2話 嘘はついていない
「粗茶ですが」
「ありがとうございます、とても美味いです。生涯、忘れられない紅茶になりそうだ」
出されたお茶が粗茶すぎて、ニコリと素敵な笑顔が出てしまった。
―― 金、なさすぎじゃね?
フォーリアが玄関を開けた瞬間、ワンスは驚いた。全く、金の匂いがしなかったからだ。使用人がいる様子もなければ調度品も皆無。
―― とりあえずは、現状把握をしたいところだけど……
「あの、助けて頂いたお礼に、ランチをご馳走させて下さいませ! ぜひ!」
そこでどういうわけか突然のランチの誘い。しかも、上目遣いでお誘いだ。どうするべきか少し悩んだが、色々と調査したいワンスはとりあえず誘いを受けることにした。
「……そうですね、せっかくなのでご馳走になろうかな」
フォーリアはパァっと顔を輝かせる。すぐに支度をいたしますと言って、ランタッタと軽快な足音を鳴らしながら奥に引っ込んでいった。きっと着替えでもするのだろう。
―― よし、今のうち!
そう思って立ち上がり、当然のように部屋を物色しはじめる。一つとして躊躇せずに、棚や引き出しを開ける。度胸のかたまりのような男だ。しかし、開けども開けども何もない。ついには、隣の部屋に移動して根こそぎ開けまくる。
―― 本当になんもねぇな! 何なんだ、この家は!
これが最後の引き出しだと開けてみると、やっとこさ白い封筒に入った一万ルドを見つけた。
―― さっきの宝石の額とピッタリ同じ
ふむと顎に手をやって、淡い黄色の瞳を上に向けながら思案する。彼女を獲物と見るならば、相当な金ナシだ。
―― 伯爵家なのに金が無さすぎる……何か理由が?
封筒には手を付けず、そのまま引き出しを閉める。彼は詐欺師ではあるが、泥棒ではないんでね。
―― それにしても遅いな
フォーリアの支度が遅いおかげで物色が捗ったわけだが、どれだけおめかしをするつもりやら。臆することなくスタスタと廊下を進むと、何やらキッチンの方から音がするではないか。
―― え? 支度ってそっち!? まじ!?
まさかの手作りランチ。身支度ではなく、料理の支度だったとは。
フォーリアの人物像を知っているワンスとしては、食べてはならぬものでも入れかねないと不安になり、忍び足でキッチンを覗く。そこには「ふんふ~んららら♪ 出会ってしまった~♪ これは恋〜♪」と、歌を口ずさみながら料理をするフォーリアの姿が。窓の外を見れば、鳩がパタパタと飛んでいく。平和だ。
―― ……うん、放っておこう
乗り掛かった船。そっと応接室に戻った。
正直言って、フォーリア・フォースタがわからない。噴水広場で詐欺に遭い、別の詐欺師に助けられ、家に詐欺師を招き、そして詐欺師に料理を振る舞う。偶然にしては引きが強すぎる。
そんな風に唸っていたら、応接室の扉からフォーリアがひょこりと顔を出す。
「ワンス様! お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
お礼を言いながらも憂鬱で仕方がない。だって、きっと美味しくない。あんな女が作る料理が美味しいはずもない。不味いことは確定事項として、リアクションをどうするか。それを考えると気が滅入る。
しかし、用意された食事を見た瞬間に、気持ちは一変。こんがりと焼かれた丸いパン、ミンチのテリーヌには食欲をそそる香草ソースが掛けられ、添えられた野菜たちは彩り豊か。湯気立つ美しいコンソメスープが嗅覚を刺激する。
「驚きました。これは貴女が?」
「はい、私のたった一つの取り柄なんです~、ふふふ」
フォーリアは、ちょっと恥ずかしそうに肩を小さくしながら微笑む。そうして、二人は向かい合わせで手を合わせ。
「いただきます」
ぱくぱく、もぐもぐ、ごっくん。
―― うまっ!!
想像以上に美味しかった。驚いて開いた口に料理を運べば、スルリストンと胃袋に収まる。ワンスは、心からの賛辞を送る。
「とても美味しいです。正直なところ、すごく驚いています」
詐欺師というと嘘ばかりだと思われるが、彼は無駄に嘘を付かない。事実、ここまで一つも嘘を言っていない。たくさんの本当の中に、必要なときだけ嘘を入れる。そうすれば、オセロのように嘘は本当になってしまうのだ。これが彼の持論。
「お口に合って良かったです。ホッとしました」
フォーリアは何度もお礼を口にした。また是非と嬉しそうに話すものだから、ワンスは先程見た白い封筒を全部ペロリと召し上がるのも……なんだか気が引けてしまう。
食事を進めながら、彼女をぼんやりと眺める。ニコニコと笑って楽しそうに食事をするフォーリア。上目遣いでお礼がしたいと言ったフォーリア。見知らぬ男を家に招き入れるなんて危なっかしいことをしてまで、彼女は何故お礼をしてくれたのか。なぜ……そんなの決まっているだろう。
―― あ。これ、好かれてる?
ワンス……というか猫を被ったワンス・ワンディングに恋心があるならば、これまでの彼女の言動行動の全てに辻褄が合う。
―― えーー? ちょろくね……?
若干引いたところで、外の光の強さに気付く。どうやらランチタイムを大きく過ぎている様子。美味しすぎて、うっかり食事に夢中になりすぎたらしい。うっかりワンスである。
「いけない! もうこんな時間か!」
「あら、何か御用があるんですか?」
「この後、仕事があるんです。それに銀行にも行かなきゃならなくて」
「銀行……えーっと、二十分くらい歩いたところにありますが……今は午後二時半。銀行は三時まで。間に合いますかしら?」
返事をせずにどうするか考える。元々、一度家に帰って金を取ってから、銀行に行く予定だったのだ。その途中で拉致されて、現在フォースタ伯爵家でランチ。数奇なことだ。
―― うーん、一度、金を取りに戻ると間に合わないか
「あの、もしかして間に合わないのでしょうか!?」
急かすような彼女の問い掛け。フィーリアは真っ青な顔でワンスの答えを待っていた。『間に合わなかったらどうしよう、私のせいだわ!』とでも思っているのだろう、顔に書いてある。
そこでワンスは思い付いてしまった。あの白い封筒に入った金の有効な使い道を。悪い笑顔の上にポーカーフェイスをふわりと乗せて、もう一度時計を見る仕草をする。
「二時半か。資金を取りに家に戻るから……どうかな」
「資金?」
ワンスは『おっと、口が滑った!』とでも言うように、口元を手で覆ってみせる。これじゃあまるで、金を強請っているみたいじゃないか。まるでというか、まさに強請っているわけだが。
「ごめんなさい、聞かなかったことに」
人差し指を唇に当てながらウインク一つで誤魔化す。そして、「見送りは結構です」と鞄を持って、焦るように玄関に向かおうとした。
「ワンス様、お待ちください!」
心の中で拍手喝采。予想通り、彼女は隣の部屋から白い綺麗な封筒を持ってきて、ワンスにそっと差し出してくれた。
「ここに、一万ルド入っています」
「え?」
「これでは足りませんか?」
ワンスは、「これは……」とか言いながら神妙な面持ちで封筒の中身を確認。うん、一万ルドとの再会だ。
「いいのかい……?」
なんて言ってはみたものの、心の中では。
―― きたきたぁ♪ よーこせっ! よーこせっ!
最低最悪なコールだ。恋心を利用して金を巻き上げるだなんて悪すぎる! しかし、彼は詐欺師なのだから当たり前だ。
「ワンス様。貴方に救って貰えなければ、このお金は詐欺師に取られていました。どうぞ使ってください」
「ありがとう」
少し震える手で封筒を握りしめてみたりする。
―― げっとー! 過去最速記録更新だな
ワンスは心の底から驚いていた。詐欺師に宝石を売りつけられそうになった日に、他人を信じ、他人を助けようとする彼女の心根に。なんて利他的な人間なのだろうと。
「こういうのは、ちゃんとした方がいいからね、借用書を作ろう」
「借用書!? そんな大層な……」
「記録を残すのは大事だよ。すぐに作るから」
そ鞄から紙とペンを取り出して、サラサラ〜と借用書を作る。ペンを走らせる速度がやたら速い。『ワンス・ワンディング』のサインを書くと、紙をくるりと回し、向かいに座るフォーリアに差し出す。
「ここにサインを」
「は、はい!」
フォーリアは、さらさら〜とサインを書いてくれた。
―― 内容も金額も確認しない、か
本日二度目である。ワンスは白い封筒から八千ルドだけを受け取り、残りの二千ルドはフォーリアに返した。
「恩に着るよ。ありがとう、ご馳走さまでした」
申し訳なさそうにしながら、足早にフォースタ家を去った。
そのまま銀行に寄って手続きを済ませ、辻馬車に飛び乗る。嘘ではなく、本当に仕事に遅れそうなのだ。ワンディング家に戻ると定刻ギリギリ。急いで侍従の仕事に取りかかる。彼は、ワンディング家の侍従頭として身を置いているのだった。
嘘をついて金を騙し取ったヒドイ男だと思われるかもしれない。でも、ワンスは嘘をついていないし、金を騙し取ったわけでもない。だって、本当に欲しかったのはお金じゃなくて、借用書の方なのだからね。




