2話 人類の共有物
「よぉ、ワンス。久しぶり~」
「ちょっとワンス、遅いわよ!」
ミスリーの手紙に指定されていたカフェ。ワンスが少し遅刻していくと、すでに色々と始まっていた。色々と。ファイブルはたくさん注文をして、たくさん食べていたし、ミスリーはオペラグラス片手に何やらメモを取っていた。
「おー、悪い悪い。って、ミスリーなにやってんだ?」
ワンスが恐る恐る聞くと、ミスリーは手で『待った』と制しただけで、ワンスの方を見ることもしなかった。どうやら何かがイイトコロらしい。ファイブルの方をチラリと見ると、小さな声で「読唇だよ」と教えてくれた。
なんと!ミスリーは読唇術を駆使してニルドが何を話しているか盗み聞きしているのだ。さすが8年間のガチストーカー。プロの技が光りますね。
「あー、ニルヴァンとフォーリアがあっちのレストランで会ってるんだっけ。よくやるよなぁ」
「さすが同室で暮らす夫婦はお互いの予定も把握してらっしゃいますねぇ、いひひ」
部屋どころか家すら異なるのに、ワンスのことを把握しすぎなファイブルに言われたくはない。
ファイブルがニヤニヤとし始めたことで、ワンスは例の事件を思い出した。2ヶ月前の『過激な夜着を着たままフォーリアIN金庫室事件』だ。
いやいや、ワンスはファイブルを恨んでいるわけではない。別に恨んではいない。感謝の気持ちもあるにはある。だがしかし!お前の銀縁眼鏡の奥には誠意は無いのかと、問い質すくらいはしたかった。
ワンスは少し目を暗くしながら「ファイブルさぁ」と言って続けた。
「何か言うことあんじゃねぇの?」
ワンスの目がマジだった。ガチで怖いやつだった。ファイブルは咥えていたチキンをそのままに、瞬間で真っ直ぐになっていたヒンヤリとした背中を、もう一つ真っ直ぐにして「誠に申し訳ございませんでしたぁぁああ!!」と、深く頭を下げた。
「許す。…ありがと」
ワンスが小さく笑ってそう言うと、ファイブルが顔をあげてニカッと笑った。
「で、どんな感じだった?バレたんだよな?」
ミスリーが読唇に夢中になっていることを確認しながら、ファイブルは小声でワンスに状況確認を行った。
ワンディング家のおばあちゃんという内通者から情報は得てはいるだろうが、おばあちゃんとてワンスが詐欺師であることや詳しいことは知らない。そして、ファイブルもワンス本人から色々と聞きたいのだろう。
「バレた。ちゃんと話したよ」
「ふーん。どこまで話した?」
ワンスは2ヶ月前のことを思い出すように窓の外を見た。外は明るく、ワンスが座る席まで日が当たって何だかぽかぽかとした気持ちになった。
「まぁ、嫌われない程度に、ほぼ全部かな」
「まじか~!やった~!よかったよかった!」
ファイブルは楽しそうに拳を掲げて天井を仰いだ。ファイブルはフォーリアなら大丈夫だと確信していたのだろう、それが現実となったことを拳でグッと噛み締めたのだ。
「それで、今は返してるとこ」
「え!まじか!じゃあ辞めんの?」
「即日、全消去」
ワンスが手をパァと広げながら苦笑いで言うと、ファイブルはかなり驚いた後に「そっか」と言ってまた楽しそうに笑った。
「疑問なんだけどさ、ファイブル的には勝算があったってこと?それとも一か八かで仕掛けたのか?」
ワンスはここが気になっていた。ワンスとしては詐欺師であると知られた瞬間に、フォーリアには虫けらのように嫌われるという想定であった。
よって、残りの人生は『フォーリアに嫌われる=彼女にとって害悪な人間である』という烙印を押されたまま、少し賢い屍として息をして過ごすだけだと思っていた。これが『嫌われたら軽く死ねる』と彼が発言していた真意である。
少し賢い屍。確かに軽く死んでいる。そして、ワンスの考え方が重すぎる。
でもファイブルは違った。自信満々にピースサインをした。
「勝算がなかったらさすがに仕掛けないっしょ!」
「まじか。全然わからん。2ヶ月経った今でも分からん」
「逆を考えてみれば分かるんじゃね?」
「逆…?」
ワンスは考えた。実はフォーリアがめっちゃくちゃ悪いことをしていてガッツリ犯罪者だった場合。あるいは、実はとんでもない女で10股をかけられていた場合。金の亡者で金目当てだった場合。様々なとんでもフォーリアを想像してみたが。
「あ、確かに。全部イケるわ。なるほど」
「というわけで、俺からすると、二人とも愛が重すぎるんだよ。なんっつーのかな、存在自体を愛してる感?だから勝ちしかなかったってわけ」
「ははは…お見逸れシマシタ」
そこでミスリーが突然バッと立ち上がった。
「一大事だわ…!!」
「あ、終わった?報酬の話、サクサクしてもらっていい?早く帰りたいんだけど」
ミスリーはワンスの問いかけには答えずに、目の前の果実水をぐいっと飲み干して、ダンっと大きな音を立てながらグラスをテーブルに置いた。
「ニルドの親がとうとう痺れを切らしたみたい!」
「ふーん?」
「お!とうとうニルヴァン伯爵夫妻が動きましたか~♪」
ニルドはニルヴァン伯爵家の嫡男である。ニルヴァン伯爵家は、ワンディング伯爵家やフォースタ伯爵家とは異なり、かなりしっかりとした家なのだ。何せ騎士の家系。ゆるふわな伯爵家たちとは一線を画している。
そして、ニルドはもう20歳。家柄を考えると、今まで婚約者がいなかったのが奇跡的なくらいである。ミスリーの読唇術によると、どうやらニルドの親、即ちニルヴァン伯爵夫妻がニルドに結婚を責付いているのことだった。
「それでフォーリアに求婚でもしてんのか?」
ワンスがサンドイッチを食べながら興味なさそうに問いかけると、ミスリーは『信じられない!』という顔をした。
「ちょっとワンス!もっと焦りなさいよ!!」
「え?なんで?」
「フォーリアを取られたらどーすんのよ」
「いや、それはねぇな。絶対にない。可能性は、ゼロ」
ワンスの断言にミスリーは「うっ」と言葉を詰まらせた。
「まぁ…そうね。その自信が憎たらしくもあるけど、どうやらニルドは求婚をしているわけではないみたい」
「え?じゃあ何してんの?ってか帰っていい?」
ミスリーは首を横に振りながら「聞きなさい」と言った。
「どうやら今まさに!ワンスとフォーリアが恋人関係にあるとニルドは知ってしまったみたい。フォーリアを呼び出したのは、それを確認したかったみたいね…」
「おー、そうか。じゃあ俺は二度とニルヴァンには会わないように気をつけて生きていくことにしよう。あいつすぐ骨折ろうとすんだもん」
「え!ニルドに骨を折られるワンス!?見てみたい!!」
ファイブルの変なスイッチが入ってしまった為、ワンスは頭を叩いてスイッチを切っておいた。ファイブルは叩かれた拍子に「おふっ」と声が漏れていた。
「二人とも静粛に!食事が終わったら、どうやら街歩きデートをするようね。ワンスに一矢報いたいみたい」
すると、ワンスが「ははは…」と乾いた笑いを発した。
「気まずいことに、あんまり一矢報われてる感じがしねぇな。別にデートくらい誰としたっていいんじゃね。減るもんじゃねぇし」
「あんたそれフォーリアの前で言ったらダメよ…?」
ワンスは「はいはい」と言いながら面倒そうに手を挙げて了解の意を示した。脳の構成が人と異なるワンスとて、一応それくらいの認識はあるらしい。
「というわけで、二人がデートに繰り出すまでの間に作戦会議を行います!」
「「・・・」」
「二人とも、善き返事を!」
「「はーい…」」
何とも間延びした返事である。しかし、ミスリーは気にせず続けた。
「真面目な話、どうやったらニルドと結婚できると思う?」
ミスリーは真剣な眼差しでワンスとファイブルを見据えるように作戦会議とやらを開始した。作戦会議というより、お悩み相談会だ。
ワンスは思い出していた。ハンドレッド捕縛の打ち上げの際に見せた、青い顔でテーブルに突っ伏すニルドのダラシナイ姿を。脳裏に過った青顔のニルヴァン。ワンスは何とも言えない顔をするしかなかった。
「真面目な話、結婚してからもあっちこっち浮気しそうではあるけど…ミスリーはそれでもいいのか?あれは…うーん、まじでやばいと思う」
「ふー!ワンス辛辣~♪でも真面目な話、俺も同意だな」
ミスリーは全く表情も変えず、当然のように「いいわよ」と言った。
「身体だけの浮気なら別にいいわ。いくらでもって感じ~」
「おー、さすがだな」
「そもそも身体を繋ぐことと、心を繋ぐことは別物だもん。ニルドはすっごーくカッコイイから、身体なんて人類の共有物みたいなものでしょ?」
「「人類の共有物」」
ワンスとファイブルが思わず声を揃えるほどのワードであった。人類の共有物、即ちシェアニルドである。さすがミスリー、ネジが10本くらいは外れている。
「お前、相変わらずぶっとんでんなぁ。いや、しかし…」
ワンスは思った。ミスリーくらいの価値基準を持っていなければ、あのニルドと結婚などできないだろう。結婚できたとしても、一般的な価値観では泣きを見るだけだ。ある意味、破れ鍋に綴じ蓋か。いやいや、蓋も破れているか。
しかし、ワンスはそう思っただけだった。
「…まぁ、頑張って!応援してる。そろそろ帰っていい?最近忙しくてさ~」
ニルドが結婚しようがしまいがワンスは心底どうでも良かった。ミスリーはワンスと利害が一致していることを期待していたようだったが、全く一致していなかった。
そう言って、ワンスはそのままファイブルを連れて帰った。本当に帰った。どこまで行っても、ワンスはワンスだった。ちなみにファイブルを連れて帰ったのは、ミスリーとファイブルが一緒にいると悪い企てをしそうだからだ。
帰り道、馬車が発車してすぐ。フォーリアとニルドが歩いている姿を遠目に見つけた。
「あ、ニルドとフォーリアだ」
「本当に街歩きしてんのか…ははは。一矢報われたことにしてやるか」
「おー、さすが!二人ともめちゃくちゃ視線集めてるな~。歩きにくそうだなぁ」
「オーランド侯爵の夜会のときも思ったけどさ、二人揃うとすげぇよなー。金稼ぎ出来そう」
相変わらず稼ぐことを考えるワンスは、そう言いながら馬車の窓を開け、御者をしているテンに「ゆっくり走らせて」と言った。そして、ガタ…ゴト…ガタ…とゆっくり動く馬車の中からフォーリアを眺めた。
フォーリアは楽しそうに歩いていた。紺色のワンピースの裾を少しはためかせて、淡い黄色のヒールでコツコツと軽やかに音を立てて、白い帽子が飛ばされないように手で押さえて、楽しそうに歩いていた。
花屋の前では花をチラリと見て少し微笑んで、その隣のクレープ屋の前では目を輝かせていた。ワンスはそれをじっと眺めていた。
「―― フォーリアは世界一可愛いな。こんな可愛い子が俺の嫁になるなんて、俺は世界一幸せな人間だ。一生を捧げて大事にする。全身全霊をかけて守る。愛してるよ、フォーリア…」
「うっせぇよ、ファイブル!勝手にアテレコしてんな」
「ひゅーひゅー!」
ファイブルが楽しそうに茶化すものだから、ワンスは大きく舌打ちをして睨んでやった。
―― でも、まあ、その通りだけど
デレデレであった。もはや隣を歩くニルドのことは視界にすら入っていなかった。眼中にないとはこのことだ。イマイチ報われない男ニルド・ニルヴァンは、一矢すら報われなかった。
お読み頂きありがとうございます。




