夜を閉じ込めた首飾り
その夜の「Nightingale」は、いつもより一段と“静か”だった
静かというよりーー誰もが音を立てるのを恐れてるのかもしれない
グラスの触れ合う音ですら、小さく鳴る
笑い声も盛り上がりもある。けれど、全員がチラチラと“ある所”を見る
あの夜ーーマダム・ミヤコが「純血の吸血鬼」とさらりと言った日から
噂は生き物だ。マダムの言葉が店の隅々に根を張り、いつまでも息をしている
「エレン」
エレオノールは今日もソファに座っていた
栗色の髪はゆるく結われ、青紫色のドレスがよく似合っている
「なぜ、皆様はわたくしを見ているのでしょうか?」
「気のせいだよ」
「嘘ですわ。あなたの“気のせい”はだいたい嘘ですもの」
エレオノールは、こういうところが妙に鋭い
ホストに向けられる視線は、恋や欲望だ
しかし、彼女に向けられているのは、“畏怖”や“好奇心”ーーそして、マダムに認められたという“尊敬”の眼差し
エレオノールは、夜の街に紛れ込んだ神話だ。誰かが口を滑らせれば、狩人が現れる
だから、紫苑はホストとして稼ぎ続ける。お金は盾になる。盾は、彼女のために要る
ーーカラン
店の扉が開いた。全員が一斉に背筋を正す
「ーー来た」
ショウが唇だけを動かした
レンはグラスの置く手の角度まで整える
ケンタは「今日もですか…」と小声で嘆いた
マダム・ミヤコが入ってきた
黒いドレス、胸元の真珠、指先のリング
全て“上品”なのに、全てが“刃”のように鋭い
そしてーー今夜のマダムは、小さなベルベットの箱を持っていた
「真一郎、ご機嫌よう」
「いらっしゃいませ、マダム」
櫻井が深く頭を下げる
マダムは軽く頷き、視線を店内に滑らせーーまっすぐ、“エレン”の席へ向かった
いや、“エレン”ではない。エレオノールのもとへ
「あら、エレオノールちゃん。今日も美しいわね」
「まぁ、マダム。ご機嫌麗しゅうございます」
エレオノールは立ち上がり、優雅に一礼した
マダムへの恐れも緊張もない
(強い……)
(勝てない……)
(美の極致………)
姫達は通常営業である
マダムはベルベットの小箱を、テーブルの上に置いた
その置き方ひとつが“贈呈”の儀式に見える
「あなたに、これを」
ーーパチン
箱が開いた瞬間、店の空気が少しだけ暗くなった気がした。いや、宝石が光を吸った
タンザナイトの首飾り
夜空をぎゅっと固めたみたいな深い色
見る角度によって、青紫色にも紫色にも見える
その大粒の宝石が、品良く鎮座している
(………タンザナイト)
(しかも、でかい………)
(やば、あれ幾ら……?)
(マダム、本気だ…………)
姫達は息を呑み、ホスト達の笑顔がひきつる
しかし、エレオノールは
「まぁ……素敵ですわ!」
無邪気に喜んでいた。まるで、こういう贈り物に慣れているかのように
“エレン”ーー紫苑は知っている
エレオノールは、兄・オーギュストからのプレゼント攻撃に慣れていることに
彼女によく似合う宝物を、兄は何の躊躇もなく買う
だから、エレオノールは受け取る作法を知っている
そしてーー贈り物の裏側にある“感情”も
「あなたの首筋に、夜が似合うと思ったの」
マダムは、エレオノールの反応を見て微笑む
「ありがとうございます。大切にします!」
エレオノールはそう言って、首飾りを手に取る
チェーンが微かに揺れ、プラチナの冷たい光が踊る
紫苑の喉がひりつく
首に宝石をかけるーーその行為は、鎖にも見えた
「つけてみて」
マダムの言葉に頷いたエレオノールは、丁寧な手つきで首飾りをつけた
タンザナイトが、彼女の胸元で静かに落ち着く
ーー映える
白い肌に、夜の宝石
首飾りが、エレオノールの美しさを引き立たせる
店内が戦慄した
(やば……)
(似合いすぎ……)
(宝石が負けてる……!?)
(いや、宝石の方が引き立て役って何……?)
「え?これ……俺ら今、神話見てない?」
「見てる。見ちゃってる」
「女神に……夜が捧げられた……」
姫達は心の中で荒ぶり、ホスト達は小声で囁き合う
ただ、1人だけ戦慄ではなく“分析”をしている女がいた
朝凪すずは、ソファの端で興奮気味に呟く
「あれは最高級のタンザナイト……色味は深く、でも濁ってない。カットは流行を抑えつつ、彼女の骨格に合わせて計算されてる……。チェーンはプラチナだな……あと、留め具の細工が細かい……。あの首飾り、絶対オーダーメイドじゃん……」
彼女は顔を上げ、マダム・ミヤコを見た
「マダム、どれだけお金持ちなんだろ……」
その冷静さが逆に怖い
マダムは、エレオノールを見て満足げに頷くと、“エレン”に視線を移す
「エレン、あなた、わかってるでしょうね」
「………何を」
「何って、この子を守ることよ」
言葉は柔らかい。だが、命令だ
「もちろんです」
彼は笑顔のまま答えた
そんな中、エレオノールは首飾りに指先を添えて笑う
「エレン、どうでしょう?似合いますか?」
「……似合うよ。……怖いくらい」
「まぁ、怖いのですか?」
「………俺の心臓がドクドクいうくらい」
エレオノールはきょとんとし、そしてクスッと笑った
「あなた、可愛いことをおっしゃいますのね」
マダムはそれを見て目を細める
「ふふ、いいわ。本当にいい」
マダムは優雅に席を立ち、最後に一言だけ残した
「エレオノールちゃん。あなた、次はーーもっと“あなたらしい色”も試しましょうね」
爆弾発言を残して、店の扉が閉まった
エレオノール以外は再び恐怖を感じる
ーー次がある。贈り物は、これで終わらない
そんな心の声を知りもせず、エレオノールはタンザナイトに触れたまま笑っていた




