魔力廃絶主義
魔力廃絶主義。
それは、これまでの人類史を否定するに等しい。
全ての成り立ち、人の営みに至るまで、ありとあらゆるものに、魔力は関わっている。
社会がどんなに魔力を否定しようとも。
世界がどんなに魔力を否定しようとも。
人の営みから魔力を完全に切り離すことは出来ない。
どんなに捨て去ろうとしても、絶対に――。
■
「エレノア、いつも悪いな」
受け取った縦長のパンを大事そうに抱えながら、浮浪者の男は泣くように微笑んだ。
ここは街はずれの寂れた商店街――
その路地裏に根を下ろした浮浪者たちが住まうスラム街の一角だった。
学舎での授業を終えたエレノアは時折、教職員の目を盗んで残飯をくすね、こうして浮浪者たちに分け与えている。
路地裏に一歩踏み入れると、魔力感知に映る世界が途端に煤けて見える。栄養の行き届いていない細い肢体、絶望に身を任せて揺らめく希薄な魔力の輪郭。表に映る豊かな魔力とは対照的に、死に一番近い色をした世界がそこにはあった。
こうした浮浪者のコロニーはここだけではない。魔族やそれに類する亜人族たちが目立ち、魔力が少ない人族や獣族、小人族はほとんど見当たらなかった。
魔力廃絶主義が生み出した闇が、現実が、ここにはある。文化人類学の教科書にただ一文だけ記された『魔力により栄華を極めた者は路頭に迷うことになりました』という一節に凝縮された真実だ。
「おっさんたち、ごめんな……こんな少しのパンしか持ってこれなくて」
もっと栄養価のある物を食べさせてあげたい。空っぽになった袋を掴む手に熱が籠る。
いくらパンを配ろうと根本的な解決にはなっていない偽善に過ぎない。
「馬鹿言ってんじゃない。飯が食えるなら偽善だっていい。無関心よりマシな方さ」
パンを早速頬張りながら別の浮浪者が声を上げた。
それを見た浮浪者たちは口々に不満の声を漏らす。
「戦時中はこんなこと無かったらしいけどね~……」
「最近は少しでも魔力の基準値を上回ると仕事にもありつけない」
「僕なんていきなり殴られたんですよ」
魔力を持っていた者が落ちぶれた――そう簡単な話ではない。
魔力が少ない者たちからすれば、時代が来たと言える。
ずっと魔力至上主義の時代に苦しめられてきたのは、他でもない彼らだ。
誰かを虐げる考えそのものが残っているうちは、立場が入れ替わるだけ。この問題はずっと根深いのだ。
「戦争か……」
人類戦争――世界中を巻き込んだ人類史上最大の戦争。
魔王を名乗る魔族の大頭によって、それに与する魔族軍と多種族連合軍による戦いは、およそ3000年続いたと言われている。
戦争終結後、勇者ロドニスによって魔族たちは強力な精神干渉系魔法の影響を受けていたと発表されたことで、彼らの罪は全て、一人の魔王に向けられた。
人類という枠組みに魔族が含まれてから107年が経過した今も尚、人々の記憶には深い遺恨がある。いくら精神干渉系魔法の影響であったとしても、人々から魔族に襲われた恐怖が消えたわけではない。
『魔力廃絶主義』などという思想の根源は、人類が克服出来ずにいる差別意識が実態となった結果に過ぎないのかもしれない。
「あぁ…………精霊の祝福だぁ……」
ボロボロになった手を震わせながら年老いた亜人族の男がパンを受け取る。
そんな彼らの姿を見ると、どうしてかエレノアの胸はざわつく。瞼の裏――暗闇の奥で見たこともない鮮烈な紅が爆ぜた気がした。
――まるで、忘れてしまった過去の想いに呼応しているようだった。
目を覚ましてから一切の記憶を持ち合わせていないエレノアにとって、この偽善活動が唯一、過去の自分を感じることが出来るひとときだった。




