9話 仕返ししてもいいかな?(前) 【ワンス vs カタログ詐欺師】
ワンスがカフェに戻ると、想定よりもひどい有り様になっていた。
「ぁあ? サインできないっていうんですか?」
「ご、ごめんなさい……お金がなくて……」
「そんなの知りませんよ、サインしてくださいよ、ねぇ??」
「で、でもお金が、ホントに……」
陰から様子を見ていたワンスは、頭を抱える。ミスリーが派遣してきた詐欺師が、二流どころかド素人だったからだ。もっとマシなやつを寄越せと。
「それとも、お嬢様の身体で払ってもらおうかな? それでもいいですよ?」
「ひぃ……!」
―― おぉ! 身体で払ってもらおうかって常套句、本当に言う奴いるんだ! 初めて見たー! フォーリア頷け! 身体で払ってやれ、頷け!
心の中でやんややんやと野次を飛ばしながら、結構楽しんでいた。最低だ。
すると、フォーリアの顔がだんだんと顰めっ面になっていく。眉をグッと寄せて、目は力いっぱい開いて、口は真一文字。美人が台無し。
フォーリアは、泣くのをものすごく我慢している様子だった。必死に我慢しすぎて、顔が変だ。素人詐欺師も若干引いていた。
―― 出た! あの顔、笑える!! ……変わんねぇな
ワンスは、口元に手をやって笑いをかみ殺した。そろそろ出ていくかと一呼吸。本当は色々と面倒でこのまま帰るか~、なんて思ったりもした。でも、ケーキをご馳走するという約束をしていたからね。
―― 約束は約束だな、仕方ないか
彼は詐欺師ではあるが、詐欺に関係ない約束は割と守る男だった。医者だって風邪を引くし、料理人だって食事を抜くこともあるだろう。詐欺師だって、約束を守ることもあるのだ。この美学、詐欺師の中でも分かる人には分かるはず。親友であるファイブルには、いつも首を捻られるが。
「フォーリア、お待たせ」
「ワワワワワンスさまぁぁああ!!」
ワンスの顔を見るや否や、フォーリアの変な顔はパァっと輝く笑顔に変わってしまった。変な顔を間近で見たかったのに。ちょっとガッカリするワンス。
一方、宝石商は苦々しい顔をする。ド素人だ。
「あー……お連れ様。お戻りでございますか。帰られたかと、ははは」
「少し席を外していたんだが。あれ? 君は、先日の宝石商かな?」
「ええ、偶然、フォーリアお嬢様にお会いしまして~」
「宝石か……僕も見てもいいかな? 今日は時間があるからね」
宝石に興味がある素振りを見せると、詐欺師の目がキラリと光った。ワンスは、その目を見て胸の奥から熱いものが煮えたぎる。ワクワクと胸が踊ったのだ。
―― 詐欺師 vs 詐欺師、だな
フォーリアは焦っているようだったが、詐欺師にバレないようにウインクをしてあげると、ぽーっとして大人しくなった。簡単で従順だ。
詐欺師は意気揚々と商売をしはじめる。
「ええ、ぜひご覧ください! こちらがカタログでございます」
「ほう、種類が多いね。でも……カタログだけでは買う気にはなれないかな。実物はないのかい?」
「実物は、一点のみ用意してございます。ただこちらは見本品でして……ご購入はご遠慮頂きたく存じます」
「そうなのか。とりあえず見せてもらっても?」
詐欺師は一つ頷いて、カタログの実物だという宝石を取り出した。ワンスはそれを手に取って、じっと見る。まぎれもなく本物だ。転売すれば26,000ルドは堅い。
瞬時に、頭の中で作戦を組み立てる。儲けられる額は。
―― よし、9,000ルド!
ニコリと笑って、詐欺師に身体を向けた。
「これがいい」
「お客様、申し訳ございませんが」
「30,000ルド出すよ、それでもダメかい? とても気に入ってしまったんだが」
「30,000ルド!?」
「足りなければ、40,000ルドでもいいよ」
「40,000!! 売ります!」
「話が早くて助かるよ。おっと、紅茶が冷めてしまったね」
紅茶を三人分用意するように店員に告げる。フォーリアが心配そうに見てくるので、耳元で「大丈夫」と囁いておいた。フォーリアは天に召されて使い物にならなくなった。
―― 扱いやすいな、ちょろー
ちょっと味を占めるワンス。
「それじゃあ商談を進めようか、宝石商くん。契約書は用意があるのかい?」
「勿論、用意してございます」
カタログ詐欺師は、様々な注意事項――例えば返品はできませんとか、契約破棄の違約金とか、そういう細則が予め書かれた契約書を取り出した。空欄は、金額欄とサイン欄のみだ。
ワンスは、その契約書を手に持ちサラリと眺めた。
「ふむ。この契約破棄の違約金について聞こうか。これは、双方ってことでいいのかな?」
「……と、申しますと?」
「そちらから契約破棄をした場合は、そちらが違約金を支払うってことさ。実物を購入するのは、異例なのだろう? それを理由に破棄されては困るからね」
「ええ、そうでございます」
「ならば、ここにその旨を追記願おう」
ワンスが契約書に追記を求めると、詐欺師はサラサラと追記してくれた。
「では、金額欄も書いて貰えるかな?」
「かしこまりました」
詐欺師が金額欄に40,000ルドと記載したのを見たワンスは、そこで「あぁ、しまったな……」と呟いた。
「どうかなさいましたか?」
「悪いんだが、ここで契約をして、屋敷まで一緒に来て貰うことは出来るかい?」
「ええ、できますが……」
「今、金がなくてね。8,000ルドしか払えないんだ。それでもいいかな?」
「なるほど。もちろんでございます」
「それは良かった。では、支払いは8,000ルドで。宝石は、屋敷で渡してもらおう。フォーリアもそれでいいよね?」
「……はい、好きです……」
フォーリアは、使い物にならないままだった。
「では、お客様。ここにサインをお願いいたします」
「わかった。フォーリア、サインを」
『って、お前がサインするんじゃないんかい!』と、詐欺師は思っているのだろう。少々、ずっこけていた。しかし、使い物にならないフォーリアは、さらりとサインをしていた。ダメだこいつ。
そこでワンスは、覗いているだろうミスリーの方向を見て、ニヤリと笑ってみせる。『2,000ルドを奪ったらフォーリアから手を引く』と、ミスリーは明言していた。儲けるついでに、貸しを作ることにも成功したわけだ。ミスリーの件がなかったとしても、フォーリアにサインさせてたけど。
そのタイミングで紅茶が三つ運ばれてくる。タイミングがバッチリである。ワンスはそれを受け取る素振りを見せて、うっかりと詐欺師に熱々の紅茶をこぼしてやった。うっかりワンスである。
詐欺師の高そうなスーツは、太ももからすねまで紅茶まみれになってしまった。こんな常套手段が容易く通じるとは、こいつ相当な素人だな。
「あああ熱っぅう!!」
「あぁ! すまない! 大変だ! 誰か別室で彼の脚を冷やしてくれないか!?」
カフェの店員が慌ててやってきて、詐欺師を連れ出す。相当焦っているのだろう、鞄も契約書もそのままにして、詐欺師は別室に行こうとするではないか。
―― ちょ、馬鹿かこいつ! 契約書も置きっぱなしじゃねぇか!!
「ああ、待って。サイン済みの契約書が置きっぱなしだ。不正だとか難癖つけられても気分が悪いからね。持っていってくれ」
押し付けるようにして、サイン済みの契約書や鞄を渡す。素人を相手するのも大変だ。
詐欺師が別室に行ったことを確認したワンスは、フォーリアに「手洗いにいってくる」と一言告げて、席を立つ。そのまま空いてる部屋に入る。
ドアを閉めた瞬間、高貴で優しいワンス・ワンディングの顔をしまい込み、彼は詐欺師の顔になった。
いつも持っている鞄をガバッと開けると、そこには少しずつ質感や色の違う白紙の紙がたくさん、ペンが百本ほど、小分けにされたインクが五十種類ほど入っている。
「えーっと、紙はコレで、ペンはコレ、インクはコレね~」
サササッと選び取り、すごい勢いで紙に書き始める。
ワンスの脳は、少し特殊だ。彼は、見たものを写真のように鮮明に記憶することが出来る。そう、彼は今、さっき作成されたばかりの契約書を完璧に複製しているのだ。金額欄以外を、完璧に。
誤解がないように言っておくが、彼の特殊能力は記憶をすることだけだ。他は全部、本当に血の滲むような……という言葉では表せないほどの、多くの努力を長年積み重ねて得たものだ。
親友ファイブルの協力の元、国で流通する紙、ペン、インクの全てを網羅し、常に持ち歩く。そして、契約書に使用されている紙、ペン、インクの種類を、瞬時に判断する。さらに、見たものを素早く且つ、寸分の狂いもなく正確に書き起こす。これは一朝一夕で出来るものではない。まさに、努力の賜物だ。
もちろん、この『偽造契約書すり替え詐欺』は、いつも使えるわけではない。契約書の種類や状況によっては使えないこともある。しかし、ワンスが頻繁に使っている手法であり、得意とする詐欺であった。彼がこの詐欺で失敗したことは、一度としてない。
「よし、カンペキ~。では、宣言通り『支払いは8,000ルドで』と。口約束もお約束~♪ってね」
ニヤリと笑いながら、金額欄に8,000ルドと書いて契約書を仕上げた。ついでに手洗いに行って、何食わぬ顔で席に戻る。
フォーリアがいたので詐欺師に紅茶をかけて離席させましたが、フォーリアがいなければ自分一人が離席して契約書を複製するだけでいいので、紅茶をぶっかける必要はありませんでした。詐欺の度に、毎度うっかりと紅茶をぶっかけてるわけではないです。
ワンスは最低な男なので、紅茶をフォーリアにぶっかけるという案も一瞬浮かびましたが、さすがにそれをやったらいけないな…と思い直しました。