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71話 君以外の誰とも結婚しないよ、と誓いを立てて



 別々に寝始めてから、五日が経った。


 朝、郵便物をチェックしているとニルドからの手紙があった。すぐに封を開けて読んでみると、ハンドレッドが王都での取り調べを終えて、南の収容所に入ったという知らせだ。


 多数の罪状や被害金額から、ハンドレッドは最も厳しい北の収容所に送られる予定だった。しかし、孤児院への多額の寄付と彼が取った黙秘という美学が民の心を動かし、なんと孤児院を筆頭に民衆から多数の署名が集まったのだ。それにより、過ごしやすく割と融通の効く南の収容所に入ることになった。そんな内容が手紙に書かれていた。フォーリア宛てにもニルドから手紙が来ていた為、同じ内容が彼女にも伝わるのだろう。


 ワンスは、この後に彼女が取る行動が容易に予想できてしまった。何故ならばワンスは賢く、そして何でも知っているからだ。



 そして、その日の昼過ぎ。


 コンコンコン


 仕事に没頭するワンスの私室のドアがノックされた。この軽く遠慮がちなノックの仕方は、フォーリアだ。ドア越しに「なに?」と返事をした。


「フォーリアです」


 ワンスはドアを開けるか迷った。でも、その結論が出る前に彼女が話をし始めたものだから、そのまま聞いた。


「ハンドレッドが収容所に入ったと聞きました。もう安全だと思うので、明日にここを出ようと思います。長らくお世話になりました。ありがとうございます」

「……わかった。フォースタ伯爵はどうしてる?」

「お父様は領地を気に入っちゃったので、フォースタ邸ではなく領地で暮らすことになりました」

「まじか……恐れていたことが現実になってるな……。フォーリアは一人で暮らすのか? さすがに危ないんじゃねぇの?」

「いえ、私も領地で暮らします」

「え」


 フォーリアの言葉を聞いて、ワンスは思わず手を伸ばして鍵を開けてしまった。ドアの前に誰かがいるときに鍵を開けたのは、初めてだった。


「きゃ!」


 ワンスが考えなしに勢いよくドアを開けたものだから、彼女は驚いたのだろう。三歩程、後ろに下がっていた。


「あ、悪い。ちょっと焦った」

「いえ、大丈夫です」


 ワンスはそのまま廊下に出て、そっと私室のドアを閉じた。鍵を持っていなかったから、鍵は開けたままだった。


 フォーリアをチラリと見ると、相変わらず虚無の瞳をしていたが、虚無初日よりも幾らかマシな虚無になっていた。何だか久しぶりにフォーリアと向き合っている気がして、少し居心地が悪かった。


「領地に行くのか? どれくらい? ……もうずっと帰ってこない?」

「はい。そのつもりです」

「そうか。そっか……分かった」


 彼女を手放すときが来たのだと、賢いワンスはすぐに分かった。離れていく相手を追いかけるようなことなど、ワンスはしない。ただスルリと手を放すだけ。


「ワンス様、色々とありがとうございました」


 フォーリアは丁寧にお辞儀をした。そして、俯いたまま三秒ほど間をあけて「お幸せに」とぽつりと言ってから、顔をあげる。想い人が結婚してしまうときに使われる『お幸せに爆弾』の投下である。


 そのぽつりと呟いた『お幸せに』という言葉は、あまりにも小さくて、か細くて、もしドア越しに会話をしていたままだったら、きっと聞こえていなかっただろう。


「???」


 爆弾を投下されたワンスは頭に三つくらい?を浮かべた。賢い頭でも、フォーリア級のアレな思考回路を読むのはなかなか難しいのだ。


「お仕事の邪魔してごめんなさい、では……」

「待て待て。なんだ今のは?」

「お世話になったので、ご挨拶を、と思いまして」

「そっちじゃねぇよ、お幸せにってなに?」


 フォーリアはきょとんとした顔をした後、すぐに青ざめてまた一歩後ろに下がった。


「あ、ごめんなさい。余計なお世話でした! ワンス様のことは忘れ……るように頑張り……ます……ので、ご迷惑はおかけしません」


 またよく分からなくなる。こんなに分からないことだらけなのは、珍しい体験だ。


「別に忘れて貰わなくてもいいんだけど?」

「ダメです、忘れないと……。私も、お父様が入り婿になってくれる方を紹介してくれるそうなので、貴族の娘として務めを果たしますね」

「は?」


 年中四六時中フル回転が当たり前の頭が一瞬停止した。停止したかと思ったら、急速フル回転で回り始めた。


「なに……お前、結婚するの? いつ? 誰と? 相手の名前は? 素性調査は? もう婚約宣誓書に署名した?」


 矢継ぎ早に質問を投げつけると、フォーリアは少しきょとんとしながらも「いいえ」と返してきた。


「署名はまだです。顔を合わせたことも無いですし。お相手は領地長の息子さんだそうです。好きになれるように頑張ります」


 フォーリアは少し遠いところの床を見たまま、力なく『頑張る』と言った。全く頑張る気力が無さそうである。目は死んでいた。


「へー、領地長の息子……ふーん。なーんか誰かの陰謀を感じるなぁ」

「結婚だなんて現実味がないですよね。ワンス様はどうですか?」


 質問を受け取ったワンスは、またもや賢い頭がギュンギュンと回る感覚がした。


「……ほーう? 話が見えてきたぞ。さては、ミスリーになんか吹き込まれたな? 何て言われた?」

「ミスリーからは……あ、ごめんなさい、言えないんでした。でも、おめで……ござい……ま……」


 フォーリアは絞り出すようにお祝いの言葉を告げたが、お祝いなんて言いたくないのが丸出し。かすれてほぼ声になっていなかった。女優になりきれない女だ。

 しかし、その様子で大体のことが分かってしまう。フォーリアという分かりやすさの塊みたいな人間に対して、口止めは無意味であった。


「そういうことか。口止めの件は気にするな。素直に答えて。俺が結婚するって聞いた?」

「えっと……はい、そう聞きました」


 ワンスは額に手を当てて「はーぁ」と大きなため息をつく。


「なんだ、だから拒否ったってこと? なんだよ、そういうことか……はぁ、てっきり……はーーぁ、まじで死ぬかと思った……」


 もう一つ大きくため息をつくと、フォーリアは少し俯いた。


「私、今までワンス様が結婚してくれないのは、ワンス様が誰とも結婚しない人だからだと思っていました。もし結婚するなら、選ばれるのは自分だって自惚れてました。でも、ミスリーから『フォーリア以外とだったら結婚する』ってワンス様が言っていたと聞きました。それで、私と結婚したくないだけだったんだ……って知りました」


「げ。あの話がそんな話になってんの? 怖っ!」


 フォーリアは変な顔をしながら泣くのを我慢していた。奥歯にグッと力をいれてないと、すぐに涙が出そうなのだろう。余裕を取り戻したワンスは、ちょっと笑いそうになったが、笑ったらさすがにマズいと思って堪える。


「本当に恥ずかしくて、消えてなくなりたいです。ワンス様、今までしつこくしてごめんなさい。嫌われる前に領地に行きます……さようなら……」


 フォーリアは、また一歩後ろに下がって、ぺこりとお辞儀をした。


「あー、違う。嫌いじゃない」

「そうですか、お気遣いありがとうございます」


 フォーリアの返答に、少しだけ眉をひそめる。ワンスの言葉を素直に信じないフォーリアは、ほぼ初めてだったからだ。頑なに『嫌われている』と思いこんでいる様が、彼を少し苛立たせる。


 ワンスは迷った。何も言わず、彼女をここで手放すべきなのか。


 黄色のチューリップ(望みなき恋)が脳裏を過る。どうせ二人の間に将来なんてないのだから、離れるのがこのときであれ、少し先なのであれ、どちらでも結果は変わらない。


 彼女をスルリと手放すことなら、まだ出来る。彼女の存在はワンスの中でそういう範疇(はんちゅう)に置いてある。追いかけたり(すが)ったりするようなことはしない。


 それでも、嫌われているなんて、消えてなくなりたいなんて、そんなことを思わせたままで手放すことは少しだけ難しかった。ほんの少しだけ。


 どうせ離れるなら、同じことなのにね。



「嫌ってなんかない。嫌いになれるわけない」


 少し迷って、そこだけは否定した。


「いいんです、しつこかったのは私ですし。勘違いしてました。もう好きとか結婚とか言いません。領地で心穏やかに暮らします……さようなら」


 ワンスは苛立った。普段は馬鹿丸出しで何でも信じる癖に、なぜ今、ここだけは信じないのか。


 毛羽立つ心をそのままに、ワンスはつい口を動かしてしまった。手放す絶好のチャンスなのにも関わらず、何故だか口は動いてしまう。人はそれを衝動と呼ぶわけだが。


「いや、待て待て待て。信じろって。本当に、一度も嫌だって思ったことはない。だって……あー、お前を嫌いになることはない。絶対ない、有り得ない」


 言った後、ワンスは少し後悔した。これではフォーリアを手放す機会が失われてしまう。ワンスからしたら、彼女が同じ街のどこかにいるかも知れないという日常よりも、もう絶対に関わり合わないような領地に引っ込んでいて貰った方が都合が良いのに。



 でも、分かっていても止まらなかった。頭と心は別物なのだと、賢いワンスは知っていた。八年前からずっと知っていた。


 そして、いつになく真剣な目をしたワンスに、フォーリアは困惑している様子。瞳が揺れていた。


「……本当ですか?」

「何度も言わせるな。信じろ」

「私のこと嫌だなとか、うざったいなとか思いませんか?」

「思わない。思うわけない。そもそも、思ってたとしたら、この家には置いてない」


 瞬間、フォーリアの顔がパァと明るく輝いた。輝くフォーリア光線をもろに浴びてしまい、若干目がやられた。うわぁ! 眩しい! 


 久しぶりに見た笑顔だった。あまりの眩しさに、夢で見たフォーリアの冷たい視線は消え去って、笑顔の方が脳裏に強く刻まれる。きっと、一生、消えない。


「嬉しいです! 信じます。良かった、嫌われてなくて良かったぁ、ふふふ。嫌われたら生きていけない~って思ってました」


 虚無な瞳から一変。エメラルドグリーンの輝きがその瞳に復活してしまった。戦闘力、高めである。致命傷を負うのが嫌だったワンスは、その瞳の輝きから少し目を逸らす。


 そして、また焦燥。これ以上一緒にいて手放せるのかと自問自答する。でも、どうせ二人の間に将来なんてないのだから、離れるのがこのときであれ、少し先なのであれ、どちらでも結果は変わらない。だから、もう少しだけ。


「まあ、だから……もし領地に行かないなら、ここにいてもいいけど」

「いえ、ワンス様の奥様に申し訳ないですし、領地に行きます」


 ワンスはずっこけた。奥様って誰だよ。


「そっちの話も違う。俺は結婚の予定なんてない。ミスリーの嘘だ」

「ぇえ!? そうなんですか! もー、ミスリーったら!」


 フォーリアはものすごく驚いた顔をしていた。ミスリーに騙されすぎである。そして、大して怒らずに『もー!』と言っただけでミスリーの罪は昇華されていく。お馬鹿さんなだけあって、他人の悪事に対する許容量が多すぎる。


 しかし、次にぼんやりと床を見たかと思ったら、今度はしかめっ面になってしまった。よく動く表情だ。


「でも、いつかはしますよね。もう二十歳……近々結婚しますよね。とても見ていられません。今のうちにワンス様から遠ざかって領地で心穏やかに暮らします……さようなら……」

「さっきから領地に夢見すぎじゃね?」

「領地にいけば全て丸く収まるってミスリーが言ってました。ワンス様の結婚式なんて想像しただけで……呪いの神が舞い降りてきそうです」

「呪いの神?」

「人を妬んだりする気持ちのことです。怖いものです」

「なにそれ、嫉妬ってこと?」

「そうです、嫉妬です。ヤキモチです」

「そうか。嫉妬か、それは考えたことなかったな」


 ワンスは顎に手を当てて、何やら思案するように廊下の床をじっと見ていた。フォーリアは『少し俯くワンス様も素敵!』なんて呑気なことを思いながら、何となく顎に手を当てて同じように思案している雰囲気を出してみた。


 そして、ワンスはパッと顔をあげて、フォーリアに一歩近付く。  


「フォーリアは、俺に結婚してほしくない?」

「当たり前です! 私以外の女性と結婚なんてしてほしくないです」

「そうか、分かった。じゃあ他の誰かと結婚しないことにする」

「え!?」


 とんでも発言に、フォーリアは驚いて目がまん丸になっていた。ワンスは構わずに続ける。

  

「フォーリア以外の女と結婚しない。約束する。それなら呪いの神とやらは降臨しないだろ? これでいい?」

「え? え? それって私と結婚してくれるってことですか!?」

「それは断る」

「がーーーん! 複雑です!!」


 フォーリアの頭ではもはや付いていけなかった。ワンスとフォーリアでは脳の構成が全く異なるのだろう。しかし、自分以外の女と結婚しないというのは、逆説的プロポーズなのではないのか!? 複雑がすぎる。


「跡取りなら養子でも何でもとればいい。今の当主だって生涯独身を貫いてるんだ。文句言えねぇだろ」

「いいんですか……?」

「うん、別に結婚に興味ないし」


 彼はフォーリアの目を真っ直ぐに見てくれた。フォーリアも彼の目を見て返す。すると、その淡い黄色の瞳の奥に何か……何かがあるような気がした。でも、それが何か分からない。


「私、ワンス様のことがよく分からないです。よく分からない人なんだなってことが、今やっと分かりました」

「今? 遅くね?」

「ふふ、よく分からないところも……あの、好きとか言ってもいいですか? 抱きついてもいいですか?」

「……許可する」


 フォーリアはニコッと笑って近づいた。そしてギュッと抱きついて、幸せいっぱいに彼の胸に顔をすり寄せる。


「全部大好きです。好きです、大好き」

「わかってる」

「でも、ワンス様のこと、もっと知りたいなぁと思います」

「俺を暴こうなんて、百年早いな」

「百年間、頑張ります!」

「百年間、頑張れ」


 今度の『頑張る』は本当に頑張る気力のある言葉だった。二人は小さく笑い合う。もうこれ結婚してるんじゃないのかな。百年間という生涯を誓い合ってると言ってもいいんじゃないかな。


「ワンス様が誰かのものにならなくて良かったです。私のものにならないなら、誰のものにもならなければいいのに……なんて悪いことばかり考えてました」


 フォーリアがズルいことを言うと、ワンスは少しだけ目を見開いて「なるほど」と言った。


「そういう視点はなかったな。その方法もあるのか」

「???」

「で、どうすんの? 領地いくの? お前一人くらいどうにでもなるけど。それに料理もしてくれてるし、何なら給与を出してもいい」

「うぅ、グラつきます……」

「自分で決めろ」

「グラグラです」

「フォーリア」


 柔らかく名前を呼ばれて、ギュッと抱きしめられる。自分で決めろなんて言っておいて、こんなことをするのだから、本当に悪い男だ。


 フォーリアはちょろい。だから、抱きしめられたら嬉しいし、優しくて温かくて、このままずっと抱きしめていて欲しいと思ってしまう。


「……グラリバタン。ワンス様、ここにいても良いですか?」

「許可する。……キスしていい?」

「ふふ、許可します」


 久しぶりにキスをした。


 ワンスの部屋の前で。

 鍵が掛かっていない扉の前で。


 君以外の誰とも結婚しないよ、と誓いを立ててキスをした。




 ミスリーの仕掛けた爆弾は、ワンスが私室の鍵を開けたことで爆発を回避された。あそこで鍵を開けていなかったら、回避不可能だっただろう。


 しかし、命拾いした……と判断するには、まだ早い。もう既に、忘れてはならないもう一つの爆弾がカチカチと動き出してしまっていたからだ。そう、親友(ラスボス)ファイブルの仕掛けた爆弾だ。


 今宵、その爆弾が大きく爆発することなど、幸せそうに誓いのキスをする二人はまだ知らない。幸か不幸か、二人がフォーリアの部屋のベッドで一緒に寝ることなど、もう二度と訪れないのだ。







お読み頂き、感謝いたします。

だいぶデレてきた主人公です。

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マシュマロ

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