2-1
追突されたり体調不良だったり。
世の中ままならないモノです
ACT・2
第4都市は旧日本での呼び名で中部地方と呼ばれた地域にあり、総面積約2800平方㎞、人口は約1000万人を数え、旧日本地域における方舟施設の約3割が集まっている重要地域に指定されている。
建設そのものは比較的初期であり、主流となっているドームタイプではなく、強固な壁を持つ外壁都市と呼ぶほうが的を射ているだろう。
初期型とは言うものの、開閉式の天蓋構造を持つことや方舟の防衛戦力の数も多く、世界でも有数の守備力を持つ都市。それが第4都市である。
そこに居を構える楓の父方の実家である桐生家は、都市建設時に土地を譲ることや移転する必要のなかった運の良かった方で、そのため周囲でも割と広い敷地を有しており、敷地の中に喫茶店『くろすろーど』に母屋及び道場、さらに離れと全部で四つの建物が建てられている。
そして今、その道場の中に楓の姿があった。
道場の中央で佇む楓の出で立ちは胴衣姿で、長い髪は後ろでポニーテール状にまとめられている。
時刻は朝の6時を回ったばかりだが、大分動いたらしく上気し朱の差した頬を汗が伝っていた。
だがそれよりも目を引くのは右腰に刺した黒塗りの鞘と、左手に閃く白刃だろう。
もちろん一般には帯刀など認められるわけがないので、精巧に作られた模造刀だというのは想像に難くないが。
眼前の虚空を見つめ一度目を閉じ深く息を吐き、瞳を開けたときには瞳が真紅へと染まっていた。
―ヒュッ!
微かな息を吐くと共に、自然体の所謂『無形』と言われる構えから右足を踏み出し一瞬で『動』へと移る。
両手が添えられた刀が跳ね上がり、そのまま払われ次の動作へ移る。
羽毛が降るように柔らかく、かと思えば水鳥が羽ばたき舞い上がるように力強く。
洗練されたその動きは見るものを魅了し、引き込まれずにはいられない。
一種の芸術ともいえる練武は左手を返し、刃を収めたところで終了する。
「珍しく、朝から道場におると思ったが、心ここに有らずといった所じゃの?」
入り口に姿を見せていた祖父に投げかけられた声に「おはよう、お祖父ちゃん」と返して少し考え込む。
「…そんなに集中してなかった?」
「集中しておったのは目を見ればわかるがの。刃に乗る気持ちが乱れておるようじゃの」
図星を突かれ、ばつが悪そうに呟く楓の所まですたすたと歩いてきながら答える祖父。
「悩み事…と言っても昨日の友人たちのことじゃろうかの」
いつもの朝焼けのような赤色から、こげ茶色に近い色に変わる瞳に得心を得る。
覚醒者となって変わった孫娘の瞳は、そのときの感情によって色彩が変わる。今変わった色は悩んでいたり隠し事があったりするときの色だ。
「ん…悩んでるって程じゃないと思うんだけど…」
歯切れ悪く答えながら昨日のことを思い返していた。
何となく難しい話になる予感はあった。
二人から話があるようだ、と母に奥の席へと案内されたとき予感は大きくなり、聖の神妙な顔と夏樹を横目にちくちくやっている姿に核心へと変わった。
「お待たせしました」
薄紅色のタイトスカートに白いブラウスというシンプルな服に着替え、今度はフレームレスの眼鏡をかけた楓は席に座る。
「えーと、あのね…」
手元のオレンジジュースのグラスにちびちび口をつけながら言いよどむ聖。
会話に入るきっかけがつかめないのか、幾度かそのようなことを繰り返していると、苦笑しながら夏樹が手で制する。
「楓ちゃん、回りくどいのと直球と、どっちがいい?」
「…直球で…」
楓の言葉に、聖がぺこんと頭を下げた。
「あのね楓ちゃん、私たち方舟の人間なの。黙っててごめんなさいっ!」
夏樹のことに関しては朝の件で担任から聞いていたし、聖にしても瞳を見て覚醒者だということは一目で分かっていたから予想はしていた。
「いえ…私も黙っていたところあるから、お互い様、です」
呟き、眼鏡を外して二人を見つめる。
意識せず真剣なまなざしになったため、目の前で鮮やかな緋色に染まる瞳に、聖が小さく息を呑むのが分かった。
「…私もだから…
でも、二人は知っていたんですよね? 私のこと。
多分、他のみなさんも」
「それは―」
「―違うよっ!」
言いかける夏樹を遮り、大きな声を上げて聖が立ち上がる。
店内の客が視線を向けるが、それには構わず、
「あ…あのね…私説明とかって上手じゃなくって、きちんと言えないんだけど…。
私ね、方舟でも下っ端で、夏樹センパイ達は私なんかより凄い人達だから、沢山のお仕事やってるの。
だから楓ちゃんのことも知ってた。
それでね…今からちょっとお仕事のお話するかもだけど、それはやんなきゃいけないことで…
えっと。だからね…」
上手く考えがまとめられないのだろう、必死になって言葉を続けようとする。
そんな聖を夏樹は黙って見つめ、楓も言葉を待つ。
「…けどね、今日仲良くなりたいって思ったのウソじゃないよっ!」
「…」
「…それにね、千草は違うの。普通の人なんだ。
私がこんな体になっても、それでもずっと傍にいてくれる大事な幼馴染なんだ…
…すいません、センパイ。私、帰ります」
「あ…聖ちゃん…」
「楓ちゃん、また明日っ!」
呼び止めようとする楓の声を振り切って店を出て行った。
『…』
聖が去った後のテーブルを、気まずい沈黙が支配する。
二人ともさっき以上に会話のきっかけを見いだせなくて黙ることしばし、
「はい、お待たせ楓。
夏樹君もコーヒーのお代わりいかが?」
楓の前に、紅茶とケーキのセットを置きつつ、初穂が割り込んできた。
「楓、夏樹君の給料の足しにならないお話聞いてあげて?
夏樹君もここで頑張ったらお代はナシでいいし、楓の高感度上がるかもよ?」
無茶を笑顔で振る初穂。
その物言いに顔を見合わせて苦笑する。
困ったときはこうやって、多少無理やりでも場を和ませてくれようとする母に感謝する。
「…それじゃ、本題に入ろうか。
楓ちゃん、君の調査票を見ての意見だけど、『俺達』は君をスカウトしたいと思ってる。
一回、失敗しておきながらはずかしいけど、それでも考えてはもらえないかな?」
「…その件はもうお断りしました。
だから、今回の返事も『いいえ』です」
真剣な顔の夏樹に楓も真面目に、でも即答する。
取り付く島もない楓の言葉に一瞬あっけに取られた表情を見せると、表情を隠して肩を振るわせ始める。
ただならぬ様子に楓の目が細められ、瞳の真紅がさらに深紅へと染まる。
同時に楓の『力』を受け、手元の紙ナプキンが硬度を増していく。
「…あっはっは。いやぁ、そこまできっぱり言われるとこっちとしても気持ちいいもんだね」
顔を上げて堪えるのが限界、と言わんばかりに笑い声を上げる夏樹に、今度は楓があっけにとられた表情になり、同時に『力』も霧散して瞳の色も元に戻る。
「じゃあ、『方舟』に楓ちゃんは入らないということで。
それじゃ、俺も帰るかな」
「…いいんですか? 自分で言うのも変ですけど、そんなにあっさり引き下がって」
「しつこいほうがいい?」
意地悪く言う夏樹に、楓はぶんぶんと頭を振る。
「そういう事。聞き方もやる気ありそうな感じじゃなかったろ?」
夏樹の言葉に、逆に楓が返答に困って苦笑混じりに頷くしかない。
「ま、俺としては楓ちゃんと知り合えたし、美味いコーヒーが飲める店を見つけることが出来た。
そっちのほうが方舟の仕事以上に収穫があったってもんだよ。
また来てもいいかな?」
「…お客さんとしてなら幾らでも…」
楓の呟きに「商売人だねぇ」と笑って席を立って初穂と一言二言、言葉を交わすとそのまま店を後にする。
「…」
残された楓は、座ったままティーカップに淹れられた紅茶を飲むでもなくただ見つめる。
「いい人達ね。私、気に入っちゃった」
頭上から投げかけられた声に顔を上げると、プランターを入れたラックの上で手を組み、そこに顎を乗せて微笑む母の姿。
初穂は微笑んだまま、すとんと楓の隣に座る。
「ん…。いい人達だと思う…華音も同意見だし…」
呟きながら指に一房髪を巻きつけくるくると弄ぶ。
「…でも、信じていいのか分からない…って所かしらね?」
考えていたことを言い当てられ、驚きで少し橙に染まる瞳で見つめてくる楓。
「癖だもの。そうやって髪の毛いじるのは。
悩むくらいなら、考えても分からないなら付き合ってみたらいい。信じてみたらいい。
いつもそうするわけには行かないけれど、そうしないと分からないことも沢山あるもの」
「ん…そう、だね…」
自分の言葉に幾分気が晴れたのか少し微笑む楓に、背中に隠し持っていた紙袋を押し付ける。
「それはそれとして、早速で悪いのだけど、この衣装を合わせてお手伝いしてくれると嬉しいんだけど。可愛いウェイトレスさん?」
「…はい?」
反射的に、渡された袋を開け―
ぴしっ―
思わず凍りついいた。
「―っ!?」
いらないところまで思い出してしまった。
「…それじゃ、手合わせお願いします」
一瞬物憂げな表情で遠い目をする孫娘に、訝しげな顔を祖父から向けられるが、気を取り直して距離をとると正対し、構える。
楓に合わせるように祖父も。
楓は右腰の鞘に手を沿え、腰を落とす。
よく言う『居合い』の構え。
祖父はそのまま自然体で。
互いに手にするのは本物と同じ重量・バランスで作られた精巧な模造刀。
少し違うのは、楓のものは若干細く軽めに造られているというくらい。
「はっ!」
鋭い呼気と、だんっ!という鋭い踏み込みとともに楓が先に仕掛け、祖父は間合いを取り下がる。
避わしざまに跳ね上がってくる刃を流麗な足裁きで避ける楓。
もちろん寸止めは申し合わせてある手合わせだが、そこに込められた気迫は本物。
刃が朝日を受けて光の軌跡を残して翻る。
己の迷いをも断てよと言わんばかりに鋭く、早く。
出来ることならば、昨日のウェイトレス姿の記憶も断ち切ってほしかった。
しばらくの後、昨日と同じように身支度を整えて階段を下りていると店側から話し声が聞こえた。
楓の服は今日も制服である。
違うのは時計の変わりに、小さめのイルカが飾られた細いチェーンのネックレスに変わったことくらい。
ともあれ、早朝から階下から聞こえる話し声に不思議に思いながら店を覗き込み―
がたーんっ!
盛大にすっ転んでしまった。
「大丈夫? 楓ちゃん?」
「さすが我が娘、見事なコケっぷりねぇ」
「…お早う、楓ちゃん」
「…えーと…お早う、聖ちゃん、千草さん」
三者三様の反応に、挨拶を返しながらなんとか立ち上がる。
「…で、母さんは聖ちゃんに何をさせているのかな?」
「似合いそうだったから、着てみてもらったの♪」
「えへへー。似合う?」
こめかみを押さえつつ、問いかける娘にあっけらかんと初穂は答え、聖は聖でスカートを翻して、くりんと回ってみせる。
聖が身に纏うのはゴシック調のフリルドレスと頭にはヘッドドレス。
要は『メイドさん』の格好である。
にこにこしながらくるくると回る聖は、日本人離れした容姿もあって、昨日楓が着たときよりも似合っている気がした。
感想を伝えるとさらに上機嫌になる聖。
そのままカウンターに座ると、はしゃぐ母と聖を横目に朝食を取る。
聖が着ているのは昨日楓が来たものとサイズは違うものの同じもので、それはそれで非常に好評だった。
だったのだが、母の好みであるこういったフリフリの服は『楓』としては嫌いではないものの、いざ着てみるとなると少し気恥ずかしい。
ただ『華音』は母同様、ノリノリだったし医者に言わせると二人の関係で言えば本音を司るらしいので、裏を返すと楓もこういった服は好きだということになる。
「フクザツだなぁ…って、何で違うサイズがあるんだろう?」
呟きながらパンをぱくつくことしばし、
「隣り、いい?」
楓が食べ終えるのを見計らい、千草が寄ってくる。
頷いて席を勧めるとすとんと腰を下ろす。
「昨日は聖がいたから、こうして話すのは初めてになるね」
「そういえば、そうですね」
少し首をかしげながら答える楓に「敬語になってる」と苦笑いで指摘する。
「聖の面倒見てくれてありがとね。大変だったでしょ?」
「そんなこと…。助かったのは私のほうです」
ふるふると首を振って答える。
本当に、昨日は聖がいてくれたお陰でみんなの輪には入れたのだから感謝こそすれ、否定的な意見などあろうはずがない。
「そっか、ありがと」
漏らし、初穂と喋る聖を優しい瞳で見つめ、そのまま何か言いたげに楓に視線を向ける。
「…?」
不思議そうに見つめ返す楓に、しばし視線を泳がせてからややあって、
「気を悪くしないで聞いてほしいんだけどさ。
昨日聖が泣きながらウチに来て、ここでの話を聞いたんだ。『楓ちゃんを傷つけた』って」
千草の言葉にびっくりして目を見開く。
昨日のことに、誰かが悪いなんてことはない。ただお互いに言いにくいことがあって、それがタイミング悪く重なってしまっただけのこと。
楓の表情にそこは察しているのだろう、千草は苦笑を浮かべて続ける。
「気にしないで。良くあることなんだよね。
気づいていると思うけど、聖は良くも悪くも『子供』だからストレート過ぎんの。
気に入った相手は大切にしたがるから、そこをちょっと分かってもらいたくて。
今はあんな格好して、機嫌よくしているみたいだけど、さっきまでテンション下がりっぱなしで、こっちが調子でなかったくらいだからねー」
言葉と、瞳に聖を思う気持ちが滲んでいるのに気づいて、
「大切、なんですね」
「…まあ、幼馴染で保護者みたいなものだからね」
肩をすくめて苦笑して見せるのは照れ隠しだろうか。
少し蓮っ葉な口調の言葉の裏に、本心を垣間見た気がする。
「でさ…もし、良かったらなんだけど、目、見せてもらっていい?」
「え…どうして?」
「あぁ、嫌だったら別にいいんだけど、聖がとても綺麗って言ってたものだからつい、ね」
思わず聞き返す楓に慌てて手を振り言葉を続ける。
そんな様子に考えることしばし。
「…いいですよ」
紡いだ言葉は肯定。
良い思い出がないから好んで見せたくはないけれど、この人達ならば、そんな気持ちを持っている自分がいて。
少し待ってもらい、コンタクトを外すと小さく咳払いをして改めて千草と視線を合わす。
人ならざる色に驚いたのか、一瞬目を見開くがしばらく楓を見つめた後「ありがと」と呟く。
「どう…ですか…?
あんまり気持ちのいい色じゃないですよね…?」
コンタクトを付け直しながらおずおずと尋ねる。
言葉が後ろ向きなのは無意識なのだが、どうやら聞き咎めたらしい。
「何言ってんの? こんなに綺麗なのに。隠すなんてもったいない」
呆れたように言われ、またびっくりした。
肉親以外から面と向かって『綺麗』と言われるのが初めてだったから。
感情によって赤系統の色によって事細かに色彩を変えるこの瞳は、以前の都市では気味悪がられていたからコンプレックスになっていたのだ。
「ルビーやガーネットみたいでいい色だと思うよ?
隠す理由があったのかもしれないけれど。
私も赤色って始めて見たけど、瞳の色が違うくらい聖で見慣れてるし、別の知り合いにもいるから気にすることないと思う」
あくまで強い言葉で後ろ向きな考えを否定してくれる千草の言葉に、鼻の奥が少しつんとする。
「あり…がと…。千草さん」
自分の言葉にまた苦笑された。
「また敬語になってる。私のことは呼び捨てでいいって言ったでしょ?
私だって楓って呼びたいんだから」
言いながら差し出す手を見つめ、笑顔で取る。
「ありがとう、千草さ…
ううん、千草…」
照れたように言い直す楓に千草は笑顔だった。
今更のように気づいたことがある。
『あの事件』以来、他人と接することに対して後ろ向きだった自分なのに、いつの間にか心の間合いに入り込まれていることに。
けどそのこと自体はまったく嫌なことじゃなくて。
母の言葉じゃないけれど、信じてみることから始まってもいいかもしれない。
今はそう思った。
ちまちま更新しますので、お立ち寄りくださった方で感想いただけると嬉しいです




