小夜鳴鳥、夜の街へ
全てを忘れた小夜鳴鳥は
黄金の鳥籠に戻りました
そして、今日も鳥籠の中で
寂しく囀っているのです……
ーーーーーーー
黄金の鳥籠の中で、エレオノールはとびきり美しく成長した
肌は白磁のように透き通り、栗色の髪が腰まで流れる
まつげは長く、目は最高級のルビーのように輝いていた
ーー純血の吸血鬼特有の、息を飲むような絶世の美しさ
「美しい」
オーギュストはいつもそう言う
衣装を整え、髪を撫で、飾りを選び、最後に一言
まるで、籠の中の鳥を褒めるように
そして、エレオノールは静かに微笑む
「お兄様のおかげです」
それが正しい答えだと、身体が知っている
愛想よく、従順に、柔らかく。そうしていれば、兄は満足する
けれどーー
(わたくしは……何かを忘れている気がする)
理由はわからない
けれど、胸の奥に空洞がある
何か大切なものがあったはずなのに、中身が抜け落ちているような感覚
時折その空洞から何かが抜け出して、心を締め付ける
「お兄様」
エレオノールは兄を見た
オーギュストの紅い目は、彼女を愛おしそうに眺めている
その視線は強く、優しい。優しいのに、怖い
「……わたくし、変な夢を見ましたの」
「夢?」
「はい。森の中で、誰かとおやつを………」
言葉にした瞬間、頭の奥がじくじくと痛む
まるで、傷を針で突かれているみたいに
オーギュストの手が、エレオノールの肩に置かれる
その温度は、吸血鬼としてもかなり冷たい
「夢だ。気にするな」
「でも……夢の中で、白いハンカチを」
「忘れろ」
短い命令
その瞬間、空洞の縁が少し塞がる感覚がした。痛みが薄くなる
エレオノールは小さく頷いた
「………はい」
オーギュストは満足げに微笑んだ
そして、いつものように額へ口付ける
「いい子だ。俺の小夜鳴鳥」
ーーーーーーー
屋敷の生活は規則正しい
夜に起き、昼に眠る。吸血鬼が好む暮らし方
人間の食べ物を取ることもある。でも、本当の意味で満たされるのは血だけだ
ただし、オーギュストは「己の血」をいつもエレオノールに与えていた
人間の血の味を覚えさせることを、極端に忌み嫌った
「お前にはまだ早い」
「人間の血を覚えると、外に出たくなる」
「外出れば、人間に狙われる」
「だから、ここにいろ」
それが、兄の理屈
エレオノールはそれにずっと従ってきた
けれどーーその夜は違った
胸の空洞が、妙に騒ぎ立てる
(外へ………)
自分でも驚くほどの衝動があった
ーー外へ出たい
見たことのない景色を見たいのではない。もっと具体的で、もっと切実な何か
(探さなければ)
ーー何を?
わからない。でも、探したい
その夜、オーギュストは書斎にこもった
珍しく来客があったらしく、手が離せないらしい
エレオノールは息を潜め、こっそり支度をする
屋敷の裏手に、小さな扉がある。普段は閉じられ、使われない
その鍵穴に、兄の部屋から盗んだ鍵を差し込む
ーーカチリ、カチャン
扉が開いた瞬間、冷たい夜風が頰を刺した
木々の匂い、そしてーー自由の匂い
エレオノールは駆け出した
山を抜け、暗い道を辿り、見知らぬ灯りへ吸い寄せられる
街は、眩しかった
人間の笑い声、車の音、ネオンの色
全てが刺激的で、恐ろしくてーー何故か涙が出そうだった
(人間は、こんな場所で暮らしているの?)
エレオノールは人ごみに紛れようとしたが、無理だった
彼女はあまりにも目立つ
美しい顔、白い肌、栗色の髪、紅い目、上質なワンピースにコート。日傘は持ってないものの、それでも“異物”だ
道行く人が振り返る
男はねっとりと視線を絡みつかせる
女はヒソヒソと何かを呟く
(……ちょっと、怖いわ)
教えられた通りだ
人間は怖い。目が、声が、欲望が
でもーーその怖さの中に、不思議な香りが混じっている気がした
懐かしい、どこかで嗅いだことのある香り
(何かしら…?)
足を止めた瞬間、誰かが肩を叩いた
「え、えっと。迷子っすか?」
若い男が立っていた
派手なスーツに身を包んでいるが、顔立ちは純朴そう
男は、エレオノールを見て顔を赤らめている
「あ!そうだ!こっちどうぞ!「Nightingale」って店です!」
「え?」
「い、いやぁ〜。お姉さん、疲れてる気がして」
しどろもどろしている男を見て、エレオノールは笑ってしまう
エレオノールは、スッと手を差し出す
「……案内してくださる?」
「えっ?はっ、はい!でも、見ず知らずの男を信じちゃダメっすよ!」
「あなたならいいと思いましたの」
男は、顔を真っ赤にしながらエレオノールの手を取った
ーーーーーーー
男に連れられ、繁華街の一角へ向かう
ーーホストクラブ「Nightingale」
「どっ、どうぞ!」
男が扉を開けると、音楽が溢れ出した
柔らかな照明、磨かれたグラス、笑い声
甘い酒と香水が混ざる空気
エレオノールは一歩足を踏み入れただけで、目が眩むようだった
「え?何あの子……めちゃくちゃ美人………」
「あの格好……コスプレ?」
「おい、ケンタ!なんつー美人連れてきてんだよ!」
「ま、迷子っぽかったんで!」
「“ぽい”で連れてくるなよ!」
エレオノールに視線が集まる
“あまりにも美しい客”が来たと、店全体が一瞬で理解したのだ
彼女の清らな美しさは、まるで女神のよう……
「あの!誰がいいっすか?」
「………?」
「いや、ここホストクラブなんで。ご指名とか……」
「いらっしゃいませ」
ケンタの言葉に被せるように、低くて甘い声がした
エレオノールが振り返ると、息を飲むような美青年が立っていた
「エレンさん!」
「この人は俺が担当する」
「え?」
「いいから」
エレンと呼ばれたホストは、エレオノールの手を取って席へと案内した
(エレン……?)
その名前に、エレオノールの心臓が跳ねる
理由はわからない。でも、心臓がドクンと脈打つ
「お名前を伺っても?」
「エレオノール・ド・ヴァルモンと申しますわ」
その瞬間、彼の瞳が揺れた
それは、誰にもわからない一瞬の変化だった
「エレオノールさん」
彼は丁寧に名前を呼んだ
それだけで、胸がドキドキする
ーーこの人は、私を知っている気がする。……知らないはずなのに
「お飲み物、何にしますか?」
「え、えっと……わたくし、外に出るのが初めてで」
「では、俺のオススメを」
しばらくして、カクテルが運ばれてくる
それは、美しい紫色をしていた
「綺麗な紫……」
「……紫はお好きですか?」
「ええ!なぜかわからないけれど………」
何故か、彼には安心感を覚えてしまう
「………外、初めてなんですか?」
「……はい、ずっと、家にいますわ」
「家………」
エレンは短く繰り返し、笑みを消した
そして、すぐに柔らかい声で言う
「よかったら、少しずつ教えてください。あなたのこと」
エレオノールはぽつりぽつりと話し始める
ーー鳥籠のような屋敷のこと、兄との2人暮らし、外へ出てはいけない決まり
恐ろしいほど自然に言葉が溢れる
どうして、この人になら言えるのだろう
エレンは聞いているだけだった
途中で遮らない、笑わない、否定しない
ただ、時々エレオノールの手に優しく触れた
「………苦しかったんですね」
エレンの声が、胸を撫でた
エレオノールは思い切って言った
「………外の世界を、案内して欲しいのです」
エレンは一瞬黙り、それから静かに頷いた
「あなたの望みなら」
その言葉に、エレオノールは笑った
心から笑ったのは、いつぶりだろう
ーーーーーーー
迷子になった小夜鳴鳥は
懐かしい香りに羽を休めます
あの花は枯れていなかった
世界は再び輝き始めて……




