54話 可愛い娘に可愛くお願いされたら無碍にはできまい
ハンドレッドは苛立っていた。プライドが高い彼は、上手く事が運ばないときに心が毛羽立つ。しかし、この苛立ちこそが良いスパイスとも言えるだろう。
三人は紳士クラブの前で待ち合わせをし、そのままハンドレッドの行き着けの個室店で酒を飲んでいた。
「レッドと飲むのも久しぶりだな」
「ワング、ファイザ。呼び立ててすまないね」
「いつでも大歓迎! 何か用事?」
「あぁ、少し聞きたいことがあってね」
「なんだ?」
ファイザが訝しげに眉をひそめるものだから、ハンドレッドは威圧感を全面に出す。それだけで彼を黙らせた。威圧感というものは、苛ついているときこそ凄みを増すものだ。
「ニルド・ニルヴァンの屋敷に住んでいる女について知ってることはあるか?」
「ニルヴァンの家に?」
「フォーラ・ニルヴァンという名で生活している。まぁ、偽名だろうな。マリアと名乗る事もあるようだが」
ハンドレッドは、ニルヴァン家をマークしつつ、以前に女詐欺師と会っていたダッグ・ダグラスを脅して情報を引き出そうとした。
しかし、ダグラスは女詐欺師の肩を持ち、なかなか口を割らなかった。彼女がニルド・ニルヴァンと夜会に出ていたことを告げると、ショックを受けたように「マリア…」と呟いただけ。それ以降は、使い物にならなくなってしまい、他の情報は聞き出せなかったが。
ワングは「フォーラ? うーん」と言いながらファイザに視線を流していた。心当たりがないのだろう、ファイザも軽く首を傾げる。
「知らないけど……例の騎士団の不正に関わる話?」
「ああ、その女が首謀者だ。騎士を駒にして国庫輸送を盗ろうとしている」
「首謀者が女? 外部犯だったのか」
「外部犯とはいえ、ニルド・ニルヴァンはすでにあの女の言いなりだ」
「あのニルヴァンが~? 信じられないな。骨抜きにするのはアイツの十八番だぞ?」
ハンドレッドは「ものすごい美女だからな」と吐き捨てた。この憎悪は隠す必要もない。
「ニルド・ニルヴァンについて知ってることを教えてほしい」
「えー、ニルヴァンのことって言われても、アイツ超有名人だからなぁ。俺の知ってることは皆知ってるんじゃないかな……あ! 食堂でよくカレー食べてる! これはあまり知られていない情報だろ? どうよ」
「どうでもいい情報だな……」
ワングがやたらドヤ顔をしてきたので、眉をひそめて『この脳筋が……』と言外に伝える。しかし、脳筋には通じていないようだった。お馬鹿さんは放っておいて、インテリ眼鏡のファイザに向き直る。頼みの綱というやつだ。
「ファイザ。ニルド・ニルヴァンがノーブルマッチの会員になっているか確認できないか?」
「それは難しいだろうな。ノーブルマッチの会員名簿はオーナーだけが持っている。本部の人間も知ってるのは偽名だけで、本名は知らないらしい」
「よくできたシステムだな。エース・エスタインの考えそうなことだ」
「なにそれ? 誰?」
生ハムを噛みながら、ワングは尋ねてくる。面倒ではあったものの、仕方なく丁寧に答えてあげた。
「ノーブルマッチのオーナーだ。貴族向けの商売を多数やってる切れ者。ほとんど誰もお目にかかったことはないが、高位貴族の中では超がつく有名人だよ」
「ふーん」
ワングは興味なさそうに生ハムを食べる作業に戻る。『興味がないなら聞くな』と悪態をつきそうになるが、そこまで言うのも可哀想かと思い直し、ハンドレッドはワインを一口流し込んだ。
「じゃあ……ファイザック商会の跡取りを知ってるか?」
「あの大商会の?」
ファイザも一応貴族の生まれだ。取引で会ったことがあるか頭の中を探っているようだった。
「ニルド・ニルヴァンと太い繋がりがあるらしい」
そこで、ワングがチーズをゴクリと飲み込んで「俺知ってるよ!」と。意外なところから声があがって、少し虚を突かれる。
「ワングが? どういう知り合いだ?」
「知り合いってほどでもないけどさ。前に勤務中に助けたことがあってさ。そのときに話しただけ。大きな商会の跡取りって聞いて、何か緊張したよ~」
「どんな男だった?」
ワングは、腕組みで「えー」とか「んー」とか言った後に、「どんなって……金持ちそうな雰囲気はあったけど、話してみると普通だったよ」と答える。
「髪はー、よくいる茶髪だったと思う。あ、そういえば」
「なんだ?」
「確かアップルパイが好きだって言ってた! 俺も好きでさぁ、少しだけ盛り上がった気がする」
「またどうでもいい情報だな……」
子供みたいな人間からは子供みたいな情報しか出てこない。ハンドレッドはガクッとうなだれた。それでもすぐに頭をあげ直し、子供に言い聞かせるように話をした。
「ワング、商会の跡取り息子に会ってニルドの動向を探ってほしい」
「えー? いいけど、ニルヴァンに直接聞いた方が早くない?」
「……それをやると主犯の女に筒抜けになってしまうだろう」
「ふーん? よく分かんないけど了解~。一度会えば友達だもんな。跡取り息子とは友達みたいなもんだ! 任せてくれぃ! 俺はレッドの仕事のパートナーだからな、あはは!」
不安しかなかった。一度手伝ったくらいで仕事のパートナーになった気でいるところも、絶妙に不安を煽ってくる。すぐさま「ファイザも付いていってくれないか」と打診をすれば、ファイザは苦笑いで了承してくれた。保護者ありならば、どうにかなるだろう。
「で、反故にしてくれる借用書の枚数は?」
それでもしっかりとファイザは報酬を要求してくる。ニヤッと笑って指で『一』と返せば、ファイザはワングと目を合わせてから頷いて返してきた。
そう、こうやって言うことを聞いてもらう代わりに借用書を反故にしてあげる、これが彼らを繋ぐ確固たる絆なのだ。
ファイザはワングに付き合ってここに来ているようだが、実質は弁護士のような立ち位置だった。基本的に行動をするのはワング。国庫輸送の資料もてっきりファイザに頼るかと思いきや、結局はワング本人が一人で持ってきた。特殊能力を持つ幼なじみとやらの協力を得てはいるが……。
―― 阿呆ではあるが、求心力がある……か
幼なじみとやらもそうだが、ワングを嫌っているはずのファイザも、どういうわけかこうやって彼を構っている。正直なところ、ハンドレッド本人でさえ『まぁ、ワングなら仕方ない』と思うときが多々あるのだ。ある種の人心掌握術というのだろうか、不思議な男だった。
「よろしく頼むよ」
「おっけー!」
ワングはフルーツの盛り合わせを抱えこんで口に放り入れながらニカッと笑う。めちゃくちゃよく食べる男だ。今夜のスポンサーであるハンドレッドは、少し顔をひきつらせて苦笑いするしかなかった。毎度毎度、食べ過ぎだ!
◇◇◇
その翌日は、ノーブルマッチの日だった。
ノーブルマッチに入る前は『色んな貴族令嬢を相手にできる』と期待していたが、蓋を開けてみると毎回ミリー。何だかんだ、彼女が可愛らしく『予約』を入れてくるのだ。ハンドレッドも男だからね、可愛い娘に可愛くお願いされたら無碍にはできまい。
「レド! 会いたかった~」
―― めっちゃ可愛い……! 好きだ!!
無碍には出来ないどころか、普通にドハマリしていた。
ミリーは可愛い。小悪魔的にこちらを翻弄してくるかと思いきや、貴族令嬢らしい奥ゆかしさもあり、さらには甘え上手で褒め上手。簡単にまとめると、ものすごく可愛かった。もっと簡単に言えば、ハンドレッドのドストライクだった。
ここでは書けないあれやこれがあった後、ミリーは果実酒を飲みながらニコニコとおしゃべりをする。きっと地頭が良いのだろう、彼女は話も面白い。ハンドレッドはミリーとのおしゃべりタイムも嫌いではなかった。……いや、むしろ好きだった。犯罪者であることをまっさらに忘れて、ゆっくり、とっぷり浸かれる癒やしの時間だ。
「そう言えば、前にマッチしたおじ様からのお誘いがひどくって~。次もレドがいいのになぁ」
「マッチはオーナーが決めるんだろう?」
「うん、でもね。双方が強い希望を出せば通るんだよ。私のこと守ってくれる?」
ミリーに可愛く甘えながらそう言われてしまっては、「もちろん」と答えるしかない。
「それにしてもオーラ……あ、そのおじ様も結構な年齢なのに旺盛よね~。男の人ってみんなそうなのかしら?」
「ミリーが魅力的だからだよ」
「ふふ、嬉しい!」
そんな茶番みたいな会話を広げつつ、とんでもないキーワードが出てきたことで、ハンドレッドの頭は急速フル回転しはじめる。
―― オーラ……!? オーラで始まる貴族は、オーランド家のみ……おじ様ということは、オーランド侯爵本人か?
「そのおじ様とは、どういう話をするんだ?」
「え~? やきもち? ふふふ」
「まあ、そんなところかな」
「どんなって言ってもー、うーん……。っていうかぁ」
「うん?」
「他会員の話はダーメ。会員規則で決まってるよ?」
「おっと、いけない。そうだった」
ハンドレッドは心の中で舌打ちをする。賢い女は好きだが、賢すぎるのも良くはない。すると、ミリーがいたずらっぽく目の奥を光らせた。
「あ、その顔~!」
「え?」
少しギクッとする。考えていることを顔に出すなんて、そんなミスをするわけはない。しかし、少し悪いことを考えていたのも、また事実。
「もしかして『おじ様』が誰か分かってるんでしょー? 『オーラ』って言っちゃったもんね、私。失言だったよね、ごめん! 内緒にして?」
そっちのことかと、胸を撫で下ろす。
「あぁ、誰にも言わないよ」
「良かったぁ、ありがと」
全く悪びれていないミリーを見て、この娘ならワルイコトであっても少しくらい許容してくれそうだと、ここで仕掛けてみることにした。その顔、まさに詐欺師。
「オーランド侯爵もノーブルマッチの会員だったんだな」
「ふふ、そーなの。内緒よ?」
「分かってるよ。オーランド侯爵には少しお世話になっていてね」
「え~! 繋がりがあるんだ?」
「まぁね。騎士団の繋がりってとこかな」
「そういえば、おじ様もそんなこと言ってた」
「どんなこと?」
ハンドレッドがサラリと聞くと、ミリーは色んなことを教えてくれた。オーランド侯爵は騎士団長とのやり取りに辟易してるとか、騎士団の管轄をしているが実際のところ騎士団のことなどよく分からないとか、飽き飽きしている……とか。
―― なるほど。騎士団長が提出する国庫輸送ルートの素案をそのままオーランド侯爵が承認しているのは、そこらへんのことが関係しているというわけか
これだ。この貴族間で錯綜している情報を得られるのが、ノーブルマッチの醍醐味なのだ。
「ねぇ、オーランド侯爵のこと、内緒にしてくれるお礼に、次はお菓子持ってくるから一緒に食べよ? お菓子好き??」
「……ああ、好きだ」
―― 好きだ!
いやいや、醍醐味はコッチだろう。うっかり抱きしめそうになるくらいには、小悪魔系令嬢ミリーにハマりまくっているハンドレッドであった。詐欺師も男、ということだ。
そして、次もミリーとマッチの約束をして、家路に着いたのだった。
◇◇◇
ハンドレッドの棲家は王都だけで言えば五個ある。そこを何となく巡回しながら、一番多く帰ってくる本命が『青い屋根の家』であった。ここにはハンドレッドの資産の八割が置いてあるからだ。まさに大本命。
ぱっと見は普通の一軒家。玄関の鍵も特殊なものではなく、プロの泥棒ならピッキングできてしまう簡単な作りだ。玄関の鍵を特殊仕様にしてしまうと『ここに大金がありますよ』と公言しているようなものだからだ。
同じ理由で、窓も一見は普通の窓だが、内側に鉄格子がされている防犯性の高いものに変えてある。
そんな青い屋根の家。ハンドレッドが鼻歌交じりに玄関を開けようとすると、鍵の付近に真新しいキズがついていることに気付く。
「なんだこれは……」
すぐさま中に入り、一目散に金庫室に向かう。
金庫室は、寝室にある隠し扉の奥の地下にある。そこの鍵はピッキング不可能な特殊仕様。ハンドレッドが持つ金色の鍵を寸分の狂いもなく完璧に模倣しない限り、開けることは不可能だ。
金庫室を開けると、トランクケースがズラーッと並べられた棚。これはすべて現金だ。トランクケースの数に変化がないことを確認してから、真っ直ぐ奥に進んだ。
金庫室の奥に鎮座する巨大金庫。これは数か月に一度のメンテナンスが必要ではあるものの、どんな大泥棒であっても開けることは不可能だと、信頼する専任鍵屋が太鼓判を押した逸品だった。
少し焦る気持ちを抑え込みながら、決められた手順で巨大金庫を開けた。中には宝石がキレイに並べられている。資産は金のままで置いておくと場所を取る。莫大な資産を抱える人間は、省スペース化するために貴金属に姿を変えて保管するのがセオリー。
そして、宝石の一つを手に取り、上にかざすようにして、じっと見た。
「本物」
ここは大丈夫そうだと思い、決められた手順で巨大金庫を閉じてから、さらにトランクケースの中身を確認する。異変はなかったため、金庫室は閉じた。
その足で玄関を出て、家の周りをグルリと回る。すると、窓のところに違和感があった。窓を開けるレバーの角度が、家を出たときと異なっていたからだ。しかし、鍵がこじ開けられた形跡はない。まるで試しにレバーだけ捻って、鍵が掛かっているのを確認したかの様だった。
―― 窓が開いていたらラッキー程度の泥棒未遂か? 真新しいキズはピッキングを失敗した痕跡……?
国庫輸送の件で忙しいのに、こんな素人のような泥棒未遂が起こるとは運が悪い。しかし、運が悪いで済ませて良いものか。
家の中を細かく見てみるが、やはり侵入した形跡は一つもなかった。玄関の鍵に傷をつけるような素人だ。もし侵入していたら痕跡があるはず。
―― いや、玄関のキズは素人だと思わせるためのものかもしれない……。とは言え、巨大金庫ごと資産を動かすのも手間だ。国庫輸送の件が片付くまでは、このままにしておくべきか
ハンドレッドは、青い屋根の家を中心に寝泊まりすることを決めた。今までは他の棲家で国庫輸送の準備をしていたが、資産を見張る意味からも移した方が良さそうだ。
国庫輸送まで、あと十三日。
詐欺師のプライドにかけて、美貌だけの女詐欺師などに負けるわけにはいかなかった。