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第六話 市場+友人+絵本=予感

 ぽかぽかとした昼下がり。包み込むような太陽のぬくもりに、ミーナは大きく伸びをしました。反動で彼女が押していた荷車がガタンッと音を立てましたが、彼女自身は気にせず進んでゆきます。


 ガタガタガタ


 村の市場に続くこの道は、舗装がされておらず土がむき出しのままなので、荷車を引いて歩くとなるとそれなりの体力が要求されます。しかしミーナはこの道が好きでした。自然の木々に挟まれたこの場所は、いつでも生命にあふれ返っているからです。

 鳥たちが鳴き交わす声、鐘の鳴る音、客引きのざわめき。木々の間をひんやりとした風が渡ってゆき、彼女に束の間、ここにはない賑やかさを届けてくれます。市場にももうそろそろで着くころあいではないでしょうか。


「よおっしっ」


 勢い込んで彼女は坂を駆け下りてゆくのでした。荷車の上で、乗せられた荷物が大きく跳ねます。




「あ、ミーナだ。おーい」


 人のにぎわう市のただ中。一際派手な赤の天幕の影から、大きく手を振っている少女の姿がありました。その天幕の淵にはカラフルな色に塗り分けられた大小様々なガラス管や金属片が下げられており、涼やかな音を立てています。しかし涼やかなのはいいのですが、とにかく派手でした。


「わあ、キルシャ。来てたんだ」


 キルシャと呼ばれた少女はにっこりと微笑みます。華のある可愛らしい少女でした。ひらひらとした薄布やレースが重ねられた服も、ガラス管を通した光をキラキラと照り返すアクセサリーもよく似合っています。


―――まあ、目立つんだけどね。


 彼女はミーナがいつもお世話になっている商人の娘さんです。ここは市場で、彼女は客引きをしているわけなのですから、なるほど、目立つのは悪いことではありません。しかしここまで思い切ってしまう天幕は、他にはないようでした。何というか、一村娘には眩しすぎる光景です。


「ミーナは、今日は品物を持って来たんだね。待ってて、今お父さん呼んでくるから」


 春風のように彼女は駆け去ってゆきました。

 この天幕はこの辺りではある程度名のあるお店のようで、ミーナは両親の代からお世話になっています。その関係で彼女とは幼いころからの友人なのでした。




 取引が終わると彼女も年頃の女の子です。キルシャがいるときは大抵、荷車は彼女のお店の天幕に置かせてもらい、一緒に市場めぐりをします。


「それで、この前の話なんだけど」


 天幕を出て早々、キルシャは待ちきれないというように口火を切りました。いつも以上に生き生きとした彼女の様子に、ミーナはとても嫌な予感を覚えます。


「ええと。な、なにかなぁ」


 いえ、予感と言うよりかは確信だったのですが、もちろん外れるに越したことはりません。そんな彼女の歯切れの悪い様子に、キルシャは振り返ります。ふわりと追従するように、清かな薄布が舞いました。


「とぼけても無駄よ?恋のお相手はだあれ?」


「こ、こいっていうのは、あれかな。池で泳ぐ、赤かったり黒かったりするやつの事かな。リタンの取れる」


 瞬間、キルシャは絶句します。


「この、薬中毒者っ。リタンって、また、よりにもよって」


 大声です。ただえさえ注目の的(主に男性に)の彼女が大声で薬中毒者呼ばわりです。せっかく二度見に留めていたお兄さんたちが、三度こちらを振り返るのが目に入りました。


「や、待ってキルシャ。他に言い方があるでしょ。ちょっと薬中毒者って言うのは」


「あなたくらいになると、もう中毒よ。だってあんな気持ち悪いもの……」


 しかしその言葉はミーナに火を点けました。眉を寄せて憤然と言い返します。


「そんな風に言うけどリタンは体の調子をよくして、目にもいい希少なものなんだよ。悪く言っちゃダメ。たとえ……鯉の肝臓でも」


 そして反論のポイントも大幅に横滑りです。慣れた村の人たちは「ああまたやってるな」と生温かい視線と共に通り過ぎていくだけですが、こういった大きな市の開かれるときは村外からも多くの人が来ているものですから、注目は集まるばかりです。

 一通り鯉胆りたんの効能と処方について語りつくしてから、ミーナはようやくそのことに気が付きました。同じくして我に返ったキルシャも、気まずそうにそっと周囲を窺います。突き刺さる視線に気のせいか心の痛みを感じ、耐え切れずにどちらともなく手近な路地に入って行くのでした。




「やってしまった」


 はぁ、とミーナが溜息をつけば、


「いえ、あなただけのせいじゃないわ。ああ、何であなたと話していると、いつもこうなるのかしら」


 とキルシャが細い路地に囲われた青空を仰ぎ見ます。つられてミーナも顔を上げれば、ちょうど黒い羽根を持った鳥が近くの家の窓枠から、ばさばさと音を立てて飛び立ってゆくところでした。

何となくそれを目で追っていると、視界の端に何か白いものが引っ掛かります。よくよく見てみれば、それは小さな白い天幕のようでした。


「あ、あんなところにお店が出てる」


 ここは石造りの家々の狭間にある、人気のない裏路地です。この辺りでは割合大きな村とは言え穏やかな場所なので、こういった場所が危険と言うこともないのですが、だからと言ってお店を出そうというのも変な話です。人がいなければ、そもそもお店を出す意味がありません。


「ほんと。何かしら」


 と、キルシャが言い終わらないうちに、ミーナは歩き出していました。「待って」と慌ててキルシャも追いかけます。布靴の立てる乾いた音が路地に響き渡りました。

 天幕の前まで来てみると、そこが古い本を扱っているお店だということが分かりました。擦り切れたカーペットを敷いたその中心では老齢の女性が一人、安楽椅子にもたれてうとうとと寝たり覚めたりを繰り返しています。本と埃の入り混じったような独特の臭いが鼻をつきました。

 そこでふと、カラカラカラという聞き覚えのある音がした気がして、ミーナはきょろきょろとお店の中を見回します。うたた寝をしている彼女の後ろを覗き込むと、天幕の支柱には木製の風車(かざぐるま)が一本結わえつけられ、路地に入り込んだわずかな風に吹かれて回っていました。


「この人、本を売る気、あるのかしら」


 キルシャが腕を組んでその様子を眺めます。


「さぁ……」


 ミーナが根っからの薬種好きとすれば、彼女は生まれた時からの商売人です。なんだかんだでそんな彼女の気持ちが分かってしまうミーナは、深くは突っ込まずに適当に相槌を打っておきます。


「あ」


 まだ何かを続けようとするキルシャを放っておいてお店の商品を物色していると、無造作に並べられた色あせた本の中に、一冊だけ目につくものがありました。絵本です。正直なところ並べられたどの本も、彼女には難しすぎてざっと眺めていただけなのですが、これならミーナにも読む事が出来そうです。

「森の魔女のおはなし」というタイトルが書かれたその本を手に取って開いてみると、キルシャが覗き込んできました。


「へえ。それ、西方の国の童話ね。前に一度仕入れでそちらの方まで行ったときに、私も読んだわ。ちょっとかわいそうな魔女のお話よ」


「魔女」という言葉に惹かれて、ミーナはページをめくります。

 それは優しかった魔女が人の醜さに触れて悪い魔女になり、青年を森の中に閉じこめてしまうというものでした。聞いたことのあるような無いような話だな、と思いながら読み進めていると、あるページで「かげろう」と言う単語が出てきて、一瞬、心臓が飛び出すような気持ちがしました。

 結局最後まで読み切り呆然と絵本を見詰めていると、訝しげにキルシャが彼女の目の前でひらひらと手を振りました。


「どうしたの。大丈夫?」


「うん……」


 けれども頭の中は大混乱です。これはなんだかずいぶんと、ベアの話していた内容と被っているような気がします。一体こういうものは偶然と言っていいのでしょうか。


―――ううん。もしこれが偶然じゃなかったとしたら。


 急げ急げと慌ただしい心臓を手で押さえていると、そこで、しわがれた低い声が聞こえてきました。


「……おや、お客さんかい」


 キィコ、という安楽椅子の軋む音がして、お婆さんが立ち上がりミーナの目の前までやってきます。彼女の手にある絵本に目を留めました。


「これって、西方の国の童話ですよね」


 やっと起きたかこの人、という気持ちを隠そうともせずに、キルシャは口を開きます。しかしいくぶん剣のある彼女の様子に、お婆さんは微笑むだけに留めてゆっくりと首を振りました。


「いいや。これはあたしの故郷の絵本なんだけどね。童話なんかじゃないよ。こりゃ、実話だね」


「お婆さんは、何か知っているんですか」


 ミーナはキルシャが不機嫌そうにすっと目を細めたのに気が付きましたが、「ええい、背に腹は代えられないっ」と、心の中で叫んで彼女に質問します。手に嫌な汗がにじんでいるような気もしましたが、気にしてはいけません。


「あたしゃ何も知らないよ。青年があと一つどんな魔法をかけられたかってのも、分からないしね」


 ミーナは自分の考えが読まれた気がしてちょっと身を引きましたが、言葉だけは引き下がりませんでした。素早く息を吸って質問を重ねます。


「じゃあ、何が分かるんですか」


 お婆さんはそんな彼女の様子に、眼差しを和らげました。


「さぁねぇ。ただその魔女さんは、今も森の中にいるんだろうってことは、想像できるよ」


「どうして」と彼女が問えば、「理由はあんたにだって分かるだろうよ」と言われてしまいました。

 ミーナが首を捻っていると、強く腕を引かれます。見ればキルシャが満面の笑みでこちらを見ていました。背筋に冷たいものが流れます。


「それじゃあこれで失礼します。商売繁盛を祈っていますわ」


 あからさまな皮肉が怖いです。そして天使もかくやという笑顔は、もっと怖いです。

 あんまりにもぐいぐい引っ張るので、慌てて絵本を返そうとしたら「売れ残りだからそれはあげるよ」と、お婆さんはゆったりと手を振るのでした。途端に強い風が吹き、カラカラカラッと風車が回ります。キルシャの淡い色の服が舞いあがり、視界を覆いました。どこかから、懐かしいような花の香りが香ったような気がします。

 キルシャの「売れ残りって言ったら全部なんじゃないの」と呟く声が、小さく聞こえてきました。




 知らぬ間に、市は夕暮れ時を迎えていました。たくさんの光を吸い込んで重たげに輝く太陽が、空の端、人々が昼間の賑わいの後片付けをしているその向こうで、今にもしたたり落ちそうにして浮かんでいます。明日はこの村もまた、いつもののどかな顔を思い出すのでしょうか。


「今日ももう終わりかぁ」


 キルシャは何かのステップを踏みながら、ミーナの少し前をひらりひらりと歩きます。夕焼けを反射してきらりと、彼女の腕輪が明滅するように光りました。


「そしたら明日が来るんだから、別にいいじゃないの」


 言われてミーナは苦笑しました。彼女の言うことはもっともです。両手で抱えた絵本に目を向けて、彼女は「明日」に思いを馳せました。行動することは思い浮かんでも、結果なんて全く分かりません。それを人は、恐怖と呼ぶのでしょうか。


―――私らしくないな。


 瞬き、顔を上げました。するとそこで、いつの間にか立ち止まっていたキルシャと目が合います。いつになく真剣な彼女の様子に、ミーナは息をのみました。


「ミーナ。あなた、恋をしたんでしょう」


 夕日の映り込んだ彼女の瞳には、多くの感情が隠されているような気がしました。


「恋で身を滅ぼすなんて、してはいけないことよ」


 この時間帯の空は、急速に翳りゆきます。冷えだした空気には森からの濃密な緑の匂いが、わずかに混ざっていました。ミーナは少し逡巡して答えます。


「へいきだよ」


 一歩彼女を追い抜いて。


「私は好きなように生きてるだけなんだから」


「それが心配なのに」とキルシャは振り返りますが、ミーナはどんどん歩いて行ってします。無駄と悟ったのか、後は何も言わずに彼女もミーナを追いかけて並びました。そんなキルシャに、ミーナはにやりと笑いかけます。


「……で、キルシャの恋のお相手についてなんだけど」


 すごい勢いでこちらを向いた彼女の顔が目に入りました。


「な、な、なんでそのことを」


「肉屋のアンリがねぇ……」


 一番星が、家々の間に顔を覗かせていました。




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