65話 時を戻せたらと思うくらいに【国庫輸送当日編】
ハンドレッドは、人畜無害な人間を装って、そろりと手を挙げた。ごくりと喉を鳴らしてから、弱々しい声をひねり出す。
「私は家主ですが……騎士団の方が、何故ここに?」
「通報があった。この家に空き巣が入っているという通報だ。貴方が家主であるという証明が成されるまでは拘束する」
「それは……仕方ありませんね」
「では、手は上げたまま……ん? あれ? レッド?」
顔を覗き込まれる。視線を上げると、濃紺の髪の男と目が合った。
「ワング!?」
「なんだよ~! レッドじゃん! びっくり~。おーい、ファイザ! レッドがいるぞ~」
「本当だ、レッドじゃないか」
ワングが大きな声を出すと、奥からファイザが顔を出す。ワングは騎士団の制服を着ていたが、ファイザはスーツ姿だった。ハンドレッドは一瞬だけ不可思議に思ったが、ファイザは普通の騎士とは異なることを思い出して、とりあえずは納得する。
「偶然じゃーん! いえーい!」
ワングは先ほどの騎士特有の声とは全く違う、ほわわ~んとしたゆる~い声でハイタッチを求めてくる。ハンドレッドはちょうど手を挙げていたところだったので、そのままワングとハイタッチをすることになり、何だかちょっと嫌だった。
「ってか、レッドの家なの? ここ」
ハンドレッドは若干言葉に詰まった。この金庫室、一般的な家では見ないものだろう。しかも、巨大金庫は開けたままだ。怪しい金や宝石であることなど見ればすぐに分かる。
しかし、肯定せざるを得なかった。
「ああ、そうなんだ。私の家だよ」
「……ちょっと待っててくれる? あ、ごめんだけど念のため動かないでね? ファイザ、集合!」
何やら密談をするのだろう。ワングとファイザは金庫室の中でコショコショと相談しはじめる。
―― この金庫室の説明と……口止めをするしかないか。来たのがワングとファイザで幸運だったな
「いや~、悪い悪い! お待たせレッド!」
「大丈夫だ」
「あのさー、友達相手にすっごーく聞きにくいんだけどさぁ」
「この金庫室のことだろう?」
「うん、これって何? なんかやばい金?」
「まさか!」
人好きのする笑顔で笑ってみせる。
「これは全部、私の資産なんだ。親から相続したから多いけれど、全部真っ当な金だよ」
「銀行には預けないってことか?」
「ああ、十年前に銀行が倒産したことがあっただろう? 私の親がそれで資産を失ってね。それ以来、銀行は信じていないんだ」
―― この説明で納得して貰いたいものだが
ハンドレッドは焦っていた。この後、国庫輸送詐取のために南の森に向かわねばならないからだ。もう時間ギリギリであった。
「もし、疑いがあるなら、後日いくらでも調べて貰って構わないから、今日はもういいかな? この後、仕事があるんだよ。頼むよ、二人とも!」
頼み込むようにお願いすると、ワングとファイザの顔が曇る。二人は目を合わせて、頷き合っている。ハンドレッドに向き合って、まるでプレゼントを出すかのように捕縛用の縄を取り出した。
「レッド……悪いけど、やっぱり拘束していいかな?」
「どういう意味だ?」
「実は……、さっき言った通報内容は嘘なんだ。本当の通報内容は『青い屋根の家は詐欺師の隠れ家だ』って通報内容でさ」
「詐欺師……?」
「レッドのことは信じてるけどさ、念のため。な?」
―― どういうことだ? まさか、あの女詐欺師からの通報か!? 狙いはこれか…! 資産を守るための足止めではなく、騎士団に捕縛させるためか!? あの女!
怒りで震えそうになる。あの女をどうにかしないことには気が収まらない。地獄を見せてやりたい。あの甘ったるい声が悲鳴に変わるところを見てやりたい。瞬間、赤黒い瞳が真っ赤に光った。
「ワング、ファイザ。取引をしようか」
低く冷たい声をハンドレッドが放つと、それはやたらと金庫室に響いた。その声に応えるように、冷たい空気が床を這う。
「国庫輸送の資料を流出させた罪で裁かれたくなければ、このまま見逃せ」
「な!?」
「レッド、どういうことだ?」
「そのままの意味さ。ファイザだって例外ではない。調べればファイザがワングに協力した上で、機密情報が外部に漏れたことなど、すぐに分かるはず」
「外部って……レッドは王城文官だろう……?」
「ははは! そんなことまだ信じていたのか? 私はハンドレッドだよ、名前くらい聞いたことがあるんじゃないか?」
「え?」
「私は詐欺師だ。詐欺師レッド・ハンドレッド」
「……は……?」
ワングは奇妙なほど驚いていた。その顔は、後で思い出すくらいにハンドレッドの脳裏に焼き付く。思わず、笑い出してしまいそうなほどに愉快だ。涼しげな顔、朗らかな笑顔、快活な声、そういうものが崩れる瞬間がハンドレッドは大好きだった。
「さあ、ワング、ファイザ、どうする? 時間がない。今すぐ決めてほしいのだが」
ワングは、すがるような目でファイザを見ていた。一方、ファイザはハンドレッドに視線を向けてきた。値踏みするような目で、ハンドレッドだけを見ていた。そして、諦めたように下を向く。あるいは、それは頷きだったのかもしれないし、落胆だったのかもしれない。
そんな二人を眺めて、ハンドレッドは自分の勝利を確信した。
「取引、成立ということで」
「くっ……!」
「ファイザ……ごめん……ごめん」
きっと罪悪感を感じているのだろう。騎士としての信念と、自分の過ちと、保身と、全てが混ざり合い、強い罪悪感がワングの表情に刻まれている。
ファイザは、少し挑戦的な目でハンドレッドを睨んでいた。
「ここから逃げられるとは限らないぞ。応援部隊がすぐそこまで来ている。俺たち二人は先行部隊なだけだ。この家はあと五分もすれば騎士団に囲まれる」
「なんだと?」
「レッド、本当のことだよ。逃げるなら……今のうちだ」
ワングは諦めたようにポツリと告げる。本当のことなのだろう。
―― まずいな。時間がない
「この部屋を出ろ。鍵をかける」
「あ、待って。その前に一つ、大事なことを忘れてた!」
ハンドレッドはワングののんびりとした話し方に少し苛立った。
「なんだ?」
「逃がしてやる代わりにさ。ここにある金とか宝石、ちょうだい?」
「……は?」
「俺、借金もあるしぃ、金に困ってるんだよ。な?」
「あげるわけないだろ。見逃す報酬は、お前たちの機密情報漏洩を黙っていてやること。それだけだ」
すると、ワングは口を尖らせて不満そうな顔をする。
「えー? でもそれじゃ割に合わなくない? それにこれって悪いことして稼いだ金だろ? いいじゃんケチ」
「馬鹿! ワング、何言ってんだ! 急げ、時間がない」
「なんだよ、ファイザは金に困ってないからいいよなぁ。なぁ、レッド頼むよ。な? いいじゃんいいじゃんー!」
ハンドレッドは色々と面倒になった。どのみち今すぐ金を運び出すのは無理だ。それならば、この分からず屋のワングを適当に言いくるめて、さっさとこの場を離れたい。後日、この金や宝石と共に、ワングの前から消えてしまえば、金を奪われることなどないのだから。
「分かった」
「え! くれるの? 全部だぞ?」
「あぁ、分かったから早く逃げるぞ!」
「やった~! レッド、ありがとう! 口約束もお約束だからな?」
「ああ」
適当な生返事でやり過ごし、三人はバタバタと金庫室を出る。ハンドレッドは握りしめていた鍵束から鍵を選び、金庫室の鍵穴に差し込んだ。ピッキング不可能な特殊仕様だ。いくら騎士団と言えども手は出せないだろう。
「裏から逃げられないのか? 表は鉢合わせになるぞ」
鍵を閉めている横でファイザに忠告される。「裏の窓から逃げるさ」とハンドレッドは答えた。
「玄関の鍵は開けたままで平気か? 調べられて困るものは置いてないか?」
「あー……ワングが複製した国庫輸送の資料が置いてあるな。そういえば、ワングからの手紙も引き出しの中だ」
思い出したように言うと、ワングの顔が真っ青になる。この瞬間、三人は共犯になったと、ハンドレッドは手応えを感じた。『バレたら困る』という固い絆で結ばれた仲間だ。
「おいおいおいおい! まじかよ、レッドの馬鹿! なんでそんなに落ち着いてんだよーもー!」
「潜り抜けてきた修羅場の数が違うんでね」
「馬鹿ー! 証拠どこ!? 隠せる場所は!?」
「証拠はデスクの横にある引き出しの中。とりあえず金庫室にぶち込むしかないな」
「じゃあ金庫室開けとくから鍵貸して! レッドは証拠まとめて持ってきて」
「分かった。ファイザは玄関の鍵を内側から掛けておけ」
「了解」
ハンドレッドは一瞬迷ったが、後で返して貰えば問題ないだろうと、ワングに鍵束を渡した。そして玄関の鍵を掛けて戻ってきたファイザと共に、両手に抱えるように証拠を持ち、金庫室に投げ入れた。
「もういい? 閉めるぞ!?」
ワングは金庫室の鍵を閉めて、すぐに鍵束をハンドレッドに返してきた。ハンドレッドは扉をグッと引っ張って、鍵がかかっていることを確認する。何も細工がされていないことも目視確認した。
「時間がない。裏側から逃げるぞ」
裏側の窓から三人とも出たところで、表に馬車が止まる音がした。「来た! あっぶねぇ」と、ワングが顔を青くして呟いていた。
「レッドはとりあえず逃げろ」
「ああ、お前らはこの後どうする?」
「表に回って、このまま家宅捜索にならないように誤魔化し切る。様子を見ながら、夜にでもここに戻ってこい。証拠はそのとき隠滅しろよ?絶対だからな?」
「あと、お金もちゃんと貰うからな~?」
「仕方ない、分かった」
「ワング、行くぞ」
「おう! じゃあな、レッド」
こうしてハンドレッドは、青い屋根の家からの逃亡に成功したのだった。彼が幸運だったのは、ワングとファイザという彼の駒が先行部隊として青い屋根の家にやってきたということだろう。そうでなければ、今頃は騎士団本部で取調を受けていた。
しかし、ハンドレッドは貪欲な男であった。時間を見ると、まだ国庫輸送に間に合う時間だ。元々準備してあった早馬に飛び乗ると、ハンドレッドは急いで南の森に向かう。馬車道を駆け、もうすぐ南の森の定位置というところで時間を見ると、十一時半。ギリギリだ。
ハンドレッドは馬を下りて茂みの中で鞄を開き、騎士団の制服に着替える。また馬に跨がり、駆けること三分。定位置に到着した。遠目から見ると、自分が準備しておいた馬車が置いてあった。
「はぁ……間に合ったか」
「いや、待ちくたびれたぞ」
そのとき、またもや。後ろから声をかけられ、ハンドレッドは硬直した。本日二回目の硬直である。正直、もう嫌だ……と思ってしまった。
しかも、今度の声は金庫室で聞いた声よりも遥かに鋭かった。きっと背中に剣を突きつけられているのだろう、振り向いた瞬間……いや、動いた瞬間に斬られることを悟る。
「ゆっくり手を挙げろ」
騎士特有の鋭く重い声だった。ワングの比じゃない、本気で殺すことを厭わないという空気が放たれている。
「レッド・ハンドレッドだな?」
ハンドレッドは動かなかった。詐欺師であるが故に、重要な問いには否定も肯定もしないのだ。
「国庫輸送詐取未遂で捕縛する」
返答の有無など関係ないのだろう。その一言で、自分の立たされている位置が分かってしまった。一瞬逃げようと試みたが、それはすでに遅かった。それを察知したように、一瞬で後ろ手に拘束される。
「俺からは逃げられない」
冷たい声でそう言い放たれ、流れるような動作で腕と身体を縄で縛りあげられる。これはもう無理だなと、心底観念して抵抗する力と心を全て手放した。
まだ昼だ。木漏れ日が降り注ぐ森の地面に膝をつき、ハンドレッドは自問した。
なぜここに騎士団がいる? どこで間違えた? ワングとファイザに見逃されたところで切り上げておけば良かったか?
いや……そもそもに、あの女詐欺師が全ての元凶だ。あの夜会から? 北通りで女詐欺師とすれ違ったところから? 違う、初めてあの女を見たのは……ダッグ・ダグラスと一緒にカフェにいたところだ。あのときから何かがおかしかったのか……?
時を戻せたら、そこからやり直すのに。
そんなことを自問していたハンドレッドに、木漏れ日を遮るように黒い影が落ちてくる。その影を落とした人物を確かめるように顔をあげると、森の中でも輝くことを忘れない、金髪の騎士が目の前に立っていた。
「ニルド・ニルヴァン!?」
「どうも」
「なぜ………ここに?」
「お前を捕まえるために此処にいる」
「女詐欺師はどこだ?」
「……なんの話だ? 団長! 捕縛完了です」
「ニルド、ご苦労だったな」
ニルドが声をあげると、あちらこちらに張り付いていた騎士がワラワラと出てくる。
「どういうことだ?」
ニルドはハンドレッドの問いかけには答えてくれず、とても良い笑顔で縄を引っ張った。その痛みに、ハンドレッドは顔を歪めてニルドを睨み付ける。
「俺は騎士として、お前を捕まえることだけを考えていた。ずっとずっと。夜会の前からずっとな。会えて嬉しいよ、ハンドレッド」
「夜会の前から……?」
「さぁ、王都への道中、話を聞かせて貰おうか?」