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エレノア

 


 某所。


 そこは何の変哲もない街だ。

 同じ制服を着るように、同じレンガ、同じ屋根、同じ大きさの建物が隊列を組んだように並べられている。道路と堅牢な柵を乗り越えた先には運河が流れていた。


 中央には街の中枢を担う立派な役所があった。出入口は全面ガラス張り――市民の意見がよく通りそうな風通しの良い造りをしている。豪勢な赤を基調とした絨毯がエントランスに敷かれ、ここが特別な場所であることを自ら示しているようだった。


 エレノアはその建物をあまりよく思っていない。

 理由はわからない。

 ただ何となく――説明がつかない苦手な場所の一つや二つくらい、誰にだってあるはずだ。

 それがたまたま、役所だっただけなのだろう。



 ■



 学舎は規則的に鳴く。

 それがつまらない授業から解き放たれた合図だ。


 教室――窓際最後尾の席に座る少女は誰にも聞こえないような小さい溜息をつき、頬杖を突いた。


 鎖と幾重にも魔術的な刻印が刻み込まれた目隠し。地面に届きそうな手入れの行き届いていない長髪。

 いかにも異質なその姿は、意外にも――そして不自然にも、この教室に溶け込んでいた。


 誰も彼女を気にしない。誰も彼女を特別に扱わない。ただそこで授業を受けているだけの生徒たち。

 そんな閉鎖的な環境に息苦しさを感じていた。


 現実から逃避するように、教室を満たしていた彼女の『魔力感知』が学舎の外に向けられる。

 この世界の全てには『魔力』が含まれている。降り注ぐ微弱な魔力の残滓が物体の輪郭をなぞり、そこに何があるかを教えてくれる。どんな形をしていて、どの距離にあるのか――少女は世界を観測し続けることで、暗闇の中で確かな指針を得ていた。


 「んが……」

 どこからか丸められた紙が頭に当たり、軽い音を立てて机上に落ちた。


 「またか」

 犯人は言うまでもない。


 教室の真ん中の席。そこからニヒルな笑みを浮かべた級友、リズ・ビオレッタが近づいてきた。犯人は言わずもがな彼女だろう。放火犯とは、自分で起こした火事を見物しようと犯行現場に戻ってくる――っと、何かの本で読んだことがある。丸めた紙を投げつけてきた犯人もまた、被害者の不満に満ちた顔を拝もうとニマニマした顔で近づいてくるものだ。


 もっとも――リズ・ビオレッタに法則のある行動は何一つないのだが。


 肩まで伸びた茶髪の癖っ毛。いつも屈託のない笑みを貼り付けている。いい加減で意地が悪く、平気で嘘をつく。その割に面倒見がよく、薄気味悪い目隠しを付けたエレノアにも、分け隔てなく接してくれる。


 「やっほー。眠そうだったから起こしてあげたよ~」


 屈託のない笑みを浮かべ、リズは手を振った。

 悪気がないのが、余計に質が悪いとリズを睨む。


 「リズ……お前『エレノア、アホ』って落書きしてただろ」

 問いただすように指をさす。彼女の席には黒鉛で書かれた文字が残っている。


 「うっわ~こわい。そんなことまで分かっちゃうの?」


 魔力の残滓は物体が立体であれば、どんな物であっても付着する。例えそれが、落書きだとしても。逆に窓ガラスに映る姿などの凹凸が無い物は魔力感知では認識することが出来ない。

 制約はあれど、日常生活を送るうえで、何ら支障はない。


 「意識すれば、教室の中なら何だって見えるぜ?」


 「へぇ~。それって私のこと意識して見てたってこと~?」


 「うっ……」

 失言だった。意識しなければ見ることは出来ないとは、つまり意識していたことを自白しているようなものだ。


 バツが悪いとエレノアはラクガキだらけのノートを両手で囲いながら、

 「席に戻れよ。俺はノートをとるのに忙しいんだ」

 と頬を膨らませた。


 「さっきまで庭を見て黄昏ていた人がずいぶんご立派なこと言いますな~」

 勉強熱心ですね、勉強熱心ですね、とエレノアのラクガキ帳を覗き込もうと腕に指をねじ込んでくる。


 「ふむふむ。道徳の授業は退屈かね?」

 黒板に板書されたまま残った文字の羅列を見据えながら、リズは訊いた。


 なぜか学舎では歴史人類学や算術に次いで、道徳の授業が多い。『倫理規定』と呼ばれる街の治安を守る独自のルールを順守させるため、意図的に用意された洗脳に違いない。


 「つまらん」


 「正直でよろしい。でも安心しな。次は大好きな歴史人類学の授業でしょ?」


 歴史人類学。

 これまで人が積み上げてきた経験の数々。その追体験ができるなんて――これほど素晴らしい授業は他にない。

 この狭い街の中での生活に飽き飽きしているエレノアにとって、外の世界で起きた出来事は何よりも楽しい娯楽だ。


 「次は魔法の存在が社会の発展に与える影響についてー……だっけ?」

 使い古されたエレノアの教科書をピラピラと捲り、表題のページでリズは手を止めた。

 科学技術によって統制された社会にとって、魔法や魔術と呼ばれる技術は、もはや人類の進歩を遅らせる足枷に過ぎないようだ。


 「あー……確かそんな内容だったな」


 「あれ? 好きじゃなかったけ、歴史」

 リズは興味深そうに机の向かいに中腰になり、両腕を机に乗せて体重を預けた。


 「好きだけど……もう教科書に載ってる内容は擦り切れるくらい見返してんだよ。俺はもっと新鮮な話が聞きてぇんだよ」


 「人間のながーい歴史なんて、誰が何を語ったって伝え聞いたような、古びたお話でしょ。私たちに授業する爺さん先生だってそう」

 どこか遠い目をしてリズは言った。何に想いを馳せているのだろう。もしかしたら、どこにも馳せていないのかもしれないが。


 「そうかもな……」


 人類史は大きく分けて三つの時代に区切られる。

 エレノアやリズが生きる『人類歴』

 人類戦争終結以前の『星歴』

 そして遥か太古『精霊歴』だ。


 暦は何か歴史を揺るがす大きな変革があった時期に――数千年周期で変わっているらしい。

 この長い歴史の中で、世界を変革させるような出来事が三度しか起きていないところを見るに、エレノアが生きている間は平和な時代が続きそうだ。


 「ねぇ、髪の毛いじらせてよ」

 ……いや、早速エレノアの平和は破られてしまった。


 「おい、持ち主に許可取れ」

 いつの間にか背後に回ったリズが髪に櫛を入れはじめた。


 「許可なら取ったよ」

 平気で嘘を唄う。


 「この前、町長を見かけてさ~」

 語りながらも手は黙々と髪を束ねていく。彼女の性格そのままに、落ち着きのない熱が伝わってくるようだ。


 「遠巻きに『今度エレノアの髪の毛いじるね!』って言っておいた! そしたらキョトンとしてたよ。なんでだろ」

 「それは許可に入らねぇだろ……!」


 町長とは、この街の先頭に立ち、内政をまとめる市民の代表者だ。そして、エレノアの後見人でもある。

 半年前に目を覚ましてから、身寄りのないエレノアの面倒をみてくれている恩人だ。

 部屋着はダサいし、靴下は臭い。朝一番に響き渡る絡んだ痰を吐き捨てる騒音にも嫌気がさしているが、エレノアは彼に心から感謝していた。


 「うーん、飽きた」

 突然、リズは途中まで結んだエレノアの髪を宙へ放った。そのまま「じゃあ席に戻るや」と言い残し、そそくさと自分の席に戻って趣味のお絵描きを始めてしまった。


 「はぁー……」

 だから嫌だったのだ。収拾がつかないほど爆発した髪型を魔力で把握して、深い溜息をつく。

 リズ・ビオレッタという人間は、とんでもない飽き性なのだ。

 彼女という人間を表現するのに最も適した言葉があるとすれば、それは――


 『流動的』


 リズは個体であり、液体であり、はたまた気体でもある。

 熱しやすく冷めやすい。

 姿形に囚われず、鳥籠の中を自由気ままに飛び回る。

 学舎という如何にも退屈しそうな箱の中にリズが収まっていることは、奇跡に近い。

 そんな彼女の姿を時折、羨ましくも思う。


 いつか自分も自由に空を飛んでみたいと思うエレノアであった。

 そんなことよりも――


「この頭はどうすんだ……」

 爆発した髪の毛をこねながら、教室で浮いた自分はふと気体のようだと苦笑した。


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