4話 君という快楽に出会ってしまったから
「ふんふふ~♪ ららら~これは恋~♪」
その日、ミスリー・ミスラは鼻歌まじりにおめかしをしていた。ワンピースは清楚に、香水は控えめに、髪は崩れないことより触り心地を重視して、そして一番下に着るものは? ……そう、とびきり妖艶にね。
ノーブル・マッチ。
知る人ぞ知る、奔放な貴族だけが会員のサロンのことだ。ミスリーの趣味嗜好は『人付き合いが多い』というのは、そういうこと。彼女は自由で奔放なタイプだった。
とびっきりのおめかしをして向かったのは、ノーブルマッチ専用の高級個室サロン&ホテル。
ノーブルマッチの会員は、オーナーが設定した相手とのみ逢瀬をすることが出来る。直接連絡を取り合うことは禁止され、必ずノーブルマッチの本部が間に入る。そうすることでプライバシーは保護され、知り合い同士がバッタリ会うなんて悲劇が起きないようになっているのだ。体面を気にする貴族が大層お気に召す、画期的なシステムだった。
ミスリーは没落貴族ではあるがノーブルマッチの本部に伝手があったため、特別に会員になることが許されていた。その分、会費はどえらいことになっているが。
しかし、毎日必死に働いてバカ高い会費を払ってでも、ノーブルマッチに在籍し続けたい理由がある。
「やあ、ミリー」
「こんばんは、ニル」
愛称というよりは、なんとも安直な偽名で呼び合うこの二人。ノーブルマッチで出会った身体だけの関係の二人だ。
しかし、ノーブルマッチ史上、どの組み合わせよりも逢瀬の頻度は多く、恋愛感情は抜きのベストカップルであった。相性のいい二人が、出会ってしまったのだ。
そうしてここでは書けないようなあんなこんながあった後、ミスリーはベッドサイドに置いてあった果実酒をニルに渡す。
「ニル、乾杯しよ?」
「乾杯? 何か良いことでもあったのか?」
「うん、とーっても良いことがあったのよ。親友にね、好きな人が出来たんですって」
「ふーん? それが良いこと?」
「そうよ。ニルもお祝いしてあげてね」
ミスリーは満面の笑みで「乾杯~」と、ニルが持っているグラスをカチンと鳴らす。グラスが合わさった瞬間、ミスリーは言い表せない程の愉悦を感じた。
彼は喉が渇いていたのだろう、ごくごくと果実酒を飲んでいた。少しグラスを傾けすぎせいか、口元からツーッと垂れてしまう。すかさずベッドサイドに置いてあったハンカチでスッと拭ってあげると、ニルは「ありがと」と軽くキスで返してくれる。
「あ、そうそう。ねぇ、ニル。ワンディング家って知ってる?」
「ワンディング家って、伯爵位の?」
「そう。そこの嫡男に会ったって人がいて……」
「嫡男? 確か偏屈な爺さんが当主で、結婚もせずに独身を貫いてるって話じゃなかったか?」
ミスリーは頬に手を当てて「そうよねぇ」と言った。
―― ニルドが知らないってことは、やっぱりワンスって男は偽物? 詐欺師とか?
ミスリーは心の中で大きく舌打ちをした。フォーリアがワンス・ワンディングと上手くいけば、手放しで心から祝福できるのに。正体が詐欺師であれば、上手くいくわけはない。
とは言え、ニルはそこまで情報通ではない。女性関係は派手だが、噂話には少し疎いのだ。ニルからこれ以上の情報は得られないと思い、ミスリーは話を打ち切った。
―― こういうのはファイブルに聞くのが一番ね
ミスリーがニルドの周りを調べ上げているときに出会ったのが、ファイブルという男だ。今では、ミスリーが働く酒場の常連であり、お互いに噂話を教え合う『井戸端会議』の友達同士。ミスリーにとって、ファイブルの情報は欠かせないものだった。
「っと、もうこんな時間か」
ニルが時計をチラリと見て、わざとらしい言い方で終わりを告げる。ミスリーもわざとらしく頬を膨らませて答えてあげた。茶番である。
「えー? 今日も帰るの? たまには朝までいよーよ」
「悪いな、最近忙しくてさ」
『悪いな』だなんて、まるで男友達に謝るみたいにサラリと言うものだから、ミスリーは一瞬だけ怒りが沸き起こる。せめて『ごめんね』だろう。しかし、そんな怒りを彼にぶつけたところで、もう二度と会えなくなるだけ。
ニルが服を着る姿を見ながら、さっきの乾杯の音を思い出して、怒りをそっと鎮めた。
「も~、いつも忙しいんだから。じゃあ、そのかわりに、次も私とマッチしてくれる? お願い、ね?」
ミスリーはニコッと笑って軽く返した。ニルがこういうライトな甘え方が好きだと知っているからだ。百発百中。ニルは仕方がないなぁという顔をして、また一つキスをくれた。
「もう最近はミリーだけだよ」
「ふふ、ニルのそういうとこ好き」
「可愛い。じゃあ先に行くな」
ニルは髪をふわりと撫でてくれた。最後にウインクまでプレゼントしてくれて、足早に部屋を出ていく。茶番である。
残されたミスリーは「寂しいものね~、ふふ」なんて言いながら、鞄から真新しい小さな紙袋を取り出す。そして、ハンカチをそっと中に入れた。先程、ニルの口元を拭いたハンカチだ。
ここで怖い事実を告げることになる。
そう、ミスリーはニルド・ニルヴァンの超絶ストーカーだった。ハンカチを大事に保存するくらいにはガチのストーカーだ。
ミスリーがニルドと出会ったのは八年前、十一歳のときだった。親友の家に用事があって寄ったときに、たまたまフォースタ邸にいたニルドを見かけて一目惚れをした。執着という快楽に出会ってしまったのだ。
そこからは、もうニルド一色だ。家を突き止め、彼がよく訪れる店の前で待ち伏せし、好きなものも嫌いなものも全部把握し、彼の交友関係を調べあげた。
でも、相手は貴族だ。しかも、めちゃくちゃモテる。社交界の王子様と呼ばれているくらいだ。声をかけたってどうせ断られる。それが怖くて声をかけることも出来ず、煮詰めに煮詰めた恋心。どうしようもなくて、それはもうストーカーが捗った。
そんなある日、転機が訪れる。ニルドがノーブルマッチの会員になったのだ。これだ、と思った。
とは言え自分は没落貴族。ノーブルマッチは貴族だけしか入れない。
ノーブルマッチにどうにか入るために、ミスリーは人脈を使いまくった。オーナーに伝手があるいう人物を見つけ、その人物に仲介してもらい会員になることに成功。仲介者に拝み倒して、高い金を払って、ニルドとマッチングしてもらった。夢が叶った。
ミスリーが奔放であることは確かだが、それなら酒場で適当に引っ掛ければそれで事足りる。すぐに誰かしら引っ掛かる程度には、ミスリーも可愛らしい容姿をしているのだから簡単だ。
事実、ニルドへの気持ちが高ぶったときなんか、どこかしら似ている男を捕まえてそうしてきた。金髪だったり、青い瞳を持っていたり、騎士だったり、そういう男。
全部、ニルド。ミスリーの人生は全部、ニルドなのだ。
「出会ってしまった~♪ それは恋~♪」
ミスリーは歌いながら、ニルドが飲み残した果実酒をごくりと飲んだ。
「んー! さいっこー! 美味しい!」
気持ち悪くてごめんなさい……ストーカーはダメ絶対!