75話 エースの名前を得た日の話
【現代・ワンスの私室】
「うっう……う、ぐずっ」
「そんな泣く話か?」
「ワンスさまぁ~、八歳でご両親が……うぐ……ぐず」
「……フォーリアって泣くことあるんだな。いつも変な顔で我慢するだけじゃん。泣いてるところ、初めて見た」
「ぐず……八歳のワンス様を、うっう……抱きしめてあげたい、ぐずっうっ……」
―― こういうところが、好きなんだよなぁ
誰かに生い立ちを話したのは初めてだ。だから、こんな風に誰かに泣いてもらうことも初めてだった。なんだかくすぐったくて、心がむずむずとして、恥ずかしいような居たたまれなさを感じる。
もう十二年も前のことだ。今更、泣くようなことでもない。でも、八歳の自分の隣に、もしフォーリアみたいな子がいたとしたら、また違った人生だったのかな……なんて感傷的になる。
あと十二年分、その話を全て終えたときにフォーリアとはお別れだ。これまでと同じように彼女のいない人生をただ生きる、それだけ。
役立つことも多いけれど、フォーリアに関してはこの不自由な脳が憎くて仕方ない。再会前のように、キレイサッパリ忘れることなど、もう二度と出来ないだろう。
どうせなら、話せることは洗いざらい話してしまおう……なんて、ワンスは割とヤケになっていた。
「エースの名前についてなんだけど」
「はい、八年前に名乗ってた偽名ですよね」
「偽名じゃない。今まで聞かれたことなかったから言わなかったけど、俺には戸籍が二つある」
「え!? そんなこと出来るんですか?」
「できる。この国はさ、割と法律の抜けが多いんだよ。戸籍を重複してはならないなんて、どこにも明記されていないしな」
すると、フォーリアは怒ったような表情を向けてきた。それを見た瞬間、ビクッと肩を揺れてしまった。今のワンスはフォーリアの一挙一動で心拍数が変動するようになっている。彼女の眉間が歪むだけで、心臓がバクバクと速く鼓動し、背中に冷たい汗が伝う。
「待ってください、それって重要なことじゃないですか……何で今まで黙って……ひどいです!」
「そんなに……?」
「重婚できちゃうじゃないですか! 二人と! 結婚を!」
―― は!? それが怒るポイント!? ホントこいつ、読めねぇな
「あぁ、言われてみれば、確かに」
「黙って誰かと結婚を……! ひどいです!」
「だから、誰とも結婚しないって。さっき約束しただろ」
「え? あ! そうでした~。ふふふ、良かった。早とちりしちゃった!」
―― え、まだ俺と結婚したいと思ってる……? いや、ないないない! 期待するな馬鹿か
まだ詐欺師の話をしていないから、彼女も実感がないのだろう。気にせず、サラリと流すことにした。
「えーっと、もう一つのお名前がエースですか?」
「そう。エース・エスタイン」
「なるほど、本名だったんですね。嘘ではなかったんですね~」
「まぁ、そういうことになるな」
「八歳まではワンス様の戸籍だけですよね? エースの名前はいつ……?」
「あー……じゃあ、次はその話をするか。俺が初めて王都に来たときの話」
フォーリアは「ふふっ」と笑う。
「次は冒険小説みたいで面白そうですね! お願いします」
「のん気なやつだな」
◇◇◇◇◇
【十二年前・王都】
東端集落は流行り病でほぼ壊滅。その流行り病は東の都まで被害が及び、後に東のパンデミックと呼ばれる程の大きな出来事となった。
その最たる被害者である八歳のワンスは、生き残った他の集落の子供と同様に、まだ流行り病の余波でゴタゴタしている東の都の孤児院に行くことになる。
そこで数か月ほど大人しく暮らしていたが、正直に言おう。くっそつまんなかった。
嫌気が差したワンスは、とりあえず王都の孤児院に移動してみようかな~と思いはじめる。しかし、旅費も足もない。それならばと、父親の実親である祖父母の元に単身で乗り込み、世間体を盾にして自分を王都の孤児院に連れて行くか、旅費をよこせと交渉した。
ワンスは父親に瓜二つだった。誰がどうみても倅の倅。さすがに放っておくこともできず、しかし、これまでの経緯から手厚く保護するわけにもいかない。祖父母は旅費と王都までの足を手配して、双方合意の上で縁切りをした。
最後に「バイバイ、おじい様、おばあ様……」と泣きながら言ってみたら、旅費が二倍に増えた。ラッキーだ。ちなみに、ワンスの祖父とは、ワンディング伯爵家の現当主である偏屈じいさんの実弟である。偏屈じいさんとワンスの父親は伯父・甥の関係。よって、偏屈じいさんは、ワンスの大伯父ということだ。
そうして、ワンスが王都入りをしたのは九歳になってすぐの頃だ。公立図書館の隣にある孤児院をふらりと訪ねて即日保護してもらう。孤児院の院長先生は非常に優しく、身よりのないワンスを温かく迎え入れて助けてくれた。
「大変だっただろう、よく来たね。名前は何て言うのかな? 失礼かもしれないけれど、戸籍はあるかな……?」
東端集落の出身だと告げると、院長先生は申し訳なさそうに戸籍の有無を聞いてきた。
ワンスは考える。ワンディング家とは縁切りをしているし、正直言って、母親を疎ましく思っていた祖父母なんかと暮らしたくない。しかし、ワンディングの名前を出すと、すぐに連絡がいってしまうだろう。血縁者がいるとなれば、悠々自適な孤児院ライフは送れない。
ワンスは父親と母親のことを思い出す。母親の戸籍がないことを、父はずっと気にしていた。それならば母親の分の戸籍を息子の自分が貰ったっていいじゃないか。心の中で、悪戯よりも幾らか悪くニヤリと笑った。
「戸籍はありません。名前はエース・エスタインです」
「エース・エスタインくんね。東のパンデミックの被害者は国で保護することになったからね、戸籍も取得できるよ。……えーっと、スペルは……」
「Ace・Eastinです」
こうしてワンスは二つの戸籍をゲットした。そして、くっそつまらない毎日に『隣の図書館で本を読める面白い時間』を付け足すことに成功したのだった。
ワンスは父親の影響で、昔から本を読むのが好きだった。しかし、不便なことに一度読んでしまうと頭の中の書庫に入ってしまうため、同じ本を二度読む気にはなれない。そんな彼にとって、図書館はまさに楽園だ。読んでも読んでも、まだ『読んだことがない本』がたくさんある。
孤児院では、午前中は院長先生らによる授業や勉強、そして午後は掃除や炊事の手伝いなどを行っていた。
子供でも出来る内職のような仕事や、ちょっとした作り物を売ることで孤児院は細々と収益を出してはいたものの、成り立っていた大半は貴族からの寄付である。ノブレスオブリージュとやらに助けられて、ワンスは生きてきたとも言える。
そして、平日は午後四時から夕食までの間、また日曜日は完全に自由時間だった。そうすると決まって図書館に行き、すごい勢いで本を読む。東の都にも図書館はあったが蔵書数は少なかった。これだけでも、王都にきた甲斐があったというものだ。
王都にきてすぐの頃の土曜日。ワンスは図書館の帰りに何となく寄り道をしてみた。頭の中の王都マップに詳細を付け加えるためだ。
フラフラと歩いていると、八百屋の前で三人の奥さん方が噂話をしている。何だか面白そうだなと思い、リンゴを見るフリをしながら盗み聞きをする。
「最近は没落貴族も多いわよねぇ」
「本当! 貴族税の値上がりがひどいって話よぉ?」
「男爵家なんてひいひい言ってるって」
「そう言えば、伯爵家で没落寸前って家の噂も聞いたわ」
「伯爵家でぇ? 相当な能無しなのねぇ」
「それが能無しなんじゃなくて、独身宣言したまま五十歳突入したってハ・ナ・シ!」
「ぶふ! なにそれ! 貴族の勤めも果たさずにこじらせちゃったのかしらぁ」
思っていたよりもえげつない話で大笑いしているものだから、ワンスは『この人たち幸せそうだな~』なんて思った。
「でも、親戚筋から養子なり取ればいいんじゃない?」
「それがね、東の方が領地の伯爵家だったもんだから、東のパンデミックで分家筋の人も被害に合っちゃったみたいで……いないらしいわよ、跡取り」
「それで没落?」
―― 東が領地の伯爵家……?
「そう。ワンディング家ですって」
「ぇえ!? だって、かなり古くからあるお家よねぇ?」
「もったいなぁい! 私でよければ嫁ぐのにぃ」
「平民の既婚者が何言ってんのよ! あはは!」
―― ワンディング家!? まじか!
思わず笑いそうになってしまう。別にワンディング家……特に、本家に対して負の感情があるわけもないが、こんな王都の八百屋さんの前で縁が繋がったことに運命的な面白さを感じた。
そこでワンスは『長期計画』を思い付く。王都に来てみるもんだ。ワンディングの名を耳にして、ワンス少年の心は久しぶりにワクワクと音が鳴り出す。
―― ワンディング家が没落かぁ。うーん、どうしようかな~♪ とりあえず行ってみるか!
人伝に聞いたり調べてみると、ワンディング家と孤児院は王都の端と端の距離だった。翌朝早くに孤児院を出て、昼すぎにやっとこさワンディング伯爵家にたどり着く。
庭先を覗いてみると、おじいさんとおばあさんが庭の手入れをしていた。ワンスは適当な紙で紙飛行機を折ると、それを庭に投げ入れた。子供らしい声で「すみませーん! 飛行機をとらせて貰っていーい?」と声をかけて、快く中に入れてもらう。この流れ、詐欺師の片鱗をうかがわせる。
「あれ、どこだろう~?」
なぁんて探しながら、建物の様子や窓から中を覗いたりしてみる。噂通り、使用人もいなさそう。建物も手入れは頑張っているようだが、かなり老朽化が進んでいる様子だ。
「ねぇねぇ、おばあちゃん。ここの伯爵家の当主が偏屈おじさんって本当なの? 僕、怒られたりしないかなぁ……」
弱気なフリをして聞いてみると、おばあちゃんは「そうねぇ」なんて言いながら頬に手を当てる。
「見つかったら大変かもねぇ。坊や、早く探してお帰り」
「そうなんだ……。そしたら、僕の大切な飛行機、ここの子供にあげるよ!」
「あらあら。残念だけど、ここに子供はいないのよ。ごめんなさいねぇ」
「え? ここって伯爵家のお屋敷じゃないの? 子供がいないと将来どうなっちゃうの?」
「そうねぇ。寂しいけれど、この街ともバイバイになるのかしらねぇ」
「そっかぁ……寂しいね。もし子供が生まれたら、僕の紙飛行機をあげてね」
心底どうでもいい紙飛行機を諦めるフリをしていると、おじいさんが「ふぉっふぉっふぉ」と言いながら紙飛行機を持ってきた。いつの間にか見つけていたらしい。
ワンスはニッコリ笑って「ありがとう! 優しいおじいさん、おばあさん! またね!」と言って伯爵家を出た。
「子供はいない……かぁ。うーん、ワンディング家を乗っ取ろう計画、ワンチャンあるかな?」
そう言いながら、そこに狙いを定める。ひゅーっと紙飛行機を飛ばして、道端のくずかごに見事ホールインワンさせた。
お読み頂き、ありがとうございます。
しばらく、現代の会話→昔話という流れで進んでいきます。