血の討論会
少年は誰よりも人からの愛に飢えていた。
コップに溢れんばかりの愛を求めていたわけではない。
たった一滴。
それだけで少年は生きていく糧を手にすることが出来た。
しかし、その一滴が彼の人生にとって、毒の一滴になるとは夢にも思わなかっただろう。
■
フェルトシュタイン領・ギルエットの街
「……本当にオリエントは事件を起こすのだな?」
少年は窓ガラスに手を当て、眼下に暮らす民衆の様子に目を細めた。疑念に満ちた問いは、背後で茶を楽しむ妖艶な女性に向けられたものだ。
「あぁ……もちろんだとも」
まるで酒樽のように煽られたティーカップから紅茶がロ―テーブルにこぼれる。
栗色の長髪をなびかせ、静かに微笑む彼女は、爵位のある名家のご息女だった。このフェルトシュタイン領を統治するフィール家の出自である少年の書斎を訪れることが出来たのは、彼女の血筋がそれだけ優れていたからだ。
見た目は年端もいかぬ女学生と言ったところだが、少年は彼女から発せられる異質な雰囲気に圧倒されていた。
腰に携えた長剣をいつでも引き抜けるよう手を添えるも、指先が細かく震えていることに驚きを隠せない。ありとあらゆる武道大会において、輝かしい成績を収めた少年の技量をもってすれば、女学生の首と胴を切り離すことなど、造作もないはず――しかしどういうわけか、彼女の間合いに一歩たりとも、近づくことが出来ない。
「事件とは何をするつもりだ? 君はどうしてそのことを知っているんだ?」
「詳細は私にも分からないな。――教団の連中が話をしているのを偶然にも聞いてしまっただけさ」
違和感は大いにある。けれど辻褄が合っていないわけではない。
目の前に吊るされた餌に、少年の冷静な思考能力は鈍っていた。
「――この事件を解決に導けば……きっと貴方のお父様も認めてくださるでしょうね」
少年の父はたった一代で貴族位を与えられた騎士の中の騎士だ。そして、兄は人類の答えと言わしめる天才の中の天才だった。その二人に囲まれて育った少年に圧し掛かる期待は計り知れない。どんなに優れた成績を残そうとも、数歩先に兄がいる。
それが、ライズ・フィールという男の人生だ。
「オリエントはガナリア帝国内でも発言力を増している要注意人物の一人。政府にとっては、目の上のたんこぶだ。そんな人物を逮捕なんてしたら、君の評価は格段に上がる。父君だけではない。ガナリア現帝にだってね」
女学生はお茶請けで出されたクッキーを一口食べると、汚れた指先同士を擦り合わせて粉を床に落とした。
「……ははは。未然に確保することは出来ないか考えたね? さすがは最優の騎士の家系。前提にあるのは人助けか」
ライズの考えを見透かしたように女学生は小さく笑う。そして続けざまに、
「けれど、善意でオリエントは捕らえられない」
と当たり前を口にした。
「それはオルランド大陸に住む者なら誰だってわかっていることだ」
オリエントは人類戦争を生き抜いた数少ない魔族。それに赫眼と呼ばれる膨大な魔力を内包した魔眼を宿す現代の異能。彼女の瞳に見つめられると数日は悪夢を見ると囁かれている。
今や禁忌の一つとされる『精神干渉系魔法』の多くの魔法を用いることが出来るという。
これほど人類にとって脅威となる魔法使いは、現代において彼女の右に出る者はいないだろう。だから政府も、疎ましく思っているものの、検挙出来ずにいる。
「だからこその政治討論会のタイミングなんだよ」
「……そうか。魔力吸引か」
魔力吸引とは、体内から魔力を抽出する科学技術のことだ。政治討論会に出席する条件として、オリエントには魔力吸引が義務付けられている。何故なら、魔法で参加者を全員洗脳してしまう可能性もあるからだ。
「一時的ではあるけど、あのオリエントがか弱い女の子になるってわけ」
魔法を封じられた魔法使いなど取るに足らない。
「……だが、事件が起こると分かっていながら手出しが出来ないというのは、どうも納得がいかん」
我が騎士道に反すると少年は苛立ちを紛らわせるために、部屋を歩き回る。
「深く考えなくていいんだ。君は所定の位置で事が起こるのを待っていればいい。それで全て上手くいく」
「しかし……!」
「それだけで君は誰しもが認める騎士になれる」
「…………」
その申し出に最後まで返事をすることが出来なかった。
正義。名声。流儀。疑念。
頭の中に浮かんだ建前がライズの思考をかき乱した。
■
政治討論会当日
ライズはギルエットの大型商業施設の敷地内にいた。
もちろん優雅に買い物をするためではない。
あの怪しげな女学生が指定した場所だからだ。
物陰からオリエントとその側近たちが悠長に商品を物色している様を監視している。半信半疑な少年にとっては、ぼんやりと眺めていると表現するのが適当だろうか。
ただジッと事が起きるのを待っている。
あわよくば起きないで欲しいと願いながら――
「!?」
全員の視線が明後日の方角に向けられた。
激しい破裂音が平和な商業施設内に響き渡ったからだ。
それも一つや二つではない。
「何が起きている!」
索敵班にすぐさま状況を確認するよう指示を出す。それから数分と経たないうちに、索敵班の一人が状況を報告する。その声は震えていた。
「ほ、報告します……。宗教団体虹の輪の信者たちが突如として蹶起。自身に爆弾を巻き付けて、各所の講演会場で自爆テロを起こしたとのことです」
「な……何だって」
想定していた事件の規模とは比較にならない。講演会には最低でも三〇〇人以上の来賓を収容するだけの会場を用意していた。
そこで自爆テロを起こせば数万人の死傷者を出すことは想像に難くない。
ライズの額に嫌な汗が流れた。
「――隊長……!」
彼に託された一個大隊の面々の視線が一手に注がれる。その中心には指揮官であるライズ・フィールに向けられている。
「総員傾注ッ! 我々は元凶と思われるオリエントの制圧任務にあたる。奴は現在、魔力吸引によって魔法を封じられている。この機を逃すことは何としても避けなければならない。我に続けッ!」
予期していた緊急事態に指示の内容がつらつらと口から滑りだす。不安に駆られる隊員の瞳に闘志が宿る。
愛すべき故郷を蹂躙せんと暗躍する諸悪の根源――魔人オリエントを討ち取ろうと立ち上がった。
戸惑いを振り払うようにライズは先陣を切って、オリエントの元へ急いだ。
■
オリエントの制圧は恐ろしいほど呆気なく完遂された。
彼女を逃がそうと最期まで抵抗した側近は銃殺し、魔法を思うように行使できなかったオリエントは地面にうつ伏せになるよう寝かされている。両手を腰の後ろに回し、しっかりと固定。魔力の生成を阻害する首輪を取り付け、精神汚染が起らぬよう細心の注意を払った。
作戦は完璧だった。
あとは、その成果を父に報告するのみ。
喜ばしい。
なんと喜ばしいことか。
そのはずなのに。
どういうことだろう。
胸に押し寄せてくる罪悪感は――
ライズは胸元をギュッと握り、胸元に余裕を作るよう努める。
「――オリエント……どうしてこんなことを……!」
何も言わずただ茫然と結果を受け入れている彼女の襟元を掴み上げた。
「…………」
揺さぶったところでオリエントから返事はない。
「貴様、何を黙り込んで――」
ライズは顔を覗き込んだところで、言葉を噤んだ。
そこには数万人の信者を抱える教祖としての威厳はどこにもない。ただ一人の少女が、無邪気に涙を流しているだけだった。その視線の先には物言わぬ側近の亡骸があった。
「……どうして……こんなことを…………」
今にも消えてしまいそうな声でオリエントが鳴いた。
「……ッ!」
その表情は悪魔が浮かべてよい表情ではなかった。
彼女をこのまま留置所にぶち込み、見世物にすればライズ・フィールの栄光は約束されているだろう。
しかし、彼は咄嗟に銃口を彼女に向け、引き金を引いた。




