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第四話 さくらんぼう+ハーブティー+魔術=再訪問

 数日後。ミーナは手に籠を持ち、再びベアの家の前に立っていました。耳には白い貝殻のイヤリングが下がっています。緊張の面持ちで、彼女はつばを飲み込みました。


―――き、来ちゃった。


 イヤリングの効果なのでしょうか、この日彼女がこれを付けて森の中に入ると、あっさりと色ガラスのはまった扉は見つかりました。そこからベアの家までの時間を合わせても、多分三十分ほどしか歩いていません。これをベアが壊せと言ったのは、もう彼女と会うつもりがなかったからだと考えられます。


―――ベアはなんて言うかな。


 まさかこんなにすぐに着いてしまうとは思っていなかったので、心の準備が割と足りない感じです。

 温かくもなく冷たくもない森の空気を深く吸い込んで、ドアノブに手を掛けようとしたとき……


「入らないの?」


 扉は向こうから開きました。


「……ふぁあ」


 口からは吐き出しきれなかった息とともに変な声が()れました。


「あ、ごめん。窓からミーナの姿が見えたから。だけど全然入ってこないし」


「あはは」


 ミーナは笑ってごまかします。彼は思いっきり訝しそうな表情をしていました。


「とにかく入る?話はそれからしよう」




 数日ぶりに訪れる彼の家は変わらず散らかっていました。この間と同じようにベアはせっせと椅子の上を片付けて、ミーナに勧めます。読書の途中だったのかテーブルの上の物を乱暴に除けて作られた空間には、開かれた本と、紙とペンが置かれていました。

 高くない天井には格子状の囲いに炎の入れられた、見たことのない形の明かりが下げられています。本の上にはゆらゆらとした火影(ほかげ)が踊っていました。


「何の本?」


 椅子に腰かけてその本を覗きこみます。しかし見てもいまいちどんなことが書かれているのかは分かりませんでした。ミーナはただの村娘なので、読み書きは本当に簡単なものしかできないのです。そんな彼女にとって、その本の内容はあまりにも難しすぎました。


「あー……」


 しかしそこでベアは言いにくそうに目を逸らします。なかなか答えてくれない彼にミーナがなおも見つめ続けると、彼は頭を()いてその本を手に取りました。


「うん。これは、何というか、魔術について書かれたものなんだ」


「まじゅつ……、え。魔術?」


 ミーナは机の上に置けずに膝の上に置いていた籠を、思わず取り落としそうになりました。


「あなた、ほんとに、何してる人なの」


 彼の顔には大きく「お願いだから聞かないで」と書いてありましたが、どうしても尋ねずにはいられませんでした。だって魔術です。そんなものお話の中でしか聞いたことがありません。


「いや、でもその前に、先にミーナの用事を聞いた方がいいと思うんだ。だってこの間僕は、ここにはもう来ちゃいけないって言ったよね。それなのに来たっていうのは何か大切な用事があるんでしょう?」


 あからさまに話を逸らしてきました。生まれてこの方こんなに大胆に話を逸らす人は見たことが無いというほど、あからさまです。しかし駄目だと言われたところに来てしまった手前、彼女はそれに答えないわけにはいきませんでした。

 後でしっかり問い詰めてやろうと心に決めて、持っていた籠にかけられた布巾を取り、中身を彼に示します。


「さくらんぼうのタルトを作ったの。それと今は季節だから茉莉花(まつりか)のお茶も一緒に」


 ふわりと春らしい甘い香りが漂いました。透明な(びん)に入れられた褐色(かっしょく)のお茶が炎の明かりを受けてきらきらとたゆたい、タルトに乗った紅いさくらんぼうはルビーのようです。ベアは一瞬それに気を取られたように目を(みは)り、次いで物がうまくものが呑み込めないといった顔になりました。しかしここで(ひる)んではだめだと、彼女は満面の笑みを作ります。


「それで、今日はこれを持ってくるために来たの。私の育てたハーブはこれでも結構好評なんだよ?ほら、大切な用事でしょ」


 今度は奇妙な生物を見るような目で見られます。


「ええと、それだけ?」


「そう。あ、もしかしてさくらんぼうは嫌い?」


 ベアは首を横に振りました。


「聞いたことはあるけど、食べたことが無い……て、いや、そうでなく」


「食べたことないのっ。甘酸っぱくておいしいんだよ。あ、それじゃあ何か切る物ないかな。百聞は一見に()かずだよ」


 彼はたいそう釈然(しゃくぜん)としない様子でしたが、律儀にもどこからかナイフを探して持ってきてくれました。もしかしたらミーナの籠の中身に少しでも興味を示してくれたのかもしれません。

 テーブルの上にはどう見ても物を置くスペースなんてなかったので、タルトは今座っていた椅子の上で切り分けます。


「……で、ミーナが今日来た理由についてなんだけど」


「はい、どーぞ。召し上がれ?」


 彼女には有無を言わせない何かがありました。しかたなさそうに彼はそれを受け取ります。一口かじってびっくりしたように呟きました。


「すごい。おいしい」


 ミーナはそれに嬉しそうに微笑みます。


「ありがとう。お望みならまた今度他のお菓子も作って来るよ」


 次いで、持ってきてもらったカップにお茶も注ぎ、手渡しました。しかしそこで完全に流されてしまうベアではありません。


「でも、本当に、もうここには来ない方がいい」


 しかし渡されたカップはしっかりと受け取りました。タルトをもう一口、口に運んでからフォーク片手に言いつのります。


「ここが危険だっていうことは、君もこないだ感じたはずだよ。この森は、人が来るべき場所じゃないんだ」


 そこでミーナはちょっとムッとしました。


「来るべきかそうでないかは私が決めるの。お茶とタルトは気に入ってくれた?」


「う……うん。だけど」


「じゃあ」


 ミーナはベアに口を挟ませません。


「おいしいものは、たくさん食べたいよね」


「……まあ」


 ミーナは再び微笑みます。


「じゃあ、私がここにお菓子を届けに来るのはベアにとって悪いことじゃないよね。あ、それとも私のことが本当は……嫌いなの?」


 その言葉にベアは大慌てでかぶりを振ります。


「そ、そんなことはないよ、けど」


 勝敗は決まりました。


「問題、ないね」


「うっ」


 こうしてミーナはかなり無理矢理ではありましたが、訪問の了承を取り付けることに成功したのでした。結局言いくるめられてしまったことに、ベアは少し遠い目をします。

 しかしミーナは分かっているのでした。彼が本当に彼女自身のことを心配して反対してくれたことに。そして自分でその思いを跳ね除けたことも。きっとその責任はいつか彼女自身に返ってくることでしょう。この場所は決してそんな優しいところではないのだと、彼女はちゃんと感じ取っているのです。しかしミーナには自分が後悔する姿が想像できないのでした。


「それで、さっきの話なんだけど」


 多分ベアはそのことを知っています。知っていて反対し、それでもその責任をミーナが負うことを許してくれたのだと思います。でなければこんな簡単に彼が押し負けてくれるはずがありません。


「魔術って、どういうことなの。あなたはここで何をしているの?」


 だから彼女はもう一歩、踏み込みます。

 どうして自分がそこまでして彼に関わろうとするのか、実は彼女もよく分かっていないのです。だけれど思いは確かにミーナの中にあり、彼女はすでに覚悟を決めているのでした。

 (さい)はいつの間にか投げられていたのです。




 ベアは深々とため息を吐き出して、机の上に(正確にはその上に積まれた本の山に)項垂(うなだ)れました。しばしの沈黙が落ちます。そしてミーナが立ち上がって食べ終えた食器類を回収し終わる頃に、やっと口を開きました。


「ほんとはこんな話、人にするようなものじゃないと思うんだ。この森も、住人も、できるだけ人がかかわらないに越したことはないから」


「でも」と彼は言葉を継ぎます。


「なんかそういうの、君には無駄そうだ」


 彼女を見て苦笑します。


「森から逃げないのなら、身を守るためにある程度の知識は必要だよね。……それとももしかしたら、僕はずっとこうして誰かに話したかったのかもしれない」


 そうして彼は、彼自身について話し出すのでした。




「ええっと、何から話すのがいいのかな。まずは僕がどうしてここに居るのか、かな。」

 ゆらゆらと不安定な炎の明かりが、ベアの顔に陰影をつけます。長い(まつげ)が灰色の瞳に影を作り、一瞬表情がうかがい知れなくなりました。コツ、と新しく注ぎたしたカップが音を立てます。相変わらず空気に温度は感じられませんでした。


「そもそもベアっていう名前は正確に言うと、僕だけのものじゃないんだ」


 ミーナは大きく首を捻ります。


「他にも同じ名前の人がたっくさんいるってこと?」


 しかしミーナという名前もそこそこありふれた名前なので、きっと他にも同じ名前を持つ人はいくらかいるはずです。それの何がおかしいのでしょう。

 ベアは首を横に振りました。


「違うんだ。『ベア』っていうのは役職名というか役割の名前……とも違うか」


 うう、と(うな)って白い天井を仰ぎ見ます。


「なんて言うのかな、この森に唯一住む人の事を指した言葉なんだ。ベアは代替わりがあるから、いつも『ベア』っていう人物は一人きりなんだけど、時系列でみると別々の人間が代々名を受け継いでることになる。ある意味襲名(しゅうめい)だね」


 成程、とミーナは頷きます。


「じゃあ、ベアは生まれた時から『ベア』じゃないの?」


 彼女は一口お茶を口に含みました。その優しい香りで先日のように徐々に忍び寄って来た、あの嫌な感じがふっと遠退きます。もともとその効果を(ねら)って持ってきたものだったのですが、わずかながらにも有効だったようです。帰る時間を少し引き延ばせるかもしれないと、一息ついてベアに眼差しを送りました。


「うん。ただ僕の場合、そうらしい、としか言えない。初めてここに来て先代のベアに出会ったとき、僕はそれ以前の記憶を持っていなかったから。確かなのは僕もどこかの扉から、ここに紛れ込んできた一人だということだけだ」


「ベアは、もとは外の人なんだね」


 彼は頷きます。


「そうなんだ。それはどのベアも同じらしい。それで、新しいベアが来ることによって代替わりが始まる。」


「代替わりが、始まるっていうのは」


 ミーナは彼の口ぶりに何だか嫌な予感がしました。


「うん。ベアの力がなくなっていく……段々森に影響されるようになるんだ。そもそも僕がここにずっといて大丈夫なのも、ベアだからだしね。それで、力を失ったベアは何故だか蜉蝣(かげろう)に一斉に襲われることになってるらしい」


 彼女は思わず口を閉ざしてしまいました。つまりそれは、彼もその場にいたということなのです。


「ただあの人……先のベアは少し特殊でね。魔術が使えたんだ。だから力がなくなっても、大分長い間何とか(しの)いでた。それでその時、僕も彼に魔術を教わったんだ。魔術の本はもともとここに大量にあったものだから、資料には困らないしね。彼は、才能があると言ってくれたよ」


 ベアは小さく微笑みました。


「だから今でも僕は魔術の勉強を続けてる。君なら勉強すれば、いつかこの森を出れるかもしれないと、あの人は言っていたな」


 ミーナはどんな表情をしようか決めあぐねたまま、尋ねます。


「それってもしかして、『ベア』になった人は森を出れないの?」


「正確には花で囲われたあの道以外は通れないんだ。出るとやっぱり蜉蝣から集中的な攻撃を受けることになるらしい」


 そういう彼はけれども、それを大した問題とはしていないようでした。全体を通して単なる事実を語るような淡白さ。その様子にミーナは歯痒(はがゆ)いような、何かがすり合わせてもすり合わせても噛み合わないような、そんな気分になります。


 彼女はカーテンで閉ざされた窓をちらりと見ました。その先は白と黒の音のない世界。そこで一人っきりで暮らすなんてことが、果たして本当にできるものなのでしょうか。


―――そうか、違和感はこれだったんだ。


 物理的な可能不可能の問題ではありません。なんせ魔術があるというのですから、ある程度は何とかなりそうな感じもします。しかし、それとこれとはまた別の話です。


―――なんでベアは、こんな普通にここで暮らしてるの。


 まるで平気な顔をして。こんなところでたった一人だというのに。


「でも、僕にはよく分からないんだ。……どうして、外に出る必要があったんだろう」


 彼女はお茶を飲み干します。残るのは、白い、空のカップ。底の方に茶渋がわだかまっています。そろそろ精神的に安定を欠いて来たかな、と思いました。自覚した途端にカップが手から滑り落ちそうになり、慌てて握り直します。

 それに気が付いたベアが眉をひそめました。


「そろそろ帰った方がよさそうだね。今日は森の入り口まで送るよ」


 そして何ということのないように彼女の手を取って立ち上がるのを助けてくれます。


―――淡白なのかそうでないのか分からないな。


 すっきりとしているようで、(いびつ)な。波のように押し寄せる違和感に、胸元を押さえました。


「うん、ありがとう。お願い」


 ゆっくりと呼吸をして、気持ちを落ち着かせます。使ったカップなどを片付けて、持ってきたものを籠に戻すと家の外に出ました。今日はこの間とは違い隣に彼がいます。そう思うだけで、何故だか森の毒気が引いて行く気がしました。

 ミーナは籠の持ち手をぎゅっと握りこんで強気に笑って見せます。


「また来るね。今度は何を持ってこようかな。希望はある?」


「うーん。じゃあ、ミーナの好きなものがいいかな」


 ベアは諦めたように笑いました。ちょっと嬉しそうなのは彼女の都合のいい勘違いでしょうか。そう思いながらもミーナは良さそうなものを頭の中でリストアップしていきます。


「ベアはいつも何を食べてるの?」


「いつもは家に置いてあるパンとかチーズとか羊の肉を適当に調理してるよ。結構自己流だけど」


「じゃあ今度何か作ってあげるよ。何がいいかなぁ」


 鳥のさえずりも虫の羽音もない無機質な森の中には、彼女たちの楽しげな会話が続きます。それはすぐに森の中に吸い込まれていきますが、彼女たちの周りだけはまるで炎をともしたような明るさがありました。

 この二人の関係は一体どこに帰結するのでしょうか。運命の輪は自ら回ってはいないようですが、彼女たちによってひどい(きし)みを上げながらも、強引には回されているようなのでした。




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