30話 『覚えていてくれて嬉しい』なんて
コンコンコン コンコンコン
その日、フォースタ邸のドアノッカーが叩かれた。フォーリアが「はぁい」とドアを開けると、訪問客はミスリーであった。
「あら、ミスリー!どうしたの?」
「フォーリア、突然ごめんね! 余った食材を持ってきたわ」
「ホント!? 嬉しい~」
こうやって時折、ミスリーが勤めているレストランで余った食材を届けてくれるのだ。フォースタ伯爵も毎日朝から晩まで金策に走り回っているが、フォースタ家はこうやって人々から助けられて、その日暮らしをしていたのだった。
「そうそう、上がっていい? ちょっと聞きたいことがあって~」
「うん、もちろ――あ!」
フォーリアはハッとする。ワンスが応接室にいることを思い出したのだ。
思い出して頂きたい。フォーリアは『ワンスとミスリーは愛し合っているのに、それをお互いが知らずに結ばれない関係』だと勘違いをしているのだ。真実を言うと、二人はただの金貸し屋と借用者の関係でしかない。
フォーリアは賢くない頭で必死に考える。ここで二人が会ってしまうと、ワンスにはミスリーと親友であることがバレる。そして、ミスリーにはワンス・ワンディングとイチカが同一人物であるとバレてしまう。
そして何より、二人の恋が進展してしまう! 親友と同じ人を好きになって、キスまでしてしまったことがバレてしまうかも! 色んなことを焦ったフォーリアは、ミスリーを帰らせるために断ることにした。とにかく、ワンスとミスリーを会わせたくなかったのだ。
「ごめんね、ミスリー。今ちょっと来客中で……」
「来客? ……もしかしてワンス・ワンディング?」
「あー、え~、まぁそんなとこかなぁ?」
これが、もしワンスだったら『違う』と否定していただろう。そこはやはりフォーリア。嘘をつくべきなのか本当のことを言うべきなのか分からなかった。しかし、肯定は悪手だ。ミスリーがワンス・ワンディングに興味深々なのだから。
「……ちょっと会ってみたいな~」
「え! それはダメよ!」
「少しだけ! ね? 挨拶するだけだから」
ミスリーは悪戯を思い付いた子供の様に、笑顔で横をすり抜けていく。だが、負けてはいられない! バッとミスリーの前に立ちはだかり、両手を目一杯伸ばして通せんぼうをするではないか。
「やめてお願い!!」
しかし、その声が大きすぎた。大馬鹿者である。こんな大声で叫んでしまっては、そんなに広くはないフォースタ邸。応接室まで丸聞こえであった。
◇◇◇
一方、ワンスはランチタイムからフォースタ邸に居座り、フォーリアお手製のランチをたらふく食べ、レッド・ハンドレッドとやりあうための算段を応接室で練っていた。もはやワンディング家の別邸のような扱いだ。
すると、玄関の方から「やめてお願い!!」なんて、不穏な叫び声が聞こえてくる。鬼のように冷たい男であっても、そんな叫び声がしてしまっては生存確認くらいはするものだ。
「どうした? フォーリア」
面倒に思いながらも応接室から出ていくと、そこにはミスリーが。結局、バッチリと顔を合わせてしまったというわけだ。
「……」
「え!」
「あぁ……」
反応は三者三様。上からワンス、ミスリー、フォーリアである。
ワンスは顔にも声にも、何一つ出さなかった。さすがだ。一方、ミスリーは『何でこんなところにイチカが!?』という驚きだろう。そして、フォーリアは絶望をしていた。
ワンスは、二人の反応から一秒くらいで考えをまとめる。ミスリーの反応は妥当なものであるが、フォーリアの反応が不可思議だった。ミスリーとワンスの関係は知らないはずなのに、全く驚いていない様子。
―― ふーん? これ、フォーリアは知ってるな?
「ミスリー、応接室で待ってろ。フォーリアはこっち来て」
まとめて話をするとピーチクパーチクお互いに不要なことを言い合って収拾がつかなくなりそうだと判断したワンスは、とりあえずフォーリアから片付けることにした。賢明である。
ミスリーは「なんで? ワンス・ワンディングはどこ?」と不満そうに抗議していたが、その背中をグイグイ押して応接室にポイッと押し込む。
そして、謎に泣きそうな変な顔をしているフォーリアを、彼女の私室に連れて行く。なぜ私室の場所を把握しているのか、考えると恐ろしい。
「フォーリア、お前なにか隠してるだろ? 吐け」
小さな可愛らしいソファに彼女を座らせて、偉そうに見下ろしながら問い質す。ワンスの方こそ隠し事だらけの癖に。
このとき、ワンスは少し苛立っていた。まさかフォーリアに隠し事なんて芸当が出来るとは思っていなかったのだ。何でも口からスルリと出す癖に、まさか詐欺師の専売特許である隠し事を、目の前のお馬鹿さんにやられるとは。詐欺師のプライドが許さなかった。なんとも身勝手で、最低な男である。
フォーリアは威圧感に負けたのだろう、観念したように俯いてぽつりぽつりと話しはじめる。
「ワンス様の……」
「うん? 俺の?」
「いと……」
「ぁあ? 声が小せぇよ」
「愛しい……人が……ミスリーなんですよね」
「???」
わけが分からなかった。苛立ちも吹っ飛ぶくらいに分からない。賢い頭脳の上に『???』と三個並べてワケワカラン状態だった。
そもそも、愛する女性の件が尾を引いていたことに少し驚いた。最近は、好きだの結婚してだの言わなくなったから、少しは落ち着いたものかと思っていた。とんだ拗らせ娘なだけだったとは。
「ダメだ、わからん。なにがどうしてそうなった?」
「ごまかさないでください!」
「ぇえー?」
「二人が見つめ合ってるところを見ました。優しく愛おしそうにミスリーを見てました」
事実として見つめ合ったことなどないし、優しく愛おしそうに微笑んでいた相手は金だ。フォーリアの中にある記憶はかなり脚色されている様子。傍迷惑な頭である。
「いつ見た?」
「……ワンス様に、初めて材料費を頂いて夕食を作って欲しいと言われた『夕食作ってね記念日』です」
「あー、そういうこと」
勝手に記念日を作られていたことにも驚きだが、ワンスはすぐに思い至る。あの日、ダッグ・ダグラスとマッチさせるために、ミスリーに会いに行ったのだ。その後、フォースタ邸に赴いたら、泣きはらした目の彼女がいた。終いには仕事のパートナーになりたいとか謎深いことを言い出した、あの日だ。
「それで勘違いして、一人で泣いてたってわけか」
小さくため息をこぼす。何故、金にならない色恋沙汰で時間を拘束されなければならないのか、仕事がしたい、金を稼ぎたい。
しかし一方で、ここでフォーリアを繋いでおかなければ計画に影響が出ることは明白。仕方がない。元々、色恋沙汰で計画加担者を繋いだのは自分なのだから、どんなに面倒であっても投げずに対応するしかないのだ。
「あのな、俺はミスリーのことを全く全然これっぽっちも愛してないから」
「本当のことを言ってください!」
「本当のことをしか言ってねぇよ……」
「ミスリーは、ワンス様と釣り合わないって言ってました……。平民と貴族だからですよね……? 二人は! 愛し合っているんです!!」
もうガックリ。思いっきり髪をかきむしりたい気持ちになった。
大方、好きな人の話でもしていたのだろう。ミスリーはニルドのことを秘密にしているはずだ。フォーリアにはふんわりと話をするしかなく、その結果、お馬鹿なフォーリアが壮大に勘違いしたパターンだなと、瞬時に見抜いた。
「一欠片も愛し合ってねぇよ、この鳥頭」
「え? 鳥? どこ?」
「それは俺の事じゃない」
「鳥がワンス様……?」
「ちげぇよ、鳥は忘れろ。ミスリーが好きなのはニルド・ニルヴァンだ」
「え!? ニルド? 二人は知り合いなの……?」
「間違いない。ミスリーから直接聞いてる。俺から聞いたって言うなよ、内緒な?」
ミスリーが必死に隠してきたことを、我関せずとばかりにサラッと暴露するワンス。黙っている義理もなければ義務もない。ワンスはそういう人間だった。
すると、それを聞いたフォーリアの顔が青ざめる。
「……なんでここで青ざめるんだ? もしかして、お前ってニルヴァンのこと好きなの? まじ? ワンチャンきた?」
「ちがいます! ミスリーがニルドのことを好きなら、ワンス様が失恋したことになるじゃないですか!」
「だから、俺はミスリーのこと好きじゃねぇって……ナンダコレ。面倒だな、フォーリア、立て」
「は、はい!」
不機嫌な命令に、彼女はバッと立ち上がってピーンと背筋を伸ばす。力関係がよくわかる。
「いいか、よーく聞け」
「はい!」
「俺はミスリーを好きじゃない。ミスリーはニルヴァンが好きだ。これが事実、シンプルだ」
「な、なるほど」
「他のことは全部捨て置け」
「はい! ……あの、じゃあ、ワンス様の愛する女性というのは……?」
全部捨て置けと言ったのに、下らない質問が落とされた。大きく舌打ちをして、ギロリとフォーリアを睨み付ける。いや、ガンを飛ばしたと言ってもよい。
あまりにも目が怖かったのだろう。フォーリアは「ひぃ」と小さく声をこぼしていた。すると、それを塞ぐようにワンスが軽くキスをする。チュッと、触れるだけのキスを。
「~!?」
「俺が誰を好きでも諦めないって言ってたな?」
「ふぁい……いいましたぁ……」
「じゃあどうでもいいな?」
「どうでもいいですぅ」
「よし」
適当にキスでごまかされた可哀想なフォーリア。それでも、幸せそうにデロデロに溶けていた。
親友と一人の男性を取り合わなくていいのだ。きっと彼女の心は羽が生えたように軽くなったのだろう。ワンスのことが好きという気持ちがあふれて止まらなくて、『もう誰にも彼を渡さない、誰が相手でも負けないわ!』と、彼女の瞳に恋する闘志が宿りはじめる。
ミスリーのことが原因で気持ちに蓋をしていた反動が、この時にドーンとやってきたのだろう。面倒なことに、ワンスはキスで火をつけてしまったのだ、彼女の恋心にメラメラと燃える特大の炎を。
というわけで、この日からフォーリアのガンガンに攻めて攻めて攻めまくる、まさに恋の猛攻が始まるのだった。
「ワンス様、大好きです! 結婚してください~」
「……げ、久しぶりに聞いたな、それ」
「好きです!」
「はいはい、わかったからミスリーのとこ戻るぞ」
「結婚してください!」
「断る」
「ふふふ」
求婚を断られたにも関わらず、フォーリアは嬉しそうに笑う。
「嬉しそうにすんなよ、変なやつ」
「あの、ワンス様の本当のお名前は何て言うんですか?」
「ワンスだけど」
「えー、でもミスリーにはイチカで、八年前はエースって名乗ってましたよね?」
「……はぁ!?」
ワンスはうっかりと驚いてしまった。
驚いて声を出したのも、驚きを隠すことも出来ない程に驚いたのも、それこそ数年ぶりだった。面食らうとはこの事だ。まさかフォーリアが八年前のことを覚えていて、しかもワンスがエースだと見抜いていたとは。気付かれていたことに、全く気付かなかった。
「あ! ワンス様も覚えてたんですね、嬉しい~!」
しかも、素直に驚いてしまったため、バレてしまったじゃないか。実は、彼女のことをバッチリ覚えているということが……!
―― まじか、最悪
何だかむず痒いような、羞恥心とも違う心地がした。咄嗟のことすぎて『覚えていてくれて嬉しい』なんて、ぬるい感情が出るわけもなかった。居心地は最悪だ。
今すぐフォーリアと縁を切って二度と会いたくなかった。しかし、詐欺計画の件があるため、それも叶わない。仕方がないと自分を慰める気持ちと、久しぶりの大きな驚き。色んなものがごちゃ混ぜになって、相まって、とにかくむず痒い。
居心地の悪さをぶつけるように睨みつけると、彼女は八年前と同じキラキラの瞳を向けてくる。八年経っても、彼女は変わらない。むず痒さが、ぞわぞわと背筋を走り抜けた。
「驚くワンス様、初めて見ました! 可愛い!」
「黙れ。お前……いつから気付いてた!?」
「ふふふ、内緒です~」
楽しそうにクスクスと笑う彼女。それはもう、イラッとした。お前ごときが『内緒』とか生意気言ってんな、と。
「フォーリア……まさか優位に立ったつもりじゃねぇだろうな? あぁ?」
普通であれば鳥肌ものの鋭い睨みであるが、フォーリアには効かない様子。だって、恋の炎がメラメラと灯されたままだったからだ。追い打ちとでもいうように、不機嫌に閉じていたワンスの口に、フォーリアはキスをしてきた。目一杯背伸びをして、真っ赤な顔で、目をギュッと瞑って、震える唇で。
可愛い部屋に二人きり。甘いリップ音が、チュッと響く。
「お前……っ!!」
「どんなワンス様も大好きです!」
さて、先に折れるのはどちらかな?




