81話 詐欺師になった日の話
【現在・ワンスの部屋】
「わ~!」
パチパチという拍手がワンスの私室にこだまする。フォーリアは感嘆の声をあげながら誘拐事件の全貌を聞いていた。
「八年間の謎が解けました~! スッキリです」
「お前、本当に何も知らなかったんだな」
「うーん、聞いたのかもしれませんが、忘れちゃったのかもしれませんね」
「あっそう……羨ましいことだな」
すると、フォーリアは「ふふ」と小さく笑って、頬をピンクに染め出した。その熱を冷ますように頬に両手を当てる彼女の仕草。ワンスは、正直『めっちゃ可愛いな』とか思っていたが、鍛え上げられた表情には一切出ない。
「……なに笑ってんの?」
「だって、思い出しちゃって。八年前から変わらずに、今もずっと格好良いなぁ~って。ふふ!」
「そりゃどうも」
冷めた声で答えてみても、八年前と同じように思わず嬉しくなってしまう。自分の成長の無さに辟易する。これだからフォーリアが絡むと嫌になる。ペースを乱されまくるのだ。離れがたいとも思うが、一方で彼女と離れて本来の自分らしさを取り戻したいという気持ちがあるのも本当だった。
「そう言えば……ワンス様、なんで噴水広場に来てくれなかったんですか? 金曜日の十二時! 約束したのに~」
幾らかメンタルが落ち着いていたのに、またも心の中でギクリとする。表情には出さなかったが、内心大荒れだ。その質問、フォーリアに聞かれたくないことの一つであったからだ。
「あー……それ聞いちゃう?」
「はい、聞きたいです!」
ワンスは迷った。どこまで話すべきか。噴水広場に行かなかった理由を話してしまうと、彼女を傷つけることになるかも。もし彼女を傷付けてしまったならば、もう二度と……。
そこまで考えて、ハッとする。
―― 何がもう二度と、だよ
自分の甘さに嫌気が差す。彼女を傷つけようが傷つけまいが、結果は変わらない。フォーリアがこの部屋を出るときにはお別れだ。もう二度と会わない。それこそ彼女に領地にでも行ってもらうか、自分が王都を離れればいい。どちらだって同じことだ。彼女がいる場所と、彼女がいない場所の二つしかないのだから。
ワンスはふーっと大きく息を吐く。もう取り繕うことはしない。これが最後なのだから、なけなしの誠意くらいは見せたかった。
こんな嘘だらけの人間だけれど、彼女への気持ちだけは嘘偽りのないものだ。これだけは胸を張って言い切れる。そんな風に言い切れることなんて、きっとこれくらいだろう。だったら、大事にしたかった。
「八年前、噴水広場には行ったんだ。でも、そのまま帰った」
「ぇえ! なんでですか?」
「理由を言うと、もしかしたらお前を傷付けることになるかもしれない。聞くかどうかの判断は……任せる」
「聞きます!」
「即答だな」
「そこに、全ての謎が隠されているような気がしています!」
―― ははは……こういう勘だけは働くんだな
「分かった。誘拐事件から一週間後の金曜日の話だ」
◇◇◇◇◇
【八年前・王都】
誘拐事件から一週間後の金曜日。約束の金曜日だ。
十二歳のワンスは朝から落ち着かなくて、どうするべきかものすごーく迷っていた。朝というか、この一週間ずっと迷ったまま過ごしていた。
行くか、行かないか。もし行くなら、貴族ではないどころか孤児院の育ちであることを告げるか。
―― 友達に、なりたいなぁ
あの身なりから言って、フォーリアは高位ではなくても貴族だろう。一方、ワンスは……父親は貴族だけれど、エース・エスタインの戸籍はまっさらに平民。ましてや親無しの孤児院育ち。友達になるなんて、無理かもしれない。フォーリアの親も許さないかも。
「でも、一目見るくらいならいいかな」
もう一度だけでいいからフォーリアを見たかった。話せなくてもいいから、離れたところから見るだけでいいから、彼女が無事に生存していて母親の元に帰ったことをしっかりと確認したかったのだ。あわよくば、安全な場所にいるフォーリアの笑顔を見たい。この一週間、ずっとそればかり考えていた。
「よし、行こう」
着る服は……迷いに迷って、平民が着るような小綺麗な服にした。濃紺の髪もそのまま、偽るものは何一つ持たなかった。どうせ物陰から出ることもなく、会うことも話すこともなく、ただ見るだけで帰るのだから。
―― でも、もし見つかって会っちゃったら、フォーリアに嘘はつかない。名前もワンスって呼んでもらう。絶対、そうする
そう決めて、約束の時間に間に合うように孤児院を出た。何だか怖いような帰りたいような、でもワクワクするような、そんな複雑な気持ち。こんな相反する気持ちが自分の中で混ざり合うのは初めてで。一人で生きる十二歳の心は、それを持て余した。
そうしてワクワク、ドキドキ、ソワソワを混ぜこぜにして訪れた噴水広場で、ワンスの人生は大きく変わることになる。
十二時よりだいぶ前にワンスは噴水広場に来ていた。チラリと広場を覗いたが、まだ時間が早い。フォーリアはいない。ワンスはフォーリアから見つからないような建物の陰に隠れて、十二時を待っていた。
―― このままだと約束を破ることになるんだよな
ここまで来て、まだ迷ってしまう。嘘をつくことも人を騙すことも何とも思わないワンスであったが、フォーリアにだけは嘘をつきたくなかったからだ。どうしようどうしようと賢い頭で考えてはみたものの、心と頭は別物だ。
会いたいけど、会いたくない。これが恋だ。
すると、噴水広場の方からどよめきが聞こえてきた。なんだろう?と思ってチラリと見る。
約束の五分前。噴水広場にフォーリアは来ていた。父親と右手を、そして包帯を巻いてはいたが元気そうな母親と左手を繋いで、キレイな淡い黄色のドレスを着て立っていた。
まさに今、馬車から降りてきたのだろう。噴水広場にいた人々はみんな、大人も子供も誰もが彼女を見ている。高くあがる噴水が光を弾いて、彼女だけがキラキラと輝いて見える。視界はひどく明るくなるのに、不思議とそれは狭まっていく。特別な女の子だと思った。
フォーリアの周りには、護衛と思わしき男性が二人ほど控えている。そりゃそうだ、彼女は先週に誘拐されたばかりなのだ。大切に大切に育てられてきた、可愛い娘なのだろう。よく両親が外出を許したものだ。
とてもじゃないが、彼女の前に姿を見せる気にはなれなかった。それでも約束を破るのも嫌で、物陰で俯いて「うーん」と悩むこと、三分。十二時になる二分前、バッと顔を上げた。
「行こう」
ワンスは思った。噴水広場にいる無関係の人々なんてどうだっていい。貴族じゃなくたって、金髪じゃなくたって、きっとフォーリアはそんなこと気にしない。バカだの鈍くさいだの、素のワンスの言葉を投げつけたって、怒るどころか友達になりたいと言ってくれた彼女だ。嘘偽りない、そのままのワンスを受け入れてくれるはず。
フォーリアの親はどう思うか分からないけど、もし嫌な顔をされたらぺこりと頭を下げて黙って帰ればいい。フォーリアとの約束を守るのが一番大事だ。悲しませないのが一番大事だ。
噴水広場にいるフォーリアに向かってゆっくり歩いた。ドキ、ドキ、ドクン、ドクン、バクバク……と近づくに連れて心臓がどえらいことになった。でも、ワンスはしっかりと歩いた。
あと、八メートル、七、六、五……というところで、後ろからガシッと肩を掴まれる。心臓がバクバクと大きく鳴っていたこともあって、飛び上がるほどに驚いて振り向く。すると、腰に剣を差した男性が訝しげにワンスの肩を掴んでいた。フォーリアの護衛だろう、鋭い目を向けてくる。
「申し訳ないが、ここから先は遠慮して貰えないかな?」
「は? なんでですか? ……制服から察するに、貴方は私兵ですよね? 他者の行動を制限する権利がそちらにあると?」
子供らしからぬ返答に護衛の男性は面食らった様子だが、それでもすぐに応じてきた。
「それは重々承知しているんだが、あの女の子に近付く人間を止めるのが仕事でね。ご協力をお願いしている」
ワンスは少し目を鋭くして、首を傾げる。
「ご苦労様。俺があの子の待ち人なんだけど」
サラリとそう言うと、男は「ははっ」と鼻で笑ってきた。散々見てきた、他者を馬鹿にするような見下した笑いだ。
あぁ、またか。本当のことを言っているのに納得してもらえない。嘘をついた方がすんなりと信じてもらえるのは、なぜだろうか。見せかけの整合性ばかりを重んじるなんて、不合理な頭だなと思ってしまう。
「あんたに信じてもらえなくてもいいよ。俺は行くから」
「申し訳ないが、金髪の貴族風の男の子しか通せないことになっている」
「え……?」
「あの子からの依頼なんだ。お近付きになりたい気持ちはわかるけど、身の程を知って諦めてくれ」
「ちょっ……」
子供であったワンスは屈強な護衛に抗うことはできず、そのままつまみ出されそうになる。慌ててフォーリアを見るが、道行く金髪の子供ばかりを目で追っているのだろう。引きずられているワンスを全く見ていない。二人の視線は合わないままだった。
そのまま噴水広場からポイッと出される。いらない物みたいに、ポイッて。
「うわっ」
動揺していたワンスは体勢を崩してしまって、思わず地面に手をついた。少し粗い砂がジャリっと音を立て、手の平に食い込んで痛かった。護衛の男は「あ、すまない」と言ってワンスを起こしてくれたが、それだけ。そのまま噴水広場に戻っていった。
なんだよ!と思って、それでも諦めずにもう一度噴水広場に入ろうとした、そのとき。
リーンゴーン リーンゴーン
「あ……」
十二時を知らせる鐘が王都に鳴り響いた。約束の時間だ。
時間がない。ワンスは急いで手の平の砂を落とそうとして、自分の手を見る。少し血が出ていて、それが砂と混ざり合ってひどく汚くなっていた。――そう、綺麗な手だったはずなのに。
そして、ちょうど十二回。その鐘の音に叩かれて、ワンスの心はガラガラと壊れる。自分の手の平を見て、そしてフォーリアの嘘みたいに綺麗な手を思い出して、悟ってしまったのだ。
彼女の手こそが本物で、嘘だらけの綺麗な手は……自分の方じゃないか。
「そうか、そりゃそうだ」
地面に向かってポツリと呟いた。鐘の音が鳴り止んで、噴水広場の外に出て、冷静に考えてみれば当たり前だった。
人のためだとか言って真っ当さをあっさりと捨て去って、十二歳で犯罪者に片足突っ込んでるような自分が、彼女の隣に居られるわけもない。取り柄は異常な頭脳で、特技は嘘とピッキングとスリの技。なんで友達になれるかな、なんて思ったんだろう。笑っちゃうよね。
人生は選択だ。だから、ワンスは本当に大切なものは選べない。もう、選べないのだ。
真っ当さを捨て去るということは、そういうことだ。本当はそんなこと分かっていた。非情にも賢い頭はすぐに何でも理解してしまうから。また同じ。自分は父親みたいにはなれないという事実を、いつも現実が突きつけてくる。
急に広がる視界。その代償に、目の前が暗くなる。
初めてだったんだ。こんなに何かを欲しいって思ったことはなかった。大好きなものは、もう四年前に全部消えてなくなった。やっと欲しいって、大好きだって思えるような存在に会えたのに。
手に入れるための努力をするとか、一歩踏み出す勇気があればとか、相思相愛なら身分なんてとか、そういうことじゃない。そんな次元じゃない。
人間としての品性とか人格性とか善悪の概念とか、そういうのが違う。住む世界が違う。それが分かってしまったのだ。護衛の男性が悪いわけでもフォーリアが悪いわけでもない。これは『いるべき場所の違う人間同士が関わり合うことはない』という現象そのものだ。
「なんだ。ヒーローとか、馬鹿みたいだな」
平坦な声でそう呟いたら、ギュッと音を立てて心臓が萎まる。胸が痛くて痛くて、頬を伝って涙が流れた。四年経っても、やっぱり誰もワンスの涙を拭ってはくれない。彼が生きるのは、そういう人生なのだ。
でも、もう膝を抱えたりはしない、服の裾で涙を拭わなくたって平気。もう、彼は十二歳。手の甲でグイッと涙を拭って、それで十分だった。涙が消えた後の黄色の瞳には、仄暗い影が落ちていた。
それ以降、ワンスはヒーローごっこをパタリと止めた。平たく言えば、闇落ちした。ヒーローごっこの替わりに始めた趣味は何だと思う? そうだよ、人を騙す遊びだ。皮肉なものだね。彼はこの噴水広場での出来事をきっかけに、明確な詐欺師になっていく。
ワンスは賢い。だからこそ、堕落していく人生に複雑で正当な理由なんてあるわけもない。それは、強さに覆われた劣弱性。
フォーリアと再会するまで、残り八年。彼は天才詐欺師としての道を歩むことになる。