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6話 金を返すより、返さずに『貸し』にする方が嬉しいんだよ。また会えるから



 ニルヴァン家を後にしたファイブルは、行き着けの大衆酒場に寄った。


 ニルドの御用聞きを面倒だと思ったことなどなかったが、今回は『ワンス・ワンディング』という、いつもより少しだけ複雑な事を押し付けられたからだ。彼だって、時には酒くらい飲みたくなるものだ。


 店に入って空いていた席にドカッと座り、皺だらけのジャケットを乱暴に椅子に引っ掛ける。そこで店員が注文を取りに来た。


「あらファイブル! いらっしゃいませ~」

「こんばんは、ビールで」


 ここは、ミスリー・ミスラが働く酒場だ。ファイブルとミスリーは噂話を交換しあう、井戸端会議仲間なのだった。もちろん、こちらは健全な関係である。


「ビールね。なんか、いつもより愛想がないわね~? 何かあったの?」

「いつもの御用聞きでね」

「ふーん、いつも大変ね。どんな御用だったの?」

「んー、まあ買い物の指示とか」

「そう……」


 答える気のないファイブルに、彼女は少しだけ不満そうな顔を見せてくる。それでも、それ以上踏み込んでくることはなかった。彼女は引き際を心得ている。

 

 当然、ファイブルは、ミスリーがいつもニルドの情報を欲しがっている事になんとなーく気づいてはいた。そこに踏み込むのもなんとなーく面倒だったから、気付かないフリをしている。特に今回は『ワンス・ワンディング』なんて厄介な話題なものだから、スルーを決め込むことにした。



「あ! そうそう、ファイブルに聞きたかったんだけど」


 注文したビールを持ってきてくれたかと思ったら、またもやミスリーが絡んでくる。まだ何か聞きたいことでもあるのかなと、ビールを飲んでおしゃべりに乗っかる準備をした。


「なに?」

「ワンス・ワンディングって知ってる?」


 ―― はぁ? またワンス・ワンディング!?


 少しだけ驚いたが、眉の一つも動かさずにサラリと答える。


「……あー、ワンディング伯爵家の?」

「そうそう。どんな人? 伯爵家の跡取りなの?」

「直接会ったことはないけど、確かに伯爵家の嫡男だよ」

「そうなの!? じゃあ実在する人物ってことね!?」


 ミスリーがやたら満足そうにしていた為、ファイブルは少し怪しげに思った。


「なんでそんなこと聞くんだよ?」

「ん? ワンディング伯爵家って、偏屈なお爺さんが当主で跡取りなしって話があるでしょ? なのに、最近そこの嫡男に会った人がいてね。本当なのかな~って」

「ふーん、本当で満足?」

「満足満足~♪」


 ―― ニルドもミスリーも、ワンス・ワンディングねぇ


「それなら、お代わりのビールは奢りにしてよ」


 ファイブルが空のビールグラスを振ると、ミスリーは「はいはい、了解~」と、すぐにビールを持ってきてくれた。それをグイッと飲みながら、やっぱり美味いワインにしておけば良かったと、少しだけ後悔をする。


 ―― 明日は、一番高いワインにしよう


 ()()()、そう決めたのだった。






 そして、翌日。


「よぉ、人気者!」


 銀縁の眼鏡をキラリと光らせ、真っ直ぐな背筋に上等なジャケットを羽織り、ファイブル・ファイザックは、いつもの高級ワインバーに颯爽と現れた。ニルドの前で縮こまっているファイブルと同一人物とは思えない豹変ぶりだ。


「どうした? 急に呼び出すなんて珍しいな」

「んー? 親切心ってやつ? ちょーっと耳に入れといてやろうかなって思ってさ~」


 ファイブルがニヤっと笑うと、時の人であるワンス・ワンディング本人は「げっ」と小さく呟いていた。


「はいはい、わかったよ」


 何も言わずとも、ワンスは一番高いワインを注文してくれる。それが目の前にコトリと置かれ、ファイブルは、にっひっひ、と思わず笑ってしまった。


「で、なに?」


 ゴクリとワインを飲むと、待っていましたとばかりにワンスが急かす。ちゃんと支払ったぞ、という意志表示なのだろう。


「昨日、ワンス・ワンディングについて教えてほしいって聞かれた。その人数、なんと二人だ」

「誰?」

「一人は平民の女。もう一人は貴族の男」

「で、誰?」


 そこで銀縁眼鏡をクイッと直して、メニューをヒラヒラさせる。ワンスは「ったく」と、また仕方なさそうにして、つまみを何種類か注文してくれた。大満足のメニューチョイスにニカッと笑って「ワンスぅ~! 超絶・愛してる!」とウインク一つで茶化しながら、運ばれてきたつまみを頬張る。一口ごっくんと飲み込んだ後に、話を続けた。


「ミスリー・ミスラとニルド・ニルヴァンだ」

「ふーん」


 ワンスは驚いた様子を見せずに、何やら顎に手を当てる。


「なになに? 何考えてんの?」


 ワンスの賢さを知っているからこそ、楽しんでしまうファイブル。初めこそ面倒だなと思っていたが、意外にもワンスの食い付きが良い。あのワンスが食い付くとなれば、隠された事情に思いを馳せて楽しまざるを得ない。


 ニルドの前では『へえへえ』と言っているファイブルであるが、本来は陽気で面白いことや楽しいことが大好きなやつだった。


「んー、それで何て答えたんだ?」

「ワンディング伯爵家の跡取りってことだけ。ミスリーの方は、それでやたら満足そうにしてた」

「ニルドは?」

「調査してこいって。俺より顔がいいのか、ってやたら気にしてたぜ? ホント欲張りなお子様だからさ~」

「また面倒なことだな」

「ニルドちゃんのお守りは趣味みたいなもんだからいいんだよ。いっひひ~」


 ニルドの御用聞きだって、彼にとっては趣味娯楽の一つ。ファイブルは究極の楽しみ上手なのだ。ワンスは『何が楽しいんだか』とでも言いたげに、チーズをポイッと口に放り投げていた。



 ファイブル・ファイザックとワンス・ワンディングは、親友だ。


 お互いに利用できる価値がある、というのが彼らの確固たる絆。ファイブルはワンスを、そしてワンスはファイブルを心底信頼している。双方が『俺を裏切るメリットはゼロだ』と確信し合っている。シンプルに言えば、めちゃくちゃ仲が良い。


 出会いはやっぱり八年前。ファイブルが商家の息子として商売を学び始めた頃だった。同時に、ワンスもまた詐欺師として駆け出しの頃。互いの素性を知らないまま、偶然の巡り合わせがあったのだ。そこで初対面とは思えないほどの意気投合ぶりを発揮して、彼らは親友になった。


 そして数年間、普通に親友……いや、悪友として過ごし、蓋をあけてみたら商人と詐欺師。仕事でも何かと益を生む間柄となったのだ。


「で? で? ミスリーとニルドの関係って? ずっと気になってたんだよ」


 ファイブルが楽しそうに首を突っ込むと、ワンスに首をギュッと掴まれて戻される。


「秘密」

「っかー! 出たよ出た、ワンスの超秘密主義~! つまんねぇの」


 ワンスは、小さく笑ってから「でも、」と続けた。


()()()とは無関係のはずだ」

「どゆこと?」

「ミスリーもニルドも、ワンスのことは知らない。特に、ニルドには会ったこともない」

「ミスリーは?」

「会ったことはある。でも、他の名前を名乗ってる」

「ふぅん、なるほど」


 二人は押し黙る。ファイブルは、グラスを傾けてワインがこぼれ落ちそうなギリギリで寸止めしながら、クルクルと回して遊ぶ。一方、ワンスは頬杖をついて、一点を見つめていた。


「フォーリア・フォースタ」


 ファイブルのわくわくなダンボ耳に、ワンスの迷いなき一言が入り込んでくる。


「フォースタ……? フォースタ伯爵家の人間か?」

「フォースタ伯爵令嬢だ」

「あぁ、都市伝説のフォースタ家の美人令嬢かぁ。それがどうした?」

「先日、()()()で8,000ルド借りた」

「えげつねぇな、あの家は火の車だぞ」

「へぇ、やっぱりそうなのか?」

「そー。フォースタ伯爵が詐欺にあって全財産が、パア」


 ファイブルは「パア」に合わせて、チーズを口に投げ入れた。他人の不幸は蜜の味、美味しくて咀嚼が進む。


「まじか、そりゃ災難だったなぁ」

「……今、親子のカモが脳内を横切っただろ……?」

「うん、可愛いカルガモだった」


 いい笑顔で答えるワンス。ファイブルは「こえー」と呟いた。


「で? その美人令嬢がどうかした?」

「ここ最近で『ワンス』の名前を使ったのは、その女だけだ。元々あんまり使う名前じゃないからな。ミスリーやニルドとの関係は知らないが、出所はそこだろう」

「ふーん、調べよっか?」


 ワインのメニューを片手にヒラヒラさせながら言ってみたが、すぐにメニューを奪われる。調べなくていい、とキッパリ断られてしまった。


「自分でやる。ちょうどフォーリア・フォースタから手紙がきたところだ。会えませんか、って」

「へー、もしかして8,000ルド返すの?」

「さあね~♪」

「お前の底意地には、悪さしか見えないな……」


 軽蔑の目でワンスを見ると、彼は面白そうに笑っていた。


「フォーリア・フォースタは、ワンス・ワンディングに大層御執心みたいだからな。金を返すより、返さずに『貸し』にする方が嬉しいんだよ。また会えるから」


 ぎょっとした。ちょろすぎる、と。


「それまじ? ワンス、好かれてんの?」

「容易いよねぇ。初めは、金目的の男漁りかとも思ったけど、ありゃどう見てもただの恋心だな」

「うっわー、罪作りだねぇ。どうすんの? 頂いちゃうの? いーなー! 美人だって噂だもんなー!」

「はぁ? いらねぇよ」

「え、据え膳食わぬで恥ずかしくないの?」

「食っても金にならないことはしない。金が貰えるならやってもいいが、お生憎様、俺は高いんでね」

「おまえ……欲の割り振り、おかしくない?」

「金欲八割、食欲二割。他はいらない」


 生ハムをあーんと食べ、美味しそうにニコッと微笑むワンスを見て、ファイブルは理解に苦しんだ。でも、同じく生ハムは食べた。同じ穴の(むじな)かな。


「というわけだから、ファイブル。ニルドには『ワンス・ワンディングには愛する女性がいる』とでも言っとけ。あとは適当でいい」

「なんでー?」

「自分より顔がいいのか気にするってことは、俺はライバルってことだろ? そうすると、ニルドの目当てはフォーリアだ。無意味な勝負はサッサと降りる」

「え、いいの? 面白くねぇなー」

「面白くなくていい」

「ニルドちゃんはカモらないの? 飛んで火にいる馬鹿のカモだぜ? オススメするよ」

「ニルドは騎士だ。ワンスの名では極力近付きたくないね。それに、お前の獲物だろ?」

「……あのねぇ、俺は詐欺師じゃねぇの、商人なの。わかる? 彼は上客だよ、すっごーく大切にしてる」

「同じだろ」

「いーや、違うね」

「はいはい。で、ニルドへの情報統制の報酬はこっちな。ほい、新しい商売のアイディア資料だ」


 ファイブルの目前に、素敵な資料がヒラヒラとぶら下がっていた。


 ファイブルにとってのワンスの価値は、これである。新しい商売や商品のアイディアをバンバン渡してくれるところ。詐欺師をやる過程で得た情報を組み立てて、真っ当な商売にも活かす。それがワンスの価値だったのだ。


 ファイブルは、ごくりと唾を飲み込んだ。


「はいはい、わかったよ。ニルドには上手く言っとく」


 少し渋るように資料を受け取りながらも、頭の中ではニルドへの説明を考えはじめるファイブルだった。


 


 




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マシュマロ

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