31話 叶わない夢を何度も何度も見てきた
「あ、やっと戻ってきた! どういうこと? ワンス・ワンディング様とやらはどこ?」
廊下でも階段でも『好き好き』うるさいフォーリアから逃げるように応接室に戻ると、ギャンギャン吠えるミスリー犬がいた。
食材はキッチンに置いてきたらしく、勝手知ったる隣の我が家、自分で紅茶を淹れて待っていた様子。ミスリーという人物が非常によく分かる。
「こっちはこっちでうるせぇな……はぁ」
「ねぇ、イチカ。どういうこと?」
「察しが悪いな。俺がワンス・ワンディングだよ」
ニヤリと笑って悪戯成功を誇示すると、ミスリーは目が点になっていた。ぽかんと口まで開けている。
「え、え? イチカがワンス・ワンディング? ということは……フォーリアの好きな人はコイツ!?」
「お恥ずかしながら、そうなの。てへ」
「そうだったの!? えー! きゃー! テンションあがってきたぁ!」
「なんだこの茶番……」
心底げんなり。もう早く帰って仕事がしたい。とは言え、ミスリーを例の計画に巻き込む必要がある。この後の来客のことを考えると、ここで上手いこと乗せて使えるようにしておきたいと、ワンスは思っていた。思っていたが、とてもげんなりとした。
「でも、待って。イチカは伯爵家嫡男だったってこと? それともワンスの方が嘘? ここ重要なんだけど」
ミスリーがもっともな指摘をすると、フォーリアは「え!」と小さく驚いていた。全く何も考えていなかったのだろう。
「ワンス様って嫡男じゃないんですか? それなら今すぐ結婚してください! フォースタ家へようこそです!」
「きゃー! フォーリアったら逆プロポーズ!? やるぅ!」
「ワンス・フォースタ様、良い名前ですね!?」
「ひゅーひゅー!」
「あー、帰りたい……」
とりあえず「黙れ」と低い声で一喝して、二人を一度黙らせる。フォーリアに紅茶を淹れるように言いつけてキッチンに下がらせた。もちろん、彼女はひどく怯えながらキッチンへゴーフォーリア。
そうして、愛すべきおバカさんが不在になった応接室は、いくらかピリピリとしたムードが漂う。その空気の中、ミスリーとワンスは向かい合わせで座った。
打って変わって真剣な雰囲気に、ミスリーはそれを感じ取ったのだろう。何も言わなくても、先程のテンションをしまい込んで応えてくれる。ミスリーは賢いのだ。
「話があるみたいね? どうぞ」
「ああ。……これから話すことを誰にも言わずに、全面的な協力を誓うのであれば、お前がニルド・ニルヴァンを得るための知恵を貸してやる」
突然、ニルドの名前が出てきたことで、ミスリーの目の色が変わる。
「どういうこと?」
「ニルヴァンと婚姻をしたいんだろ?」
「したい」
ミスリーは迷いもせずに答えた。叶わない夢を何度も何度も見てきたのだろう、目の色は少し暗い色だった。
「そのためには、貴族に返り咲く必要がある」
「そりゃそうだけど……無理よ」
国では平民と貴族の婚姻は認められていない。貴族は貴族としか結婚できないのだ。
ミスリーの生家であるミスラ家は、元々男爵位であった。貴族税が支払えずに三年前に没落。没落から一年後に母親が死去している。
「いや、無理じゃない。俺に協力するならば、お前に貴族籍を与えてやる」
「本当に……? どうやって?」
「あまり知られていないが……複数の手続きを介することで、没落から五年以内であれば貴族籍を取り戻すことができるんだ。遡って納税する必要があるから多額の金がかかる」
「初めて聞いた……それ本当の話?」
「ああ、本当だ。実際に何人か貴族籍に戻したことがある。手続きは王城文官を相手にしなきゃならないし、かなり煩雑だが大丈夫。俺が手続きをしてやる。金は成功報酬でまかなえるし、俺への借金もチャラ」
訝しげに見てくるミスリーに、ワンスは大きく頷いて見せた。そして、信じ込ませるようにじっとミスリーの目を見る。
「貴族籍があってもニルヴァンの心まで得られるかはわからんが、平民でいるよりはチャンスがあるだろ」
「それでもいい。チャンスがあるなら食らいつく。彼か私が死ぬまでには、きっと心を手に入れてみせるわ」
ミスリーの覚悟が垣間見えた瞬間であった。八年間、ずっとずっと欲してきたものを、このあと何十年もかけて欲し続けるという覚悟。死ぬ瞬間まで振り落とされない執着。まぎれもない、ミスリーの歪んだ愛だった。歪んでいるけど、真っ直ぐな愛。
その覚悟は、ある種の信頼を生む。ワンスはニヤリと笑ってうんうんと何度も頷いた。
「ははは! すげぇなお前、尊敬するわ。どうする? 乗るか?」
「舐めないでくれる? 先に話を聞いてからよ」
「おっけーおっけー。やっぱお前が適任だわ」
事の発端である、フォースタ伯爵の詐欺事件を話し始める。途中でフォーリアが紅茶を持って戻ってきたが、構わずに続けた。
「あーそれであの時にダッグ・ダグラスだったのねぇ」
「そういうことだ」
「え? どういうことですか?」
何がそういうことなのか分からないフォーリアであるが、ワンスとミスリーは一瞬の目配せで、ノーブルマッチのことは伏せることを合意。
「なんでもない」
「なんでもないわ」
同時にそう言われたフォーリアは、嫉妬丸出しで怒ったような顔をしていた。それをまるっきり無視して話を続ける。
「ダッグ・ダグラスを騙したのが、レッド・ハンドレッドという詐欺師なんだ。その男を捕まえる為に、ミスリーにも協力をしてほしい」
「具体的には何をすればいいの?」
「何でもしてもらう」
その言い回しで身体を使うことを要求されていると察したのだろう。フォーリアをチラリと見てから、ミスリーは「はぁ~ん、なるほどねぇ」としたり顔をしてみせた。
「まあいいわよ。そのかわりさっきの条件は守ってもらうわ」
「さっきの条件って?? なぁに?」
またもや置いてけぼりのフォーリア。もちろん、二人の答えは目配せの後の。
「なんでもない」
「なんでもないわ」
当然、彼女は嫉妬丸出しで怒っていたが、ワンスはまたもや無視を決め込んだ。とうとうぷんすかと怒りながら「まずーい夕食を作りますからね!」とキッチンに引きあげていく。まずい夕食を想像して、ついつい「げ」と小さくこぼしてしまう。食い意地が張っている。
その後、ワンスとミスリーは契約書を交わし、固い握手で友達の輪が完成。
「ミスリー。これから来客がある。今回のお仲間で仲良し夕食会だ」
「お仲間……もしかして」
「ああ、ニルヴァンもいる」
「そういうこと……あぁ、どうしよ」
覚悟はあれど、それとこれとは別物なのだろう。ミスリーは迷うようにキッチンの方向に視線を向ける。そのまま天井を見上げた。
「ずっとミリーのままじゃ進まねぇだろ。腹くくれよ。食らいつくんだろ?」
ワンスとミスリーの視線がバチッと音を立ててぶつかった瞬間。
コンコンコン コンコンコン
ベストタイミングで、次の来客がやってきた。来客は、いつもタイミング良くやって来るものなのだ。




