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6話 ごめんね、ハンドレッド



「さて、ミスリー。これから俺のことはエスタインと呼ぶこと。分かったな?」

「エスタイン様ね、了解。カツラと眼鏡だけでワンスと雰囲気が全然違うわね~」


 ワンスは明るい茶髪に、淡く青色が入った眼鏡をしていた。眼鏡のおかげで瞳の色は少し緑色っぽく見える。これがエース・エスタインと名乗るときの姿である。


 エース・エスタインについて『殆ど誰もお目にかかったことがない謎深い人物』とされているのには、勿論カラクリがある。


 実は、エスタインの名前で経営している店にも、ワンスは度々顔を出している。しかし、従業員には『エスタイン直属の部下』だと名乗っているのだ。実際にはエスタイン本人と顔を合わせているにも関わらず、誰もエスタイン本人だと認識をしていない。謎深い人物の出来上がり、というわけだ。


 ただ、エスタインとして表に出る場面も稀にある。『ワンス』や『エスタインの部下』として会ったことがある人物にはエスタインと名乗ることはしないが、王城文官と面会するときは大抵エスタインとして会っていた。それが一番話が早いからだ。そして、今日も。



 ワンスは王城に来るなり馴染みのある文官を伝手にして、調査室の担当調査官、第一騎士団長を面会室に呼び寄せて貰った。


「どうも、エース・エスタインです。今日はお時間を頂戴しまして、ありがとうございます」

「お目にかかれて光栄です。エスタインさん自らがお出でになるとは驚きですが…今日は一体どういった要件で…?」


「ニルド・ニルヴァンの件です」


 ワンスが面会室に響くように、よく通る声でそう言うと、調査官と騎士団長は目を見開いて少し驚き、次に眉を顰めた。


「聞くところによると、今朝方ニルヴァンの身柄が拘束されたとか…。彼は僕の恩人でね、こうして馳せ参じたわけです」


 調査官と騎士団長は目配せをした。エスタインの名前は実業家と言った面で有名ではあるものの、部外者であることには変わりない。肯定など出来まい。それを感じ取ったワンスは「ふっ」と柔らかく笑った。


「まあ、いいでしょう。仮にニルヴァンが拘束されていたとして、僕の話を聞いて頂きたい」

「…どう言ったお話で?」

「ニルヴァンのアリバイを証明する資料を持ってきました。彼の詳しい行動歴です」


 行動歴という思いも寄らない話に、調査官も騎士団長も少し目の色を変えた。特に第一騎士団長はニルドの完全なる味方。喉から手が出るほど欲しい情報なのだろう。座る位置を変えて、椅子から落ちそうなほどに前のめりになった。


「見せて頂いても?」


 調査官がそう言うと、ワンスはミスリーに目配せをした。『言うけど良いか?』の最終確認である。ミスリーは迷わない目で深く頷いた。


「彼女がニルヴァンの行動歴を持ってきた本人です」

「ミスリー・ミスラと申します。お見知りおきを」


 ミスリーはニコッと笑って挨拶をした。とても可愛らしく善人たる微笑みであった。


「ニルド・ニルヴァン様の行動歴をお持ちいたしました。直近、半年分が手元にございます」


 ドーン!!と置かれたトランクの中には、禍々しい紙束が入っていた。可愛らしい容姿に相反する紙束に、調査官と騎士団長は顔を引きつらせていた。当たり前である。


「…えーっと…これは…」

「私、ニルド様をお慕いしておりまして、彼のことを調べたり行動を記録するのが趣味なんです…ふふっ」

「これは熱烈な愛ですね、ニルヴァンが羨ましい。ははは」

「エスタイン様ったら!うふふ」

「「・・・」」


 絶句する調査官と騎士団長を気にも止めずに、ワンスは彼らの目をじっと見た。正しいことを聞かされていると信じ込ませるように、じっと。


「ニルヴァンほどの麗しい男に熱烈な愛を傾ける友人の一人や二人、いてもおかしくはないでしょう。今、目を向けるべきは、あなた方が調査しているであろう行動歴が目の前にあるという事実です。さあ、頭を切り替えて頂きたい」

「ま、まぁそうですね…」


 ワンスの『頭を切り替える』という言葉を噛み締めるように、調査官は何度か頷いた。それを見て、ミスリーは目でワンスに許可を貰った後に、調査官に向かって「発言させて頂きます」と言って微笑んだ。そこらへんにいる男であればコロリと落ちてしまいそうな程の可愛らしい微笑みであった。


「この行動歴の中には、今回問題になっている泥棒の男性と接触する機会は記されておりません」

「そうですか…お詳しいことで…」


 調査官が紙束の内容を確認しようとすると、ミスリーは「お待ち下さいませ」と調査官を止めた。


「私が申し上げることではないかもしれませんが、こちらはニルド様の個人情報になっております。御本人の許可を取って頂いた後に、調査に御活用して頂きます様、お願い申し上げます。ミスリー・ミスラからの資料だと、言伝(ことづて)を添えた上で」

「本人に、許可を…?確かにそうですね」


 調査官は紙束の一つを手に取り、部屋の外にいた他の調査官に事情を説明し、ニルドに許可を取りに行かせた。ワンスは心の中で『まじか!』とミスリーの行動に驚いていた。まさか自分からバラすとは!!


 担当調査官はミスリーに向き直って「失礼ですが」と訝しげに言って続けた。


「あなたはニルド・ニルヴァンを慕っていると言…」

「その質問の前に」


 しかし、そこでワンスは調査官の言葉を遮った。ワンスは調査官の言いたいことが分かっていた。どうせミスリーが持ってきた行動歴の信憑性を怪しんでいるのだろう。捏造でもしてないか、と。


 ワンスは『その質問は無意味だ』とでも言うように鋭く睨んで、「あぁ、これは失礼」と挑戦的に言い放った。面会室にピリッと緊張した空気が流れた。


「その質問の前に、こちらを。もう一つ重要な資料があります」


 そう言いながら、例の青いファイルを見せつけた。ハンドレッドが調べ上げたニルドの行動歴である。偶々とは言え、ミスリーとハンドレッドの二人から同時に行動を監視されていた人気者のニルド。数奇な人生である。


「これは?」

「レッド・ハンドレッドが持っていた、ニルヴァンの行動歴です」

「「な!!?」」


 これにはさすがの騎士団長も驚いて、ちょっと椅子からずり落ちそうになった。そして当然の疑問を投げかけてきた。


「ちょっと待って頂きたい。なぜ、あなたがハンドレッドが保有していた資料を持っているんです?」

「ハンドレッドは僕が経営する個室レストランの常連客だったようなんです。あぁ、これはご内密に願います。犯罪者が常連客だったと噂が広まったら痛手ですからね」


 調査官も騎士団長も無言で小さく頷いた。


「感謝します。…あれは…国庫輸送の直前でした。ハンドレッドが鞄を忘れていったことがありましてね、そのときに持ち主を確かめる為に管理者権限を使用して鞄の中身を見たのです。そして、国庫輸送詐取の計画書や、このニルヴァンの行動を記した報告書を発見したという経緯があります」


 勿論、嘘である。ハンドレッドの住処に不法侵入したり証拠隠滅のためにワンスが持ち去ったりした、というのが真実だ。よくもまぁスラスラと嘘が言えるものだ。さすが元・詐欺師。


 騎士団長は思い出すように一つ大きく頷いた。


「国庫輸送詐取の計画を騎士団にリークして頂いたのは、それが情報源だったというわけですね」

「ええ、そうです」

「しかし…なぜニルドの行動歴の資料をこれまで秘匿していたのですか?」


 これまた当然の問いに、ワンスは小さく笑って返した。


「可笑しなことを言いますね。僕には全てを教える義務はありません、取捨選択はしますよ。犯罪者と言えども、お客様の情報を騎士団にリークするなんて誉められた行動ではありませんしね。…まぁ、本音としては、僕の恩人であるニルヴァンに変な憶測が飛ぶのを(きら)った…と言ったところでしょうか」

「…??変な憶測というのは?」

「見れば、分かります」


 ワンスがそう言うと、調査官は青いファイルをパラパラと捲り、そして固まった。横にいた騎士団長も青いファイルを覗き込み、同じく固まった。


「こ、これは…」

「ニルヴァンの行動歴と彼の絵姿ですね」

「それにしても、これは…何というか…まるで」


 ワンスは神妙な面持ちをして、とんでもないことを言ってのけた。



「ハンドレッドは、ニルヴァンを恋い慕っていたんでしょうね…」


「「!?」」



 勿論、嘘である。


 ワンスの横に座っていたミスリーは思わず俯いた。俯くだけでスルーしたミスリー、やはりすごい。


「その絵姿、僕も驚きました。まるで恋する乙女が意中の相手の絵姿を大事に持っているような…そんな種類ですよね」


 ニルドがはにかむ絵、ニルドが柔らかく微笑む絵、ニルドがハツラツと笑う絵…。ワンスがワンディング家の応接室で内心『キモチワルイ』と思いながらも仕方なしに頑張って描いた作品たちである。ニルドコレクションだ。


 唖然とする二人を余所に、ワンスはそのまま畳み掛けるように続けた。


「ニルヴァンはハンドレッドとは無関係でしょう?何故、ハンドレッドがニルヴァンの行動を調べ上げていたのか、初めは分からなかったんですがね。その絵を見て、そういうことか…と納得したんです」


 ワンスの狙いがお分かりだろうか。


 ハンドレッドがニルドを徹底マークしていた理由を深く調査されてしまうと、ミスリーやフォーリア並びにファイブル、そしてワンスまで芋づる式に調査の手が伸びてきてしまう可能性があった。それはとっっっても困る。そもそもに、それが困るから証拠隠滅をしたのだ。


 このハンドレッドの資料を使うことの一番の懸念点がそこであった。それを潰すために『恋心だった』という偽情報を植え付けているのだ!

 実際に恋慕を抱いたミスリーが行動歴を持ってきた今、『ハンドレッドがニルドに恋』だなんて有り得ない話であったとしても、押し通せるとワンスは判断していた。培った詐欺師の勘がそう判断をした。


 南の収容所で真面目に罪を償っているであろうハンドレッドも、まさか王都でこんな好き勝手に言われているとは思わないだろう。ハンドレッド、ごめんね!という感じである。可哀想に。


 

「ですが、ハンドレッドは男ですよね…?そんなことが…」

「稀有なことです。しかし、ニルヴァンほどの男ですからね、そんなことがあっても不自然ではないかと。第一騎士団長殿、心当たりがあるのでは?」


 思いも寄らないセンセーショナルな情報に意識を囚われていたのだろう。急に話を振られた騎士団長は少しビクッとしながら「心当たり?」と訝しげにした。


「例えば、ニルヴァンに近付く女をハンドレッドがやたら気にしていたり…とか」


 ワンスがポツリとそう言うと、騎士団長はハッとした。


「そういえば、ハンドレッド捕縛後に馬車の中で事情聴取をしていたのだが、夜会でニルドがエスコートをした女性のことをやたら気にしていたぞ…!距離が近いとか何とか…まさか…!?」

「嫉妬ですね」


 違う。女詐欺師のことを気にしていただけである(cf.66話)。


「捕縛時も、もっと抵抗するかと思っていたが、ハンドレッドはニルドの顔を見た瞬間に何か気が抜けたような表情をしていた…まさか…」

「会えて嬉しかったのでしょうね」


 違う。驚いていただけである(cf.65話)。あぁ、誤情報がどんどん植え付けられていく…。


 さすが元・詐欺師、こんな突拍子もない話であるにも関わらず、調査官と騎士団長は「なるほど」「驚いたな」「思えば確かに…」とか言いながら、ガッツリ信じてしまっている。



「まぁそういうわけなので、この青いファイルのニルヴァンの行動歴と、ミスリー嬢が持参した行動歴を突き合わせて頂き、その信憑性の確認および裏を取って頂きたい」


 ワンスがそう言うと、調査官は


「分かりました。この二つの資料があれば、ニルド・ニルヴァンへの疑いも晴れることでしょう。ご協力に感謝いたします」


と、真摯に言ってくれた。手応えバッチリである。



 コンコンコン。ガチャ。


 そこで、面会室に他の調査官が入ってきた。先ほど、ニルドに行動歴の使用許可を貰いに行った調査官だ。


「報告いたします。ニルド・ニルヴァンから行動歴の使用許可が出ました!」


 それを聞いたミスリーは、ホッとしたように少し微笑んだ。そして担当調査官に向き直り、トランクケースを丸ごと渡した。


「ニルド様のご許可が頂けたようですので、こちらの行動歴は全てそちらにお渡しいたします。どうか…よろしくお願い致します」


 ミスリーは深々と頭を下げた。懇願するように、願うように、少し長く頭を下げた。ニルドを愛しているから、こうしたかった。





 帰りの馬車。ミスリーはケラケラと笑っていた。


「急にハンドレッドがニルドに恋慕とか言うから、噴き出すかと思ったじゃないー!もー、笑っちゃう!」

「あれだけ植え付けておけば、こっちまで調査はされないだろ」

「あれに使うために絵を描いてたのね~、あーおなか痛い!」


 ミスリーは楽しそうに一頻(ひとしき)り笑って、「ふぅー」と小さく息を吐いた。


「……ねぇ、ワンス」

「なんだ?」


 ミスリーは笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭いてから、少し真剣な顔をした。


「私、この件が片付いたら王都を出るわ。引き際よね」

「…そうか」

「せっかく男爵位に戻して貰ったのにごめんね!」

「報酬だったからな、気にするな」


 ミスリーは少し俯いて、小さく笑った。


「後悔はしてないわ。だって、どっちかしか選べなかったもん。自分を守ってニルドのことを見て見ぬフリをするか、自分を切り捨ててニルドを守るか」


 ミスリーはニコッと笑って、勝利のピースサインをしてみせた。


「どちらかしか選べないなら、迷わず選ぶわ!」



 ワンスは小さく笑って「分かるよ」と言った。


「どっちかしか選べないなら俺も、そうする」


 人生は選択だから、ね。






ありがとうございます。



本編で出せなかったエスタインver.の容姿やカラクリを出せて良かったです。

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マシュマロ

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