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64話 そのどちらを取るか【国庫輸送当日編】



 夜明け前、まだ暗い時間にレッド・ハンドレッドは目を覚ました。夢の中で、耳を(つんざ)くような拍手の音を浴びたからだ。


 時計を見ると、起床予定時間より二時間も早い。二度寝しようかとも思ったが、目を瞑っても興奮して眠れなかった。


「王都中の人間に賞賛され、拍手を送られる夢とは幸先が良いな」


 青い屋根の家の寝室で満足そうに小さく呟くと、勢いよく飛び起きて窓の外を見る。まだ空は暗く、街は黒い闇に覆われている。


 ベッドサイドに置いてあった煙草に火をつけて、暗闇の中に煙をふわりと漂わせると、幾らか部屋が明るくなる。まるで戦いの狼煙のようだな……なんて、ちょっとカッコイイ感じのことを思いながら、ふーっと煙を吐いた。

 煙草が短くなるまで待ち切れず、高ぶる気持ちを抑えつけるように灰皿にそれを押し付けて火を消す。


「さて、準備するか」


 国庫輸送の馬車は、大量の金を乗せて朝早くに南の領地を出て、パッカパッカガラガラと十二時頃に南の森にやってくる予定だ。国庫輸送の馬車を丸ごとすり替えるために用意した偽馬車は、早朝のうちに南の森に運ばれる。


 少し早いが準備をし始める。最終確認を行うために、朝から騎士団本部の前に張り込む必要があったからだ。騎士団が用意している馬車の種類や台数をこの目で確かめてから、早馬で南の森まで駆けていく予定だ。


 騎士団が国庫輸送を積み直すための『本物の馬車』が本部を出発するのは、ワングから貰った資料によると朝の九時であった。よって、朝の九時前には騎士団本部前で張り込みをし、十二時前には南の森にいなければならない。


 ハンドレッドは必要なものをすべて鞄に詰め込み、この日のために用意しておいた騎士団本部の前にある隠れ家に移動した。




 隠れ家についてほっと一息。騎士団本部に隣接しているカフェでテイクアウトしておいたサンドイッチと紅茶を広げて、軽い朝食を取る。まだ朝は早い。カフェにはほとんど客がいなかった。


「うん、まあまあ旨い」


 そのカフェのサンドイッチを食べるのは初めてだった。紅茶もなかなか良い。しかし、騎士団隣接のカフェなどもう二度と来ることはないだろう。そう思うと、このサンドイッチも名残惜しいものだな、なんて少しだけセンチメンタルになったりした。

 そんなことをしながらぼんやりと過ごすこと三時間。騎士団本部の大きな門が、キーィと不快な音を立てながら開いた。


「来たか」


 ハンドレッドは窓からじっと騎士団本部の門を見た。正義の青い紋章が刻まれた門だ。煩わしく白々しい、青だ。それを赤混じりの黒い瞳でジトリと見ていると、門の奥から馬車が出てきくる。


「一、二、三、四……馬車の種類も数も予想通りだな」


 嘲笑うように騎士団の馬車を見下してやった。全て自分の思惑通り。寸分の狂いもなく事は進んでいる。沸き上がる興奮を押さえられず、ギュッと拳を握りしめた。


 そして、騎士団の青い紋章が刻まれた馬車がガラガラと音を立てて、隣接するカフェの前を通ったとき、ハンドレッドは『あれ?』と気付く。


「あれは……鍵屋じゃないか。ずいぶんと、めかし込んでるな」


 カフェのテラス席、一番目立つところにお抱え鍵屋がいた。花束を抱えて一張羅を着ている彼は、いつものナヨナヨした雰囲気はなく、ビシッとしていて緊張している様子だった。


「ははぁん? さてはデートだな。羨ましいことだ」


 とは言え、自分には無関係。早馬で南の森に移動しなければと思って鞄を持ち、窓を施錠しようとした瞬間、目を見張った。


「ミリー?」


 なんと、もう二度と会うこともないだろうと切り捨てたミリーがカフェの前にいるではないか! そして、ミリーはちょこちょこと鍵屋に近づいたかと思ったら、向かいに座って何やら会話をし始めたぞ!


「おいおいおい……」 


 ―― なんでミリーが鍵屋と知り合いなんだ!? 偶然か? いやいや、こんな偶然……


 持っていた鞄を床に置いて、食い入るようにミリーと鍵屋を見る。


「……行ってみるか」


 騎士団が用意していた馬車と、自分が用意していたすり替え用の偽馬車は完全に一致していた。それが確認された今、南の森での変更箇所はない。まだ時間に余裕がある。国庫輸送の前にミリーと鍵屋の関係を少し把握しておきたい。嫌な予感がしたハンドレッドは、とりあえず二人に近付くために隠れ家を出ようと玄関に向かった。


 しかし、カフェに訪れると二人の姿はなかった。鍵屋が飲んでいた飲み物はそのままで、花束もミリーもいなくなっている。


 ―― どこに行った?


 キョロキョロと辺りを見回すと、先ほどはなかった馬車がカフェの目の前に停まっていることに気付く。なるほど、この馬車に移動したのか。そう思って、近付こうと一歩踏み出したところで、馬車がゆっくりと走り出してしまった。


「ミリー!」


 少し駆け足で追いかけながら、大きめの声で馬車に向かって声をかけると、馬車は止まらずに窓だけが開いた。


 窓から顔を出した人物を見て、ハンドレッドは大きく驚愕した。


「お久しぶりですね」


 背中が震えるほどの甘い声。嘘みたいに美しい女だった。桃色混じりの金色の髪を風になびかせ、エメラルドグリーンの瞳を細めて笑う。

 女は花束を抱えていた。風がひゅるりと花の香りを奪って、それをハンドレッドまで運ぶ。やたら甘くて鼻につく。


「お前……!?」


 美女はニコリと笑ったまま、鍵束をチャリンと音を立てて見せつけてきた。


「その鍵……! まさか!?」


「ごちそうさまでした、ふふ」


 そこで窓は閉められ、馬車の速度がグンと上がった。


「待て! おい!!」


 馬車は止まる気配もなく、まさにスタコラサッサと走り去っていった。ハンドレッドは「ちっ!」と舌打ちをして赤黒い目で馬車を睨みつける。その恐ろしい目は、夜会のときに見せたそれと同じ色だった。底知れない犯罪者の目だ。


 しかし、ここで地団駄を踏んでいても仕方がない。煮えたぎるような頭の中を瞬時に切り替える。

 今から馬車を追いかけても追い付かないと判断し、すぐに路地裏に入って鞄を開けた。女詐欺師が持っていた鍵束。あれは自分の鍵束と全く同じものだった。まさか、いつの間にか盗まれていたのか?


 と思ったが、鍵束はハンドレッドの鞄の中に入ったままだった。


「どういうことだ……?」


 女詐欺師は、確かに『ごちそうさま』と言っていた。あれは『お前の金を奪ったぞ』の意味で間違いないだろう。しかし、鍵はここにある。


「まさか複製された? いや、複製される隙など……いや待てよ」


 そのとき、鞄の鍵部分にある深い傷が目に入った。三か月前、物盗りに鞄を奪われた際に付いていた傷だ。あのとき確かにハンドレッドの手から短時間、この鞄は手放されていた。この傷が、何者かに鞄を無理やりに開けられた傷だとしたら、中の鍵束を盗むことは出来たはず。


「いや……しかし、鞄を盗られてから取り戻すまで十数分くらいだ。その間に複製することは不可能。……あの金髪女のハッタリだ」


 大方、ここでハンドレッドに国庫輸送を諦めさせて、女詐欺師が全部頂くつもりなのだろう。そうとしか考えられない。鍵の複製は不可能だ。


 ―― 短時間で寸分の狂いもなく……それを複製……


 そこでハンドレッドは一つの可能性を考えて、背筋が凍る。ワングが言っていた『第一騎士団の超記憶能力の男』だ。ニルド・ニルヴァンも第一騎士団。もし、その男がニルドの仲間だとしたら……?


 ―― 鍵の複製は可能か? その前に、その超記憶能力の男が敵だとするならば、複製した国庫輸送の資料は偽情報の可能性も? ……いや、ダメだ、冷静になれ。ここまで全部想像でしかない。決定打は何もない


 ハンドレッドは一瞬迷った。

 国庫輸送と、自分の資産と、そのどちらを取るか。


 資料が偽情報だとは限らない。鍵は複製されていない可能性の方が高い。


 そして、仮に今の時点で自分の資産を女詐欺師に盗まれていたとして、もう女詐欺師に追い付くことは不可能だ。このまま国庫輸送の詐取を続行すべきであることは明白だった。


 ―― 金庫室は無事だ。それに巨大金庫は女詐欺師には開けられない!


 もし鍵が複製されていたとして、金庫室に入れても盗めるのはアタッシュケースに詰められた現金のみ。あの宝石がたくさん入った巨大金庫は絶対に開けられない。あれが開けられるのは、この世で二人だけ。そう、二人だけ……。


 瞬間、ハンドレッドは冷静な怒りを感じた。頭に血が上ったことが自認できるほどの、冷たい怒気だった。


「……鍵屋の野郎!!」

 

 ハンドレッドは思い出した。鍵屋が抱えていた花束と、女詐欺師が抱えていた花束が全く同じものだったことを。あの美貌で誑し込んだのであれば、鍵屋などイチコロであろう。


「女詐欺師ごときが、ふざけるなよ……」


 静かにそう呟いて、ハンドレッドは青い屋根の家に向かった。今から急げば、金庫室の状態を確認してからでも国庫輸送に間に合うと踏んだのだ。頭ではなく、心がそれを決めた。とにかく金庫室を確認せずにはいられなかった。青い屋根の家に向かって、馬車を走らせる。



 青い屋根の家に到着すると、馬車が止まるより前に飛び降りた。馬車の中でもずっと握りしめていた鍵束で玄関の鍵を開ける。バタンと勢いよく扉を開けてガチャリと閉めて、全速力で寝室に向かう。クローゼットの服をバッサバッサと床に落としながら隠し扉を開け、金庫室の前に立った。震える手で金庫室を開けると、そこには……。


「……なんだ、そのままじゃないか」


 現金入りのトランクケースが所狭しと並べられていた。最後に見た状態と何ら変わりはない。


 ドドドと鼓動する心臓を手で押さえ、巨大金庫の前に立った。決められた手順で巨大金庫を開けると、やはり宝石はそのままだった。その宝石のうち一つを手に取り、光に透かすように掲げる。


「本物」


 そう小さく呟くと「ふー」と安堵の息がこぼれる。あの女詐欺師の思惑は分からないが、とりあえず資産は無事だった。


 ―― しかし、ここからどうするか……。国庫輸送詐取の作戦に戻るか。いや、その間に、ここにある宝石を盗まれでもしたら……あ! そういうことか!


「は! なるほどな、こうやって足止めするのがあの女の狙いってことか!」


「足止めとは、何のことだ?」


 そのとき、後ろから声をかけられた。口から心臓が飛び出そうなほど驚いて硬直した。この部屋に、自分と鍵屋以外が足を踏み入れたことはなかった。


 その声は、ピリッとした緊張感を含んでいた。そう、この独特な重低音……世の中の犯罪者が最も嫌いな職業の人間が発する種類の、あの声だ。ハンドレッドは振り向くこともせず、自分の状況の悪さを把握した。


「騎士団だ。手を挙げろ」


 ―― なぜ騎士団がここに?







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マシュマロ

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