1.3 異国の少年
「やっほー起きてる? ……うわっ!」
ケーヴィは勢いよく部屋の扉を開いたので、部屋の主のレイラはほんのちょっとびっくりする。勿論こっそりと、ケーヴィに悟らせない様にだ。そうしないとケーヴィは今日一日、それについてからかってくるに決まっている。
それよりレイラは、ケーヴィの発言の語尾が非常に気になる――いや、寧ろ腹が立ったので一体どういう意味なのか確認する為に問う。
「『うわっ』ってなんですか、『うわっ』って」
レイラはケーヴィと約束を取り付けてしまった事を若干ばかり後悔していたのだが、それでも彼女は朝七時には起床してきっちり髪を整えて、丈の長い法衣の胸元に、角の生えた馬の形の緑のブローチ――所謂、ユニコーンの形――までして、業務時間外を満喫するつもりであった。それにも関わらず、ケーヴィは部屋に入ってくるなり、椅子で今か今かと迎えを待機していたレイラを見て、瞬間的に『うわっ』と言ったのだ。
レイラには、しっかりその真意を問いただす権利位はある。だが、ケーヴィは非情だ。
「だって…… レイラ、それ。ダサすぎるでしょぉー!」
「……!」
レイラはショックを受けざるを得ない。ケーヴィが来る直前まで準備していた彼女の苦労は、ケーヴィの一言によって無残に崩れ落ちてしまったのだから。
口を開けて、まさにショックですと顔に書いた状態でレイラはあらゆる活動を停止してしまう。
それをしばらく見ていたケーヴィは、何か気まずそうな顔を数瞬だけ見せると真面目な顔になって、部屋の出入り口に向き直ってしまった。
「ちょっと、それ脱いで待ってて」
「あ! どこに行くのですか」
一体どういう意味だろうか。
とにかくケーヴィはそれだけ言うと、レイラの二の句を受ける前に部屋から転がり出て行ってしまった。自由奔放な彼女の事だから、この先何を考えているのかレイラには全く想像がつかない。であるから、レイラはとりあえず彼女の指示に従って待機せざるを得ない。
彼女は、とりあえず法衣を脱いでそれを丁寧に畳み、石の台の上に置いた。そうして、今一度鏡台の直近にある椅子に腰かける。
しばらくの時間が経つと、下着姿で延々と椅子に座っている自分の姿が目の前の鏡台越しに視界に入ってきて、なんだかバカバカしい気分に全身を絡めとられてしまう。一体彼女は、貴重な休みというのにも関わらず何をやっているのだろうか。尤も、そんな事を誰かに問われなくてもレイラ自身が一番身に染みて理解しているのだった。
やがて、再びレイラの部屋のドアは、外から結構な力を受けて勢いよく開かれた。
今度はそれについて驚かなかったレイラだが、ケーヴィの手に持っている『アイテム』の数々を見て、やはり一驚する。と言うよりも、レイラは嫌な予感というものが、全身の至る所で立ち上がって来た感覚を覚える。ケーヴィは一体――。
「じゃあ、これに着替えてもらうからー」
何を言い出すのだろうか。
いや、ケーヴィの発言の意味は理解できるが、脳がそれを理解する事を拒んでいる。
しかしケーヴィは大変楽しそうに言ったのだ。レイラの知る彼女は、いつだって本気であるから、この後彼女によって好き勝手に着せ替え人形として使われる事はもう、この時決まってしまっていた。レイラは残された時間で自分に合掌する。
*
「ちょっと…… これ、きついんですが……」
「私より大きいもんね。色々と」
ケーヴィは露出度の高い私服を山の様に持っている。裏を返せば、彼女は露出度の高い洋服しか持っていない。完全に彼女の趣味なのであるが、どうやらレイラはその趣味を押し付けられたという事に後から気付く。別に、街中を歩くのに元老院の法衣を着用していても問題はない筈なのだ。
それにケーヴィの言う通り、レイラと彼女では体格に違いがある。具体的に言えばケーヴィは、レイラと比較してやや小さい。そう、色々と。従って、趣味を押し付けられたレイラは、自分にとって――事もあろうに――かなりきつい洋服を着用させられる羽目になってしまったのだ。
そもそもレイラは、常に元老院の法衣で歩き回っているものだから、今更こんな趣味の洋服を着せられたら、ただただ、どこまでもこっぱずかしいだけである。
「ちょっと…… わかってるならやっぱり法衣の方が」「それは、絶対にダメ」
そこ間断の介在する余地など、どこにも無かった。
レイラの意見は、その全部が姿を見せる前にケーヴィの強い口調に上書きされてしまった。もうこうなってしまっては、全ての抵抗は糠に釘である。だからレイラはこっぱずかしいのを我慢する決心を、たっぷりの時間をかけて確立してから、自分を奮い立たせた。
「よっし、じゃあ行きますか」
この様にしなければ、レイラのキャパシティは持たない。それこそ今にも崩れ落ちそうである。
それを受けたケーヴィはレイラがやる気になったとでも思ったのだろうか。
「よっしゃー!」
彼女は突然にして叫んで盛り上がり始めた。
こうしてレイラは、とうとうケーヴィに振り回される一日を開始するのであった。
*
レイラは元老院から出るまでに、それの職員に怪訝な顔やら、点になった目から放たれる意味深長な視線やらを浴びせかけられてきた。その度に、先ほどの決意はユラユラと揺らめいて、今にも消えてしまいそうである。
つまり彼女は、元老院の敷地から出る遥か前から恥ずかしい気持ちを我慢出来なくなりつつあった。が、町に出てしまえば、レイラは元老院の人間であるという事を察せる者など、知り合い以外に存在しないだろう。故にレイラは、余り町に出ない生活を送っていたにも関わらず、町に安らぎ――恥ずかしさが和らぐという――があるのだと知って奇妙な思いをしたのだった。
レイラの町に出ない理由を敷衍すると、彼女自身が町の騒がしい空気とかせわしない感じを嫌厭している、という点にある。
レイラは町のブティックとか飲食店とかに詳しいケーヴィの後に追従する形で歩く。和らぎつつあるが、しかし恥ずかしい気持ちを抑圧しているレイラは、周囲を積極的に見て回る余裕などないのだ。そうしていると、楽しそうなケーヴィの声がレイラの耳に滑り込んできた。
「先ずはあそこね」
レイラは彼女が指さすものだから、犬の様につられて頭を動かす。
直後に彼女の視界に、ガラス張りで黒を基調とした看板が堂々と掲げられている店舗が入って来た。
ケーヴィに着用させられたかなり短いショートパンツの丈を少しでも伸ばそうと、無駄だとわかっていながら下に下に引っ張りつつ歩いていたレイラは、ケーヴィが指さした店舗を見るなり得も言えなくなってしまう。それでも、彼女の声だけは気持ちを代弁してくれる。
「何ですか、あれは」
レイラの心中は言葉として噴出したのである。
――もう丈が云々などと言っている状況ではない。
どうやら、ケーヴィは本気でこの店に入るらしい。明らかに『大人な女性』の店であるのだ、レイラはどうしてもこの店に入る事に抵抗を覚える事を禁じ得ない。何しろ、今までに見た事もないような形だったり、広大な露出面積だったりの洋服が、遠巻きに見てもずらっと並んでいるとレイラにはわかる。
そんなレイラの心中は、ケーヴィには関係ない様子である、とにかくケーヴィはレイラの腕を引っ張る。
「じゃあ、そういう事でー」
ケーヴィはそうしながら呑気に言い、そのまま、若干ばかり抵抗を見せる彼女を店内に連行しようとする。ならば、レイラはもうやけくそである。
今日という日をケーヴィと共に過ごす約束を交わしたのは、まぎれもなくレイラ自身なのだ。
*
案の定、とんでもない洋服が並んでいる。いや、悪い意味ではない。枝葉末節まで凝った装飾の施されたシックな洋服だったり、上品な洋服だったりが置いてある。が、とんでもないという言葉に秘められた、レイラにとって極めて重要な点はそこでなく、露出面積が際立っている、という点にある。
確かに、スレンダーで格好の良い女性がこういった服装に身を包んで歩いていれば、それは身の丈に合っていると言えるであろう。
しかしそれらは、どう考えてもレイラやケーヴィの様な少女の購入を対象として作られていない。それはレイラの視界に広がる光景を受ければ誰でも、恐らくわかる事である。
よって、レイラは店内に足を踏み入れた瞬間、それがすくんでしまって、洋服店にいるのに、洋服で無くケーヴィの背中を凝視する作業を開始した。つまりレイラは、ケーヴィのほとんど真後ろに隠れて周囲の視線を避けつつ、ケーヴィの買い物を傍観しているだけの、所謂『空気』になろうとしているのである。
しかし迂闊であった。レイラはケーヴィの性格を良く知っている。楽しい事があると解るや否や彼女は、積極的にそれにアプローチする様な少女なのである。
どうやらケーヴィはレイラの調子をしっかりと把握していた様子で、突然立ち止まって即座に振り返って、レイラの顔をじーっと、かなりの長い時間見つめ始めた。
遂にレイラはその場を取り巻く不穏な空気に耐えかねてしまい、自然と口を動かす。
「な、何ですか……?」
それを合図にしてケーヴィは小さい口を邪悪に左右に引き裂くと、いつの間にか手にしていた店の洋服――かなり際どい――を自分の胸の辺りで広げてレイラに見せつけて来た。
――そして。
「じゃあ、これ試着ね。キッヒヒ」
またもや彼女は邪悪に笑った。……やはりケーヴィは、レイラの心中の欠片をも逃さずに、ちゃんと咀嚼していたのであろうか。
*
とにかくレイラは、店の雰囲気と、ケーヴィの奔放に手足をギュッと掴まれて振り回されている最中だ。
従ってレイラは、抵抗する気力などどこにも残っておらず、ただケーヴィの言いなりになって色々と『試される』羽目となった事は、言うまでもない。
*
あれからしばらくして、何軒も何軒もブティックを回った。どれもレイラには刺激の強い内容であった。従ってレイラは、精神的な観点から非常に疲弊している。
彼女らは現在、ライトな食事処を発見して、休憩している最中である。この後も、ケーヴィは恐らく日が沈んでもしばらくは町に滞在するだろう。それに付き合わされる事をレイラは当然理解しているので、極めて短い時間与えられた休息の内に、彼女は精神力を元の状態に復帰させなければならない。
その為にレイラが努める事は、テーブルにただ突っ伏す事であった。――彼女の燃料は既に枯渇してしまったのかも知れない――
その内にケーヴィの若干ばかり弱い口調が上から降り注いでくる。
「あ、水いる?」
それを受けたレイラは、彼女は突っ伏した頭の重みをひしひしと感じながらそれを持ち上げて、余力の全開を尽くして声を喉から絞り出した。
「よろ……しく」
*
ケーヴィはレイラの頭上に置かれたガラスのコップを掴んで、離れた位置にある給水器に目的地を定めて立ち上がった。手に掴んでいる自分と彼女のコップは、既に空っぽであり、氷も半ば溶けている。だからケーヴィは、給水器は氷も供給してくれるのだろうかと考えながら歩く。
と、ダラダラ歩くケーヴィの腰に、比較的強い衝撃が走った。
その衝撃は、食事処という一般的な場所から鑑みれば割合大きな方であったので、ケーヴィは手に持ったグラスを落下させない様に胸のあたりで死守しつつ、崩れた体勢を支える為に衝撃のあった方から反対側の、直近の壁にふわりと寄りかかる。ケーヴィはバランス感覚が良いのか、上手に衝撃をいなす事が出来た。
その後は当然、ケーヴィは衝撃のあった方角、自身の側方左側に頭をサッと振り向ける。彼女は、衝撃の発生原因を『誰かがぶつかって来た』と見るまでも無く分析していた。
頭を振り向けた刹那に彼女の視界に入って来たのは、金の髪色が妖美な少女であった。金髪の少女は衝突に起因して発生した痛みからか、自身の額を小さい両手で必死に圧迫して、瞼をこれでもかという位にかたくかたく閉じている。衝突の際、ゴツン! と結構大きい音がしたので、周囲の人々は彼女らの方に頭を振り向けるのだが、額を圧迫して俯き始めた少女の今にも泣きだしそうな態度を見れば理不尽にも、無数の視線という凶器は、ケーヴィに刺さってしまう事になる。
そんな気まずい空気の中、泣きたいのはこっちだと、ケーヴィは思うのだった。
「あっ、ごめんねー!」
それでもケーヴィは、極めて明るい調子を意図的に維持しつつ言う。少しでも視線という凶器の破壊力を小さくする為の、彼女の考えた措置である。
だが、その措置は叫びながら駆け寄ってくる少女によって、存在の必要を失った。
「すみませんでした!」
ケーヴィの目線の先に、タカタカという軽快な音の似合いそうな少女が駆けてくるのが見えた。そうして少女は、自分の下に到達した途端に再び同じ旨の復唱を開始する。
「本当にすみませんでした、お怪我はありませんか?」
「あー、大丈夫大丈夫!」
駆けてきた少女は、金髪の少女の関係者か何かだと思ったケーヴィは、何も問題がない――と、対外的にアピール――という旨の応答をした。
その少女は、ケーヴィよりも大きい。ケーヴィより背丈のあるレイラよりも、少しだけ大きい。そして大きい少女は、レイラのサラサラストレートのロングな銀髪と張り合っても、互角を維持できるんじゃないかと思える美しい銀髪であった。ただ、レイラのそれと比較するとやや短い。所謂ミディアムカットというやつか。ケーヴィは服装や髪型と言った事に大変興味があるので、謝罪に応答しつつ、短時間で銀髪のミディアムカットの少女を評した。
「ふん!!」
そんな事を考えていたら、突然ケーヴィの視界の中で金髪の少女の頭は、謎の唸り(?)と共にフェードアウトした。
呆気にとられたケーヴィの前で銀のミディアムカットの少女は、腕の血管を一目見て解るレベルに浮き上がらせて、しかしそんな様相とは全く縁のなさそうな爽やかな顔を見せる。
「この通りです。 ……ね?」
少女の発言から、恐らく彼女はケーヴィに許しを乞うているのであろう。
それにしても圧倒的である。銀髪の少女の手の中で、金髪の少女の小さい頭はギリギリと軋んでいる――いや、銀髪の少女の手の方が軋んでいるのだろうか。こんな恐ろしい少女の腕や顔や態度を見てしまえば、誰だって顔を青くして許してしまうに決まっている。
「は、はい」
だからケーヴィも顔面の血色を全て無くした状態で、そう言うしかなかった。
銀髪の少女の放つ恐怖の塊に掌握された空間の中で、ケーヴィは存在感を極力殺して立っていたが、その内、ミディアムカットの少女は金髪の少女を脇に抱えた状態で、自分のテーブルに去っていく。
「はぁー!」
ドッと、ケーヴィの中から湧いてきた疲労感は、彼女に巨大なため息をつかせるに至る。世の中、何が起こるかわからない。死角から衝撃を受けて、しかも恐怖を与えられるという事だって起こりうるのだ。
ケーヴィは水をガラスのコップに急いで汲んでから、銀髪の少女の座っているテーブルを遠巻きに、しかも用心深く見つめながら通り過ぎる。
そのテーブルでは、先程の恐怖を味わっても尚懲りない金髪の少女に激しく頭を揺さぶられている少年や、本を読んでいる少女や、奇妙な機械をいじくりまわす少女もいたが、ケーヴィは相変わらず銀髪の少女の動向しか気にならない。とにかく、ミディアムカットの少女のいるテーブル全体に焦点を当てれば、その集団がどうやら外国人の集団らしいという事は理解できた。
*
レイラは一日中町の中を歩き回って――歩き回らされて――、心身共に、エネルギーと言った観点から、何もかもが外に抜け出してしまっていた。だから彼女は傍から見れば、ケーヴィ所有の鮮やかで露出の多い洋服を着ているにも関わらず、色という色が全部抜けて真っ白に燃え尽きた灰の様にすら見える。
一方、その横で歩くケーヴィは、そんなレイラと比較して見事に、そして綺麗に真逆のベクトルの様相である。つまり、ケーヴィは最初から最後まで何も変わっておらず、相変わらずエネルギーに満ちている事が見て取れる。
両手いっぱいに持った有名ブランドのロゴが刻印された紙袋の重さは、今のレイラには色々な意味で大変辛い。実際彼女は、端から洋服等を購入するつもりなどなかったのだから、これらは半ばケーヴィに買わされてしまった数々であるし、何よりも着て出かける機会が少ない。だから、こんな事は彼女自身、本当は言いたくないのだが、『極めて無駄な買い物』である。
そんなレイラの燃え尽きた様な雰囲気を察知したのか、ケーヴィは明るく取り繕ったように言う。
「ま、まぁ新しいファッションに目覚めよう! って事でー、ね?」
このセリフを聞いたレイラは、ケーヴィが自分に対して何かもの凄く大きな『不憫』を感じてフォローしてくれているのかとすら思ってしまう。だからレイラは心中で強く強く叫ぶしかなかった。
(同情なんて、いりません……!)
そんな不憫な少女に更なる不憫が襲い掛かる。
ドスン! という極めて強力な衝撃を受けて、レイラは手に持っていた紙袋の数々を周囲に散乱させた。
「キャ!」
レイラ自身も、小さな悲鳴を上げて路上に転がった。彼女はお尻から着地したのだが、ケーヴィから強制レンタル中のホットパンツの金具が肉に食い込んできて、痛みのコラボレーションを味わう事になってしまった。更に数瞬後、彼女の体の上に重量物がのしかかって来てトリオの痛み、その際にベルトのバックルが腹に食い込んできて、とうとう痛みのカルテットが完成する。
「いたたたたた!」
たまらずレイラは、自分にしては珍しく、加えて間抜けな声を上げてしまう。割合強めの痛みを味わっている自分に対して、ケーヴィは何を思ったのか。意味の解らない事を、ケーヴィは大声で叫んだ。
「レア!」
「レ、レアじゃないです! ……え? ちょっと! キャァァァアアア!」
倒れたままケーヴィに応答したレイラは、自分の上にのしかかって来たものの正体を見て、絶叫した。それは少年である。その少年がどんな風貌の少年であるかなんて、レイラには確認する余裕が全くない。なぜなら少年は、レイラの上にのしかかった衝撃でレイラの着用しているホットパンツの金具をどうやら壊してしまったのだから。それに数瞬で気付いた彼女は当然必死になって、全面部分が解放されそうになっているホットパンツを両手でしっかりと押さえるのだが、既にベルトのバックルも故障してしまっており、更にケーヴィの洋服である為にサイズがかなりきつい。つまり、彼女の両の手が最後の防衛ラインなのである。そんな状態であるから、上に乗っかっている少年を押しのける事は出来ない。すると。
「ん? うわああああ! ごめんなさいごめんなさい、本当にすみませんでした、決して……」
何やら少年はぶつぶつ言い始めた。そして彼は、どこからそんな瞬発力が生まれるのかレイラには理解出来ない――魔法術でも使ったのだろうか――のだが、ビョン! と飛び跳ねてレイラから離れる。これによって一応の難を逃れる事が出来たレイラであったが、両手が塞がってしまっている状態では立ち上がる事が出来ない。
いや、立ち上がる事自体は簡単であるが、その際に『防衛』が崩れる可能性が大きい。
「お、起こしてください!」
防衛を崩す訳にもいかないレイラは、とりあえず直近で何やらニヤニヤしているケーヴィに向かって半ば怒りを露わにして叫んだ。こうしてレイラは街中で何度も何度も叫ぶ事になってしまった。
ケーヴィはしばらくニヤニヤして、喚くレイラを傍観していた。
「ウブだねぇー」
ケーヴィはそんな事を言いながら、嬉しそうに言いながら彼女の上体を支える事で立ち上がらせてくれた。レイラは、そんな彼女を一喝したい。
とにかく、この状態になれば、今度はレイラの番だ。
そう、レイラは怒りの矛先を少年に向けて――。
*
ケーヴィはこの様な事もあるものかと思った。
この場所は、確かに人気が多い場所であると、彼女自身認めている。だから、少年とひょんな事で衝突する様な事態だって起こりうるだろう。しかし、問題はそこではない。そんな事実よりも、先ほどレストランで発見したであろう外国人の少年はこうして、彼女の目の前にいる。しかも、今度はレイラにアタックをかましたのだ。
勿論、先ほどケーヴィに衝突したのは彼でなく、恐らく彼のグループの中にいたであろう金髪の少女であった。だが、ケーヴィは外国人が『追突好き』である事が特徴なのかと思ってしまったのだ。
とにかくケーヴィは、その少年に『事実確認』をする為に、レイラにくどくど怒られている最中に声を割り込ませる。
「あー、しつれーい。君さ、さっき『ザ・クランペット』にいたでしょ?」
「えあ、うん、いましたけど……」
『ザ・クランペット』とは、先刻レイラとケーヴィが食事をしていた場所である。ケーヴィは少年の応答を受けて、呟きつつ腕を組み、頭を上下に動かして頷く格好をとりながら感慨深い表情を浮かべた。
「やっぱりなー」
そうしていると、直近に立つレイラは怒った様な口調で何やら言い出す。
「今説教しているのですから、邪魔しないでください」
彼女を怒らせると面倒くさいと知っているケーヴィは、これ以上彼女の事を刺激しないと決めた。そうして、とりあえず適当な返事だけは返しておこうと思う。
「へーい」
ケーヴィは、応答しないレイラの調子を受けて、とりあえずは安心した。
ところで、この少年の出身はどこだろうか。自分達と違って、少年の皮膚は黄色みがかっていて、瞳は真っ黒で、髪の毛も真っ黒だ。ケーヴィは『とある事情』から出身国をどうしても気にしてしまうのだった。
あーだこーだと説教攻撃をうち放つレイラの後方から少年をしばらく眺めていて、あらゆる複合的な要素から判断をする。恐らく少年は、世界に誇る先進的機械技術を売りにしている『極東機構都市地帯』出身であると、ケーヴィは確信した。
「……という事で、後日元老院の指定した場所に出頭する様に!」
「は、はぁ……」
ケーヴィが緻密な推察を脳内で展開していると、レイラは一連の流れに終止符を打った。どうやら彼女は、少年を元老院に呼びつけてから説教の続きをするらしい。異国から来た少年はアウェーだからか、成すすべなくたじろぐ事しか出来ない様子である。レイラもレイラで、『出頭』などと言う仰々しい単語を繰り出す辺り、らしい。と言うより、容赦がない。
とりあえず『出頭』する事になってしまった少年と再び会えるか疑問だったので、ケーヴィは自分の推察を展開したくてしょうがない気持ちを、たじろぐ少年にぶつける事にした。
「君、『極東機構都市地帯』の出身でしょ?」
「はい、そうだけど…… もしや国際問題に!?」
「……」
どうやら少年はあらぬ方向に心配し出してしまったらしい。確かにレイラの口から半端ではない間隔で放たれたお叱りの数々を目の前で目撃していれば、彼がこの様な状態になってしまう事にも頷ける。が、ケーヴィは、それにしても少年は『アホ』だろうという結論を導き出して冷めた視線を送りつつ沈黙する事を禁じ得ないのだった。
*
レイラは散々、心行くまで少年を叱り飛ばした。が、まだまだ全然、彼女のディープな心の中は満たされる事がない。だから間抜けだとわかっているが、致し方なく自分の着用しているホットパンツの全面が解放されない様に注意しつつ、去りゆく少年の背中を見て、次に会う時もしっかりと今日の事について糾弾してやろうと心に決めるのであった。
そんな彼女の背後から大変邪悪な呪文は放たれる。
「デートの約束の取り付け方が強引だねー」
レイラは即座に振り返って、邪悪な呪文に抵抗する事に決定した。
「うるさい!」
レイラは高々と腕を頭の上にあげて、邪悪な呪文を放ったケーヴィを一喝する。
そう、レイラはしてしまった――。
*
度々の事であるが、レイラという少女は、自身の中に突然湧き出すタイプの激情をコントロールする事が上手でない。従って、不遜な事を言うケーヴィに対して瞬間的に反応して警告を発した訳である。が、腕の動作が入れば当然、彼女の『防衛』は破られる訳で。
つまりレイラは、天から落ち行く夕日を背景にして、公衆の面前で醜態を晒す事になってしまった。
少年は、『出頭』の要請を受けます。