしていないといった調子で、憎々しげに応答する。一体この聖女は、何を考えているのだろうか。

 これ以上、この聖女と話を続ける事は無駄な事だと察した元首は、最後に彼女に対して冷たく言い放つ。

「そうか、ならば好きにしろ。しかし、この国に危害を加える事があれば、お前は命を棄てる覚悟をしろ」

 すぐさま通話を終了する為に、元首は通信を切断しようとする。

 が、まさにその時。

『フフフ……』

 スピーカーは、恐らく聖女のものであろう、意味深長かつ極めて不気味な笑いを拾って音を絶った。

聖女は、六人います。

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