キャバレーに舞い降りたガヴァネス
その夜も、エレオノールは「Nightingale」にいた
きらびやかなグラスの光、甘い香水、笑い声
けれど、彼女の座る席の周囲だけ、なぜか空気が澄んでいる。紫苑が隣にいる時の、あの静かな安全圏
「今夜はいつもよりも早いね」
「ええ。今日は……お話ししたいことがたくさんありますの」
そこへ、櫻井が見慣れぬ初老の男性と談笑しながら近づいてきた
背筋の通った姿勢、スーツの仕立てはいいが、どこか疲れの影がある
「いやあ……こちらの店はいつも繁盛してますなぁ」
「まぁ、ありがたいことにだな……。あぁ、エレン。この人は園田さん。近所のキャバレー“Canaria”のオーナーだ」
「園田と申します。それにしても……美しい組み合わせで……」
園田は笑って見せたが、その笑みは疲れている
櫻井は煙草を指で転がしながら言う
「最近売り上げが良くないって?……あそこは雰囲気もアクセスも良いだろう」
園田は肩を落とした
「内装も外装も、それなりに金をかけたんです。高級路線で行くつもりだった。でも…どうにも“上”の客が定着しない。客単価が伸びない。嬢達も頑張ってる。なのに、何かが足りない」
「……………!!」
その言葉が、エレオノールの好奇心に火をつけた
「……そのお店、連れていっていただけませんか?」
園田は目を丸くし、櫻井は「計画通り」とでも言いたげに笑った
「お嬢さん……キャバレーっていうのはお嬢さんが来るような場所ではなくて……」
「いや、行かせてみると良いぞ。このお嬢さんはきっと“奇跡”を起こしてくれるさ」
櫻井の言葉を聞いて、紫苑は息を吐いた
最初からエレオノールを巻き込むつもりだったのだろう
「エレオノールが行くなら……俺も一緒に行く」
それを聞いた朝凪も立ち上がった
「名作の匂いがします……!」
「あなたは来ないで」
「行きます!!社会現象の香りがします!!」
こうして奇妙な3人ーーエレオノール、紫苑、朝凪は、園田に案内されて「Canaria」へ向かうことになる
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キャバレー「Canaria」は確かに高級路線を目指した店だった
照明は柔らかく、壁紙の色も上品。シャンデリアも派手すぎず、席間も広い。テーブルには小さな花。グラスも椅子も良いものを使っている
“器”は整っている。だからこそーー入った瞬間の違和感が生まれる
エレオノールが扉をくぐった瞬間、空気が止まった
キャバ嬢達が一斉に、瞬きを忘れる。新人に至っては魂がどこかへ抜けていった
美貌というのは時に暴力だ。しかも彼女のそれは、夜に慣れた女達の“自負”すら一瞬で折る種類のものだった
しかし、エレオノールは気づかない
彼女はただ、少し緊張しながら店内を見回し、微笑んだ
「綺麗なお店……。お花も素敵です」
それだけで、場の緊張が少し解れる
紫苑は胸の中で息を吐いた。「この人は無自覚に世界を変える」と
園田は慌ててスタッフを呼び、最上席に案内する
キャバ嬢達が“誰が付くか”でざわつく中、エレオノールが言った
「今日のわたくしは、お客様ではありません。見学に来ただけです」
キャバ嬢達はさらに混乱する
朝凪は、それを見て嬉しそうにメモ帳を開いた
「ふふ……最高……!最高の導入………!」
紫苑の目は冷たかったが、それは完全にスルーしているようだ
エレオノールはキャバ嬢達を呼び、自然に輪を作った
誰を上に置くでもなく、けれど彼女が中心になる
「普段どんなお客様が多いのですか?」
「おすすめのお酒は?」
「お店のルールは?」
エレオノールはキャバ嬢達に質問していく
しかし、それを“情報収集”ではなく“楽しい会話”にしてしまうのが、エレオノールの強くて怖いところ
数分の会話で、エレオノールは察した
ーーこの店は高級路線を掲げているのに、キャバ嬢の所作と言葉が“軽い”
客が求めるのは単なる美しさや若さだけでは無い
高級路線なら、相応の“品”や“教養”が必要だ
だが、彼女達は持っている魅力を活かす術を知らない
エレオノールは静かに結論を出した
「……皆さま、悪くありませんわ。ただ、教わっていないだけ」
その言い方は優しい。しかし、逃げ道はない
「園田さま。わたくしにーー少しお時間を頂けますか?」
園田が「は、はい!」と返事をした時点で、運命が動き出した
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翌日から、エレオノールは「Canaria」に通い始めた
“ガヴァネス(女家庭教師)”と言っても、黒板の前に立つ授業ではない
夜の現場で使える教養と所作を、徹底的に“身体に覚えさせる”教育だ
彼女の方針は単純だった
1.所作を覚える
2.会話を整える
3.テーブルマナーを身につける
4.教養を補う
そして何より、エレオノールは言った
「“媚びる”必要はありません。皆さまが皆さまのまま、美しく上品にあれば良いのです」
キャバ嬢達の心が揺れた
夜の世界では“媚びる”ことを仕事の技術だと教えられる
だが、彼女は媚びずに勝つ方法を提示したのだ
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1.お辞儀と姿勢
最初に叩き込まれたのは、姿勢とお辞儀だった
エレオノールは鏡を前に、キャバ嬢達を並ばせた
「顎を引いて、胸を張り、上から糸で吊るされているように立つのです」
「腰から折れて下さい、首だけ曲げてはいけません」
彼女は自ら実践する
彼女のお辞儀は、頭を下げるだけではない。隅々までが美しい
キャバ嬢達は声を失った
「どうして、そんなに綺麗なんですか」
「練習したからですわ」
エレオノールは当たり前のように答える
「練習すれば、誰でもできます」
ここが恐ろしい。才能で殴るのではなく、努力で道を示す
だから全員逃げられない。やれば届く気がしてしまう
すみっこに忍者のように張り付きつつ、メモを取る朝凪は興奮していた
(これ、育成ものの神回だ……!)
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2.言葉遣い
次は話し方
高級路線の店で、乱暴な語尾や内輪のノリは致命傷になる
しかし、ただ丁寧にすればいいわけでもない。丁寧すぎると距離ができる。馴れ馴れしすぎると軽く見られる
エレオノールは“バランス”を教えた
「お客様を“持ち上げる”のではなく、“立てる”のです」
「褒める時は結果ではなく“選択”を褒めて。ーー“センスがいい”よりも“それを選ばれるところが素敵です”、と」
「相手の話を奪わない。けれど沈黙を怖がらない。沈黙は余裕の証です」
そして、実戦形式のロールプレイが始まった
エレオノールは客を演じる。これが1番怖い
彼女はわざと意地悪な客、無口な客、説教したがる客、恋人気取りの客ーー様々なタイプを演じ分ける
キャバ嬢が言葉を間違えても、彼女は叱らない。微笑んで止める
「今の言い方だと、相手は“裁かれた”と思ってしまいますわ」
「“でも”は反論に聞こえてしまいます。“そうなんですね”と1度受け止めてから、自分の意見を言いましょう」
「お客様の自慢は、人生の勲章です。嫌な顔をしないで差し上げて」
指摘が的確すぎて、キャバ嬢達は呻いた
でも、悔しいのに嬉しい
自分たちが“洗練されていく”手応えがあるから
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3.テーブルマナー
マナー講座は、店にあるものを使って行われた
ナプキンの扱い、グラスの持ち方、お酒の注ぎ方、食事の仕方
エレオノールは細部にまでこだわって伝える
「グラスの縁に口紅がついてはいけませんわ。そしてそれを拭き取るのは言語道断です」
「グラスを持つとき、指先は揃えて」
「おしぼりは、使ったら軽く整えて戻してくださいな」
最初は「そこまで?」と笑っていた子がいた
だが数日後ーー客が増えた。単価が上がった。客層も変わり始めた
笑っていられなくなる
「ねぇ、最近さ……。“Canaria、雰囲気変わった”って言われた」
「お客が、こっちを雑に扱わなくなった」
キャバ嬢達は目を見開いてささやきあった
エレオノールは嬉しそうだ
「ほら、貴女達は変われますわ」
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4.教養
決定打は教養だった
高級路線の客は、金があるだけではない。それぞれ語りたいものを持っている
ワイン、時計、ゴルフ、絵画、政治、海外出張、子どものこと……など様々だ
キャバ嬢がそこに触れられないと、会話は浅く終わってしまう
エレオノールは、彼女達に“知識の持ち方”を教えた
丸暗記ではなく、引き出しの作り方
「全部を知る必要はありません。“入り口”だけ持つの」
「“それの、どういうところがお好きですか?”と聞けるようになること。質問の質が、あなたの品位ですわ」
「わからない時は、わからないと言って構いませんわ。むしろ、わからないままにしておく方が失礼ですもの」
朝凪はその講座を聞いて、内心震えていた
(この人、夜の世界で1番怖いタイプだ……“努力で勝つ道”を示す……)
教養講座では、エレオノールの趣味もチラリと出た
古い童話、詩、海外の宮廷文化、歌……彼女が“本来いた場所”の香りがする
キャバ嬢達は、最初こそ“難しい”と言っていたが、次第に夢中になった
「それ、面白い……!」
「ねえ、もっと教えて」
彼女達の目が、キラキラと輝き始める
エレオノールは教師として1度も威張らなかった
でも、手は抜かない
そして、努力した子を必ず褒める
「あなたの今日のお辞儀、とても綺麗でしたわ」
「さっきの返し、完璧です。お客様が安心します」
その1言で、女達は“育っていく”
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ーーそして、2ヶ月が経った
変化は数字となって現れた
まず指名が増え、次に単価が上がり、最後に店の評判が変わった
「Canariaって、最近すごいらしい」
「女の子のレベルが高い。空気が落ち着いている」
「高級感が嘘じゃない」
エレオノールが教え初めてから2ヶ月後、店は過去最高の売り上げを更新した
園田は帳簿を握りしめて震え、スタッフと抱き合い、最後にーーエレオノールの前で泣いた
「ありがとう、本当にありがとう……!俺、もうダメかと……!」
エレオノールは慌ててハンカチを差し出した
「泣かないでください。皆さまが努力した結果ですわ」
「お嬢さん……天使か………」
園田は半泣きで呟き、周りのキャバ嬢達が「先生…」と言って頭を下げる
紫苑は、その光景を少し離れた場所から見ていた
彼女は、人を救う
しかも、“支配”ではなく“教育”で救う
紫苑は惚れ直した、いや惚れ直すというよりーー“もう彼女から逃げられない”と理解した
そして、朝凪はノートに殴り書きをした
ーー夜のガヴァネス
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エレオノールが「Canaria」を立て直した話を聞いた櫻井は頷いた
「やっぱりな。あのお嬢さんならやると思った」
ホスト達や姫達は、噂を聞きつけてざわついた
「エレオノールちゃんがキャバ嬢育成……?」
「売り上げが爆上げ……だと……?」
「それってつまり……銀座でクラブ開いたら無敵では……?」
エレオノールは首を傾げた
「……そんなに驚く事でしょうか?」
「驚くよ!普通はできないよ!」
姫達はシャウトした
紫苑だけは、彼女の隣で静かに微笑んだ
誇らしい。怖い。愛おしい
全部混ざって、言葉にならない
その夜、紫苑はそっとエレオノールの手を取った
「……お疲れ様、無理はしていない?」
「してませんわ。とても楽しかったもの」
エレオノールの心から楽しそうな笑みに、紫苑の胸は撃ち抜かれた
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噂を聞きつけたのは、マダム・ミヤコとオーギュストも同じだった
マダムは話を聞きーー腹を抱えて笑った
「キャバクラを立て直した?なにそれ!最高!!」
笑いながら、その目は鋭く光っている
“見込み”を見つけた目だった
「私、ますますあの子を好きになっちゃったわ。本当にーー怖い子だわ」
そう言ったマダムは、満面の笑みだった
一方のオーギュストはーー複雑そうな顔をした
妹が外の世界で認められるのは嬉しい。だが同時に、胸の奥がざわつく
(……あの子は、人の輪の中心に立ってしまう)
(……そして皆が、あの子を欲しがる)
オーギュストは何も言わず、赤ワインを煽るのだった
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朝凪は、取材ノートを抱えて帰宅した夜から、狂ったように原稿を書いた
“夜のガヴァネス”
美しすぎる“先生”が、夜の女達を品位で武装させ、店と人生を変えていく物語
愛と教養と救済のお話
夜の世界の読者は感動で泣き、昼の世界の読者は感動で笑う
そしてそれは社会現象となり、どこかの誰かが言い出すのだ
ーーこんな先生が欲しい
そして、紫苑だけは知っている
その“先生”は夜の街を変えた後も、ただ紫苑の隣に座って、静かに微笑んでくれることを
鳥籠で育った小夜鳴鳥は、外の世界で歌う術を覚えた
歌声は優しく、容赦なくーー誰かの人生を上品に塗り替えていく




