小説家・朝凪すず
今話から2章に入ります
どうぞ、最後までお付き合いください
苦難を経て結ばれた
紫苑の花と小夜鳴鳥
彼らは今日も
静かに美しく笑っています……
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エレオノールと無事に結ばれてからも、紫苑はホストを続けていた
理由は単純で切実だ。エレオノールと共に生きるための資金、居場所、守るための力が欲しかった
吸血鬼になった身体は衰えないが、生活は勝手に整わない。社会に紛れて生きるにはお金が必要だ
それならば、ホストを続けるのが彼にとって1番現実的で、1番稼げて、1番安全だった
……それを聞いた櫻井は苦笑していたが
今日も、紫苑は“エレン”の仮面をかぶって働いていた
ホストクラブ「Nightingale」のフロアは、いつも通りきらびやかで、どこか非現実的だ
グラスの氷が鳴り、甘い香水とシャンパンの匂いが混じり合い、笑い声が夜に解けていく
けれど、エレンとエレオノールが座る席だけは、微妙に空気が違った
エレオノール・ド・ヴァルモン
今日は豪奢なドレスではなく、淡い紫色のワンピース姿だ。だが、どんな布でも彼女の美貌は“装飾”にしてしまう
栗色の髪は丁寧にまとめられ、白い首筋がほんの少しだけ覗く
指先をグラスに添える所作だけで、周囲の空気が静かに整うのがわかる
そんなエレオノールは、微笑みを浮かべながら、エレンの話に耳を傾けていた
しかし、美しい2人はかなり目立つ。その証拠に、客席からの視線が刺さる
“エレンの隣にいる美女は誰だ”という好奇心、嫉妬、品定め
それらを受け止めるのは慣れている。だが、エレオノールに向けられるのは好きじゃない
その時、軽い足音がした
「ーーあ、いた。やっぱりここだ」
声は明るく、好奇心が混ざっている
紫苑が顔を上げると、眼鏡の奥で目を細めた小柄な女性が立っていた
朝凪すず。売れっ子小説家
ホストクラブには“遊び”ではなく“取材”のために通う変わり者
そしてエレンの姫の1人ーーつまり、金を落としてくれる側だ
「こんばんは、エレンさん。今日も美しい顔をしてますよね。助かる」
「取材って便利だよね」
「ええ、色んなものに対する免罪符です。ーーで」
朝凪は、エレンではなくエレオノールを見る
笑っているのに、眼鏡の奥の視線は鋭い
エレオノールに見惚れてるのではない、見抜いている
なにせ彼女は美しいものを見ても、まず「なぜそう見えるか」を分析する
恋より先に、統計を取る女性だ
「こちらの方は……」
「エレオノールと申しますわ」
エレオノールはスッと背筋を伸ばし、上品に会釈をした
「朝凪すずです。小説家です」
「ええ、紫苑……エレンから聞いたことがありますわ。売れっ子の小説家だとか」
「まぁ……確かに小説でご飯を食べてますね」
そんなことを言いながら、朝凪の頭の中では1つの仮説が立ち上がる
「すみません、いきなりこんなことを言うのは失礼ですけど」
「……何でしょうか?」
「エレオノールさんって、“夜が似合う”って言われませんか」
褒め言葉の形をしているが、質問の核が違う
“似合う”ではなく、“何故そう見えるか”を探っている
エレンの眉がわずかに動くが、エレオノールは微笑みを崩さない
「夜……そうですわね。昔から夜の方が落ち着きます」
「………やっぱり」
朝凪の声が弾んだ。嬉しいのだ
自分の仮説が当たった時の、実験が成功した時の、あの嬉しさ
そして次の瞬間、朝凪はエレオノールの手元ーー指先へ目を落とした
爪の色、肌の温度感、血色……見る視線は最早“医者”だ
「なるほどなるほど」
エレンは、思わず朝凪の手首を掴みそうになった
その先を言うな、と
だが、朝凪は小声で、しかしサラッと言う
「ーー吸血鬼、ですよね?」
店内の喧騒が一瞬だけ遠のいた気がした
エレンは周囲を確認する。幸い、音楽と笑い声は続いている。だが、もし耳のいい者がいればーー
しかし、エレオノールは全く動じなかった
微笑みを浮かべたまま、朝凪を見返す
「……そう見えまして?」
「ええ、見えますね」
朝凪は嬉しそうに頷いた
「やばい。降りてきた。新作の構想が、脳内に落ちてきました……ふふふ」
「降りてこないで」
「だって、こんなの物語にするしかないじゃないですか。ーーねえエレンさん」
朝凪は、今度はエレンの方へ身を乗り出す
「あなた、吸血鬼になったんですか?」
エレンの表情が引き攣る
この女は、情報に関しての嗅覚は犬並みだ
どこで何を、どれだけ拾ってくるのか
エレンの表情を見た朝凪は、察したようだ
「いいです。最高です。……やっぱり取材させてください。おふたりのこと」
エレンは少しだけ考える顔をした
吸血鬼になった彼にとって、情報は命取りだ
けれど、この人はーー情報を武器にするのではない、情報を物語にするタイプだ
物語は時に、盾となり、力となる
“エレン”の仮面を脱ぎ捨てた紫苑は、口を開いた
「朝凪さん。条件がある」
「はい」
「俺たちの個人情報を守ること」
「それは大事ですよね。オッケーです」
「あとーーエレオノールを安く書かないこと」
「安く、ですか」
「もしも、彼女のことを安く書いたらーー消す」
「……いいですね。ゾクゾクします!」
「興奮しないで」
「もちろん、彼女を安く書くつもりはありません。むしろ逆です。彼女の美しさ、雰囲気には値段のつけられない価値があります。大事に書かない理由がありません」
朝凪の声が、真剣さを帯びた
ふざけているようで、核心のところだけは真剣
変わり者の中にある、妙な誠実さ
「もう最高。タイトルも決まりました。『銀の月の誓い』」
「……勝手に決めないで」
「決めます。作家ですから」
そう言って、朝凪は笑う
「今日はこれで帰ります。ーーあ、そうだ。エレンさん」
「何?」
「近いうちに、あなたの“最強の太客”が来ますよね?」
「マダムのこと?」
「そう、マダム・ミヤコ。銀座の全てを統べる女王。目的は1つーー“エレンの本命を見定めること”」
朝凪は意味深な笑みを浮かべた
「多分エレオノールさんのことを見逃しませんよ。むしろ気にいるんじゃないかな。ーーでも、気にいるって、試すことです」
“エレン”の仮面をかぶり直した紫苑は、静かに息を吐く
マダムが動けば、店の空気が変わる
最後に、朝凪はエレオノールに会釈した
「またお会いしましょう。あなたのことを、もっと知りたい」
そして、店の外へ出て行く
残されたエレンは、エレオノールを見た
「………ごめん、面倒に巻き込むかも」
エレオノールは花が綻ぶように笑った
「面倒でも、あなたの隣にいたいですわ。それに、わたくしは小夜鳴鳥ですもの。夜が大好きですわ」
その笑みが、あまりにも綺麗で
(………彼女の自由を、誰にも奪わせない)
エレンは決意を新たにした
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その頃、店の外
朝凪はタクシーの中でひとりごちた
「純血の吸血鬼と、元人間の吸血鬼。鳥籠と小夜鳴鳥。誓い、血……。売れる。絶対売れる」
眼鏡の奥で、楽しそうに目が笑う
彼女の頭の中では、もう物語が走り出していた
ーーそして、同じ夜
銀座の高層ビルの最上階で、マダム・ミヤコがワイングラスを揺らしていた
「ーーエレンの本命、ね」
その唇が、上品に笑う
「見定めてあげましょう。美しいものなら、なおさらね」




