表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

はわわ、わたくしが悪役令嬢をしなかったばっかりに

作者: 猫宮蒼

 名前とか驚くくらい出てこない。



 とんでもない事になってしまいましたわ。


 あ、失礼。先に自己紹介を。


 わたくし、リディア・フィルメリタ。

 しがない侯爵令嬢ですわ。


 とある作品の悪役令嬢という立場にある存在、と言えばよろしいかしら。

 えぇ、そんな悪役令嬢として転生いたしましたの。


 転生したという事に気付いたのは、わたくしが原作でいうところの、ヒロインとの初遭遇の時でした。


 あら、どこかで既視感があるわこの場面……と思った途端脳内にバッと広がる前世で読んだ作品の内容。

 あっ、あぁ~、そうでしたそうでした、この先そういう展開が待ち受けているのでしたわね、とすっかり忘れていた原作の細かな部分まで思い出せたのは良いのですけれど。


 どうやらヒロインさんも転生者だったようです。


 といっても、その時点でわたくしとヒロインさんとが言葉を交わす事はなくて。

 わたくしは転生したなんて事を一切悟られないよう、原作通りの態度でもってその場を立ち去ったのですわ。

 ヒロインさんもその時に転生した事に気付いたようで、彼女は小さくではあったけれど、

「嘘、転生してる……」

 なんてその一言でこちらに全てを理解させるような言葉をつぶやいてくれましたので。


 だからこそわたくし、ヒロインさんが転生者であると知る事ができたのです。

 そうじゃなかったらきっと気付かず自分一人だけが転生しているのだな、と思っていた事でしょうね。



 内容としては至極ありふれたものでした。


 駆け落ちした両親、事故に遭い、身寄りを亡くしたヒロイン。

 けれども両親の親――つまりはヒロインから見て祖父母にあたる人物が、ヒロインを引き取ってくれたのだ。

 駆け落ちした我が子の事をどうやら祖父母は探していたらしいけれど、中々見つからず、見つけた時には既に……という状況で。

 忘れ形見と言える孫を引き取って、せめてこの子は幸せにしてやりたい、という祖父母によってヒロインはすくすくと成長していくのです。

 平民だと思っていたら貴族の家に引き取られて、というある意味王道のパターンですわね。


 そして、これまたお約束のように貴族たちが通う学院にヒロインさんも通う事になります。

 そこで起きる運命の出会い。

 けれども、あぁ、悲しいかな既に運命の相手には親によって決められた婚約者がいたのである。


 という、恋を諦めるかはたまた自らの親のように何もかもを捨てて駆け落ちするか、二人の恋の行方はどうなっちゃうの~~~~!? 的なストーリーになっているわ。


 でも結局婚約者に近づくヒロインが気に食わなくて嫌がらせをしていくうちに、様々な悪事が明るみに出て悪役令嬢は婚約破棄をされるし、その後は晴れてヒロインと運命の相手とは結ばれる流れになっている。

 恋を諦める事も駆け落ちする事もなく周囲からは祝福されて結ばれるので、そういう意味ではハッピーエンド……なのですが。



 暇な時に時間を潰すくらいの――例えば病院での待ち時間だとか――の合間にさらっと読めるくらいの軽い内容だったのです。

 だからこそ、お話として、創作物としてなら別に気にならなかったのですけれど。


 えぇ……こうして転生した今、わたくしあのヒロインさんに嫌がらせをしなければなりませんの……?

 という思いで一杯なのです。


 そりゃあまぁ、作中の悪役令嬢の気持ちはわからないでもないのです。

 自分の婚約者、将来の旦那がポッと出の女といい雰囲気になって自分をそっちのけにイチャイチャまではしなくても、そこはかとなくいい雰囲気出してたら不快な気分になっても仕方がない。

 浮気って知らなければ知らないからこそ何もない扱いができるけれど、知った以上知らなかった頃には戻れないのだし。

 遊びでも本気でもせめてこっちに気付かれないようにやれ、という気持ちもあるし、遊びならともかく本気ならまずこちらとの関係を終わらせてから始めるのが筋ってものでしょう、というのもある。


 だからまぁ、不誠実な己の婚約者に対してアタリがきつくなるのも当然だし、それと同じくらいヒロインさんの事が気に食わない気持ちもよくわかる。

 結果として嫌がらせに発展しちゃった気持ちも理解できなくはないのだ。

 相手が最初から筋を通して話を持って来たのなら、悪役令嬢だって気に食わないと思いつつも作中のような事まではしなかったはずなのだから。



 悪役令嬢の気持ちもよくわかる、と自分で言っておいてなんですが、けれどもわたくしヒロインさんを虐めるとなるととてもお断りしたい気持ちでいっぱいでした。


 いやだって……嫌がらせって、なんていうか、人としてどうなの……?

 もっとこう、法に基づいて潰した方がよくないです?

 それをわざわざ相手の土俵にのっかるような真似……


 というのが悪役令嬢に転生したわたくしの本心です。


 わかるのよ、勿論。

 悪役令嬢がヒロインに嫌がらせをしないと話が進まないというのは。

 でも、なんでそんな事をわたくしが? という気持ちもとてもあるわけで。


 確かに現時点、ヒロインさんはわたくしの婚約者といい雰囲気になってはいるけれど、でもまだ決定的な一線を越えたというわけでもない。精々今の関係は、男女という枠組みを超えて仲の良い友人、といったところかしら。

 どうとでも言い訳ができてしまう状況なのよね。


 そこでわたくしがヒロインさんに嫌がらせをしてごらんなさい。

 確かに婚約者に異性が近しい距離でいる、という不快感は理解されると思われるけど、醜い嫉妬だと言われる可能性もふんだんにあるのです。

 それって結局自分の評判地の底に落とすだけでは?


 やるならもっと自分に非がないと言えるだけの状況を作らないと、余計な敵ができてしまいそう。


 そう思ったからこそ、わたくしは原作をガン無視して普通に学生としての生活を送っておりましたの。

 確かに前世の記憶はあれど、今のわたくしは侯爵令嬢。家に、そして家族に泥を塗るような行いはとてもじゃありませんけれど、するはずがないのです。

 家族仲が死ぬほど悪くてどんな手段を使ってでも貴様らの評判を落としてやる、みたいな状況でもないので。


 むしろ愛情たっぷりに育ててくれた家族にまで迷惑をかける行為など……考えただけで人としてどうなの? としか思えなくて。


 わたくしの婚約者に関しては普通に好き、としか言いようがありません。

 親同士が決めたとはいえ、それなりに交流はしてきたし、そこそこの好意はあります。

 結婚する事に嫌気が、という事もないし、そんな彼と結婚し子供を作って産み育てる、という行為も想像しただけで生理的に無理……! なんて事もありません。


 燃え盛るひと夏のアバンチュール……ッ!! みたいな情熱的な愛はなくとも、夫婦としてやっていける程度の情はありました。

 まぁ、現状その程度の想いしかない、と言われてしまえばそれまでなので、正直そこまで嫉妬して……という事もないのですよね。


 恐らく前世の記憶が蘇った弊害でしょう。



 ともあれ、わたくしはヒロインさんに嫌がらせをしようと思った事はなかったし、実行した事もありませんでした。


 それに業を煮やしたのは勿論ヒロインさんです。

 お互い転生者同士。原作の展開を恐らくはヒロインさんも知っている。

 だからこそ、本来起きるはずの出来事が何も起きないという事はさぞ腹立たしいとは思うのです。


 けれども、ヒロインさんは転生したこの世界がまるっと全部あの原作と同じ! とは思っていないタイプだったのでしょう。

 わたくしに悪役令嬢をきちんとやれ、なんぞという言いがかりをつけに来るような事もありませんでした。


 さて、わたくしがヒロインさんに嫌がらせや虐めといった行為をしなければどうなるか。


 ヒロインさんの学院生活が平穏でとても穏やかに過ごせるという事になります。

 普通に考えればとても素敵な事ですよね。


 ですが、それはつまり、山も谷も何にもない平坦な道を行くようなもの。

 要するにわたくしの婚約者との仲も進展しないという意味になってしまいます。


 何らかのイベントを作ろうにも、露骨すぎれば彼だって作為めいたものを感じて何かの陰謀論を疑うでしょうし、自分の立場を引きずりおろしたい派閥が絡んでいる、なんて疑いだしたら自らの行いを顧みて立ち振る舞いにもうちょっとくらいは気を使う事でしょう。

 慎重になればその分ヒロインさんとの仲の進展も大分ゆっくりになるでしょうし、それはきっとヒロインさんにとっても望まぬ展開。


 原作を知る、というのはつまりそれだけ原作に振り回される事でもあります。

 原作に無いドッキドキな恋愛イベントを作ったとして、下手に滑った場合その先にあったはずの恋の進展チャンスも全て逃がしてしまいかねません。

 何故なら既に原作と異なった状況として、悪役令嬢が悪役をしていないのだから。

 原作通りの世界ではない、と思いながらも、あまりにも原作から逸脱するような事になったら自分にとって何らかの不都合が舞い降りるのではないか……と、どっちに転んでも面倒な想像をするようになったのでしょう。


 故に、自作自演でわたくしに嫌がらせをされているように見せかける事にした。



 まぁ、その手の話も前世で見た覚えがありますし、気持ちは多少理解できなくもありません。

 なるべく原作に沿うようにすれば、失敗は少ないのではないか、と思ったのでしょう。


 未知のイベントを作り出すより、原作にあった展開に見せかけた方が成功率は高いのかもしれない……という考えも、ほんの少しくらいはわからないでもないのです。


 えぇ、きっとヒロインさんもその方がその後の立ち回りもどうにかなりそうだと思ったのでしょう。



 結果としてそれがヒロインさんの終焉の始まりだったと言えなくもないのですが。


 話は少し変わりますが、この世界には魔法を使える人間はいないけれど、しかし魔法を使える存在はいます。

 昔は妖精や精霊といったものが普通に見えていたようですが、けれど徐々に人の目には見えなくなり。けれどもその存在は今でも在るのだと時折証明されるかのような出来事が起きる。


 身の回りで不思議な事が起きるのは妖精や精霊が身近にいるから、と言われているのがこの世界です。


 酷い悪戯をされる事はないのだけれど、時折風もないのに髪の毛を軽く引っ張られたりだとか、机の上の物がちょっとだけ移動しているだとか。そんな些細な出来事が沢山あるのが当たり前の世界なのです。


 物が完全にどこかにいった、とかまではしないので、もし完全になくなった場合はそれは彼らの仕業ではないとも言われているし、時々妖精や精霊向けに自分が寝る前、窓辺やテーブルといった場所にクッキーやミルクを置いておくと翌朝綺麗になくなっている、なんてのも当たり前の話です。


 目には見えずとも良き隣人、くらいの距離感で接していれば、場合によっては困った事を助けてくれるなんてこともあるようです。


 たとえばうっかりどこぞの部屋に閉じ込められてしまった時、外からカギを開けてくれたりだとか、はたまた頼りになりそうな人を助けに呼んできてくれるだとか。

 失せ物を見つけてくれる、なんてこともよく聞く話です。


 目には見えないけれど、それでもその隣人と仲良くやろうとするのであれば、彼らはとても友好的な存在なのです。



 そして、ヒロインさんはそんな妖精に生まれついて好かれる体質でありました。



 原作では、それもあったからこそ悪役令嬢の虐めを受けてもそこまで酷い事にはならなかったのです。

 一歩間違えていたら大怪我をしたかもしれない出来事も、妖精たちがそっと助けてくれたから事なきを得た。


 目に見えない隣人の事などすっかり記憶にない悪役令嬢は、あの悪運の強い女め……! と余計に敵意をみなぎらせていくのですが……最終的にはその妖精たちの活躍で悪役令嬢の悪事は全て明かされる事になるのです。


 ちなみにわたくしも目に見えない妖精の存在など幼い頃はあまり信じていませんでしたが、前世の記憶が蘇ってからはいるんだろうなぁ、と早々に受け入れて割と頻繁にミルクやクッキー、時としてチョコレートなどのお菓子を寝る前に用意するようになりました。

 決して目には見えないし、食べてる所なんて絶対に見る事ができないけれど。

 でもとてもメルヘンじゃないですか。

 見えてなくてもこちらの声は聞こえているっぽいので、寝る前に今日のお菓子はどういったものか、なんて軽く説明してみたり、お父様が仕事で行った先のお土産にとくれたキャンディをおすそ分けしてみたり。

 滅多に取れない花の蜜から作られたキャンディとか、妖精さん好みかなって。


 美味しいお菓子のお礼かはわかりませんが、時々窓辺にそっと一輪の花が置かれたりするようになったのです。


 正直ヒロインさんと婚約者の恋の行く末よりも、次はどんなお菓子を妖精さんに用意しようかしら、とかそっちの方に意識を持っていかれていました。

 ただでさえ嫌がらせとか人としてちょっと……と思っていたけれど、この件もあって余計にヒロインさん? はぁまぁどうでもいいですわ、みたいになっていたのは否定しません。実際どうでもよかったのですもの。



 さて、そんな生まれながらに何故だか知らないが好かれる体質をもっていたヒロインさんですが。


 原作にあったような虐めの現場を一人せっせと捏造し、わたくしに嫌がらせをされているかのような状況を作り上げたりもしておりました。

 とはいえ、普段はクラスも違うので会おうと思えばどちらかがどちらかの教室へ足を運ばないといけません。


 ですが、ヒロインさんが虐められているというのなら、そんな虐めをしてくる嫌な女にわざわざ会いに行かないでしょうし、わたくしだって虐めるために出向くなどするはずがありません。授業が終わればさっさと帰って妖精さん向けに今日あった出来事とか語ってみたり、折角だからと妖精さんが好きそうな音楽を奏でてみたり。

 新しいお菓子の開発にも余念がありません。


 なので、たとえ1%といえどもヒロインさんのために使って差し上げるような時間はないのです。


 わたくしが授業が終わると早々に帰るのは大勢の生徒が目撃しているので、放課後にわたくしに虐められたなどとヒロインさんが言ったところで信じる人はほとんどいませんでした。

 だって家の馬車に乗りこんで学院を出るところまでばっちり目撃されているのに、その後こっそり引き返してきて……とか、仮にも侯爵家の令嬢がするはずありませんし。むしろ馬車を下りてわたくしがわたくしとわからないよう変装して学院に戻ったとして、そうなれば今度はわたくしが不審者に間違われかねません。

 学院の警備はそこまでザルではありませんので、ヒロインさんの言い分にはかなりの無理があったのです。



 他にも色々と原作であったらしき嫌がらせを自作自演でやろうとしていましたが、そのどれもが失敗しておりました。

 結果として性質の悪い妖精に目をつけられたのではないか? なんて言われるようになっていました。

 可哀そうに、妖精さんたちは何もしていないのにとんだ冤罪。なんて奴なの。


 ヒロインさんは確かに妖精に好かれる体質であったようだけど、だからって全面的になにもかもを助けてくれるわけではありません。

 勿論、原作にあったような危機的状況の時は助けてくれたりもしたかもしれませんが、自分で自分を傷つけようとして、しかもそれを別の誰かのせいにしよう、なんていう悪質な悪戯に便乗する妖精さんはいなかったのです。


 妖精や精霊が基本的に良き隣人とされているのは、ちょっとした悪戯をしても人の命に関わるような事はしなかったからというのもあります。

 むしろ悪事を働こうとした人に悪戯をしてその悪事を未然に防いだ、なんて話もあるくらいです。



 なので、まぁ、こうなる事はもしかしたら必然だったのかもしれない……とは思っているのです。



 結果として事件は起きてしまいました。



 今までの自作自演だってそもそもほとんど失敗したのだから、いい加減懲りればいいのにヒロインさんはいよいよ最後の手段とばかりにやらかしたのです。


 そう、悪役令嬢に階段から突き落とされて危うく死ぬかと思った大作戦ですわ。


 確かに階段から突き落とされるシーンは原作にもありました。

 けれど、その時は妖精さんが一生懸命ヒロインさんを助けようとして、結果大きな怪我をすることもなくヒロインさんは助かるのですが。



 まず自作自演をするにしても。


 前提条件、というのがありますでしょう?


 冤罪を吹っ掛けるにしても、まずわたくしがヒロインさんと同じ場所、それも階段の上にいていかにも突き落としました、みたいに見えるような状況とか。


 たまたまその場に居合わせただけで本当に何もしていなくても、疑わしい状況というのは作り出せますもの。

 それっぽく見えれば、ほんのちょっとでも疑いが向けば。

 そこからいかに同情心を抱かせるか、周囲を味方につける事ができるかで、今後の展開というものを操る事はできます。


 やった事に関する証拠は出せても、やっていない証拠を出すのは難しい。

 その場にいなかった、とかであればまだしも、状況証拠が既にそいつが犯人だ、みたいな状態の時は特に難しいものです。いくら必死にやっていないと訴えても、その必死さが逆に怪しいと見られてしまいますので。



 ともあれヒロインさんはやらかしました。


 階段の最上部から、まるで誰かに押されたかのような悲鳴を上げて転落したのです。


 ですが――



 その時わたくしたちがいたのは、学院で時折使われるダンスホールでした。

 次に行われる行事イベントの事前確認もあっての事です。

 そして、ダンスホールは吹き抜けになっていて、二階から下を見下ろす事も可能ですが、その二階のチェックをするのにヒロインさんはホールの一番目立つ階段を使い上に上がっていったのです。

 ちなみにその一番目立つ階段は、上から学院長や時折王族が登場する際に使われる事が多い階段でもありました。

 ホールの真正面にドドン、とあると思ってくれて合っています。

 それ以外にも、目立たないように両端からも階段で上に移動する事はできますが、まぁそれはさておき。


 そも一番目立つ階段を使って上まで行って、そこでまるでヒロインさんは誰かに突き落とされたみたいな悲鳴を上げて落下したのです。


 わたくしたちが見ている中で。



 その時わたくしは、一階部分の壁際におりました。つまり、仮にヒロインさんが無事であったとしても、わたくしに突き飛ばされたなんて事はとてもじゃないが言えるはずがない場所です。それにすぐ近くには友人もおりましたし、少し離れた場所にはわたくしの婚約者もおりました。わたくしが突き落としていないのは明白です。

 本来ならば、危険な状況になったのなら妖精さんがヒロインを助けるはずでした。

 ですがヒロインさんを助ける妖精はいなかったのか、ヒロインさんは最上段から転落し――


 打ち所が悪かったのでしょう。

 首も腕も足も、おかしな方向に捻じ曲がっていて、ぴくりとも動きませんでした。


「き――きゃああああああああああああああ!?」


 喉の奥がひきつったような悲鳴が、そこかしこで上がりました。無理もありません。

 目の前で人が死ぬ瞬間を目撃したのです。これが、二段目くらいでけつまづいてびたんっ、と音を立てて転んだくらいなら何やってんだよと笑いごとにできたでしょう。

 ですが、死んでいるのです。笑い話になどできるはずがありません。


 ちょっぴり良い仲になりつつあった女性が目の前で死んだ事で、わたくしの婚約者は大層顔を青ざめさせていましたが、その死体に泣き縋る程ではなかったようです。いえ、もしかしたらまだ現実を受け入れていないだけかもしれません。


 ともあれ。



 教師たちによってわたくしたちは一度教室に戻され、その後速やかに帰宅するようにとなりました。



 人が死ぬ瞬間を見てなお、この後普通に授業を受けられるか……となれば。

 ほとんどは難しい話だったのでしょう。実際意識を失って保健室に運び込まれる生徒もおりました。

 気絶しなくても、ギリギリで何か一押しすれば倒れるだろうな、という生徒も多くいました。

 何かの冗談じゃないか? なんて震える声でどうにか冗談であれと軽口を叩こうとしている生徒もいました。ですが、その方の声は誰が聞いても震えていたし、顔色も真っ青だったので虚勢であるのがバレバレです。


 不謹慎だぞ、と言う人はいませんでした。


 皆、先程見た光景を夢であれと思っていたのです。

 現実だと思いたくなかったのです。

 いずれ受け入れるしかないとしても、すぐに受け入れられるはずはなかったのです。



 家からの迎えがやってきた生徒たちが、馬車に乗って帰っていって。

 わたくしも本来ならばまだ授業をしていただろう時間に帰宅するとなったけれど、既に学院から説明がされていたのでしょう。家族からは大層心配されました。


 わたくしだけではなく、あの場にいた生徒は皆貴族なので、それはもういずれ、誰かを殺すような事になるかもしれません。けれどそれはあんな直接的にというわけではなく、もっと間接的に――その場であからさまな死を、というわけでもなく。

 追放するとか、社会的に失墜させるとか、もっとこう、婉曲な方法であるはずでした。


 直接目の前で死体を見るような状況にはならないはずでした。


 殺すつもりがなくたって、領地を経営している貴族なら、政策の失敗で民を失う事だってありましょう。

 殺すつもりがなくたって、人は常に何かを犠牲にして生きていくものです。


 けれど、ヒロインさんの死はあまりにも直接的で、鮮烈なものでした。

 今もまだ目を閉じればその光景がありありと浮かんできそうで、今日は果たして眠れるかしら……と不安にすらなります。


 手や足だけなら、骨が折れたのだな、くらいで済んだでしょう。

 でも首までもが、有り得ない方向に捻じれ曲がっていたのです。

 そして死んだ直後の、何の感情もない虚ろな瞳。

 ヒロインさんの何もかもが、まるで夢に出てきてもおかしくないくらいに。


 それくらいの衝撃だったのです。

 わたくしも前世の記憶が蘇った事で、あぁ、前世の自分は死んだのだな、とは理解しましたがしかしどのような死に方をしたかまでは覚えていませんし、前世の記憶といっても何もかもがハッキリ思い出せたわけではありません。


 毎日ニュースで誰かしら死んだとは聞きましたが、でも実際に誰かが死ぬところを見たわけではなかったのです。


 そんな状態のわたくしに、ヒロインさんの死はあまりにも濃いものでした。



 食欲もなくて、どうにか気持ちを落ち着けるハーブティーだけをもらって、眠りにつけるかはわからないけれどベッドに横たわるようにしてわたくしはその日を過ごしました。


 いつものように今日あった出来事を妖精さんに語ろうにも、いつもみたいに楽しい話題は出せませんでした。


 ぽつ、ぽつ、と小さな雨のように、静かに自分の中で整理するように、言葉を紡いで。


 彼女は妖精に好かれていたはずなのに、どうしてこんなことに……? という疑問が口から出て、それからわたくしの精神が疲れ果てた結果、思っていたよりもあっさりと眠りに落ちたのです。



 翌朝。


 目が覚めたわたくしの周辺には、紙が散らばっておりました。机の中にあった便箋です。

 そのうち使う予定のものだったので、誰かの手紙をばら撒かれたとか、誰かに送るはずのものだったのをばら撒かれたわけではなかったけれど。


 妖精さんがこういった事をしたなんて事、今まで一度もなかったので最初誰かが――それこそ使用人や家族が――したのかと思いましたが、そこに書かれていた文字を見てそれが妖精さんなのだと気づきました。



 いつもおかしありがとう。

 あの子はたしかにぼくらに好かれてる。

 だから。

 てだすけした。

 あの子がなにをしたかったかはよくわからないけれど。

 やろうとしていることはわかったから、ちょっとせなかをおしただけ。

 あの子のたましいはこれからみんなのところにいく。

 これからは、ずっといっしょ。


 そういった事が、つたない文字で書かれていたのです。


 もうそれが全ての答えでした。



 確かにヒロインさんはわたくしに虐められたという捏造をするために、ここ最近はずっと自作自演のためにあれこれやっていました。

 わたくしからすればそれはわかりやすいものだったけれど、周囲が見たら確かに何してんだ? と思うものだったのでしょう。

 そしてそれは、妖精さんたちにとっても。


 今回は、ヒロインさんが階段から落ちて、それでもどうにか助かって悲劇のヒロインになるはずでした。

 ただ、まぁ、わたくしの立ち位置とかもうちょっと考えてから実行するべきだったのでは? と思わないでもないのですが。


 ……いえ、もしかしたらヒロインさんはわたくしがどこにいたのかをわかっていたのかもしれません。

 だから、本当ならばあの時点で落ちるつもりはなかったのかもしれない。


 でも、最近のヒロインさんの事を見ていた妖精さんたちは。

 それがヒロインさんの助けになると思って、そっと手を貸した。

 どうして落ちる必要があるかはわからなくても、ヒロインさんがやろうとしていた事は把握していたから。

 落ちるにしても、その勇気がないのかもしれない――そう思って、文字通り背中を押したのだろう。


 あの時、ヒロインさんは確かに自分から落ちていったように見えたけれど。

 実際は本当に突き落とされた。

 自分から落ちたのなら、受け身をとるだとか、せめてある程度庇うようにできたかもしれない。

 けれど、そうじゃないのなら。


 受け身も何もとれない状況で無抵抗にあの階段の最上段から落下したのであれば。


 ヒロインさんは自作自演のために落ちたのではなく、事故というわけでもなく、妖精たちに殺された事になる。

 本当だったら落ちても生きている予定だったはずだ。

 もし、わたくしが悪役令嬢として正しく原作のように人気のない場所で、放課後の校舎で。

 そこで、ヒロインさんを階段から突き飛ばすようにしていたのなら。

 妖精たちはヒロインさんを助けたはずなのだ。


 だがしかしわたくしが虐めとかちょっと……と真っ当な人間ムーブをかましていた結果、ヒロインさんは本来自分を助けてくれるはずだった妖精に殺される結果となった。


「は、はわわ」


 わたくしの口から言葉にならない声が出る。


 しかも。

 しかもだ。


 ヒロインさんは死んだあと、その魂は妖精や精霊たちがいるだろう場所へと連れていかれるのだという。


 つまりは、自分を殺した相手と死後一緒に過ごす事になるのだ。


 これが、原作通りであったなら。

 今まで自分を助けてくれていた相手と死んだ後も一緒になる。現実では好きな相手と結ばれて、死後は妖精たちと天国らしき場所で楽しく過ごすはずだったのかもしれない。


 けれども実際は。


 自分を殺すことになった相手とその魂が消えるまで一緒なのだ。


「えっ、これ彼女の情緒大丈夫……?」


 何故って殺した相手と殺された本人。

 加害者と被害者の関係なのだから、ヒロインさんが知ったらどうなっちゃうんだろう……としか思えない。


 好きな相手とはうまくいかなかったし、挙句自分を助けてくれるはずの人外は何を思ったか自分を殺す始末。更にそんな相手に魂だけとなった死後はずっと一緒となれば。


「はわわ」


 とんでもない事になってしまいましたわ。


 最早わたくしの口からは言葉にならない音しか出てこないくらいとんでもない事になってしまいましたわ。


 と、とりあえず妖精さんと多少なりともやりとりが可能である事は確かみたいなので、わたくしはうっかりで殺されないように気を付けなければいけませんね。

 だって妖精さんはあくまでも妖精なので。

 人間と同じ感性や価値観というわけではないのですから。



 わたくしは改めて良き隣人と言われている異種族との関わり方は細心の注意を払うべきだ、と強く心に刻みましたの。


 その結果は……


 まぁ、婚約者と結婚してそれなりに平穏な人生であった事から、間違ってはいなかったんじゃないかしら……とだけ答えておきましょう。

 悪戯で人を殺す妖精はいないけど、善意で助けようとして結果殺す事はある。人外あるある。


 次回短編予告

 やっぱり悪役令嬢とヒロインもの。

 多分ヒロインは転生してるかもしれないけど作中にそういった表現は出てこないよ。

 なんちゃって日記風で今回より文字数少なめ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 古典だとチェンジリングとして気に入った子供を攫って身代わりの子置いてくからいいよね!みたいなムーブするからな妖精……
[一言] ちょっとしたホラーだコレ! 倫理観も何もかも違う相手ってのはコレだから怖い
[良い点] はわわ!吹き出しました!笑えるダークファンタジーで楽しく読みました。ヒロイン何やってんねん? [一言] ダークな物語だと、ヒロインのやらかした色々を妖精さんが遊びだと思って、「あちらの世界…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ