3話 ニルドの婚約話
ワンス視点→途中からニルド視点です
フォーリアより先に帰ったワンスは、ひたすら仕事をしていた。一心不乱にペンを走らせ、書類の束を仕上げ、テンとハチに指示出しをして、外注に回せる仕事はそっちに流す。
ここのところ贖罪が忙しくて、通常の仕事も溜まっていた。『贖罪が忙しい』という人間がこの世にいるだなんて。
カチャ。キィ。バタン。
ノックもなしにワンスの部屋に入って来るのは、この世で唯一人だけ。
「ただいま戻りました」
「お帰りー」
カリカリとペンを走らせながら帰ってきたフォーリアをチラリと見て、握っていたペンがピタッと止まった。フォーリアの顔が真っ青だったからだ。
「どうした?何かあった?」
『対話をしないワンス』は2ヶ月前に進化を遂げて『フォーリアとだけは対話をするワンス』になっていた。仕事の手を止めてスッと立ち上がりフォーリアに駆け寄った。ワンスが駆け寄った。駆け寄ったのだ。どえらい進化である。驚きだ。
「ワンス様…」
「何があったか話せ。俺が何とかするから」
…進化しすぎて人格が変わっている!全身全霊をかけて守ろうとしすぎだ。しかし、考えてみれば当然である。詐欺師であることを受容してくれた初恋の君だ、これくらいの変化があって妥当であろう。
「ニルドが結婚をするかもしれないそうです」
「なんだよ、その話か。なんでそんな青い顔に……あー、そうかミスリーのことか」
「そうです!このままだとミスリーが失恋しちゃいます!!大変です!」
お忘れかもしれないが、ミスリーがニルドを好いていることはフォーリアも知っている。ワンスが暴露したからだ(cf.本編30話)。
「まー、そりゃ仕方ないんじゃねぇの?全員が全員、上手くいくわけじゃないだろ。それにまだ親から結婚を急かされてるとか、そんな段階だろ?」
ワンスがそういうと、フォーリアはヨロヨロとソファまで歩いて肩を落として座り込んでしまった。ワンスは小さくため息をつきながら隣に座って、フォーリアの髪を撫でた。
「それが、帰りがけにニルドから聞いたんですけど…」
「うん?」
「婚約者候補の方がいるそうです」
「へー、もうそんな話まで出てるのか」
どうせミスリーもそれを盗み聞きしていたのだろう。現在のミスリーはどんな心境だろうか。もしかしたら包丁の一つや二つでも研いでいるやもしれないな…とワンスは想像した。
一方フォーリアは、空虚を見つめ打ちひしがれて泣いているミスリーを想像していた。二人の想像するミスリーがかけ離れている。
「ミスリー…」
「お前、どうにもならないことで悩むの得意だよなぁ。時間の無駄じゃね?」
「ミスリー…」
フォーリアはミスリーと呟く人形になった。ワンスは『本当に馬鹿だなぁ』と思いながら、フォーリアの髪をクルクルして遊んでいた。進化してもワンスはワンスだった。
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一方、フォーリアと別れた後、ニルドはミスリーを呼び出していた。女から女へ。節操なしである。しかし、そんな節操なしの男も悩んではいた。
―― ミスリーにどう伝えたらいいんだろうか
先ほどフォーリアを目の前にしたとき、可愛いなとは思ったが、胸がきゅんと高鳴る感覚はいつの間にかなくなっていた。ワンスと恋仲だと聞いたときも『まぁそうだよな』という感想しか生まれなかった。もうとっくに分かっていたことだからだ。一応、けじめだと思ってフォーリアに直接問い質してはみたものの、いつの間にかニルドの心もそれを納得していた。
その一因として、ハンドレッド捕縛のときに見せたワンスの本気がニルドの心を納得させたのだろう。何事も本気になってみるものだ。
一方で、ミスリーについては複雑だった。彼女のことは好きは好きだが、結婚となるとどうだろうか。かと言って、両親が薦める会ったこともない令嬢と生涯を共にするのかと問われると、それも想像が出来なかった。
何より、告白のときにミスリーが見せた真剣さを思うと、どこぞのよく分からない女と結婚をしてしまうというのも、彼女に対して誠意がないような気がした。ニルドはハチャメチャにモテる。モテまくる。しかし、あんなに真剣に捨て身で真っ直ぐに、愛の告白をされたことはなかった。初めてだったのだ。
だからこそ、婚約話が出ていることを隠すことは不誠実だと感じた。そして、ミスリーを呼び出して話をしようと思ったのだが…。
―― い、言えない…!!!!
いざ、ミスリーを目の前にしたら、とてもじゃないが『実は両親から結婚を急かされててさぁ』なんて気軽に話すことなど出来なかった。とんだ度胸なしである。目の前の女はすでにその事実を知っているというのに。
「ニルド、なんか今日変だよ?大丈夫??」
しかし、そんなストーキングの香りすら匂わせないプロがミスリーであった。
「あ、あぁ…」
こんなに挙動不審な男も珍しい。綺麗な青い瞳が右往左往しているではないか。
「ふふ、何かあったんでしょ。聞くよ?」
ミスリーが優しく問い質すと、ニルドはその優しさに甘やかされるようについ何でも吐露してしまうのだ。
「ミスリー、あのさ…」
「うん、なぁに?」
「もしもなんだけどさ。もしも、だ。仮定の話なんだけどさ」
しかし、度胸はなかった。とうとう仮定の話として切り出すことにした究極の度胸なしであった。
「うん、もしもの話ね」
「もしも、俺が…その…例えば仮に万が一にでも、け、結婚するとなったら、どうする?」
ミスリーは「うーん、そうねぇ」と言いながら、ぼんやりとニルドを眺めた。
「世界中で一番ニルドのことを愛して大切にしてくれる女性が相手で、ニルドが心から幸せだと思えるなら、祝福はするかなぁ」
浅いようで、重く深い。これはミスリーからすれば『祝福することは絶対にない』ということだろう。だって、世界中で一番ニルドを愛しているのは自分自身であると、絶対の自信があるからだ。勿論、ニルドにその真意が伝わることはないけれど。
「幸せ、か…」
8年間も居続けたフォーリアという鳥籠から解き放たれたニルドは、自由を得たからこそ、不自由になっていた。目の前から檻がなくなり視界が開けてみると、外の世界は思っていたよりもずっと広くて、自分の現在地が分からなくなった。
結局、ニルドが婚約話の件をミスリーに伝えることはなかった。単純に度胸がなくて言えなかったというのもあるが、もう一つ理由があった。この後すぐに、ニルドの婚約話が断ち消えたのだ。
翌日のことだった。
第一騎士団のエリート騎士、ニルド・ニルヴァンは、王城の調査室に身柄を拘束されたのだ。
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番外編でも、事件が起きてしまうこの小説。
お楽しみ頂けると幸いです。