7話 ニルドのばーか。
ストーカー行為の詳細あり。注意。
時は少しだけ遡る。ミスリーがしたためたニルドの行動歴について、調査官が本人に使用許可を取りにきたところだ。本人、即ちニルドである。
「ニルド・ニルヴァン、少しいいかな?」
「あぁ、まだ何か聞きたいことでも?何を聞いたところで無駄だと思うがな」
寒々しい簡素な取調室。その部屋の温度をより下げるように、ニルドは調査官を睨み付けながら冷たく言い放った。全くの冤罪で自分が身柄を拘束されていることに、ニルドはひどく腹を立てていた。
朝のことだった。いつも通りに騎士団に出勤しようとニルヴァン邸を出たところで、調査官と名乗る人物らに突然同行を求められたのだ。ニルドは突っぱねようかとも思ったが、調査官が提示した調査協力要請状を見て大人しく従った。しかし、大人しいのは身体だけ。ニルドの気高い心はそうはいかない。
―― 一体、なんだっていうんだ
泥棒に指示を出したことなど、全く身に覚えがない。あるはずもない。そんなことするわけもない。
ニルドは騎士として誇りを持ってやってきた。それなのに今、大事にしてきた『騎士』を取り上げられている。よく分からない泥棒の証言とやらで、汚されている。その事実に、まさにグツグツと煮えたぎる程の怒りを感じていた。
調査官からはここ数ヶ月の行動を覚えている限り教えろと言われ、記憶を頼りに話をしてはみたものの、ハンドレッドの件を除けば殆ど普通に勤務をしていただけだ。
ハンドレッドの件は秘匿できる部分はさすがに秘匿したが、そもそもにニルドがやったことと言えば、
・ワンスが捕まえたひったくり犯を連行したこと
・オーランド侯爵の夜会に出たこと
・ハンドレッドを尾行したこと
それくらいである。誰かに咎められることは何もしていない。
唯一、ワンスを騎士団本部に手引きしたことがあったが、フォーリアへの恋心を抜きにしても、ニルドの中では正義のためと言い切れる部分もあった。事実、ハンドレッドを捕らえたのはワンスの働きがあったからだとニルドは深く理解をしていたからだ。
ハンドレッドの国庫輸送詐取計画。あの計画書は後日ニルドも内容を確認した。そして、騎士団長含め、騎士団の上層部もハンドレッドの計画に戦慄をしたのだ。
もしあのとき、エース・エスタインからの情報リークがなければ、国庫輸送は丸ごとハンドレッドに取られていただろう。騎士団はそう判断をしていた。ハンドレッドは極めて優秀な詐欺師であった、ということだ。
―― 正しいだけでは真に救えない、か…
国庫輸送から2ヶ月間。いつだったか、ワンスが(テキトーに)言っていた言葉をニルドは何度も反芻していた。正しいことはあるべき姿だと、ニルドはそう思って生きてきた。しかし、正しくないことに全く価値がないかというと、そうではないのだとワンスを見て感じる部分があったのだ。
…と、まぁそんなことを寒々しい取調室で、ツラツラと考えていたニルドなわけだが、こんな真面目な考え事は次の瞬間に全て吹っ飛んだ。
「ニルド・ニルヴァン、君の行動歴の情報を持ってきた人物がいるんだ。ここ半年間の君の行動歴だ」
「は、はんとし?え?」
「これがその一部だ。調査に活用したいのだが個人情報であるからして、本人の許可なく使用は出来ない。検討してほしい」
そう言って、調査官は若干気まずそーにしながら紙束をそっと差し出した。ニルドは不思議に思いながら、軽い気持ちでその紙束をパラリと捲った。
二度見した。ゾッとした。当たり前である。
あまりにストーカーがすぎるので詳しくお伝えするのも憚られる。あまり読まれないだろうことを祈って、改行なしの長文でお送りしよう。ミスリーのプロストーカー行為の数々だ。
ニルドが家を出た時間、何時に騎士団本部に入ったか、巡回中の事細かな様子、一人で巡回をしたのか、それとも同僚と巡回をしたか、巡回中に何を話していたか、何回笑ったか、笑ったなら微笑みなのか爆笑なのか、ならず者を捕まえたならばどんなやつだったか、どのように捕まえたのか、嫌なことがあったならその内容、10段階で言えばどれくらいの嫌なことだったのか、外食なのであればランチのメニュー、食べるのに掛かった時間、誰と食べたのか、美味しそうだったか不味そうだったか、飲み物を飲んだ回数、騎士団本部に帰った時間、そして退勤後の寄り道、買い物をしたならばその内容、店員と話した内容、外食をしたならば店名や座った席、食べたメニュー、会った人物やその時間と会話の内容、そして帰宅時間。それだけではなく、髪のキューティクルや肌の質感から予測される疲れ具合、身体の調子が悪そうならその状態、咳をしたならばその回数まで、それらが全て細かく書かれていたのだ。記載がないのは、家にいる間と騎士団本部内にいる間。その時間くらいだった。なんてこった!ストーカーが過ぎる!
読むに耐えない。スクロール必須だ。
ちなみに、ミスリーは昼間はレストラン、夜は酒場で働いていたが、それはニルドの予定に完全に合わせてシフト勤務をしていた。勿論、時間が合わないこともあり、それがミスリーが言っていた『所々に抜けがある』という言葉の意味である。ガチである。
もちろんではあるが、ニルドは絶句した。
ニルドはモテる。ハチャメチャにモテる。だから、こういう熱烈な…言葉を選ばずに言えばストーカー的付きまといはよく経験をしていた。耐性があると言ってもいいだろう。しかし、ニルドは騎士であるが故に、素人レベルの尾行や監視などすぐに気付いたし、当然対処もしてきた。そんな自分がここまで調査されていることにも驚いた。
―― えーーー!?こっわ……えー?こえー!!
当たり前である。鳥肌ものだ。調査官も同情の眼差しで見ていた。
「こ、これは、、、」
青ざめてガタガタと震える手で紙束をそっと閉じた。出来れば見なかったことにしたい。これを誰が書いたものなのか知るのも怖かった。
しかし、そういうわけにもいかない。身柄拘束をされている今、王城にニルドの行動歴を持ってきたということはニルドを助けたいという気持ちの現れであろう。
―― いや、でも…こわっ…
その人物がニルドを助けようとしていたとしても、さすがに怖かった。青ざめる顔で縋るように調査官を見ると、調査官は気まずそうにしながら「許可を…」と言っただけだった。おぉ…無慈悲だ。
ニルドは『ふーーー』と大きく息を吐いた。覚悟をするように調査官に問い質した。
「確認なんだが、これは一体誰が持ってきたんだ?」
「女性だ。ミスリー・ミスラと名乗っていたよ」
「は!!!?ミスリー!!?」
「エース・エスタインさんが連れてきたようだが、行動歴を持ってきたのは彼女だ。使用するに当たって『個人情報だから本人に許可を取ってくれ。ミスリー・ミスラからの情報だと言伝を添えてほしい』と言ってきたんだ」
ニルドは度肝を抜かれた。しかし、もっと驚くべきことにその瞬間『なんだミスリーかぁ』と、すぐにストンと気持ちが落ち着いた。ミスリーで良かったと安堵すら感じた。
「じゃあ大丈夫だ。許可するから早く身柄を解放してくれ」
そうスルリと言葉が出た。
調査官が少し面食らったような顔をしながら部屋を出ていくと、ニルドは小さく息を吐いてから残された紙束をもう一度見た。単純に手持ち無沙汰だったのもあるし、ワンスとミスリーが一緒に来たのだったら、この紙束に何か意図があるのかもと思ったからだ。
パラパラと捲ってみると、機械的な記録の最後、その日の終わりには必ず『今日も大好き』とか『怪我しませんように』とか『大変だったね』とか一言だけ書かれていた。呟くように、一言だけ。それを見てニルドは確信した。
―― あ、これ本当にミスリーが書いたやつだ
恐怖は感じなかった。それよりも好奇心が疼いた。それと同時に何だか居心地が少し悪かった。彼女の心の内側を、見てはいけない内側を見てしまっているような感じがした。感じというか、まさにその通りなわけだが。
それでもニルドは彼女の心の内側をパラパラと捲り続けた。その権利が自分にはあると思ったからだ。
そして、偶然にもその紙束には、オーランド侯爵の夜会の日の記録が書かれていた。
ミスリーは賢い。だから証拠を残すようなことはしない。記録にはハンドレッドの『ハ』の字も書いていなかった。伯爵家嫡男としてオーランド侯爵の夜会に出席したと、それだけしか読み取れないような書き方であった。
でも、ニルドはその記録を見た瞬間、心臓がドキッと跳ね上がった。
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18:15 ダンス
18:43 挨拶
19:32
20:25 帰宅
23:56 就寝
ニルドのばーか。
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―― 見てたのか…
夜会の日、最後の弔いだからとフォーリアにキスをしようとしていたところをミスリーは見ていたのだ。19:32を空欄にしたままで、こんな誰も見ないであろう紙束の上で、そっとニルドへの文句を一言だけ零していた。
まぁ、フォーリアの処女が奪われたことを知ったミスリーが「はっはー!ニルドざまぁ!」とか言っていたのは、この夜会の翌日なわけだが…水を差すので捨て置こう(cf.53話)。
この行動歴をミスリーが書いたと知って疼いたニルドの好奇心。それは、ニルドにとってミスリーが謎だったからだ。
自分のことを好いていると聞いたときも『本当に?』と思うくらいに実感がなかった。勿論、ミスリーの告白が真剣だったため、彼女の気持ち自体を疑うことはなかったが。
ミスリーは面倒なワガママを言わない。過度な要求をしてこない。泣いたり怒ったりしない。大抵、ニコニコと笑っている。
ニルドが話をしたいときは『うんうん』と可愛らしい相槌をして聞いてくれる。ニルドが話すのが面倒なときは『あのね~』と、にこやかに面白い話をしてくれる。苛立つことがあった日は『何かあった?』と問いかけてくれるし、疲れているときは『大丈夫?身体に良い物を食べよ♪』と誘ってくれる。
ニルドがしたいと言えば応じてくれるし、帰りたいと言えば可愛く甘えながらも後腐れなく帰してくれる。一緒にいて、一度としてイヤな気持ちになったことはなかった。どうしてだろうと不思議だった。ニルドのことが好きならば、もっと我を通そうとするのではないかと不思議だった。
―― そうか…こういうことだったのか
気持ち悪いとか怖いとかの前に、深く納得した。ストンと納得した。何も言わなくても、自分のことを全部分かってくれているような雰囲気が彼女にあったのは、こういうことだったのかと。
―― 自分からバラしてまで…捨て身すぎるだろ
きっと朝、ニルドが身柄を拘束されたときも見ていたのだろう。そして昼過ぎのこの時間にワンスと共に王城にこれを持ってきたということは、悩むこともせず、この紙束を提出しようとすぐに決めたのだろう。禍々しい紙束の紙と紙の間に、愛を挟んで願うように渡したのだろう。先行き不安な今のニルドにとって、この紙束は唯一の救いだ。寒々しく薄暗い取調室で、唯一の光であることは間違いなかった。
ニルドは『ばーか』と書かれた可愛らしい字をそっと撫でた。子供の頭を撫でるように、そっと。撫でてみたら指先が少しくすぐったかった。
有り難いとは思うものの、一方で不満に思う気持ちもあった。いつからこんなことをやっていたのか責め立てて文句を言いたくなった。『もう二度とするなよ?』とキツく怒って謝らせたくなった。それよりも何よりも、いつも余裕そうな彼女が『ニルドにバレちゃった!』と焦っている顔を見てみたくなった。
近付きたいと思っていた人の心の内側に入れて貰うというのは、たぶんこういうことなのだろう。それがどんなに暗く黒く歪な内側だったとしても、そこにもし愛があるのであれば、きっと少しくらいは距離が縮まる。そういうことなのだろう。
お読み下さり、誠にありがとうございます。