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第九話 先代+秘密+帰還=決意

「それで?」


 炎の暖色に照らされた室内。テーブルに積み重なる本の向こう側には、眉間にしわを寄せたベアがいました。そんな彼の視線から逃れようと、ミーナはお茶を飲むふりをして本の影に顔を隠します。口に含んだそれはすでに冷め切って、舌の上には渋みが残りました。


「お……怒らないって、言っ」


「全然怒ってないよ?」


 せめて言い切らないうちに、言葉をかぶせないでほしかったです。


「それで、どうしたの」


―――こーわーいーなぁ。


 特に口調がやたらと穏やかなところとかが。

 彼の反応をうかがいつつ、恐る恐る彼女は口を開きました。


「そ、それで終り」


「終り?」


―――あ、今口元がひくっ、てした。


 ちょっと何か失敗した感じです。パニックになりつつも彼女はつとめて平静に説明しようとしました。


「お、終りだよ?そのあとさっきの蜉蝣に会って、で、ベアのところまで一緒に来て、おしまい。何にも不審なところなんて……ない、よね?」


 ちなみにミーナは隠し事が苦手です。とても、苦手です。自分でもそれはよくよく分かっていることなのですが、人間、譲ってはいけない事というのはあるものです。でも、ちょっとだけ弱気になってしまうのはしょうがないことだと思いました。

 室内にはしばし嫌な沈黙が落ちます。ベアは小さく首を傾げました。


「シフォンケーキ、おいしかったね」


「ありが……とう?」


 そこで彼はミーナから視線を外して「でも不思議だ」と言います。目は彼女の籠の方を向いていました。


「なんで海水につかったものが、元通りになってるんだろう」


 ミーナは思わず顔をひきつらせました。


「あー」


 やってしまいました。が、ここで口を割るわけにはいきません。「言っちゃほうが楽になるよ?」という彼の言葉はかなり魅力的でしたが、言えないものは言えないのです。


「不思議だねっ」


 とぼけてみました。ため息をつかれます。


「ミーナ」


 次第に彼に対しての申し訳なさも募ってゆきました。ベアが彼女を心配して言ってくれているのが分かるからです。だけれどこれだけは譲れません。彼女はしばらく逡巡しました。


「あの、ベア。ごめんね。でも言えないの」


 最大限の譲歩です。


―――これ以上は、言えないよ。


 そんな彼女の思いが伝わったのかは分かりませんでしたが、それに彼はとても困った顔をしました。少し悩むようにして、「どうしても?」と、尋ねます。

 ミーナはおずおずと頷きました。


「他に危ないことはなかったの?」


 それには、はっきりと肯定を返しました。


「大丈夫。危ないことじゃなかったから」


 こちらを探るように見つめる彼を、まっすぐと見返します。やがてベアは首の後ろに手をやり、しかたないな、と言う風に苦く笑いました。


「分かった。君がそう言うなら信じるよ」


「ありがとうっ」


 良かったです。見逃してもらえました。気が抜けて思わずテーブル―――の上に積まれた本につっぷします。見れば彼の手には砂時計が握られていました。


「そんなに長く森にいたならそろそろ帰った方がいい。まだここにいて何で大丈夫かは謎だけど、念のためにも」


「うん。そうする」


 微笑むと彼はわずかに目を細めて「もうこんな危険なことはしないでほしい」と言うのでした。

 しかしこの時の言葉を、ベアはたった数日後に思い返すことになるのです。言い表せないほどの多くの感情と共に。しかし今は、しばしの安寧を。

 それは祈りのように。


「そういえば森の奥で見つけたのは、結局何だったの?」


 彼女はちょっと遠くを見るようなしぐさをします。


「秘密」


「また?なんだか秘密ばっかりじゃないか」


 むっとする彼に、彼女はいたずらっ子の様子で笑いました。


「今度来た時に教えてあげる。だから楽しみにしてて」


 だから彼は不満そうにしながらも、思わず頷いてしまうのでした。




 ミーナが彼女の家に帰り着いたとき、部屋はまだ朝の暖かな光に満たされていました。窓辺に行き、庭へと続く大窓を思いっきり開きます。さああっと涼しい風が吹き込んで来て、白いレースのカーテンを揺らしました。この時間にさえずる小鳥はいつもせわしなく、一日の始まりを賑やかに知らせます。


「そろそろ夏も近いのかな」


 眩しい日差しに瞬きました。自然欠伸が漏れます。


「ねむい」


 思えば昨晩は寝ていないのでした。彼女は数時間しかたっていないと感じていたのですが、帰ってみたら一晩を越していたのだからびっくりです。欠伸の涙でかすんだ視界の中に、薄青の花を咲かせた犬薄荷(いぬはっか)がゆるゆる揺れるのが映りました。眠たげに俯く小さな花々を見て、ああ、寝よう、と何となく思います。


―――そういえば。


 窓を閉じベッドに向かいながら、ふと思い出しました。ベアには話さなかった、森の奥からの帰り道のことを。


―――あの蜉蝣(かげろう)は、あのあとどうしたんだろう。


 やくたいもないことです。蜉蝣を存在として語っても仕方がないのですから。しかし彼女は思わずにはいられないのでした。前ベアの何かであっただろう、森に漂うその思いのことを。

 それは、あの、夜の海が見える場所から逃げ出して森に入り、しばらくたった時のことでした。




 ざく。

 黒砂を踏み。

 ざっざっざ。

 足を引きずる。

 前へ前へ。さあ。

 諦めてはだめだ。

 ざっざっざ。

―――でも、なぜそうまでして進む?

 私は。



 誰かが手を引いています。


「しっかりして」


 聞き覚えのある男の子の声がするような気がしました。

 ざっざっざ。


―――だれ?


「あなたには、かれのもとに、もどってもらわなければならないんだから」


 耳に小さな手の触れる感触。


 すると、生ぬるいもやが晴れるようにして、だんだんと意識がはっきりしてきました。同じくして全身に凍えるような寒さがやってきます。ぐっしょり濡れた体が重く、倒れ込みたい衝動にかられました。


「うっ……」


 震えがひどくて歯が噛み合わず、上手く言葉がつむげません。つながれた手をすがるように握り返します。そのわずかな温もりだけが救いでした。


―――何が起きてる……?


 わけが分からないままに足だけを動かしていると、もう一度耳に触れる手がありました。イヤリングのある方の耳です。途端、そこから何か温かいものが流れ込むような感覚がしました。お湯がゆっくりと流し込まれるような感じです。しばらくするとさっきまでの寒さが嘘のように、体は温かみを取り戻していました。乾いた服がほかほかとします。


「だいじょうぶ?」


 男の子の心配そうな顔が覗き込んできました。どこかで見た顔だと思ったら、森の奥へと向かう時に案内をお願いした子です。いつの間に現れたのでしょう。


「あれ。私、どうしたんだろう」


「あなたは、カゲロウになりかかってたんだよ」


 しん、とした森の中。ミーナと男の子の足音だけが聞こえます。


「蜉蝣に」


 実感がわきませんでした。それとも蜉蝣とはそんな風によく分からないままになってゆくものなのでしょうか。


「あなたは、だれ。私を助けてくれたの?」


「わたしはただのカゲロウだよ。カゲロウに、こたい、ってゆうのはないから、それをたずねるのは、おかしい。でも」


 男の子は少し考えるようにしました。


「あるいは、ぜんべあ、と呼んでくれても構わない」


 彼女の見る前で、男の子の姿が変化していきました。つないだ手が大きくごっつりとしたものになったと思ったら、いつの間にか彼女の手を引いているのは壮年の男性の姿になっていたのです。その姿を見上げると、彼は穏やかに微笑みました。


「うちの子がお世話になってるね。一度君とは話がしてみたかったんだ」


「前ベア、さん?」


 すると彼は「少し違うけどね」と苦笑します。


「蜉蝣っていうのは人の意識が集まったものだから、正確に言うと今の私も『前ベア』以外の人間の心が含まれているんだ。ただ、私はそれなりに魔法が使えたからね」


「色々反則が出来るんだよ」と、彼は言うのでした。

 ミーナは思いもしなかった出会いに大急ぎで頭を働かせます。しかしこういう肝心な時に限って、言葉とは出て来ないものです。何度か瞬いて、やっと口を開きました。


「あの、お聞きしたいことがあるんです」


「何かな?」


 唾を飲み込んで、慎重に言葉を選びます。


「ベア……今のベアのことについてです。私、魔法ってよく分からないんです。だから聞きたいんです。今の彼の力で、彼はこの森を出ることができるんでしょうか」


「そうだね」呟いて彼は続けました。


「難しいかもしれないが、不可能ではないと思う。ただしあの子が望めば、だけどね」


 言われたことについてはどきりとしましたが、彼の言うとおり一番の問題はベアがそれを望むかどうかだということを、彼女自身分かっているのです。籠を持った手を握りしめました。


「魔女さんは、それを許してくれるでしょうか」


「許すことはないと思う。この森は『ベア』というものを置くことによって、魔女亡き今でも存在を保っているわけだからね。はじめのベアの蜉蝣を消してしまうような行為を、彼女が許すとは思えない。ただ」


 ミーナは奥歯を噛みしめて話を聞き続けます。


「きっとあの人は見逃してくれるよ。あの人はすでに、自分のしたことがいかに不毛なことか、分かっている」


 彼女はそれ以上そのことについて尋ねようとは思いませんでした。全ては失われたもののお話です。人は終わってしまったものを思い出すことは許されても、それを追いかけることは許されていないのですから。この森の中では、特に。

 それだけ聞ければ、彼女にとっては十分でした。頭を下げて「ありがとうございます」とお礼を言います。それに彼は「あの子に森を出てもらいたいと思っていたのは、私も一緒だからね」と、呟くように言いました。


「その貝殻のイヤリングは、私からあの子にプレゼントしたものでね。彼には魔術の才能があったから、いつかその才能を使って森を出ようと思う時が来たのなら、助けてくれる人がいるように」


「ベアは、出たいと思ってくれてるのかなぁ」


 ため息とともに思わず本音がこぼれます。彼の淡白な表情が思い出されました。


「それは私にも分からないよ。人の心のことだからね。でも一つ言えることは、彼に寿命が迫っているということだ」


「うそ」


 はっと顔を上げます。


「ベアはそんなこと一言も言ってない」


 血の気が引いて行くのが自分でも分かりました。


「海の中を覗いたのなら、君にも分かっているはずだ。魔女が『ベア』にかけた二つ目の魔法と、寿命の意味を」


「それじゃあ」


 それは希望なのでしょうか、焦りなのでしょうか。しかし行動を起こす価値くらいはあるという意味かもしれません。


―――だけどやりようによっては、成功しても失敗してもベアを救う事が出来る。


 一気に明るくなった彼女の顔に、前ベアは複雑そうな表情をしました。


「いや、無理はしないでね?」


 それにためらいもなく頷く彼女に彼はさらに疑いの目を向けましたが、一つ首を振って前方に目を向けました。


「そろそろベアの家だ」


 見れば白い木々の間からは、小さな明かりが見え隠れしています。


「私に会ったことは、あの子には内緒にしてほしい。もし私が蜉蝣として森にいることを知れば、きっと彼は森から出てこの場所を消してしまうことについて、悩むだろうから」


「分かりました」と頷いてつながれた手の先を見れば、そこには元の通り小さな男の子の姿がありました。彼はきっとベアに声をかけるつもりもないのでしょう。

 胸に過る感傷にかぶりを振って、ミーナは家の明かりに向かって歩き続けるのでした。




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