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第八話 魔女+海+影=記憶

 それは彼女が市場から帰ってきた翌日のことでした。

 午前中は植物の世話をし、昼食を取ったあとはイヤリングをつけて籠を持ち、いつものように森の中へ入って行きます。その籠の中には昨日白い天幕のお店でもらった絵本をしのばせて。


「くまさぁんの、いうこぉとぉにゃ、おじょぉさん、おにげぇなさい」


 色のない森の中は今日も静かです。その中で青ざめた色を持つ花や風車(かざぐるま)は、ただ無関心に立ち尽くすばかりでした。カラカラと回る風車の音は時に、乾いた骨のこすれあう音を錯覚させます。


「とことぉこぉと、こ、と、こ、とぉ、とことぉこぉと、こ、と、こ、と」


 ことさら明るく歌って、彼女は立ち止まりました。そっと手でイヤリングに触れます。


「と、こ、ろ、が」


 道を外れた森の奥に真っ直ぐと目を向けます。注意深くこちらを観察する何かの視線を感じました。彼女は唇を湿らせ……


 ざくり

 

 道の外に足を踏み出すのでした。




 黒の地面と白の木々。地を覆う砂は粒子が粗く、彼女が一歩踏み出すごとに音を立てます。まるで自分の居場所を森中に知らしめているようだとミーナは思いました。

 どのくらい歩いたでしょうか。道の明かりも見えなくなってしばらくたったころ、彼女は自分が何かに囲まれているような気がしてきました。暗闇の圧迫感だけではない、何かがそこにはいるようです。音がないはずのその場所で、ひそひそ声が聞こえるような気分にとらわれました。


―――気のせいかな。


 それとも。


「だれか、いる?」


 森の奥に声をかけます。しかし答える声はありませんでした。

 再びの静寂。


「べつに、何かしようってわけじゃないの。誰か、出てきてくれない?」


 声は響かず、出た先からすぐに立ち消えてしまいます。

 仕方がないのでさらに何か言おうと口を開きかけたとき、ぱたぱたぱたっ、という子供の足音が聞こえてきました。誰かがこちらにやってきているのかと思いじっと待っていると、その足音もふつり、と途切れてしまいました。


―――幻聴?


 眉をひそめてしばらくそこで待ってみると、やがて男の子が一人、闇の中からぬっと現われ出てきました。初めてこの森に来た時に彼女が出会った蜉蝣と、同じくらいの年のころです。


「こんにちは」


 男の子は内気そうに挨拶をしました。


「おねえちゃんは、まいごのひと?」


 ミーナは男の子に目線を合わせて答えます。


「ううん。私はちょっと探し物に来たの。ねえ、ここに魔女さんはいる?」


 男の子は首を傾げました。


「まじょさん……?ここにはカゲロウしかいないよ。それでぜんぶなんだ」


「うーん」


 さっそく困りました。だけれど彼女だって最初からうまくいくとは思っていなかったので、尋ねる方向性を少し変えてみることにします。


「じゃあ、蜉蝣がいっぱい集まってるとこに行きたいんだ。道案内してくれないかな」


 しかし男の子の表情は冴えません。「でも」と呟きます。ミーナが視線で促すと、彼は渋々といった様子で口を開きました。


「おねえちゃん、しはいしゃさまのイヤリングしてるでしょ?」


「支配者様のイヤリング」


 首を捻ると、貝殻のイヤリングが肩に触れました。


「支配者様って?」


 男の子は何だか怯えたように彼女の耳元に視線を向けます。


「にんげんはみんな、ベアってよんでる。それつけてるひとは、もりのおくにつれてっちゃいけないんだ」


「でも、私は森の奥に行きたいの。だったら良いんじゃないかな」


 それでも彼は目をさまよわせるだけです。どうしようかと考えて、彼女は閃きました。


「あ、じゃあ、これならいいでしょ?」


 イヤリングを外して手に持った籠の中に入れました。途端に森がぐっとミーナに近寄ってきた感じがしましたが、つとめて気にしないようにします。

 ぱっと、少年の表情が明るくなりました。


「うんっ。いいよ。こっちきてっ」


 強く手首をつかまれ、思いっきり引っ張られます。まずいと思い、彼女は慌てて釘を刺しました。


「ま、まって。あんまり酷いことすると、またイヤリング付けちゃうよ」


 すると力は弱まり、なんとか引きずられることだけは免れます。

 そしてミーナは森の奥への案内人を得たのでした。




 変化は唐突でした。


「あれ?」


 ずっと歩きにくいと思いながら足を進めていた砂地の足触りが、急に軽くなったのです。不思議に思って足元を見てみると、地面は黒い砂ではなく濃緑の草に覆われていました。露に濡れた下草が足首に触れて、少しくすぐったいです。


「うわあ」


 と、声を上げて気が付きました。ずっとあったあの閉塞感が何故だか今はありません。一つの予感と共に目を上げると。


「う、うぁー」


 そこはすでに森ではなかったのでした。

 黒い空。しかしその下に広がっているのは暗がりに沈む丘のような広々とした草地と……


―――海?


 丘を下ったその向こうには、魂さえ吸い込まれていくような夜の海が佇んでいるのでした。

 手を引く力がまた強くなった気がして男の子を見ると、彼は待ちきれないといった風に遠慮がちにではありますが、ミーナの手を急かすように引っ張ります。


「ここがカゲロウのあつまるとこだよ」


「ほら」と示されて、初めてミーナは丘にうずくまるいくつもの影に気が付きました。大小さまざまな無形の影です。重い潮風に吹かれて、それらはかすかにうめき声をあげているようでした。


「魔女は、どこ?」


 呟きは、潮騒とうめき声に紛れて、ぽつりと落ちます。

 男の子はそんなミーナの様子に、困った顔をしました。


「ここはカゲロウのばしょなんだ。なまえのあるものなんて……」


「おや、珍しいものが来たね」


 男の子の言葉をさえぎるようにして、だれかの声が聞こえました。どこから聞こえて来たのかときょろきょろしていると、「振り向いてはいけないよ」と、声はまた言います。

 男の子はミーナの後ろを見上げて、目を真ん丸に見開きました。口をパクパクしていますが、そこから何かの言葉が漏れることはありません。そこまでされると彼女としても自分の後ろが大変気になるところですが、直感が「振り返ったらまずい」と告げていました。なんとかむくむくと湧き上がる好奇心を抑え込みます。


「私は魔女さんを探しに来たんです。どこにいるかご存知ですか」


 すると声は「ふーむ」と唸りました。


「残念ながら、彼女はとうの昔にいなくなってしまった人間だからね。しかし用事くらいは聞いてあげるよ。まだ人であるものが、こんなところまで何をしに来たんだい?」


 なんて答えればいいのか彼女は迷いました。あまり多くを聞くことはできなさそうです。一瞬の逡巡ののち、彼女は「魔女さんがベアにかけた魔法は何だったのか知りたいんです」と答えました。

 潮混じりの風に、彼女の肩より少し長い髪が吹き上げられます。


「そうか。それを知ってどうする?」


 ミーナは肩をすくめて微笑みました。


「さあ?魔女さんこそ、そんなことを聞いてどうするんですか」


 沈黙が訪れます。そして、地を這うような笑い声が聞こえてきました。「賢い子だ」と声は言います。


「それじゃあ、それは聞かないでおいてあげるよ。魔法の答えが知りたいんだね?」


 無言で彼女は頷きました。また笑い声が聞こえます。


「そんなに知りたいなら教えてあげるよ。答えはあの海の中に沈んでる。案内しておやり」


 すると、ずっとじっとして動かなかった男の子が再び歩き出しました。引かれて自然、ミーナの足も動きます。

「ありがとうごさいます」と彼女が言えば、「お礼なんて、言わない方が後悔は少なく済むよ」という言葉が返されました。それきりぱたりと、声は何も言わなくなります。

 きっと遊びに飽きてどこかへ行ってしまったのでしょう。




 丘を下り終わると、そこは砂浜でした。真っ暗な海が眼前に広がり、そのあまりの遠く深いさまに魅了されます。いつしか男の子の姿はなくなっていました。海の果てから目が離せないままに彼女は水際まで歩み寄り、膝をつきます。寄せては返す波が彼女の腰までを浸しました。うつむいて海中を覗き込みます。


―――何かが見える。


 くらくくろくくらい水底。ゆらゆらと曖昧に揺らめくそこに、誰かの思いが映り込んでいるようでした。それが壊れてしまわないよう、そっと海に顔をつけます。黒く塗り込められた水の中で目を開き。


―――ああ、そういうことか。


 理解が訪れたとき。


 ざぶん


 と。

 音が、して。


「うぅっ」


 誰かがものすごい力で頭の後ろを押さえ込んできました。息が出来ません。あまりの苦しさに腕を振り回せども、力には逆らえませんでした。重い水を蹴り上げ、肘を海底につっぱってしゃにむに暴れます。口の中にしょっぱい水が流れ込みむせれば、さらに海水は流れ込みます。

 絶望の予感が頭をよぎったとき、振り回した手が何かをたたきました。それがいったい何かを、その時認識していたかは記憶にありません。ただただ必死に何かをつかみとり、馴染んだ動作で耳に近づけます。


 途端。


 すっと、頭が上がりました。


「っあぁっ」


 口から鼻から水を吐き出し、砂浜の方まで転げて海から逃れます。何度も何度も咳き込んでは息を吸い、を繰り返しました。体をよじって必死に肺に酸素を送り込みます。

 そうしてようやく落ち着いてきたころ、横倒しの視界の中でぼんやり周りの様子が目に入りました。


―――蜉蝣が。


 寒さを感じました。

 黒く形のないそれらはミーナを取り囲んで、じっとこちらを見詰めています。荒い呼吸の向こうで、押し殺したようなうめき声が聞こえてきました。


―――さむい。


 自分が震えているのだということに、やっと気が付きました。濡れて外気に触れた肌からは、どんどんと熱が奪われてゆきます。塩辛い喉の奥が痛みました。しかし指先の感覚は感じられません。まとわりつく砂や髪を払う元気も、今の彼女にはありませんでした。

 けれども耳に押し付けた片手だけは、感覚がなくとも離しません。離してしまったら終わりなのだと何となく感じるのです。蜉蝣たちはここでその瞬間を待っているのだと。ミーナはぐっと下唇をかみしめました。この根くらべに負けてはいけないのです。

 しばらく待ち続けて段々と意識の境目が怪しくなってきたころ、ちらほらと蜉蝣たちはその場から離れていきました。そうやってほとんどの蜉蝣がいなくなったのを確認したところで、やっと耳から手を放します。手を開けばそこには思った通り、ベアからもらったあのイヤリングがあったのでした。


―――命拾い、した。


 かじかむ手でなんとかイヤリングをつけて、身を起こします。浜辺の向こうに彼女の籠が転がっているのを見付けました。這って取りに行きます。中身を確認する気は起きませんでした。どうせ駄目になっているのです。


「……うう」


 全身がけだるくおっくうな感じがしましたが、いつまた何が起こるか分かりません。体を引きずる様にして立ち上がり、森の見える方へと震えの収まらないままに歩き出すのでした。




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