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竜のヒストリア / ロドニスの子供たち  作者: 文明開花
余章『オリエント』
1/5

平和な世界とは



 勇者ロドニスは言ったそうだ。

 隔たりのない平和な世界を築こうと。

 しかし――その夢は、夢のままで終わった。

 魔力という先天的な格差を排除したとしても、人間の本質は何も変わらなかったのだから。


 人類歴103年


「我々は魔力廃絶主義を推し進める大陸魔法協会の政策に断固として反対する!」

 オリエントの言葉には人を惹きつけるだけの覚悟があった。


 高く澄んだ空に昇る夕刻の陽が駅のロータリーを包み込む。厚手のコートとハットを被ったリーマンが白い息を吐きながら道を急ぐ。そんな人混みの中でビラを配る者たちがいた。

 豊穣の大地を思わせる美しいブロンドの髪を束ね、真紅のコートをまとった彼女に、思わず足を止める者も少なくなかった。


 けれど、その深紅に染まった瞳を見ると、ばつが悪そうに皆、その場を足早に去っていった。

 オリエントは≪虹の輪≫と呼ばれる宗教団体の開祖だ。全ての種族が差別なく暮らす社会の実現を目標に仲間たちと改革派の思想を広める活動を行っている。


 「政府が行っているのは意図的な意識の誘導で――」


 オリエントは不意に演説を区切った。肩にソフトクリームが投げつけられたからだ。


 「あちゃー……これは怒られるぞ、ワタシが」


 肩にべったりと付着したソフトクリームは、溶けてコーンごと地面に滑り落ちた。

 投げたのは会社員らしき男性だった。こちらを一瞥してから観衆の中に紛れると、すぐに姿を消した。寒い夕暮れにわざわざソフトクリームを買って投げつける行為に、軽蔑も怒りも湧かず、ただ苦笑した。


 「代表……! 大丈夫ですか!」


 近くでビラを配っていた側近の男が血相を変えて駆け寄ってきた。


 「ありがとう、問題ないよ。ちょうど甘味が食べたかったところだし」


 肩に付いたアイスを指でなぞり、一口。バニラ味だ。


 「はぁー……そんな物、食べてはいけません。魔法を解くのはやっぱり考え直した方がいいですよ」


 他人の心を汲み取る魔法。直感的な意思の方向を察知するその魔法は詠唱を必要としないオリエント独自の能力だ。常時発動状態にすることで、いち早く危険から身を守ることが出来る。

 オリエントはその魔法をあえて使わない。魔力廃絶主義を推す民衆と対等な立場で向き合うためだ。


 「君は大袈裟すぎる。……でも、ミント味だったらワタシも怒っていたかもしれないな」

 オリエントは話を煙に巻きながら「ハハハッ」と乾いた笑みを浮かべると、側近の男は溜息をついて肩をすくめた。


 「飛んできたのがナイフなら怪我をしていましたよ。毒が入っている可能性だってあるんですから、軽率な行動は控えてください。貴女はもう独りじゃないんですよ」

 側近の男はご自慢の丸眼鏡を正しながら正論をぶつけてきた。


 「はいはい気を付けまーす」

 それほど自分がやわでないことを知っている。髪を掻きあげると少し尖った耳が顔を出す。小さく微笑むと鋭い犬歯が光る。これは≪魔族≫特有のものだ。


 この世界には数多の種族が混在する。その中でも魔族は永久に近い時を生きる不老の種族だ。病気や怪我に強く他の種族よりも豊富な魔力を持っている。

 オリエントからすれば、人族である彼らは赤子とさほど変わらない。


 (……まあ、その赤子に面倒みられているワタシが言えたことじゃないか)

 そんなことを考えてまた苦笑した。


 「とにかくコートを早く取り替えてください。替えはあと二着ですので、そのおつもりで」

 側近の男は釘を刺すように、どこからか新しい紅色のコートを取り出した。


 「すまないね。いつも当てにしているよ」

 「しないでください。クリーニング代も馬鹿になりませんから。それと、」

 「あー、はいはい分かったよ。気を付ける。次からちゃんと避けるよ」


 あの場は当たると親近感が湧くと判断したが、判断ミスだったようだ。彼の言葉を遮ってコートと交換した。


 (当てにしてるのは君なのにな……)


 察しが良く鋭い男なのに、こういうところが何故か鈍い。側近の男の丸眼鏡を代わりに整え、悪戯っ子のようにニシシと笑って歩き出す。


 定時を過ぎた駅前の広場は、靴音とざわめきが響き合い、人々の往来が一層盛んになっていくのを感じる。帰路を急ぐ彼らの足を止めるのは至難の業だろう。

 その中で、一際声を張り上げる少女の姿が目に入った。


 「お願いします! お願いします! お願いします!」


 まだ年端もいかぬ人族の子だ。若干十六にして、自身の価値基準で虹の輪の活動に参加している。両親共に健在。裕福で何不自由ない生活を送っている。


 そんな彼女が何故、虹の輪なんて社会の端くれ者たちの集まりに参加したのかは、定かではない。心を読めばすぐに分かる話だが、大事な活動仲間に魔法は使わないと決めているのだ。『他人が何を考えているのか考える』それを放棄しては目標の成就はないだろう。


 「ティリスは相変わらず元気だな」

 オリエントは自分が活動を始めた頃の様子を思い出し、遠い目をした。


 「あ、あの! 虹の輪です! 是非、私たちの活動を知ってください!」

 その初々しさ、一生懸命な気持ちが危うさに変わるのを感じる。


 努力に対して、結果が伴わないことによる猛烈な焦りがティリスからは読み取れた。

 「……これは良くないな」


 ティリスがビラを配る手が止まらず、急ぐリーマンの行く手を阻んでいた。「あっ」と小さな声を上げ、彼女はバランスを崩して冷たい地面に倒れこんだ。ばら撒かれたビラは無情にも通行人に踏みつけられた。


 「……チッ」


 ティリスは初めて向けられた嫌悪の眼差しに硬直していた。

 それも無理はない。


 普段は温かな家庭で悪意に晒されることなく、幸せに暮らしているのだから。常に嫌悪される魔族たちとは、住む世界が違う。だからこそ、彼女が自ら泥の中に足を踏み入れたその無謀さを、オリエントは愛おしく、そして危ういと思った。


 「気を付けろよ」


 リーマンは人族だと気づくと不満げな表情を顔に塗りたくったままその場を足早に去って行った。

 「ティリス、怪我はない?」


 座り込んだまま動けずにいた少女に駆け寄る。同じ目線に立ち、ティリスの手を取った。

 「……お、オリエント様……申し訳ございません……私……」

 ティリスの瞳が震え、唇を引き結んだ。


 「怖かったね。あとで温かい物でも飲もうか」

 「是非っ!」

 教祖直々の提案にティリスは目を輝かせている。自身の立場を利用することに若干の後ろめたさはあるが、彼女が立ち直るきっかけになるのなら、それも悪くない。


 「手伝うよ」

 「いけません! オリエント様のお召し物が汚れてしまいます」

 「大丈夫だよ。まだ替えはあるようだし」

 チラリとメガネの男に目を移すと不服そうに替えの衣装をチラつかせてきた。つまり問題はないということだ。


 「大丈夫です! すぐに拾っちゃいますから!」

 ティリスは仕事を奪われまいと、まるで羽が生えたように素早くビラをかき集めた。

 すぐに散らばったビラは回収されていき、残すところ五枚、四枚、三枚、二枚。

 しかしティリスが最後の一枚を拾い上げようとした時だ。


 「イッ……!」

 伸ばした手の甲に通行人の靴底が容赦なく踏みつけられた。


 男は「おっと失礼」と、わざとらしい驚きをするも、高級な革靴の底はティリスの指を蹂躙するように、じりじりと体重を乗せていく。


 趣味の悪い高級志向の黒いコートに身を包み、ハットを被った中年の男だ。見た目と中身は一致しないと言うが、それはどうだろう。この男はまさにそれ相応な男ではないか。


 「痛い……!」


 ティリスは苦悶の表情を浮かべ、身をよじる。

 「まさか下劣にも地を這いつくばるような野蛮な民族がいるかと思えば、くだらない思想を振りまく社会のゴミたちじゃないか。道理で気が付かなかったわけだ。ゴミだから」


 およそ日常生活を送っていて浴びせられるような罵倒ではない。思わずティリスは涙を浮かべた。

痛いのはもちろんのこと、それ以上にこの騒ぎの渦中に教祖を巻き込んでしまったことを悔いているようだ。


 「……すまないが、足をどけてもらっても?」


 オリエントは友好的な姿勢を示し、愉悦に歪んだ顔をぶら下げた中年男性を見上げた。

 先程まで彼女の演説に聞く耳を立てなかった通行人も魔族が面白おかしく弄ばれている様子は是非見物したいと足を止め、いつしか人だかりが出来ていた。


 「はぁ~? 地面に落ちているゴミを踏んで何故いけないんだぁ~? 教祖様ぁ~?」


 男は観衆の前で堂々と魔族に喧嘩を吹っ掛けている。そんな自分に酔いしれているように、大袈裟に両手を広げ疑問を周りの観衆にまで投げかけた。


「冗談がお上手なようだ。大事な革靴が汚れてしまっては大変だと思うのだが」


「本来は汚らわしいゴミ共の皮脂が張り付いた靴なんざ、履けたものではないがな! 弁償してもらいたいくらいだね!」

 尚も自己肯定感を押し付けてくる中年男性にオリエントは冷淡に言い放った。


 「いいから。私は退けろと言っているんだ」


 途端――世界から音が消えた。


中年男性も、ティリスも、野次馬も、空気でさえ凍り付いたように静止する。


 それは精神的な恐怖によるものではない。生物としての本能が根源的恐怖を理解させられたのだ。

 オリエントの深紅に染まった『(かく)(がん)』が、ただ静かに中年男性に向けられていた。


 「……ッ!」


 まるで草食動物が猛獣を前にしたように、男は反射的に飛び退いた。

 赫眼とは膨大な魔力の根源。勇者ロドニスが宿していたとされる特異な瞳。普段は魔力制御を行い、その影響を最小限に抑えているが、いざその枷が外されれば目が合っただけで相手を屈服させるだけの絶大なプレッシャーを放つ力がある。


 「え、あ…………」


 男は言葉も出ない。両手を上げて猛獣を刺激しないよう態勢はそのままに、ゆっくりと背後に後退していく。


 「謝罪はいらない。すぐに去れ」


 告げると、中年男性は踵を返してこの場を全速力で走り去った。ご自慢の革靴が片方脱げていることに気が付かない程、それは見事な逃げっぷりだった。


 男が逃げたことで舞台は終幕を迎え、観衆も少しずつこの場から解散していく。ぎこちなく歩く観衆の姿はティリスにはとても滑稽に映った。


 「痛む?」


 オリエントは地面にぐったりと座り込んだままでいた彼女の手を再び取る。靴底が押し当てられていた場所は赤く爛れていた。


 「あ、ありがとうございます。オリエント様が私のような新参者に……」


 「新人とか関係ないよ。今日は切り上げて治療しよう。今すぐ治してあげたいところだけど生憎、私は治癒魔法がてんでダメだからね。教会に戻るまで辛抱だ」


 現代において魔法の使用は原則禁止とされている。平和な世界に魔法のような危険な技術は不要。争いを生む火種にしかなりえないのだ。


 治癒魔法も禁止項目の一つであり、本来公衆の面前で言葉にするのも憚られる。

 彼女の手を取って立ち上がると近くで同じくビラを配っていた仲間たちが駆け寄ってきた。


 「だ、大丈夫ですか……」


 気まずそうに亜人種の夫婦がこちらの顔色を伺いながら尋ねてきた。渦中に飛び込んでくる勇気がなかった自身を悔いているのだろう。

そんなことを出来る人間なんてほとんどいないことをオリエントは知っている。だから全く腹を立ててはいなかった。


 「今日の活動は終わりにしよう。他の皆にも撤収するよう伝えてくれ」


 「は、はい……あの……すみませんでした」


 主人が深々と頭を下げると遅れて夫人も頭を下げた。


 「気にすることはない」

 謝罪の意図は概ね理解しているつもりだ。


 「…………見ていたのに、僕らは何もしませんでした」

 出来なかったのではなく、しなかったと彼は表現した。


 変にプライドがある者は保身に走って『出来なかった』と言う。彼らは自分自身の非力さを認め、助けに行かなかったことを悔いているようだ。


 「そうか」


 変に励ますのはかえって彼らの勇気を無下にすることになるだろう。それからオリエントは言葉を続けた。

 「自分の身を一番に考えるのは悪ではないよ。……でもまあ、私の目が行き届かないところで同じような場に遭遇したら、みんなでフォローし合ってもらえると私も安心して活動に打ち込めるかな」


 信者たちの肩をそれぞれ軽く叩き、オリエントは独り歩き出した。

 「オリエント様……! どちらへ」


 「今日は嫌なこともあったし、酒だ酒。みんないつもの店に集合」


 「は、はい……!」

 水を得た魚の如く。信者たちの瞳に活気が戻った。


 「はぁー……今日は冷えるな」

 白い吐息が薄暮の空に消えていく。鮮やかに輝く髪色と同じ夕焼けを眺めながら、オリエントは小さく呟いた。


 この美しい景色を眺めることは、誰しもに与えられた当然の権利であるべきだ。

 悲願の成就に向けて、オリエントは決意を固めるのだった。



 ■



 それから四年後――人類歴107年。


 ガナリア帝国領内で開かれた政治討論会に招待されたオリエントは自らが創設した宗教団体虹の輪の信者たちを精神干渉系魔法により洗脳し、政府高官を狙った自爆テロを起こした。


 祝祭の場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。数千人の死傷者を出した戦後最悪の事件は後に『血の討論会』と呼ばれるようになり、今も人々の心に禍根を残す形となった。


 彼女は町内の商業施設で包囲され、治安当局による銃撃に遭い、命を落とした。

 はずだった――。


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