35話 ファーストルックは事件の中で
その日、レッド・ハンドレッドは、北通りの紳士クラブで少し儲けた後に酒を飲んでいた。
紳士クラブというと聞こえは良いが、北通りのそれに限っては賭博場のようなものであった。詐欺師にとって、賭博場は小遣い稼ぎと良質な出会いの場。獲物探しには打ってつけだ。
―― 今日も運命の出会いはなし、か
国庫輸送詐取のために、駒となる騎士を引っ掛けようと紳士クラブや騎士団付近のカフェ、食堂などに顔を出す日々。しかし、結果は芳しくない。
次の国庫輸送まで、あと三か月程度しかない。着々と準備をしているが、少しずつ焦りが出る頃であった。
ため息交じりに店を出て、フラフラと夜の街を歩く。すると、前からどえらい美女が歩いてくるではないか。
―― あれは……前にカフェでダグラスと一緒にいた……?
もう酒を飲むような時間帯だ。こんなところで美女が一人歩きをしているなんて、どう考えても変な光景だった。しかし、『最上級』が大好きなハンドレッドは、最上級の美女に声をかけようと、フラフラと近寄った。騙せたらラッキーくらいの軽い感じで。
そこで事件が起きた。
突然背後から男が現れ、ハンドレッドは体当たりを食らわされた! ふらついて地面に倒れそうになったが、グッと足を踏ん張って何とか堪える。しかし、その隙に持っていた鞄を奪われ、男は来た道を戻るように走り去っていった!
「待て! 泥棒!!」
ハンドレッドは焦った。鞄の中には詐欺師の商売道具や金がたくさん入っていたからだ。いつもだったら、こんなミスはしないのに! ハンドレッドは歯痒い気持ちで、走り去る男を追いかける。
すると、男の前方を歩いていた貴族風の紳士が目に入る。何やらチラシを見ながらぼんやりと歩いているようだった。身なりから、少なくともそこらへんのならず者よりは信頼できそうだ。迷うことなく大声をあげた。
「泥棒だ! そいつを捕まえてくれ!」
貴族風の紳士は驚いたように振り返り、一瞬で状況を察したのだろう。持っていたチラシをグシャリとポケットに押し込み、迎え撃つように泥棒男の足を狙って自分の鞄を投げつけ、男を転ばせる。素早く蹴りを入れると、次に覆い被さって閉め技で気絶させ、さらに後ろ手に捕らえてみせた。
その流れるような捕縛を見て、ハンドレッドは緊張感を持つ。妙に手慣れていたからだ。
―― こいつ……騎士か?
騎士を駒として引っ掛けたいとは思っているが、騎士に近付きたくはない。その相反する感情が、彼に緊張を持たせた。
「怪我はありませんか!?」
泥棒を後ろ手に拘束したまま、貴族風の男はハンドレッドの怪我の心配をしてくるではないか。やはり騎士だと確信した。
「大丈夫だ、感謝する」
そう言いながらも、大事な鞄の行方が気になって仕方がない。ソロソロと視線をさまよわせると、泥棒男のちょうど足元に落ちていた。鞄はこれ一つ。ハンドレッドは迷わずそれを手に取った。
「鞄も無事なようですね」
「あぁ、ホッとしたよ」
「では、この泥棒を……」
そこで、貴族風の男は遠目に何かを見つけたように「あ」と言う。気を失っている男をヨイショと担いで立ち上がった。
「ちょうどあっちに巡回のやつがいたんで、引き渡してきます。ご一緒願えますか?」
彼が指差す方向を見ると、確かに制服を着た騎士がこちらに向かってきている。ハンドレッドは少し焦ったが、こちらは完全な被害者だ。騎士を駒にする良い機会かもしれないと「ええ、同行しましょう」と答えた。
制服を着た騎士は、やたらめったらキラキラとしたオーラを放っている。貴族風の男は、軽い調子で声をかけはじめた。
「ニルヴァン! 巡回か? お疲れ」
「あぁ、綺麗なご婦人が夜道を歩いていたから保護していたんだ」
―― 綺麗な女……さっきの女か?
そういえば、あの女に気を取られたせいで鞄を奪わたのだ。少し恥ずかしいような、情けないような気持ちになって、夜の北通りの冷えた地面を見る。保護されたという美女に悪態の一つでもついてやりたかったが、見回しても姿はなかった。
いや、今は美女より騎士だ。会話を続けている二人の男を観察する。
「こんな夜道を女性が? ご苦労なこった。ほら、新しい仕事だ。泥棒男。こちらの紳士の鞄を奪って逃走。俺が捕まえた」
「そうか、ご苦労だったな。お怪我や被害はありませんか?」
「ええ、全く。助かりました」
「それは良かった。ならば、あとはこちらでやっておく」
「よろしくな~、ニルヴァン!」
―― ニルヴァンと言ったら騎士の家系。嫡男が第一騎士団のエリートだったはず……金髪青目、間違いない。本物だ。軽いやり取り……やはりコイツも騎士か
ニルヴァンと呼ばれた騎士は、泥棒男を慣れた手付きで縛り上げ、連れていってくれた。
そこで貴族風の騎士と思わしき男が「あ、あれ?」と辺りをキョロキョロし出す。
「どうかしました?」
「いやぁ、鞄を投げたっきりどこかにやってしまったみたいで……どうしよ、金も鍵も中に入れたままなのに。あれ、その鞄、もしかして……?」
「え!?」
ハンドレッドは持っていた鞄をよーく見た。ものすごくそっくりではあるが、別の鞄ではないか!
―― なぜだ? あの場にはこの鞄しかなかったはずだ
少し疑念を抱いたが、とりあえずは自分の鞄を確保するのが先だ。
「さっき泥棒を捕らえた場所に、貴方の鞄があるかもしれない!」
二人は大急ぎで道を引き返す。見回してみると、すぐに発見。店の看板の下に滑り込んでいたようだ。
「ふー、良かった良かった。泥棒は捕らえたのに、また他の泥棒に鞄を盗られてたら目も当てられない。また団長に怒られるとこだった」
「団長……? 貴方も騎士なのかな?」
「はい、騎士団に所属しています。今日は、たまたま非番だったんですよ。ちょうど良かったです」
「感謝するよ」
「では、僕はこれで」
非番の騎士は、敬礼をして去っていった。敬礼は完璧だった。本物の騎士だろう。
ハンドレッドは慌てて路地に入り、鞄の状態を確認する。鍵のところに真新しい深い傷がついていたが、鍵自体は開けられていない。大方、鞄が転がった拍子に傷がついたのだろう。
急いで三桁の番号をいれ、パカッと開けると中には商売道具や金、そして自宅、複数の隠れ家、金庫室の鍵が入っている。鍵をじっと見て、すり替えられていないことも確認した。
ふぅと息を吐き、胸をなで下ろす。鞄あるいは鍵がすり替えられたのかと、先程の非番の騎士を疑っていたからだ。開けられた形跡もなく、全てそのままだったので疑念は晴れた。
ホッとしたところで、先程の騎士のことを思い出す。後先を考えずに、迷わず自分の鞄を放り投げる善良さ。そして、気さくな雰囲気かつ団長にどやされることが多い人物像。
―― 彼がポケットに押し込んでいた紙、あれは北通りの紳士クラブで今日配られていたチラシだ。賭事が好き、というわけか。
路地から出たハンドレッドは、まだ小さく見える騎士の後ろ姿に指を向け、狙いを定めた。
「また会えるかな?」
そう言いながら、濃紺の髪をした騎士の後ろ姿に「バーン」と弾を打ち込んだ。




