表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/111

59話 黄色のチューリップでも宝物【鍵屋と花屋】



「え! なんで!」


 フォーリアは目を覚まして驚いた。視線だけ動かして確認すると、ここは確かにワンディング家の客室。間借りしている部屋に間違いない。


 昨日は、しっかり内鍵をかけて一人で寝たはずなのに、なぜかワンスにガッチリホールドされている状態で目覚めた。『なぜ? なぜなの?』と、答えを探そうと目を左右に動かすが、簡素な部屋にヒントはなかった。


「ふぁー、おはよ」


 フォーリアの声で目が覚めたのだろう。ワンスは伸びをして、普通に朝の挨拶をしてくる。


「おはようございます……?」


 首を傾げながら、つられて普通に挨拶を返す。なんとものんびりな朝の雰囲気だ。


「朝食は目玉焼きが食べたい。目玉焼きは半熟がいい」

「あ、はい」

「隣で仕事してるから出来たらノックして」

「え、あ、はい……?」


 それだけ言って、ワンスは部屋から出て行こうとする。慌てて起き上がって「なんでここにいるんですか!?」と聞いた。彼は悪びれる様子もなく、それどころか心底面倒そうに「え? ダメ?」と逆に質問で返してきたではないか。


 フォーリアは考えた。ダメかと言われると、ダメではない……? 恥ずかしいけれど、嬉しいような気もする……?


「ダメではないです……けど?」


 首を傾げて答えるが、ワンスは何も言ってくれなかった。ただ、じっと見てくるだけ。その視線があまりにも強くて、フォーリアは少しいたたまれない気持ちになる。ここは彼の屋敷なのだから『なぜここにいるのか』なんて失礼な物言いだったかしら、なんて。


 何とも言えない沈黙が、朝の爽やかな空気にぷかりと浮かんだ。


「じゃあ、いいじゃん」


 時間にして一分くらいだろうか。じっと見られたかと思ったら、一言それだけ返される。そして、サッサと部屋から出て行ってしまった。わけが分からないことだらけだ。

 しかし、とりあえず朝食を作らなければならない。身支度を整えようとして、そこでまたもや! ナイトワンピースのボタンが全開だったことに気付く! 丸見えどころの状態ではない! 寝相が、悪すぎる! 見られてた、明るいこの部屋で! 一分間、ずっと!


「~~~!?」


 フォーリアは枕に顔を埋めて、声にならない声で叫んだ。ワンディング家で迎えた初めての朝は、恥という静かなる絶叫から始まったのだった。そのボタンを誰が外しているのか、そろそろ気付いてほしい。





 気を取り直して。


 ワンディング家では使用人も含めて、全員で一緒に食事を取る。元々、ワンスが侍従頭だったことを考えれば自然な流れだ。

 フォーリアは父親と二人暮らしであるため、大人数での朝食というのは何だか久しぶりで嬉しかった。でも、『お父様は一人でどうしてるのかな』と思うと、少しだけ寂しくなった。



 ワンスは朝食とは思えないほどたくさん食べてくれた。それはもう、たくさん。


 パリっと焼かれたパン、絶妙な半熟具合の目玉焼き、塩こしょうがよく効いた厚切りベーコンはパサつきはなく、ほどよい肉汁が食欲をそそる。カボチャのポタージュには、サクサクの手作りクルトンが添えられ、サラダは瑞々しいのに水っぽくなく、フルーツは食べやすいように皮を除かれて一口サイズに切られている。


 あの可愛らしい隠れ家には調理器具が無かったので、ここまで完璧な朝食は用意できなかった。こんなパラダイスモーニングを目の前にすれば、基本的に真顔のワンスだって微笑んでくれる。フォーリアの目から見ても、テンションは高めだった。

 ワンスとしても、こんなに好みの朝食が出てくるなんて、フォーリアをワンディング家に連れてきた甲斐があったはずだ。おばあちゃんには申し訳ないが。


 そんなワンスの食べる姿を眺めていると、彼は何かを思い出したらしくスプーンを置いた。


「あ、そうだった。フォーリア、今日は少しだけ外に出る」

「はい、分かりました!」

「テン、目立たないワンピースを用意しておいて。あとツバの広い帽子。御者と護衛もよろしくな」

「はい」


 そのやり取りを聞いていた女好きのハチが、ジトリとした目でワンスを見ている。羨ましいと顔に書いてあった。


「ワンス様ばっかりずるい。俺もフォーリア様と街にいきたいんですけどー? ぶーぶー!」

「あー……まあ短時間だからいっか。それならハチも来い」


 彼の思案は一瞬だけで、スルリと了承してしまった。そうなると、今度はフォーリアがジトリとした目でワンスを見る番だ。あちらを立てればこちらが立たず。


「ワンス様と二人がいいです!」


 歯に衣着せぬフォーリアの物言いに、おばあちゃんの瞳がキラキラと輝いていたし、おじいちゃんはふぉっふぉと笑っていたし、ハチは泣いていた。


「ったく、うるせぇな。面倒だからハチとフォーリアの二人で決めておいて。ごちそーさまー」


 興味なさそうに、ワンスは私室に戻ってしまった。ダイニングの扉が閉まると同時に、ハチとフォーリアの視線がぶつかって、テーブルの上でバチバチと音を立てる。


「フォーリア様、一緒に行きましょう!」

「ハチさん、ご遠慮願います!」


 ぶつかる二人の視線の隙間を、おじいちゃんの「ふぉっふぉっふぉ」と柔らかい声が通過していった。





 そして、出掛ける時間。玄関には、紺色のスカートをヒラリフワリと膨らませた、にこやかなフォーリアの姿があった。


「ふーん、ハチの負け?」

「はい! 丁寧にお願いしたら了承してくれました。意外と良い方ですね!」

「あー……必殺・上目遣いね」

「ひっさ……? なんですか?」

「なんでもない。自覚されると面倒だから。行くぞ」

「は、はい」


 スタスタと足早に歩いて玄関を出てしまうワンス。フォーリアはタタタタと小走りで付いていった。ワンスは御者席に座るテンに「例の花屋までお願い」と伝えてから馬車に乗り込み、フォーリアの右隣に座った。

 思わぬ近距離にドキンと胸が鳴って、右半身だけビビビと緊張が走る。致すところまで致しているというのに、何ともピュアな娘だ。


「えっと、今日はどこに行くんですか?」

「花屋で花を買う」

「あら、素敵ですね~。私、チューリップが好きです」

「いつも頭に咲いてるもんな」

「???」


 ワンスは小さく笑ってから、しっとりとした視線を向けてくる。急に顔を近付けてきて、そのままチュッと軽くキスをしてくれた。突然の甘さに、フォーリアは右半身だけでなく全身がビビビと固まって、耳まで赤くなるほど熱が集まった。


「あ、あの……」

「んー? なに?」


 気まぐれに与えられる、そのやわらかい微笑み。フォーリアの愛は無事にあふれてしまった。


「~~っ! 好きです!」

「飽きないやつだな」

「すごく好きです、大好きです。好き……」


 心の奥から湧き続ける感情。あふれたものが急流になり『好き』が口からこぼれていく。二人の複雑な関係を壊す勢いで、それをぶつける。


 本当に複雑な関係だ。恋人みたいなのに恋人ではない。両思いみたいなのに、片思いみたい。片思いみたいなのに、想い合っているような。

 まるで波みたい。近付きすぎると遠ざかる。遠くなりすぎると寄せられる。寄せては引いて、ゆらりと揺れて。また一つ、好きになる。

 でも、どんなに好きと伝えても、それを返してはくれない。なのに、言うなとも諦めろとも言われない。拒否するくせに、容赦してくれる。詐欺師との恋は如何ともし難い、ややこしや。


「さて、今日は任務だ」

「え!?」


 フォーリアの止まらない告白を急にせき止めて任務の話をするワンス。まさにダムのクレストゲート(一番上にある門)。ゲートを閉じるなら放流(キス)とか簡単にするんじゃない!


「任務ですか? え、今日はデートですよね?」

「違う」

「がーーん!」 

「今日は総仕上げ一歩手前の任務だ。下準備の最終任務ってとこだな。花屋の男性店員をサクッと落としてほしい」

「……ひどい! ひどいです!」

「は? なにが?」


 フォーリアがひどいと言うのも当然だ。キスなんかしておいて、その同じ口で他の男を落とせと言う。酷い男だ。


「さては! 他の男性に私を押し付ける気ですね? そうはいきませんよ? しがみついて離れませんから!」


 この難攻不落の男から振り落とされまいと、ワンスの腕にしがみつく。しかし、彼は冷ややかな目を向けてきて、どういう抜け技なのか簡単に腕を解かれてしまった。


「違う。お前が落とされる必要はない」

「はい! 振り落とされてなるものですか!」

「はぁ……ばーか。よく聞け。相手に好かれればいいんだよ。お前が男性店員を好きになる必要はない」

「え? あ、なるほど~! 勘違いしちゃった! なぁんだ~、ふふっ!」


 くすくすと笑っていると、ワンスは何がそんなに楽しいんだ、という目で見てくる。二人のテンションの差が激しい。


「でも……落とすって、どうすればいいんですか?」

「一、花を買う。二、ニコリと微笑む。三、この手紙を渡す」


 渡された手紙は花柄の可愛らしい封筒。すでに封はされているので、中身はわからない。


「これは……何の手紙ですか?」


 ワンスはニッコリと微笑んで「深く考えなくていい」と答える。


「花を買って、笑って、手紙を渡す。これだけでいい」

「花を買って、笑って、手紙を渡す……」

「覚えたか?」

「はい! 手紙を渡して花を買って笑えばいいんですよね!」


 すでに順番が変わっている。


「……まぁなんでもいいや。俺も花屋にはいるけど他人のフリしろよ?」

「分かりました! えっと、花を渡して、手紙を笑って買う……ん? 笑いを渡して、手紙を放す? 話を笑って、紙を手で書く?」

「……まじでやべぇな」


 しかし、ワンスはフォーリアの才能(美貌)を信じていた。ダッグ・ダグラス(しか)り、ハンドレッド然り、オーランド侯爵然り、すべての男は一度くらい彼女に惹かれる。その才能があれば細かいことはどうにでもなるだろう、と。


 花屋の男性店員。これは勿論、ハンドレッドのお抱え鍵屋だ。趣味同然の副業で花屋のバイトをしているというのだから、ここで常勝フォーリアという餌で一発釣りをする。何も金庫の開け方を聞こうってわけではない。ただ繋がりを持てれば、それで目的達成なのだから。


◇◇◇


 そうして花屋に到着。フォーリアを先に入店させ、ワンスは後ろから様子を見る。

 すると、彼女を見た瞬間、男性店員の目の色が変わった。ほれ、見たことか。簡単なものだ。簡単ではないのは、この世でワンス・ワンディング唯一人なのではないかと思わせる程のイージーモードであった。


「いらっしゃいませ! どういった花をお探しでしょうか?」


 男性店員は駆け足集合でフォーリアの前に立つ。後ろの方で他人のフリをしているワンスも一応客なのだが、もはや店員の目には入っていない。ワンスは少しだけ寂しかった。


 フォーリアは思い出すように頬に手を当てながら、ニコッと微笑む。よし、良いスタートだ。案の定、男性店員の目が欲にまみれた色になる。


「えっと……何の花を買ったらいいかしら」


 花の種類は指示していなかった。フォーリアは迷っている様子で、キョロキョロとワンスの姿を探す素振りを見せた。


 ―― なんでもいいから買えよ!


 スッとその場を離れて、花が群がるショーケースの陰に隠れる。ここで話し掛けられては元も子もない。


「お客様のお好きな花は何でしょうか?」

「え? あ、チューリップが好きです」

「チューリップ! チューリップですか! ちょうど今朝、今年で一番活きの良いチューリップが入荷したところなんですよ!」

「あら、素敵!」


 活きの良いチューリップとは。


「こちらにございます。何色になさいますか?」

「えーっと、大好きな黄色で♪」


 きっとワンスの瞳の色を指定したのだろう。それが一瞬で分かってしまい、ショーケースの陰で少しげんなりとする。しかし、ワンスのことを思い出したのが功を奏したらしく、フォーリアは恋する顔を店員に見せ付けた。頬を染めて少しとろんとした瞳で、恥じらう表情だ。


「はい……お代は、結構です、美しい人……」


 男性店員の様子を見て、『よっしゃ! 落ちた!』とガッツポーズをするワンス。フォーリア砲によって、彼は瞬殺された。南無阿弥陀仏。商売人としては代金くらい貰って欲しいものだとワンスは思ったが、客の立場としてはラッキー。


「嬉しい! ありがとうございます~」


 しかし、ここで問題が発生する。お代は結構です、という貧乏人に効き目抜群のパワーワードに、フォーリアは手紙の存在をスッカリ忘れてしまった様子。夜なべをして愛らしい字で一生懸命に書いた手紙を忘れられて、ワンスは少しだけ寂しかった。


 ―― ったく、仕方ねぇな


 黄色のチューリップの花束を嬉しそうに抱えて、そのまま店を出ようとするフォーリア。彼女とすれ違うように店内を歩く。そして、すれ違った瞬間、彼女のワンピースのポケットから誰にも気付かれることなく手紙をスって取り戻す。この手捌き、玄人のスリである。ピッキングの速さといい、やはりこの男は犯罪者だ。


「お嬢さん、手紙を落としましたよ」


 すれ違った瞬間に、そう言いながら振り返って、フォーリアに手紙を渡した。


「あ、ワン……ひぃ!」


 フォーリアは思わず『ワンス』と言いそうになっていた。しかし、優しいワンスが殺傷力の激強い目で見てあげたおかげでギリギリセーフ。怖い! 名前を呼んだら殺される!


「おや? 宛名を見るに……花屋さんへの手紙かな?」

「ハイ、ソウデシタ。アリガトウゴザイマス」

「ドウイタシマシテ」


 フォーリアはトテチテタと音が鳴りそうな歩き方で手紙を受け取り、そのまま男性店員にそっと渡す。男性店員は不思議そうに手紙を受け取って、宛名を見た瞬間に目の色を変えた。熱っぽい目でフォーリアを見つめているわけだが、それは宛名に『素敵な花屋さんへ』と書かれていたからだ。ワンスが書いたとも知らずに、憐れなことだ。


 一方、宛名すら見ていないフォーリアは、男性店員の唐突な強い視線の意味が分からない様子。怪訝そうにしていた。このままだと真顔で拒否をする塩対応フォーリアになってしまいそうだったため、ワンスは「すみません、花を買いたいのですが……」と店員に話し掛ける。ナイスフォローだ。『失敗しても俺が何とかする』といつも豪語するだけのことはある。


「は、はい! いらっしゃいませ! 何になさいますか?」

「そうだなぁ……このカレンデュラの花を使って、花束を作ってくれるかな?」


 店員と会話をしながら、背中の後ろで『先に馬車に戻れ』とフォーリアに指示を出す。彼女は馬鹿正直に深く頷いてから、先に店を出ていった。

 ちょうど店員が見ていないときで良かった。ダッグ・ダグラスのときもそうであったが、フォーリアに対するこのヒヤヒヤ感、逆に癖になりそうである。

 

 


 ワンスがカレンデュラの花束を持って馬車に戻ると、黄色のチューリップの花束を持ったフォーリアが「お帰りなさい」と笑顔で出迎える。馬車の中は甘い花の香りが漂っていた。よく晴れた青空と相まって、まるで花畑にいるような爽やかな心地がする。


「ワンス様」

「なに?」

「あの……花束、交換しませんか?」


 一瞬だけ迷った。彼女の花束を受け取りたくない、そう思ったからだ。


「いいよ」


 でも、ワンスはもう現実を受け止めている。もうずっと前から――八年前から分かっていた。だから、小さく頷いてカレンデュラの花束を彼女に渡す。

 フォーリアはすっごーく嬉しそうにそれを受け取って、宝物みたいに抱えていた。黄色のチューリップの花束に一つキスをして、それを微笑みと共にワンスに渡してくる。残酷なほどに、綺麗な笑顔だった。


「ありがとうございます、お部屋に飾っていいですか?」

「別にいいけど」

「ふふふ、ワンス様大好きです」

「あっそ」

「ワンス様もチューリップ、ちゃんと飾って下さいね。瞳の色とおそろい! ピッタリでしょ?」


 黄色のチューリップの花言葉は『望みなき恋』『正直』


「あぁ、どちらにしても、俺にピッタリな花だな」


 大事そうにカレンデュラ(寂しさ)の花束を抱える彼女を見て、ワンスは少しだけ……ね。



 国庫輸送まで、あと十二日。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マシュマロ

↑メッセージやご質問等ありましたら活用下さいませ。匿名で送れます。お返事はTwitterで!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ