アパートと電信柱
久しぶりの友人からの誘いで、彼の家に遊びに行ったときのことです。
その日はちょっと蒸し暑い夜でした。
彼のアパートは2階建てで、一番端の部屋が彼の部屋です。
多少古いですが、都市近郊で交通の便や日当たりも良く、羨ましい物件です。
彼の部屋の前に着くと、僕はふと視線を感じ、後ろを振り向きました。
彼のアパートから見て、道路の反対側の右側に電信柱が立っています。
その電信柱に隠れるように、なにやら視線の主が居る様です。
ジッとこちらを伺っています。
しかし悪意は感じられず、しかも「気」も弱い為に、僕はそのまま彼の部屋のチャイムを鳴らしました。
「ちょっと待って。今開けるから。」
彼が出てきた瞬間、先程まで弱々しい「気」だったのが一気に膨れ始めました。
「なんか変な物に魅入られたな・・・コイツ・・・」
と思っていました。
でもそれ位で悪意はまったく感じられません。
しかし僕が彼の部屋に足を踏み入れた途端、背中がゾクりとしました。
「帰りになんとかしよう・・・」
と思う程度でしたが、その視線はかなり鋭くなっています。
彼の部屋に通されると、冷たい缶コーヒーを頂きました。
ひとしきり昔話に花が咲き、そのことも直ぐに忘れました。
ところがひと段落が着つくと、彼が急にあらたまって話し出しました。
「・・・実は、っていうかちょっと聞いてくれる?
全然話が違うんだけどさ・・・
というかこの部屋に引っ越してからなんだけどさ・・・
最近ちょっと彼女の様子が変なんだ。」
「彼女が変?どんな風に?
!?・・・っていうかお前・・・彼女!?聞いてないぞ!?
っていうか彼女出来たんだ!!」
「茶化すなよっ!」
彼は一瞬照れくさそうに笑いましたが、直ぐに真顔になり腕を組みながら、
「こんな事お前だからこそ話せるんだけどな、
アイツ(彼女)が言うにはこの部屋に来ると、必ず誰かにずっと見られてる様な気がするって言うんだ。
しかも、物凄く気分が悪くなるって・・・」
「ふんふん・・・それで?」
「しかも帰る時、
アパートを出るといつも同じ場所に女の人が立ってて、こっちをジッと見てるんだって・・・
目も合ったっていうんだよ・・・
気になって振り返ると誰も居ないだって!!!
最初は気のせいかとも思ったらしいんだけど、
いつも同じ場所、同じ格好してるから、同じ人に間違いないって!!!
気味悪がっちゃってさ・・・」
「なるほど・・・」
「それからかな?
彼女がだんだん調子が悪くなって、
来るたびに調子を崩しちゃってさ・・・
最近では俺んちに来たがらないし・・・」
僕は話を聞きながら、先程の影の事を思い出していました。
すると彼が
「もしかしたら!って思ってさ、
不動産屋に出向いてこの部屋が実はワケアリなんじゃないかって問い質して来たんだ。
でも、それが微妙で、
俺の前は女で3年住んでて、その前は男でこれが半年。
短いな・・・って思っていたら、その前は女で5年以上住んでる・・・
その前は男でこれまた3ヶ月・・・
その前は新築から入っている男でこれは長くて、5年ぐらいだったかな?
なんかちょっと変だろ?
でも、もし幽霊が出るだのの話なら女性が何年も住む訳ないだろって逆に不動産屋に怒鳴られちゃったよ・・・」
確かに妙な話ではあります。
女性は何年も住んでいるのに、男性は最初の人以外、3ヶ月から半年で転居・・・
この辺りにナゾを解くヒントが隠されている気がします。
「何で男はそんなに短い期間で出ちゃったのか聞いた?」
「うん。聞いたけれど詮索はしないから聞いてないって。」
「半年はともかく3ヶ月は短すぎるよな・・・」
「転勤族だったのかな?」
昔のことなので、ここでどんなに議論しても無意味なことです。
アパートの前の影の事を言おうかとも思いましたけれど、彼は「霊」の類を信じていないので敢えて伏せていました。
暫くすると
「なんかお前に話したら気が楽になった!
今度その彼女を紹介するよ!
ま、今夜は飲みにでも行こうぜ!
奢るからさ!」
彼はそう言うと
「近くに上手いつまみのある飲み屋があるんだ。
今夜は泊まっていけよな!
朝まで飲むぞ~~~!」
そう言いながら外に出ました。
僕もその後に続いて外に出てみると、先程の場所で異様な「気」の高ぶりを感じました。
先程の「気」の膨れ上がり方とは較べられない程です。
気になって意識を集中してみました。
もしこれを表現するとするならば、
恋する女性が、思いを告げられずにこっそり様子を見ている・・・心情・・・
とでも言うのでしょうか?
想像すると・・・
恋心を告げる勇気はないけれど、家でじっとしてはいられない。
それで彼の家の傍までは来たけれど、それ以上は近づけない・・・
部屋をじっと見ているだけでしたが、たまにその彼が部屋を出ると一気に緊張が高まり、
上気していく・・・
でもそれだけの関係・・・
こんな感情なのでしょうか?
まさに彼への恋慕の気が高まっているかのようです。
しかもそれがまったくの純真な「気」なのです。
こんな「気」は初めてでした。
慌てて僕が彼の後を追うようにして階段を降りると、彼は既に数メートルほど先を歩いていました。
しかもあの電信柱の方向です。
彼をずっと電信柱の影は見つめています。
彼が直ぐ横を通った時、最高潮を迎えていました。
そして彼が電信柱を通り過ぎると今度は切ないばかりの「気」が漂い始めます。
その始終に感情が入り、見守っていました。
その次の瞬間・・・
その視線が唐突に僕に向きました。
しかし、その視線は激しい嫉妬と憎悪に変わっていたのです。
虚を突かれたとはいえ、圧倒されそうな程の強さの「気」でした。
「ああ・・・ヤツの彼女は・・・来るたびにこれを受けるのか・・・」
今まで男性の住人が長く続かなかった理由も分かった様な気がしました。
しかしこの影の本当の事情は分かりませんが、これ以上彼の彼女を苦しめたくはありません。
そう思い、影に近づきました。
先程の「気」の情景を見ていたので油断していました。
氷室君に教わった早九字を切ろうと両手を上げた途端・・・・・・来ました。
この影の方が一足早く僕に飛び憑いて来たのです。
早九字は少しばかり時間が掛かります。
僕はまだ歩きながら早九字を切ることは出来ません。
「気」が錬れないからです。
あまりに咄嗟の事態に間に合いませんでした。
僕は「気」を張るので精一杯でした。
しかも制御も出来ず、一気に放出してしまいました。
影・・・が僕の「気」に触れたことで、「彼女」のことが分かりました。
「彼女」は彼に憑いていた訳でもなく、彼の彼女に憎悪を抱いていた訳でもありませんでした。
想像通り、「彼女」が生前、思いを寄せる人が彼の住んでいる部屋に住んでいたのです。
ただ「あの部屋」に住んでいる「男性」に、何者かが近づくのを妨害していた訳です。
そして想いを告げられぬまま、彼女は亡くなってしまったのです。
もちろんその想い人は当の昔に引越しています。
恐らく最初にこの部屋に住んでいた男性だと思います。
もしかするとその男性は彼女のことさえも知らなかったかもしれません。
そしてその強い想念だけが残り、こうしてあの部屋を見つめ続けていたのでしょう。
僕の場合には「敵」とみなされてしまった様ですが、
もしこれが、僕でなく氷室君だったら・・・どうしたでしょうか・・・
どのように対応したのでしょうか・・・
昔の記憶に思いを巡らせているとあの「犬」の事を思い出しました。
彼に声を掛け、コンビニで線香を買いその電信柱の元に供えました。
本当は「彼女」の墓前が良いのでしょうが、そこまで調べることが出来ません。
お経は知らないので、手を合わせて祈るだけしか出来ませんでした。
彼が気味悪がったので、
「さっきの話しとはまったく関係ない事だよ。」
とはぐらかしました。
「お前はそれだから気味悪がられるんだよ!」
と毒づかれましたが
「じゃあ、終わったんなら気分を変えて飲みに行こうぜっ!」
僕は彼のそんなところに助けられます。
その夜はあの「彼女」の事を思うと、酒に身を委ねるしかありませんでした・・・
なんとも後味の悪い結末でした・・・