5話 ぜーんぶやってあげるから
ニルとミリーの逢瀬の翌日。彼は、フォースタ邸を訪れていた。
「やあ、フォーリア」
輝く淡い金色の髪。吸い込まれそうな青色の瞳。スラッとした長身、そして騎士として鍛え上げられた身体。女性の憧れが全部詰まっている社交界の王子様。それがニルド・ニルヴァンだった。
「ニルド、いらっしゃい。ふふ、元気だった?」
ニコッと微笑むフォーリアに、ニルドの胸はきゅんと鳴る。
―― うっわ! めっちゃ可愛い、好きすぎる!
ニルドは女たらしの脳みそ下半身野郎だったが、その実、フォーリアにものすごーくピュアな片思いをしていた。
出会いは、やっぱり八年前。ニルドが十二歳のときだった。どういう理由があったのかは知らないが、突然、親に連れられてフォースタ邸に来たのが始まり。
フォーリアを一目見た瞬間に、恋に落ちた。
少し桃色が混じった金色の髪、エメラルドみたいなキラキラした瞳。白くて触ったらスルリと滑り落ちてしまいそうな肌。その白い肌に包まれたスタイルの良い身体。文句なしに可愛く、美人。それがフォーリア・フォースタ。
八年間、ずっとニルドの大本命に君臨し続けているのが彼女だ。ちなみに、ここまで全員が八年前に出会っていて、一目惚れをしている。何とも簡単なことだ。
応接室に通されたニルドは、談笑のあとに本題に入る。
「なぁ、フォーリア。フォースタ伯爵の詐欺の件、騎士団に通報しなくて本当にいいのか?」
「うん……お父様が自分がやるからって聞かなくて」
先月、フォーリアの父親であるフォラン・フォースタ伯爵が詐欺の被害に遭っていた。金を騙し取った犯人は、フォースタ伯爵の昔からの友人だった。
騎士団に通報すれば金は戻るが、旧知の友人が逮捕されてしまうだろう。フォースタ伯爵は、通報せずにどうにか解決しようとしているのだ。
一方、ニルドは友人としてフォーリアから相談を受けていた。ニルドがニルヴァン伯爵家嫡男かつ、第一騎士団所属の騎士だからだ。
ニルドは通報することを勧めているし、本来ならば立場的に騎士団本部に黙っているわけにはいかない。しかし、フォースタ伯爵の気持ちを慮ると、なかなか強行手段には出られない。
というか、正直なところ下手なことをしてフォーリアの父親に嫌われたくない。フォーリアが好きだからだ。
ニルドは、フォーリアと結婚したかった。しかし、フォーリアはフォースタ家の一人娘。そして、ニルドはニルヴァン家の一人息子。二人が婚姻を結ぶ時は、どちらかの家が途絶えるという運命にあるのだ。
この話を誰かが聞いたならば、悲恋だと思われるかもしれない。しかし、事実は異なる。恋愛的な意味で、ニルドはフォーリアにこれっぽっちも好かれていない。それが、彼女の態度から丸わかりだった。面倒見の良い近所のお兄ちゃん的なポジションであることを、ニルドは自覚していた。
超美形の騎士が八年間も報われない片思いをしているだなんて、これまた可哀想な境遇だと思われるかもしれない。だが、ここで事実を並べれば、彼は脳みそ下半身野郎である。
「騙し取った犯人の名前は分かったか?」
ニルドがそっと問い質すと、フォーリアは首を横に振る。
「私がニルドに相談しているのを分かってるみたいで、お父様は教えてくれないの」
「そうか……本当はもっと協力したいんだが」
「ううん、ありがとう」
これ以上、どうしようもないと判断したニルドは、重苦しい空気をどうにかしたくて、手土産のお菓子をフォーリアに渡した。
「これ、お土産。フォーリアが好きそうな甘い菓子だよ。これを食べて、少しは気がまぎれるといいんだけど」
「わぁ! ありがとう~」
少しどころか、大きく気がまぎれてしまうフォーリア。詐欺事件の話がサクッとお菓子に負けた。しかし、ニルドはそんなフォーリアも大好きだった。
―― ぁぁあああ! かわいいー! めっちゃ可愛い! なんだよ、なんでこんな可愛いんだ! 今すぐキスして押し倒してどうにかしてやりたい! なんで俺は次男じゃないんだ! 親父の馬鹿野郎!
八年間、ずっとこんな感じである。しかし、一途とは言い難い。フォーリアが大本命であるにも関わらず、昔から女を取っ替え引っ替え。フォーリアが男と話そうものなら全力で阻止するくせに、ニルドは陰で遊び倒しているのだから。
そうしてこじらせた結果が、ノーブルマッチの会員になるという最悪の結果に繋がるというわけだ。
中でもミリーは特にお気に入りだった。甘え方が可愛らしく、相性も抜群。フォーリアでは補えない部分をミリーで補うという最低男。クズっぷりがとても清々しく、心地良い。
ちなみに、ミスリーとフォーリアが親友であることなど、ニルドは全く知らない。そして勿論だが、ミスリーとニルドのアレな関係のこともフォーリアは知らない。何とも微妙な状態である。
「あ、ねえねえ、ニルドに聞きたいことがあったの」
お菓子を食べながら、あーだこーだ仲良くおしゃべりをしていたが、ニルドが紅茶のおかわりをお願いしたところで話題が変わった。
「ん? なに? 何でも答えるよ」
それはもう嬉しくて彼女が可愛くて、ニルドは調子に乗っていた。大本命と過ごす時間が、彼にとって最も尊い幸せな時間なのだ。
「ワンス・ワンディング様って知ってる?」
「うーん? ワンディング伯爵家の人間か?」
―― あれ? つい最近、どこかでワンディングのこと聞かれたような……あぁ、ミリーだ
「ワンディング家がどうかしたのか?」
「うん。それがね、この前ねぇ、詐欺に遭っちゃって」
「詐欺!? また!? どうしてそんなことに……はぁ」
「ごめんなさい、だって宝石が安かったんだもの…。安く買って高く売ればお金儲けできるかなって思ったの」
上目遣いで謝る姿が可愛すぎて、ニルドはきょどきょどしながら「まったく、仕方ないな」とか言ってしまった。一番仕方がないやつは誰だろうか。
「いくら取られた? 生活に困っていないか? 何なら俺が……」
「あ! 違うの違うの! 結局ね、契約書にサインする寸前で助けてもらったの」
「へぇ、いい人がいたもんだな」
「そうなの! それがワンス・ワンディング様!」
そのとき、フォーリアの目がいつも以上にキラキラと輝いたのを、ニルドは見逃さなかった。
―― へぇ……ワンス・ワンディングか……
フォーリアは美人だ。だから、驚くほどモテる。しかし、調べてみるとものすごく貧乏だし、彼女自身も頭が足りていない。ニルドの知る限り、本気で求婚をされたことはないはずだ。いわゆる、愛人枠というべきか。ちょっと粉をかける的な目的で異常にモテていた。
それでも、ニルドは我慢ならなかった。害虫駆除はニルドのライフワークみたいなものだった。
「ワンス・ワンディング……。知らないな。そいつがどうかした?」
「え! ううん、どんな人なのかなーって思っただけなの~」
「ふーん、そう」
ニルドは考えた。ここで放っておくと、考えなしのフォーリアのことだ。突っ走ってワンス・ワンディングとやらに、やたらめったら接触するだろう。それはとっても面白くない。
自分のものにならないフォーリア。ならば、誰のものにもならなければいい。
―― ファイブルに聞いてみるか
「フォーリアが気になるなら、友人に聞いてみるよ」
「ぇえ!? そんなの申し訳ないわ。いいのいいの、ちょっと気になっただけだから」
「大丈夫。俺に任せて」
ニルドはニコリと微笑んだ。
「ぜーんぶやってあげるからさ」
フォーリアはちょっと戸惑う様子を見せながらも、「ありがとう」と言って微笑み返してくれた。
―― うぐ! 可愛い!! 好きだ!!
しかし、今日もニルドの気持ちが伝わることはないのだ。どす黒いピュアな片思いであった。
この日の夕方。ニルドはニルヴァン家の屋敷にファイブルという男を呼び寄せた。
「遅いぞ、ファイブル」
「申し訳ございません、ニルド様。少し立て込んでおりまして、へえ」
「俺からの呼び出しは時間厳守だ」
「へえ、ニルド様。申し訳ございません」
ニルドは眉間に皺を寄せ、ソファに背を預ける。長い脚も腕も組んで、ものすごく踏ん反り返っていた。ご令嬢方の憧れの的になるだろう、スタイルの良さだ。
「へえ、それで今日はどうされました?」
ファイブルはかなり急いで来た様子で、ずり落ちた眼鏡をかけ直している。皺になったジャケットをグイッと引っ張りながら、ソファの横に猫背で立っていた。その姿は、まるで下っ端侍従のようだ。
しかし、ファイブルは侍従ではない。彼は、国で一、二を争う大商会『ファイザック商会』の跡取り息子であった。商人は、顔が広く様々な情報を持っている。貴族と平民のちょうど境目、とても役立つのが商家の人間だ。
そこでファイザック商会の上客であったニルドは、困ったことや面倒なことがあると、全部ファイブルに丸投げしているのだ。買い物は勿論のこと、誰かへのプレゼント選びも、観劇のチケットを取るのも、レストランの店選びから予約も、そしてフォーリアへの手土産を用意するのも。いつもファイブルに命じるだけ。全部、全部だ。
そう。ノーブルマッチの会員になったのも、ファイブルの伝手だった。
ニルドは、ファイブルのことを下僕だと思っている。ファイブルが絶対に断らないからだ。上客だからなのか、ニルドが怖いからなのか、ニルヴァン伯爵家にすり寄りたいからなのか。何を頼んでも、どんなに態度を悪くしても、ファイブルが反抗することなど、一度たりともなかった。眉の一つも動かさないで命令を聞く姿は、ある種の信頼を寄せるに値する。
どんなときも絶対服従の情けない男。それが、ニルドの知るファイブル・ファイザックだ。
「ファイブル。お前、ワンディング伯爵家を知ってるか?」
「ワンディング……へえ、取引がございますよ」
「そうか! ならば、ワンス・ワンディングという人物は知ってるか?」
「へえ……ワンディング伯爵家の跡取りですよ」
「嫡男か!」
―― 俺と同じ! フォーリアと婚姻は結べない!
心底ホッとして、にやにやと口元を緩ませる。どす黒いピュア野郎という感じの笑いだ。とは言え、フォーリアの様子を思い出すと、このまま放っておくのも危険だ。
「ワンス・ワンディングとは、どんな男だ? 風貌は? 年齢は? 身長は? 俺より顔はいいのか?」
「申し訳ありませんが、実際にお会いしたことはないんですよ」
「なんだよ使えないなぁ」
「へえ、申し訳ございません。お調べしましょうか?」
「ああ、なるべく早くやれ」
「お任せ下さい……ニルド様」
ニルヴァン家の豪華な調度品にシャンデリアの光が反射して、ファイブルの眼鏡を照らしていた。その銀色の縁が不自然なほどにキラリと光ったことに、ニルドは全く気付かない。ある種の信頼を寄せているからだ。
「ぜーんぶやってあげますから、へえ」