演奏家たちの夜
「忘れ物ないか?」
「打楽器梱包終わりました」
「あ、トラック来ました」
練習場所はいつもより騒がしく、いろいろな声が飛び交っている。
「打楽器トラックに積み込み開始します」
リーダーの一声でみんなが動き出す。コントラバスやティンパニーなどの大型楽器をどんどん載せていく。
「鐘載せます」
その一言で空気が変わる。今から載せる鐘は今日の夜、広場で行われる演奏会の最後の曲で使用する大切な鐘だった。この地域で古くからクリスマスイブの夜にだけ、鳴らされてきた鐘。複数の人が鐘を持ち上げた。そのときだった。練習場所に金属音が響き渡る。
「あぁ!」
手を滑らせて鐘を落としてしまったのだ。
「まずいですよ。これは」
「鐘は大丈夫か!」
指揮者も駆け寄ってくる。
「あ……」
1人の人が鐘を見て言う。
「ここの鐘のねじが折れてしまっています。あと鐘が歪んでしまっています」
練習場所の空気が一瞬にして凍り付く。
「これは……まずいな……」
「本番は5時間後ですよね……」
「この鐘を鳴らさないわけにはいかないんだよな……」
しゃがみ込んでいたリーダーが立ち上がる。
「今日空いている楽器店を探します。とりあえず、この鐘以外のものを積み込んでください」
「わかりました。そうしましょう」
それぞれ動き出す。僕は普段から楽器調整の日の決定などにかかわっているので、普段一緒にその仕事をしている人のもとへ向かう。
「どうしようか」
「まずいよな。これ。クリスマスに楽器の修理をしてくれる楽器店なんてそうそうないぞ。部品だってあるとは限らないし」
彼が言った。
「そもそもこの鐘の部品ってあるのか?だいぶ昔のやつじゃん」
僕は言う。さっき落とした直後に見たところ、1本のねじが折れていた。
「そうだな。職人に頼んで作ることはできても今すぐに取り付けられる部品はないかもしれない。鐘がへこんでいたらへこみを修復しても、音色が変わってしまうかもな」
彼はそう言うと手元の携帯電話に目を落とし、近くの楽器店の一覧を見始める。
「うわほとんど定休日だよ。あ、こっちは修理するスタッフがいないって」
「やっぱりそうだよな……とりあえず近くの楽器店に分担して片っ端から電話をかけよう」
「了解」
僕と彼は練習場所から出て、それぞれ電話をかけ始める。
「すみません。今日は直せるものがいなくて」
「うちは管楽器だけなんです」
「そんなに昔のものはうちじゃ直せません。すみません」
予想通り断られる。そもそも、電話がつながらない店がかなりある状態だ。
「くっそ。全然見つからねぇ」
彼の声が聞こえる。
「まずいな。あとここしかないぞ。ここが無理だったらもう、どうすることもできない」
僕はそう言い、電話番号を入力する。
「お電話ありがとうございます。くすのき楽器です」
「楽器の修理をお願いしたいのですが、今日って可能ですか?」
僕は聞く。心臓がばくばくとなっている。
「可能ですよ。なんの楽器でしょうか?」
「かなり昔に作られた鐘なんですが……毎年クリスマスイブの夜に鳴らしている鐘が壊れてしまって」
「あぁ。あの広場の演奏会で使われる鐘ですね。わかりました。店でお待ちしております」
「ありがとうございます」
僕はそう言い相手が電話を切ったのを確認する。
「見つかったぞ!楽器店」
「よし!今から向かおう。お前の車、多分鐘積めるよな?」
彼が身支度しながら僕に問いかける。
「積めると思うよ」
僕たちは車に壊れた鐘を積んで、楽器店へと向かった。
その楽器店、くすのき楽器は商店街から少し離れたほとんど建物が立たず木々や草花が生えた自然の中にある、小さなお店だった。
「すみません」
僕たちがドアを開けるとドアにつけられたベルがからんと鳴る。
「いらっしゃいませ」
中にはおじいさんとおばあさん、その娘だろうか。3人の人がいた。
「先ほど鐘の修理でお電話させていただきました」
「お待ちしておりました。楽器はどちらでしょうか?」
「車の中です。おろしてきますね」
僕はそう言い、彼と車に向かい、楽器を店に運ぶ。
「これなんですけど……」
僕たちはおそるおそる鐘を差し出す。
「あなた。これどう思う?」
おばあさんが作業場にいるおじいさんに話しかける。どうやらこの楽器店はおばあさんとその娘が接客をし、おじいさんが楽器の修理を行っているようだった。
「どれどれ」
少し背の曲がったおじいさんがゆっくりと立ち上がりこちらに来る。
「なるほど」
鐘のへこみ方や折れたねじを確認しているようだ。
「演奏会は何時から始まるんだい?」
おじいさんが僕たちに尋ねた。
「午後7時です」
「そうかい。わかった。やってみるよ」
「え、ほんとうですか!?」
僕たちは前のめり気味の体制でおじいさんに聞く。
「あぁ。だいぶ古いから直せるかどうかわからないがやってみるよ」
おじいさんは鐘を撫でる。
「ありがとうございます!」
僕たちは頭を下げた。よかった。本当によかった。間に合うかどうかは分からないし、直るのかすらまだわからないけれど。
「この鐘をあっちまで運んでくれるかい?」
「わかりました」
僕たちは鐘をおじいさんの作業台の上に置く。
「ココアでも飲まれますか?」
娘さんとみられる人が僕たちに問いかける。
「あ、じゃあいただきます」
「お願いします」
「ちょっと待っててね」
娘さんは楽器店の奥へと消えていった。
僕は接客用に店内に置かれたソファーに腰掛ける。店内には楽器やお手入れセット、楽譜などさまざまなものが置いてあり、作業場も見えるようになっている。ところどころにクリスマスの飾りがあった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
僕たちは温かいココアを口にする。口の中で優しい甘さが広がった。僕たちはしばらくの間、作業中のおじいさんを眺めていた。後でもう一度、修理が終わった鐘を取りに来ようかとも思ったが、商店街、広場付近は夜にかけて人が多くなってきて再びここに来るまで時間かかる可能性があるので、僕たちは待つことにした。
「懐かしいね」
おじいさんが手を動かしながら言った。
「一度ね、この鐘がこの楽器店に修理で来たんだよ」
「え?」
僕たちは同時に声を出した。
「わしが子供の頃、父がこの店で楽器の修理をしていたんじゃがな、そのときに一度この楽器がやってきたんじゃ」
衝撃的だった。この鐘は一度も修理に出したことがないと思っていたからだ。
「わしは父が鐘をなおしている様子を傍で見ていたんじゃ。初めて目にした楽器を直していく父はすごくかっこよくてのう」
おじいさんは手を動かしながら話し続ける。
「これを見てみなさい」
おじいさんは立ち上がり、何かを持って僕たちのところへやってきた。おじいさんがもっていたもの、それはさっき折れてしまったねじの新しいものと楽器の修理した箇所等が書かれた色褪せ、茶色く変色した1枚の紙だった。
「これは……」
僕たちはその2つをじっと見つめる。
「これはわしの父が残しておいてくれたものじゃ。もし、また鐘がなにかの拍子に壊れてしまったとき使いなさいとこの鐘に使われているねじを余分に注文して作って置いてくれたんじゃ。そしてこの紙と一緒に保存しておいてくれた」
おじいさんは紙に目を落とす。
「だから大丈夫じゃよ。きっと演奏会には間に合うから」
おじいさんはそう言って微笑んだ。僕たちは安堵の胸を撫で下ろした。
おじいさんは再び作業場に戻り、作業を始めた。待っている間、おばあさんや娘さんといろいろな話をすることができた。そして作業開始から数時間後、おじいさんが立ち上がった。
「修理が完了したよ」
僕たちは立ち上がって作業場にお邪魔する。さっきねじが折れてできていた穴には、おじいさんのお父さんが残しておいてくれた1本のねじがぴったりと入っていた。
「鐘のゆがみも直したが、壊れる前と同じ響きの音が出るかは分からない。鳴らして確かめたいが毎年、クリスマスイブの演奏会の最後の曲でだけ鳴らされてきた鐘じゃ。鳴らすわけにはいかない」
おじいさんが鐘を撫でながら話し続ける。
「わしらは直接演奏会に行くことはできないがここから聞いているよ。楽しみにしてるのう」
おじいさんはそう言い、優しく微笑んだ。娘さんやおばあさんも微笑んでいる。
「ありがとうございます。鳴らしてきます」
「本当にありがとうございました」
僕たちはお礼を言い、鐘を持ち、店を出る。修理費を払おうとしたがそんなのはいらないと断られてしまった。
「よかったな。これで鳴らせる」
「ほんとによかった。広場へ向かおう」
僕たちは車に鐘を積み、広場に向かって出発した。
広場は様々な明かりと飾りで溢れていた。中央にあるクリスマスツリーの傍にはたくさんの椅子が並べられている。時刻は午後6時半。すっかり暗くなり、多くの人が広場に集まっていた。
「おお!来たか」
指揮者とリーダーが来る。
「無事直りました。どんな音が出るのかはまだ分からないのですが」
僕は言った。
「よかったよかった。今鳴らすわけにはいかないもんな。本番のお楽しみにしておこう」
指揮者はそう言い、笑った。
「さあセッティングしよう」
僕たちはセッティング作業に取り掛かる。
「間に合わないんじゃないかと思ってひやひやしたよ」
それぞれ楽器を手に持ち、集まりだしたメンバーが口々にそう言う。
「本当にすまなかった。俺が手を滑らせたから……」
1人のメンバーが震えた声でそう言った。
「直ったんだから気にすんなよ」
「前より響き増してるかも!?」
「そうそう。大丈夫だよ」
口々にみんなで言い合う。
「ほんとにありがとう」
本当にこの楽団は温かくて居心地がいい。僕の大切な居場所だ。
「そろそろ時間だ。いい演奏会にしましょう!」
「はい!」
時刻は午後7時となり、演奏会が始まった。クリスマスの讃美歌などを次々に奏でていく。そして、鐘を使用する最後の曲となった。
指揮者が手を構え、楽器を構える。僕が吹く楽器はトランペットだった。初めて手にしたのは12歳の頃だった。きらきらと光る管体とくっきりとした音に惚れた。僕は目を瞑り、木管楽器の優しい音に耳を傾ける。そして目を開き、僕も楽器を構え、たっぷり息を吸う。きらきらと美しい音が街を彩っていくのが見える。お客さんの顔も輝いて見えた。そして、音楽がシンバルの音とともに弾けた。
フルート、オーボエソロが始まった。ビブラートのかかった透き通るような高音がクラリネットやチューバ、ユーフォニアムの伴奏の上にのって響き渡る。フルート、オーボエソロが終わり、曲は鐘の鳴るクライマックスへと盛り上がっていく。僕は温かい息をたっぷりと楽器に入れる。木管楽器と金管楽器、弦楽器、打楽器の組み合わさった音が響きを増していく。僕は鐘のある方を見た。鐘を鳴らす人が構えている。そして鐘が鳴った。音楽は鐘とともに勢いを増す。僕が聴いてきたなかで一番美しい響きだった。音が星の粉のように光って、クリスマスの夜に溶けていく。楽器店まで届いただろうか。お客さんの目が輝いている。僕も少し前まではあそこにいたのだと思い出す。
大きな失敗をすることなく、演奏は終わった。僕たちは立ち上がる。大きな拍手に包まれ、演奏会は幕を閉じた。
音楽がこの先何百年、何千年、何万年後も残り続けますようにと願う。どれだけ技術が発達してもこの生の感動が共有され続けるようにと。
僕は手に持っているトランペットを撫でた。