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86話 フォーリア・フォースタの恋の話

人が死ぬ話が入ります、注意




【現代・ワンスの私室】


「ワンス様」

「なに?」

「ワンス様~」

「なんだよ……」

「ふふ、ワンス様! 素敵な名前ですよね」


 ニコニコして名前を呼んでくれるフォーリアが何だか可愛くて、少し笑って「ばーか」とだけ答えた。



 半年前の金曜日、あの噴水広場で再会した日。『ワンス・ワンディングです』とフォーリアに名乗った日。ワンスは嬉しかった。こんなに嬉しいと感じるなんて思わなかった。それからずっと『ワンス様』と可愛い声で呼ばれる度に心がほわんと温かくなる。ふわふわの布団にくるまって夢を見てるみたいな温もりだ。


 彼女が詐欺に遭っていると聞いたとき、これは天命だと思った。それが本職である自分なら確実に助けられると思ったからだ。八年間もせっせと悪事を重ねてきたのは無駄じゃなかった。それは彼女を助ける為だったんじゃないかと思うほどに、そこに運命を感じた。


 だから、カタログ詐欺の詐欺師も遠ざけた。連動詐欺も暴いた。ハンドレッドも捕らえた。ちゃっかりと金を稼ぎながらではあるが、その天命とも言える役目を無事に終えることができたのだ。



 フォーリアに関わりたくない気持ちと、一分一秒でも長く一緒にいたい欲求と、絶対に彼女を助けたいという救済心と、彼女を悲しませた奴らへの怒りと、これ以上彼女に近付いたら戻れなくなりそうな焦燥感。それらが混ざり合い、切なくも幸せな半年間だった。この半年で、一生分の幸せを与えられたと思えるほどに。

 もうフォースタ家は大丈夫だろう。慎ましい暮らしの彼女にとっては、金も余るほどに分けたが……カルガモ親子のことだ。また詐欺に遭うかもしれないな……なーんて。


 そこまで考えて、苦笑いをした。


「さて、二十歳まで話したからな。これで終わりでいいだろ?」


 あんなに激しかった鼓動は、もう平常に戻っている。フォーリアのことも真っ直ぐに見ることができる。もう覚悟が出来たのだろう、彼女とはこれでお別れだ。


「あ! ダメです! まだですよ!」

「しつこいなぁ、なんだよ? さすがにもう話すことねぇけど」

「まだありますよ?」


 フォーリアはワンスが座るデスクに近付いて、その上にある花瓶を指差す。


「黄色のチューリップ、なんで萎れてるのに飾っているんですか?」


 ワンスは思わず「げ」と言ってしまった。どうせ誰も入らない私室だ。萎れてる花を飾ってもいいじゃないか。彼女は、ふふっと笑って質問を続けた。


「絶対入るなって言ってたのに、私室に入れてくれたのはなんでですか?」

「あのまま放置したら怒るだろうと思って」

「なんで毎日抱きしめながら寝るんですか?」

「なにこれ……何かの拷問?」

「優しく愛おしそうな目で見てくれるのはなんでかなーって、ずっと不思議でした」

「そんな目してたか?」

「何度も何度も私を助けてくれるのは?」

「たった数回だけだろ」


 フォーリアから目を逸らすべきか見つめるべきか分からなくて、吸い込まれるように彼女を眺める。


「一番聞きたかったこと、聞いてもいいですか?」

「……やめといた方がいいと思うけど」

「いいえ、聞きます!」


 エメラルドグリーンの美しい瞳に射抜かれる。こんな綺麗な存在を、ワンスは他に知らない。知りたくなかった。



「私のこと、好きですか……?」



 胸がドクンと跳ねた。聞かれないように、答えなくて済むように、ずっと避け続けてきた。はぐらかして、誤魔化して、時には口を塞いで。


 少し俯いて目を瞑ってから、そっと目を開ける。自分の中で何かを整えてからフォーリアを見て、小馬鹿にするように笑ってやった。


 この質問の答えは、ずっと前から用意してあった。



「俺は詐欺師だ。お前のことなんか好きになるわけねぇじゃん」



 喉の奥に鉛を突っ込まれているのかと思った。それくらい重かった。


「処女貰っちゃって悪かったな。本当にお前って馬鹿だよな。簡単に流されちゃってさ~。何でも言うこと聞くんだもん、気をつけろよなぁ。お詫びに、そこの金庫室の金でも宝石でも、好きなだけ持って行っていいから。破格の値段で売れたな。おめでとー」


 早口でまくしたてながら、ワンスはサイドデスクから貴族名簿を取り出し、そこに挟んであった紙を引き抜く。


「何なら結婚相手も見繕う。領地に行くなら領地長の息子だっけか……素性調査してやるよ。王都にいたいなら子爵家の次男坊とかどう? 婿入りしてくれるし、何人か当てがある」


 男の名前がずらりと並んでいる紙を、フォーリアに押し付ける。彼女は不思議そうに首を傾げながらも、何も言わずにその紙を受け取った。


「これやるよ、リスト作っておいた。人柄よし、資産よし、女癖も悪くない。あとは……犯罪歴もなし? なんてな~♪」


 今度は花瓶から黄色のチューリップを引き抜いて、真下にあったゴミ箱に投げ捨てた。


「これでいい?」


 感情のない笑顔を向けると、彼女は悲しみとも怒りとも取れるような顔をしていた。ワンスの胸は、またズキンと痛む。

 

 こうなるから嫌だったんだ。早く部屋(心の内側)から出て行ってほしい。


 大好きって言うときの少し尖らせる唇も、首まで真っ赤に染めてキスしてるときの顔も、耳に触れるとビクッと震える癖も、可愛く鳴く声も、呑気でふにゃふにゃな笑顔も、泣くのを我慢してるときの不細工な顔も、考えなしで残念で馬鹿なところも。全部、丸ごと大事にしてくれる男に渡して、幸せになってほしい。


 だって、こんな自分が彼女を選ぶことなんて出来ないのだから。


「ワンス様の馬鹿! 意気地なしのあんぽんたんの……えーっと、分からず屋の、とにかく馬鹿です、大馬鹿です!」

「おー、そんなに馬鹿って言われたのは初めてだな。気が済んだら出てってくれよー? まだ仕事が終わってない」


 フォーリアの方を一切見ずに、ペンを持ってやりかけの仕事を進め始めてしまったワンス。そんな彼に、盲目従順女フォーリアはかつてない程の腹立たしさを感じた。


 フォーリアは賢くはなかったけれど、そこまで疎くはいられなかった。こんなに毎日抱きしめられて、大切にされて、愛おしそうに見つめられて、絶対誰も入れないはずの心の内側に入れてくれて、彼は自分のことを愛しているはずだと、思わずにはいられなかった。


 ワンスは賢くあったけれど、そこまで我慢強くはいられなかった。毎日一緒にいたかったし、全身全霊をかけて守りたかったし、視界に入るだけで愛おしくてつい目で追ってしまう。少しずつ染み込んでいくように彼女が侵食してくることを強く拒めなかった。フォーリアに気付かれていることも分かっていた。

 

 ただ、二人とも言葉にしなかっただけ。言葉にしなければ楽しく甘い恋人ごっこで済む。言葉にしたら、ほらね、こうなるって分かってたから。



 フォーリアは思わず「もー!」と怒りの声をあげ、どうにか視界に入ろうと彼と書類の間に割って入る。そして、至近距離で睨んでみせた。


「邪魔」


 いつもだったらキスをする距離。微動だにせずに、温度のない声と暗い目を向けられて、フォーリアの胸はズキンと痛む。彼の人生にとって、自分は邪魔な存在なんだと突きつけられたような気がした。

 思わず泣きそうになってしまい、顔を引っ込めて背を向ける。下を向いて耐えた。こういう時、泣いてはいけない。泣かない。


 

 そんなフォーリアの後ろでは、これまた魂がぬけたのかなというくらい死にそうな顔でデスクに突っ伏しているワンスもいたわけだが、ここで彼女に声をかけたら堂々巡り。『邪魔だったのは本当だけど、邪魔って言ってごめん』と素直に謝って、フォーリアを抱きしめたかった。でも出来ない。あぁ大変もどかしい!


 しばらくの沈黙のあと、フォーリアは顔をあげる。クルリと振り返って、ワンスをビシッと指差した。


「なに?」


 先程の死にそうな顔はどこへやら。邪魔と言い放ったときの冷たい目で、ペンを走らせながら返事をする。一瞬の変わり芸! さすが詐欺師!


 しかし、フォーリアは負けない。指をしまい込んで拳を握り、彼女はワンスに向かって言い放つ。


「私だって生半可な気持ちでここに入り込んだわけじゃないです! フォーリア・フォースタの恋の話、始めさせて頂きます。ゴー! フォーリア!」

「お、おう? 突然なにか始まったな……」


 このもどかしい関係をぶち壊せ。

 ゴー! フォーリア! である。



◇◇◇◇◇



【八年前・王都】



「お父様、お母様! 私、恋をしました」

「「え!!?」」


 誘拐事件が解決して感動の親子再会と思いきや、当の娘が開口一番でこんなことを言い出したときの親の気持ちを想像して頂きたい。


「あのね、一緒に誘拐された男の子が助けてくれたの。格好良かったの!」

「おおおちつきなさいフォーリア」


 フォーリアパパは突然の展開にオドオドと慌て、部屋を右往左往。さすがフォースタ伯爵。どうか落ち着いてほしい。


「さすが私の娘! でかしたわ、フォーリア!」

「お母様、包帯だらけだけど大丈夫?」

「元気いっぱいよ!」


 一方、母親は拳を握ってフォーリアを鼓舞してくれた。やたら力強い拳だ。


「ママが初恋の男の子を当ててあげるわ……! 貴族のような上等な服を着ていたわね?」

「そう、そうなの!」

「そして、瞳は淡い黄色!」

「すごい! 何でわかるの??」

「ふふふ、驚くのはまだ早いわよ? 髪は濃紺ね!」

「……違うわ、金髪よ? エースって名前なの」

「え!?」


 母親は面食らって仰け反った。いちいちリアクションが大きい。「どういうこと? あの『俺が助ける』って言ってたパンの香りをまとった男の子じゃないの……? あの声は信頼できるものだったわ……私の勘がそう言っている。まさか幻? 看板に頭をぶつけて見た幻?」などとブツブツ呟いている。


「でね! 聞いて聞いて! 約束したの」

「ややややくそく? なにを? まさか結婚の約束!?」


 フォーリアパパは気が早かった。青白い顔でまた右往左往。


「金曜日、十二時に噴水広場で会うの!」

「なんだ。待ち合わせの約束か……ふぅ」

「でかしたわ、フォーリア! あなた、私兵に護衛を頼みましょう? フォーリアもそれでいいかしら?」

「もちろん! ありがとうお母様、だいすき!」

「ふふふ、ママもフォーリアが大好きよ。世界一可愛い私の宝物だもの。初恋を実らせましょうね」

「ええ! お母様、がんばります!」


「「ゴー! フォーリア!」」


 母娘で拳を掲げて気合いをいれた。フォースタ伯爵は拍手をしていた。フォースタ家、いつもの光景である。



 しかし、知っての通り噴水広場にワンスは来なかった。悲劇である。ノーフォーリア……。帰りの馬車は通夜のようだった。


「なんで来なかったんだろう……せっかくエースの瞳の色に合わせて淡い黄色のドレスにしたのに」

「きっと都合が悪かったんだよ、フォーリア」


 優しく慰めるフォースタ伯爵に対して、フォースタ夫人は違った。さすがはフォーリアの母親、全力でガンガンいこうぜタイプだ。


「何か理由があるに違いないわ。フォーリア、約束は毎週金曜日よね?」

「うん、そうよ」

「それなら来週も行きましょう!」

「ぇえ!? 来週も行くのかい?」

「来週だけじゃないわ、再来週もその次も、フォーリアが諦めないうちは私たちも諦めないわ」

「お母様~!!」


 そこでフォースタ夫人は手を顎に当てて思考を巡らせる。フォースタ家は、このフォースタ夫人の手腕によって切り盛りをされていたのだ。


「でも、待っているだけというのも良くないわよねぇ……。来なかった理由があるのなら、どんなに待ったところで意味はないわ。のっぴきならない理由があると、私の勘がそう言っている」


 大体は、夫人のふんわりとした勘頼みであったが。当たるときと当たらないときの差が激しい勘であった。


「お母様?」

「フォーリア。特徴は金髪、年は少し上くらい、名前はエースよね?」

「そうよ」

「名前は嘘を言えなくもない。瞳の色は角度や暗さで見え方が変わるし……髪色で攻めてみようかしら。金髪なら分かりやすい。フォーリア、金髪の男の子と会いましょう。顔を見れば分かるわね? 私たちで見つけ出すのよ」

「「え!?」」

「人生は儚いわ……。馬に蹴られて看板に頭を突っ込んでから、私は生きることにもっと一生懸命になろうと決めたの! 行くわよ、フォーリア!」

「お母様……!」

「「ゴー! フォーリア!!」」


「え……? 結婚したときからこんな感じだったよ……?」


 フォースタ伯爵の小さな呟きは、女性二人の声にかき消されて散った。



 しかし、調べてみると、年が近い貴族の男の子で、美しい金髪という条件を満たす人物は、なかなか見つからない。唯一見つかったのが、二歳年上の男の子。とりあえず会ってみようと手紙を送ったら、すんなりとフォースタ家に招かれてくれた。その男の子の家柄的に、誘拐事件の被害者を放っておけなかったのだろう。


 こうして、ある日突然フォースタ家に連れてこられた金髪の男の子というのが、勿論この人。


「こんにちは、ニルド・ニルヴァンです……可愛い」

「こんにちは、フォーリアです」

「……天使……」


 ここに繋がるというわけだ。そして、この日たまたまフォースタ邸に用事があったミスリーがニルドを見て惚れてしまい、芋づる式に八年に及ぶそれぞれの恋がヨーイドン!で始まったのだった。


 これにはワンスもビックリである。まさか金髪のカツラが原因で、計三人の人生を大きく拗らせることになるとは……! これって波及効果? バタフライ効果? なんかごめん……って感じである。




 フォーリアはずっと待っていた。翌週も十二時に噴水広場にいた。その翌週も。その次も。


 毎週のように噴水広場でぼんやりと待ち続けていると、待ち合わせをしているというよりも初恋の男の子のことを考える時間になっていった。


 春は、庭で摘んだ花を持って立っていた。花を見たら彼が笑顔を向けてくれるかも……って思ったから。風が気持ち良くて、何度か帽子が飛ばされそうになったりして。この風に乗ってふわりと彼がやって来ないかなと思いながら待っていた。


 夏は日傘を差して立っていた。噴水の水しぶきが顔にかかると気持ち良くて。きっと彼も暑いだろうから、来たときには冷たい氷を首筋にあててビックリさせようと、いつも小さな氷を持っていた。すぐに溶けちゃうから『馬鹿じゃね?』って言われるかもって思って、一人で小さく笑った。


 秋は落ち葉を踏んでクシャ、カシャって音を鳴らしながら待っていた。彼が来たら落ち葉がいっぱいの公園でお弁当を食べようと、毎週ランチボックスを持っていた。満腹のお腹を抱えて、せーので一緒に落ち葉を踏んで笑い合いたかった。


 冬は白い息をはーっと吐いて待っていた。この白い息が高くまで昇って、そしたら遠くにいる彼が「あれはフォーリアの息!?」なんて驚いてくれないかなと思った。彼だって寒いだろうから、彼の分のマフラーと手袋もちゃんと用意していた。すごく寒い日は時々「ごめん、貸してね!」なんて言いながら、彼の分のマフラーを借りて二重にした。温かかった。

 


 八年間で一度だけ。噴水広場に行かなかった金曜日があった。それが母親の命日。


 ガンガンいこうぜタイプの気力に溢れた母親であったが、元々生まれたときから病気を患っていた。フォーリアのデビュタントが控えた十五歳の冬に、フォースタ邸のベッドの上でその命は尽きた。本当に人生は儚いのだ。


「フォーリア、泣いてはいけないわ。いつも言ってるでしょ? 女が泣くのはね、大好きな人の為になるときだけよ。変な顔になってもいいわ、極限まで我慢しなさい」

「お母様、うっうっ……」

「ふふ、変な顔ね。可愛い。……ねぇ、初恋の男の子のこと、まだ好きなの?」

「うん、毎週待ってる」

「そう。じゃあ幽霊になったら、空高く昇れるからね。王都中を探してあげるわ」

「……うん」

「見つけたら合図を送るわね。あなたの髪を撫でるから、髪がふわってしたら、その人よ」

「うん」

「フォーリア、大好きよ。ラスト、かけ声よろしくぅ……」

「お母様、大好き」

「「ゴー、フォーリア」」


「お母様ぁあああ……!!」

「……待って。生きてるぅ」


 この後、細々と会話をしつつ、家族や友人に見守られながら眠るように亡くなった。



 翌週からもフォーリアは噴水広場に通い続ける。なんでこんなに好きなのか、どうして何年も待ち続けているのか、フォーリアには分からなかった。でも待ち続けた。待ちたかったから。


 他の男性と話すことも少しはあったけれど、心は全然持っていかれない。それが何故なのか自分でもよく分からなかった。



 そして、待ち続けて八年間、十八歳。


 金曜日、噴水広場、十二時ちょうど。



 リーンゴーン リーンゴーン



「フォーリア、遅れてごめん」



 そう声をかけてくれた彼を見た瞬間、フォーリアの髪がふわりと舞った。そして、恋に落ちたのだ。






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マシュマロ

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