21話 ワンスのご褒美タイム
ダグラスから情報をゲットしたワンスは、鼻歌交じりの超ご機嫌で、フォースタ邸に戻った。
コンコンコンと軽くドアノッカーを鳴らすと、ずぶ濡れのフォーリアが出迎えてくれた。
「……なんで髪がずぶ濡れなんだ? ここだけ雨降った?」
「ワワワワワンス様ぁぁああ!」
彼女は、うわーん!と声をあげて泣きそうなレベルで顔を歪めている。ギリっギリ泣いてはいなかったが、もう今にも涙がこぼれそうだ。
「あ、そういうことな? 感動の涙的な?」
「ちがいますぅーーー! あのダグラスって人に触られたのが気持ち悪すぎてお風呂に入ってました!」
「あ、そうなんだ。会話は聞いてたけど、見てなかった。お疲れ~」
「軽い! 軽いです!!」
「ははは! 上手くいって良かった良かった」
ワンスはやたら上機嫌だった。ターゲットがレッド・ハンドレッドだと分かり、想定よりも胸踊る展開にテンションが上がってしまう。
「よよよよかった……? よかった? ワンス様ひどい! あんなことされたのに! ひどい!!」
「あー、はいはい。なぐさめればいいってことな? ヨシヨシハイハイ」
おざなりな慰めは全く効かず、フォーリアは「ひどいひどい」と呟きつづける人形と化してしまった。面倒に思いながらも、彼女をソファに座らせる。
「いやー、お前すげぇな。カフェでダグラスを引っ掛けたときは見直したわ。正直、驚いた」
ふわふわの真新しいタオルと髪ブラシを洗面所から取ってくる。ソファに座るフォーリアの後ろに立ち、髪を拭いてあげた。なぜタオルの場所を知っているのだろうか、怖い男だ。
「ワワワワワンス様!?」
「んー? 頑張ったからご褒美タイム」
「ぇえ……? うそぉ……?」
フォーリアはデロデロに溶けて液体となり、髪についた雫と一緒にタオルに吸われていた。幸せの絶頂だ。頑張って良かったと思っているのだろう。噛み締めるように、タオルのふわふわに身をゆだねていた。頑張っても、大抵報われない残念な人生だったから……。
「さて、こんなもんだろ。うん、ツヤツヤ~♪」
ワンスは満足に頷いて、フォーリアの髪をサラリと撫でた。
「ワンス様、私、生きててよかったです幸せです……うぅ……」
「え、これだけで? とんだ不幸な人生だな」
温度差がすごい。
「は! そう言えば、上手くいったんですか? 私、ちゃんとできてました?」
「覚えてねぇの?」
「はい、まったく!」
フォーリアはダグラスに触られたことが強烈すぎて、それ以外の記憶をほぼ手放しているのだろう。忘れるために相当な努力が必要なワンスからしたら、驚愕的な脳の作りだ。ある種の才能である。
「あー。うん……途中、茂みの中でずっこけたけど、概ね良好だった。よくやったと思う。何より持って生まれた才能だな。ここまで使い道があるとは思ってなかった」
フォーリアの前では大抵真顔のワンスが、ニコッと笑って褒める。フォーリアは目を瞬かせて、丸い瞳をさらにまん丸にしていた。
「……ワンス様が、笑ってくれた」
彼女がじっと見てくるものだから、またニコッと笑って「ん? なに?」と返す。非常に珍しいご機嫌ワンスである。フォーリアは顔を真っ赤にして、感激で震えていた。
「さて、相手の詐欺師が分かったところで、今後のことを考えたい」
「はい!」
「……そうだよな、お前はどうすっかな」
「どうするって? まさかクビですか!? 仕事のパートナーになったんじゃないんですか!?」
「……あ、そうだった。そうだ、お前は俺が認めたパートナーだ」
ワンスは死んだ目をしていたが、フォーリアは全く気にならない様子。胸の前で両手を小さく握って「やったぁ!」と喜んでいた。パートナー認定、おめでとう。本当にお目出度いことで……。
残念なフォーリアからそっと距離を取って立ち上がり、壁掛けランプの中のロクソクに火を灯す。もう外が暗くなっていたからだ。ロクソクの場所も把握しているとは、本当に怖い男である。
部屋が少し明るくなり、フォーリアの顔を改めて見てみると、頬が少し赤くなっていることに気づく。
「フォーリア、その頬どうした?」
近付いて頬をまじまじと見ると、赤く小さな傷が出来ていた。上から化粧で隠したのだろう、近付いてやっと気付くレベルだったが。
すると、彼女は変な顔で泣くのを我慢し始める。「うぅ……」と小さく声を漏らし、歯を食いしばっていた。ワンスは『変な顔だ!』と、また少しだけテンションが上がった。最低だ。
「あのダグラスって人が、キスしてきたのでゴシゴシ洗ったんです! 思い出したら震えが……きもちわるい」
「ぇえ? キスだけで? なんか……ダグラスが可哀想になってきたな」
「何言ってるんですか? あのダグラスって人は最低な人間です。初対面の女性のほっぺにちゅーをするなど、悪のショーギョーです!」
「悪の所業な」
「はい、悪のショギョウです!」
そう言って、またゴシゴシと手の甲で頬をこすり始める。どんだけ嫌だったんだ。
―― ダグラスだと、ここまで嫌がるもんなのか。ってことは、髪にキスしてたニルヴァンは嫌われてはないってことだよな。これ、ワンチャンあるんじゃないか……?
ワンスは、フォーリアとニルド・ニルヴァンのことを考えていた。一人娘と一人息子。ニルドは諦めていたが、絶対に結ばれないというわけでもあるまい。法律や事例・判例に詳しいワンスは、その方法をいくらでも思い付いた。
―― だとすると、ミスリーが邪魔してくるか
あそこまでニルドに執着しているミスリーだ。ニルドの婚姻なんて易々と許すはずはない。
―― 上手く使えるか? 一つ間違えばバーン! ……破裂しそうだな
レッド・ハンドレッドをどうやって倒すか。ワンスの興味は全てそこに集約していた。そのために何をどうやって使って、かき回すか。
そこまで考えて、ゴシゴシゴシゴシとうるさいくらいにゴシゴシしているフォーリアをチラリと見た。さすがに少し不憫になってくる。
「もうやめとけよ、一級品の質が落ちたらどうすんだ」
「いいこと思い付きました。一度、皮を剥いで交換するのはどうですか? どこで出来るか知ってます? お医者様かしら……?」
「いやいや、馬鹿通り越して発想が怖ぇよ。そんなに? ダグラス可哀想すぎじゃね?」
「可哀想なのは私です」
「わかったわかった。ったく、仕方ねぇなぁ」
そう言って、フォーリアの隣にドサッと座り、彼女の赤くなった頬に手を当てた。
「あー、さっきより赤くなってんじゃん……」
そう言いながら、そこにチュッとキスをした。
「……!?」
「他は? 何された?」
「ナニトハ? ナンデスカ?」
フォーリアは訳が分からなくてカタコトの夢うつつ。意識は、ほぼなさそうだ。突然のほっぺにチューで、フォーリアの頬は真っ赤に染まる。すると、ゴシゴシ擦って赤くなってしまった部分は、見事に消えてしまった。まるで魔法のようだ。
「上書きすればいいだろ。他は何も無いならこれで終わりな」
「……ハッ! 待って! 抱きしめられました」
「ちっ、意識が戻るのが早くなってきたな」
フォーリアを立たせて、今度はギュッと抱きしめた。彼女は天に召された。
ロクソクの火がゆらりと揺れて、一つになった影が床に揺らめく。
「これでいいか?」
フォーリアは「ハッ!」と言いながら、また瞬時に意識を取り戻している。なんと欲望に忠実なことだろう! そして、視線を右に少し逸らしながら、人差し指をちょんと唇に当てている。甘えるような仕草だ。
「あの、キスもされましたぁ……」
「てめぇ、見え透いた嘘ついてんじゃねぇよ」
ギロリと睨んで、ひくーいつめたーい声で言い放つ。フォーリアは「ひ!」と小さく悲鳴をあげ、一歩後ずさり怯えている。怖い男だ。
「ごごごごめんなさい! 出来心で! 本当は耳元で囁かれただけです」
「はぁ? それくらい許してやれよ」
「許せません。ほら! これ!!」
髪をかきあげて耳を見せられる。すると、そこには擦りすぎて傷だらけになった赤い耳があるじゃないか。あまりの面倒さにガックリとして、そのままソファに座ってしまうワンス。
「あのダグラスって人に、好きだよって言われました」
「はいはいスキダヨー」
「耳元で。気持ちをこめて。抱きしめながら。好きだよ、です」
「おい? おまえ、この前キスしてやって以降、調子乗ってんな……?」
超面倒ではあったが、仕方がないと割り切って立ち上がり、フォーリアをもう一度抱きしめた。
二人の体温が混ざり合う。じりじりと燃えるロクソクの火に当てられたせいか、やたらと温かい。
彼女のサラサラの髪をそっと耳にかけてあげると、耳はさっきよりもずっと真っ赤になっていた。彼女の耳に触れると、華奢な肩がビクッと小さく跳ねる。
その反応を見たワンスは、小馬鹿にするように小さく笑ってやった。傷だらけの小さな赤い耳に、唇をピタリとくっつけて、そっと囁く。
「愛してるよ、フォーリア」
そう言って、もう一度ギュッと抱きしめた。三秒ほど抱きしめた後、身体を離すついでに唇に軽くキスをしてあげる。
ロクソクはドロリと溶けて、嬉しそうにゆらゆら揺れている。
「はい、サービス終了」
意地悪にニヤリと笑う。床にへたり込むフォーリアを見て「おまえ、本当にちょろいな~」と笑った。