8話 好きな人はずっと一人だけ
「よぉ。覗き見とはイイ趣味だなぁ?」
フォーリアをカフェに残して席を外したワンスは、覗き見をしていた人物の背後に立つ。
建物の陰からカフェにいたワンスとフォーリアをじっと見ていた人物、ミスリー・ミスラである。ワンスは知り合いであるミスリーに気付いて、カフェの席を立ったのだ。
「げ! イチカ! 帰ったんじゃないの!?」
「席を外しただけ。お前が覗き見をしているとこ、バッチリ見えてたぞ?」
「うぐっ!」
「やるならもっと上手くやれよな?」
鋭い目で睨むと、ミスリーはバツが悪そうにして視線を逸らした。それでも、口だけは達者に動く。
「ねえ、フォーリアと知り合いなの? もしかして借金の取り立てでもしてんの?」
ミスリーは腕を組み、虚勢とも自衛とも取れるような仕草を見せる。そんな弱い立場の彼女を見下して「ははっ!」と笑ってやった。
「別に? ただ、お茶してただけ。お前と違って、あの子は俺に借金してねぇし」
そう、ワンスとミスリーの関係は『金の貸し主と借り主』だ。正確に言うと、ミスリーの母親がワンスに金を借りたまま死んでしまい、母親の借金をミスリーが返しているという状況。
ミスリーにとって、ワンスは金貸し屋の『イチカ・イチリス』であり、正体が詐欺師であることは知らない。ワンスは手広く金を稼いでいた。
「お前、フォーリアと親友なんだってな?」
「……そうだけど」
「で、こんなとこでフォーリアを覗いて何してんだ?」
「別に。イチカとカフェにいるのを見かけたから、フォーリアが心配で見ていただけよ! あの子をどうする気? 借金漬けにでもする気?」
「ふうん?」
もちろん、質問には答えない。馬鹿にしている目で見下すだけだ。本当に馬鹿にしているわけではなく、『金の貸し主であるこちらが優位だと忘れるなよ』と、暗に示しているのだ。
そのとき、ミスリーの肩がわずかに震えた。彼女の視線はカフェを向いていた。それを見逃すワンスではない。
―― なんだ?
建物の陰からカフェを覗こうとすると、ミスリーがバッと立ちはだかる。ワンスが右にズレると、ミスリーも移動する。左にズレると、また移動してくる。道端で『あ、あ、ごめんなさい! 私たち気が合いますね!』ってなっちゃう人たちみたいだ。
ミスリーに五回ほどディフェンスされたところで、ため息で蹴散らしてやった。
「はぁ。お前、馬鹿なの?」
「……ちっ、分かったわよ」
ミスリーをどけてカフェを見ると、例のカタログ詐欺の二流詐欺師とフォーリアが話しているではないか。それを見た瞬間、ワンスは「ぶふっ!」と吹き出した。
「なんだよ、そういうこと? あはは! 面白いことすんなぁ、ミスリー! 見直したよ、いいねぇ」
その場面を見ただけで、ワンスは全て把握してしまう。フォーリアがやたら詐欺に遭うのは、ミスリーがそれを手引きしていたからだ。そして、その理由は。
「へー、そうかそうか。ニルド・ニルヴァンか。笑えるな」
「え、え? なななんで!? なんで分かんの!? さいあく! 最悪なんだけど!!」
ミスリーがノーブルマッチの会員になるために仲介をしてもらったという話。その仲介者が、このワンスだったのだ。
「ニルド・ニルヴァンとマッチするようにオーナーにお願いしてくれって、お前が頼んできたんだろーが。それだけニルドがお気に入りってことだろ?」
「うっ!!」
「そして、ニルドのお気に入りが、あのフォーリア」
「なんで知ってんのよ!?」
「で、フォーリアを詐欺に引っ掛けて、金を奪って没落、平民落ちさせて、ニルドとの婚姻の可能性をゼロにするのが、お前の目的ってことだろ? 法律上、平民と貴族は婚姻不可だから。やるじゃん」
「ぐっ!!」
全部バレてしまったミスリーは、路地裏にしゃがみこんで「くー!」と悔しそうにしていた。ワンスは全く気にすることもなく、顎に手をやって思案しはじめる。
「フォースタ家が全財産をとられたっていう詐欺も、お前の手引き?」
「ちがう! ちがうわよ!」
ミスリーは慌てて立ち上がり、縋るようにワンスを見てきた。
「確かに、没落させたい気持ちもあったけど! でも、あれは私じゃない。噂じゃ、ものすごい詐欺師に引っ掛けられたって聞いているけど」
「ものすごい詐欺師?」
「詳しくは知らない、酒場で聞いただけだから。私は……フォーリアのお父さんに恨みはないし……。詐欺師の手引きも、ちょっとした憂さ晴らしみたいなもんよ」
「ふーん、まあどうでもいいけど」
ミスリーの事情なんてどうでも良すぎて全く興味が沸かなかった。しかし、そこで『お?』と、ワンスは思い付く。フォーリアから謎の告白と求婚をされまくったことを思い出したのだ。
―― あそこまで好かれているとは、想定外なんだよなぁ
ちょろすぎるフォーリアが不可解でならなかった。大して関わりもないのに、何故あんなに好き好き光線を出してくるのか、全く理解ができない。もはや、フォーリアが謎の生き物に見えていた。
「なあ、ニルドとフォーリアを邪魔したいなら、あいつに男をあてがった方がいいんじゃないか? あの見た目だ。馬鹿そうな男爵の次男くらいなら、婿入りすんじゃねぇの?」
ワンスがふと思い付いて言うと、ミスリーがキッと睨んでくる。
「そんなこと、とっくにやってるわよ!」
「何故うまくいかない? ……あー、ニルド・ニルヴァンか」
ミスリーは、イライラした様子で「そうよ」と言った。
「ニルドが邪魔するのよ。ニルドってほら、すっごーく格好良くて素敵でしょ。だから、どんな男を派遣しても、大抵はニルドに潰される」
「なるほど」
「それだけじゃないのよ! フォーリアも難しくて……」
フォーリアに対する言葉で、『難しい』とは似つかわしくない。ワンスは首を傾げる。
「誰をあてがっても、フォーリアが落ちてくれないのよ。ああ見えて、すっごく身持ちが固いのよ、あの子」
「はぁ? 嘘だろ」
―― 過去最高にちょろいけど……
何もしていないのにストンと勝手に落ちてきたフォーリア。あんなに容易い女は初めて見たというのに、誰をあてがっても落ちてくれないとは、これ如何に。
「本当よ。好きな人だって今まで一人だけだし。恋人もいたことない。……あ、でも! 最近好きな人が出来たって言ってて」
「……あー、そう……」
「ワンス・ワンディングって知ってる? 伯爵家の嫡男なんだけど」
「うん、まあ知ってはいるけど」
―― 俺だよ……ははは
「ホント!? どんな人? 伯爵家嫡男ってことはフォーリアとは、どうにもならないのかなぁ」
「あー、うん、そうだな。かなり難しいと思う」
ワンスは、うんうんと深く頷く。
「なんでよ!? いっそのことフォースタ家を途絶えさせて、ワンディング家に嫁入りしてもよくない!?」
「うーん、そういう問題とは、少ーし違うような気がしている」
深く首を傾げる。
「なによ、歯切れが悪いわねぇ。うーん、いっそのことフォーリアのお父さんに後妻をあてがって、弟を作らせる方が早いかしら……いや、それだとニルドがフォーリアに求婚しちゃうわね」
「お前すげぇこと思い付くな、ちょっと引くわ」
チラリとカフェに視線を向ければ、フォーリアは詐欺師に大分やりこめられている様子。遠目からでもわかるほどに、オロオロとしている。あと少しでサインをするか、あるいは泣き出すか、といった状況だった。ため息をして、「カフェに戻る」とミスリーに告げる。
「え、ちょっと! 契約するまで待ってよ」
「……あのなぁ、フォースタ家に金はないぞ?」
「フォーリアには、2,000ルド残ってるはずよ。それを奪ったら、一切なにもしない。フォーリアのことは……私だって好きなのよ。姉妹みたいに思ってる。ただ、ニルドの本命ってのが気に入らないだけ。没落も待ったなしだしね。もう手を引くわ」
「ほう?」
「元々は10,000ルドだったけど、残り2,000! 絶対!」
「やけにこだわるな」
「あの10,000ルドはね、誕生日プレゼントだとか言ってニルドが渡したお金なの! 絶対、許せない。根こそぎ奪い取ってやる……!」
鬼のような形相でカフェの方向を睨むミスリー。ワンスは少しゾッとする。ミスリーの恋心は知っていたが、ここまで執着してるとは思っていなかったのだ。
―― それにしても、誕生日プレゼントに10,000ルド? そっちはそっちで、すげぇ入れ込みようだな
宝石でも何でもあげることは出来たはずだが、フォーリアが一番必要な現金を選んだのだろう。きっと男としては、苦渋の選択だったに違いない。
そんなプレゼントを惜しげもなく、どこぞの男に渡されてしまったニルド。なんとも可哀想な状況。こうなるとプレゼントは現金じゃない方が良かったのでは。
―― どれくらい稼げるもんか試してみるか
ニルドに限らず、フォーリアの容姿を利用して稼ぐことも出来るかもしれない。
「ま、お前はお前で勝手にやればぁ? 俺の知ったことじゃねぇしな。2,000ルド、奪えるといいな? じゃあな」
手をヒラヒラしながら踵を返すワンス。「ちっ!」と大きな舌打ちが見送ってくれた。