よさこいレクイエム
蝉の鳴く校庭に、歌声が響いている。
〽南国土佐を 後にして
都へ来てから 幾歳ぞ
思い出します 故郷の友が
門出に歌った よさこい節を……
ふいに止まるタクト。歌声がやむ。長年、名門女子高コーラス部を指導する音楽教師の節子が熱弁する。
「あなたたちの歌は人の心を打たない。ハートが欠けているからです。心がなくては絶対音感があろうと高音が出ようと無意味。それで、東海大会進出なんて無理です。『南国土佐を後にして』の原曲は、ひとりが作詞作曲したのではない。第二次世界大戦中、中国大陸に出征した高知出身の兵士たちから自然発生した曲。それを忘れず明日の本番、望郷の念を歌いなさい。」
コンクールに賭ける千里。師と仰ぐ節子の言葉はショックだった。帰宅するなり部屋にこもり、スマホでググった。「南国土佐を後にして」=「陸軍朝倉歩兵236連隊(鯨部隊)の歌」とある。
歌いこんだ歌詞も、原曲では「都」でなく、
「中支」。「浜辺」でなく「露営」。軍国調の曲想にがらりと変わった。
「節子先生の言うとおり、戦地で生まれた歌だったんだ……」
言葉の重みを実感する千里。悲しい過去に思いをはせて、眠りについた。
翌日、コンクール本番にのぞむ。文化会館の大ホールに「南国土佐を後にして」が響いた。
〽土佐の高知のハリマヤ橋で
坊さんかんざし買うを見た
後半部のよさこいの調べを口ずさむと、むしょうな懐かしさがこみあげてきた。メロディーが心の琴線に触れ、涙があふれた。キーンと耳鳴り。歌声にエコーして窓ガラスが震える。誰のものとも知らぬ憧憬が心の中に入りこんできた。まぶたの裏に見知らぬ景色……こんもりとした三角の山、古い祠、極彩色の不思議な屏風絵。たまらないノスタルジアに襲われる。打ち寄せる感情の波にのみこまれる千里。
感情の主は青年兵だった。ひとり塹壕を出て、飛びかう銃弾の中をいく。
「正気か? 殺られるぞ」
口々に叫ぶが、味方の声は届いていないようだ。恐れるものは何もない。死すら怖くなかった。小声でそっと、何か口ずさんでいる。
それは、仲間内でこしらえた歌「よさこいと兵隊」。終戦後、復員兵によって高知にもたらされ、ご当地ソングとなった。別名「南国土佐を後にして」。後の世のミリオンセラーだ。
突然、耳をつんざく射撃音。地面に斃れる青年兵。絶命の瞬間まで、静かに歌い続ける。やがて、歌はやみ、永劫の沈黙……
コンクール会場で千里たちの歌も終わった。無我夢中で記憶がない。気づくと大ホールは拍手喝采の嵐。けれど誰ひとりとして、千里の啜り泣く理由を知らなかった。
※
「あなたを狂わせたのは何?」
愛妻の問いかけに、黙して語らぬ青年兵の遺骨。夫の死に真相を求めて資料を読みあさった。「陣中日報」1943年6月6日付の記事に、ヒントが隠されていた。廟○事件の1か月後、現場に入った袁琴心記者。
「揚子江の両岸に焼け焦げた舟が、干し魚のように並ぶ。河を埋め尽くす死体で、船が通れない。どろっと腐乱した肉が、舟の周りにへばりつく。至るところ、死体を埋めた穴。一つ穴には数十人或いは百人余りが埋められていた。通りがかると臭気が鼻をつき、雨ざらしの骨が流され、外に表れている。本当に悲惨だ。」
報じる紙面がふるえた。……わずか3日で3万人もの避難民らを虐殺? 実行部隊として、鯨部隊も投入? 想像を絶する地獄絵に、言葉を失う。
「これをあの人が? あの優しかった人が、こんな酷い真似を?」
にわかには信じがたい妻。
「就寝時間も、ご主人はうなされていた。目をつぶると、真っ赤な血に染まった河水、おびただしい遺骨が埋められた千人坑、ぬかるんだ血の感触が消えないと……。
戦争が炙り出す己の残虐性に、耐えきれなかったのでしょう。正気を失って初めて安眠できた。すべてを忘れて童心にかえり、ふるさとを慕い純粋無垢な涙を流せた。狂っているのは戦場です。」
婦人の涙が胸に抱かれた遺骨にほとばしる。
「世の中には、善人も悪人も存在しないわ。きっと、根っこはみな同じ。良い所が体現しているか、悪い所が体現しているか。『皆人は 心の中の隠れ家に 仏も鬼も 我も棲むなり』って古歌もあるでしょ。戦争という狂気の坩堝でまともに生られなかったのなら、まっとうの証拠ね。戦いの最前線で、あなたのやさしさは命とりだわ。」
涙をぬぐい、微笑んで見せた未亡人。愛する夫と、彼が手にかけた夥しい犠牲者のために、仏門に入った。
※
東海大会で金賞をとった千里は、青年兵の慰霊の旅に出た。高知県護国神社に建立された「歩兵第236聯隊(鯨部隊) 戦没者慰霊塔」を訪ねる。
「外征6年有余(中略)この間敵弾に斃れ病魔に冒されて亡き?に入った戦友は 実に2千柱を越すのであって 厳寒酷暑に耐え 峡谷嶮峰を克服し飢餓難苦を偲びつつ ひたすら祖国の悠久を信じ殉国の英霊となられた戦友の面影を偲ぶとき今尚熱涙胸に込み上げくるを禁じ得ず……」
さらに、碑文に続き〈「南国土佐を後にして」の元歌を歌っていた部隊です。『よさこいと兵隊』『南国土佐節』〉と刻まれている。
土佐から中国奥地に出兵してから6年余り。ふるさとを憧憬しながら、ついに果たせなかった帰還。今なお異郷に彷徨う魂のレクイエムとして、碑の前で原曲「よさこいと兵隊」を口ずさんだ。そして、千里は神社を後にして鯨部隊が召集された高知市朝倉に向か。
土讃線朝倉駅に降り立つと、あの日のまま白昼夢の風景が広がる。たずね歩く道で「こんもりとした三角の山」は赤鬼山、「古い祠」は朝倉神社、「極彩色の不思議な屏風絵」は幕末土佐の絵金が描いた芝居絵屏風と知った。紛うことなく、青年兵の涙のふるさとだ。そして、旅の終着地は、歌詞に「月の名所」と歌われた桂浜。
岬に砕け散る万里波濤は、くりかえし押し寄せる郷愁、還りくる魂。電灯も照明もない真暗闇のジャングルに今尚こだまする「南国土佐を後にして」。それが終わらぬ幻宴であることを、千里は知って
〈引用歌詞〉
「南国土佐を後にして」(作詞:鯨部隊・作曲:武政英策)JASRAC許諾第J250542016